Friday, November 25, 2005

盲・ろう・養護学校を一元化=障害児教育で答申案-中教審

11月21日の時事通信の記事。以下、引用
盲・ろう・養護学校を一元化=障害児教育で答申案-中教審

 今後の障害児教育について検討していた中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の特別委員会は21日、盲・ろう・養護学校制度の一元化などを盛り込んだ答申案をまとめた。これを受け、文部科学省は次期通常国会に学校教育法などの改正案を提出したい考え。
 答申案は(1)盲・ろう・養護学校制度を「特別支援学校」(仮称)に一元化(2)小中学校で学習障害(LD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)を抱える子どもへの個別指導機会の増加(3)障害児教育に対応した教員免許制度の改革-などが柱。 
(時事通信) - 11月21日21時1分更新
 障害児教育というのは特殊学校のみならずの問題だと考えています。将来的には、公立学校でも障害児を受け入れなければならないときがくると考えています。

 LDやADHDなどが養護学校の範囲かと問われたら、ほとんどの人が「No」だと思います。しかし、私は「Yes」だと考えています。これからは盲・ろう・養護の区別、特に養護の区別が難しくなるので一元化しようとしているように感じる。

 教員免許制度の改革も盛り込まれているようですが必要だと思います。と、同時に保護者や子どもたちへの教育も行うべきでしょう。そのような方向性でなければ、うまく機能しないように思えます。これからは、一緒の空間・時間を共有させることが求められてくるのではないでしょうか?そのために、特殊学校以外の教員にも教育が必要で、これから教員になろうとしている人たちへの制度の改革は納得がいく。

 社会へ出れば障害を持った人たちと仕事をする機会が必ずあります。特にホワイトカラーでは、その割合が高いです。そして、これからはほとんどがホワイトカラーの仕事となるでしょう。私の世代は、全く隔離されていました。社会へ出るまで接触がありませんでした。互いにうまく混ざり合うことができずに、歯がゆい思いをしたことがあります。

 これは私の経験です。効率よく仕事を進めるためのグループには、「和」が求められます。これを作るためには、コミュニケーションがとれなければなりません。外国人相手ならは外国語を習うでしょう。それと同じように聾だったら、手話といったことがなされていません。コミュニケーションにイライラするようになる。「和」を保つために関わりを減らす。こうなってしまってはいけません。

 イライラしないためにも、家庭教育・学校教育共に次のステップに進むときなのかもしれません。

Thursday, November 24, 2005

楽天出身の校長に減給処分 修学旅行中の飲酒で

共同通信の記事より。以下、引用
 横浜市教育委員会は24日、修学旅行の引率中に飲酒したとして、市立東山田中学校の本城慎之介校長(33)を減給10分の1、6カ月とし、一緒に飲酒した男性教諭3人も減給処分にした。
 本城校長は情報技術(IT)企業「楽天」の元副社長で、市の民間人校長公募で採用され、4月に就任した。
 市教委によると、本城校長は6月5日午前3時半ごろから約40分間、宿泊した京都市のホテルの部屋で、3年生の学年主任の男性教諭(53)に誘われ計4人で飲酒。校長は350ミリリットルの缶ビールを2本飲んだ。
 本城校長は「職員間のコミュニケーションが不足しているという焦りの中で飲酒の誘いをきっぱりと断れなかった。誤った判断と猛省している」とのコメントを出した。
 しっかりしてくれ、頼むよ… 民間人校長として期待しているのにこんなどうしようもないことでピックアップされて。

 しかし、修学旅行の飲酒ってのは本当に禁止事項なのだろうか?前にも同じような記事を書いた記憶があったけど。どうも氷山の一角でしかないような気がしてならない。今回も「誘われた」とあるので先生方としてはひとつの「イベント」だったのではないでしょうか?そう考えるのが自然だと思う。

 本城校長の「職員間のコミュニケーション不足」ってのも一企業と教員とでは共有する時間が圧倒的に違うので質の問題が問われるのではないだろうか。企業だと、「仕事 = 会議」みたいなところもあるが、学校ではそうはいかないだろう。

 本当にこんなことで評判を下げられてはかなわない……

Monday, November 21, 2005

指導要領に「部活」復活? 中学現場「明確にして」

共同通信の記事。以下引用
指導要領に「部活」復活? 中学現場「明確にして」

 次期学習指導要領の改定をめぐり、中学の部活動の扱いに関心が高まっている。2002年実施の現行指導要領で「特別活動」の項目から削除され“中ぶらりん”の状態になっているためだ。現場には「位置付けを明確にしてほしい」と、指導要領への「復活」を求める声も出ている。
 「部活動は教員にとってボランティア。指導要領に明記し条件整備を」。7日の中教審教育課程部会で全日本中学校長会の大橋久芳会長が訴えた。委員からは「再び明記すれば教員の重荷にならないか」との質問も出たが「現状でも十分重荷だ」と大橋会長は答えた。
中学時代、最も打ち込んだことに「部活動」を挙げる生徒は少なくない。都内の中学校長は「放課後に教員の違う面に触れることが教育に厚みを加えている」と話す。
 しかし、多くの教員は教科指導で忙しい中、顧問を引き受けているのが実情。土日に出勤しても手当は千―二千円程度で、振り替え休日を取ることもままならない。
 部活動は「特別活動」に包括されていると認識していました。勉強不足ヾ(_ _。)

 ってか、おかしいな。この間、「特別活動の研究」のスクで部活動もやったような記憶がおぼろげながらあるのですけれど。実質、特別活動の領域で行っているってことだったのかしら。

Thursday, November 17, 2005

なぜフィンランドの子どもたちは「学力」が高いか

 こんなタイトルの本の宣伝が新聞にあった。

Amazon.co.jp: なぜフィンランドの子どもたちは「学力」が高いか

 先日、フィンランドの教育について記事を書いたが気持ちが悪いくらいタイムリーだと、ひとりで思っていた。

 まだ、読んでいないのでなんとも言えないのですが… とりあえず、覚書程度に… レビューするだけの内容であればしたいと思います。まずは、私自身、フィンランド教育に対しての知識や見識がないのでお勉強したいと思います。西洋かぶれなどと言われぬよう、自分なりに咀嚼してモノにしたいと思います。

教員免許更新制 中間報告

 「現職に検討必要」と大きな見出し。厳しいことをいうようだが、この教員免許更新制が必要になった根本原因は現職なのではないでしょうか?なので、現職に適用されなければ、問題は最低でも40年先送りですよね?って思っているのですが。しかも、新人の教育は現職が行われるでしょうから、堂々巡りのスパイラルなのではないでしょうか?

教員免許更新制 現職に「検討必要」 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
教員免許更新制 現職に「検討必要」

 文部科学相の諮問機関・中央教育審議会の部会は16日、今後の教員養成や免許制度に関する中間報告をまとめた。

 教員免許更新制を現職教員に適用するかどうかについて、「さらに検討が必要」と含みを持たせた点が特徴で、大学の教職課程に新たな必修科目「教職実践演習」(仮称)を設けることも盛り込んだ。部会は中間報告への国民の意見を募り、年明けにも答申をまとめる方針。

 ◆中教審中間報告、見送りの方針修正

 教員免許更新制は昨年10月、中山前文科相が中教審に導入を諮問した。中教審は当初、現職教員を対象にすることは「不利益変更になる」として、見送る方向で議論を進めてきた。しかし、最近は教師の資質が厳しく問われ、メンバーからも「保護者や国民の期待に応えるには、現職教員にも実効ある取り組みが不可欠」などの意見が出たため、中間報告では「現職教員を含む免許保有者への適用が可能かどうか、法制度上や実施上の課題などをさらに検討する必要がある」として、結論を先送りした。

 また、免許の有効期限は10年を基本とし、最初の更新を5年後とするか、10年後とするか、さらに検討することにした。
 「不利益変更になる」として当初は現職に対して配慮していたが、なぜ「不利益」になるのか全く理解できない。「不利益になる」と考えていることが、既に問題だと思っている。確かに、今までの流れから考えればかなり大きな変更となり精神的にも厳しい状況への変革だというのは理解できる。しかし、これが不利益かといわれれば疑問だ。

 教員としては喜ぶべき制度だと思ってもよいと思っている。「学校の常識は、世間の非常識」などと不名誉なことが一般的になっている。この更新制度を利用し、子ども達を社会人として教育する立場にある教員の常識を、世間と整合をとる機会としても非常に重要なのではないだろうか。そのためには、更新の年に「なにをするのか」というのが重要だ。一体、何をするのか今回の記事には書かれていなかったが興味がある。整体師的な役割をもったモノになってほしいと、個人的には思う。

 最近思うことは、免許のありかたより、学校と保護者との柔軟なネットワークの構築が必要なのではと思う。大抵の意見は学校や国の機関から出るものではなく、保護者だ。保護者の意見が学校へうまく反映できない、現場が保護者の声を汲み取れないのが、意見や不満の根本原因だと考える。柔軟なネットワークを作ることで、小さなコミュニティを作ることができるのではないだろうか。風通しのよさは、何事においてもうまくいく要因になる。基本的なことに対しての配慮が、公教育には足りない気がしてならない。

Monday, November 14, 2005

教員の社会的地位が高いフィンランド

 私もフィンランドの教育は注視しているので目に止まった記事でした。タイトルの「教員の社会的地位が高い」ってのは、今の日本にとっては耳が痛い言葉だと思います。いつから、日本の教員の社会的地位は低くなってしまったのでしょう。

MSN-Mainichi INTERACTIVE 学力とは何か

 この記事にあった話からひとつ。教員になるためのハードルが高いのがひとつの要因ではないだろうか。教育実習が1年ってのは、日本では考えられませんよね?日本では3~4週間でしょ?途中でリタイアする学生もいるっては分かりますね。それだけ、教員になるには厳しい教育を受けなければならないということ。そして、学力だけではなく、この教育実習の間で適正を判断していること。日本は適正は面接と検査。正直申しますと、教員になりたいと考えている今の私にとっては、後者、つまり、日本でよかったなと思ってしまう。とにかく、免許だけはゲットできると。

 でも、こんな考えだからつまづくのかもしれない。フィンランドの教員は、厳しい訓練を受けて、幾重ものふるいにかけられ残ったエリート。そう考えれば、親にはっきりとモノを言えるってのも分かります。今は、正直、教員よりも親のほうが高学歴だったりします。特に私学を断念せざるを得ない子どもの親だったりすると、きっと、先生ははっきりモノを言えないのでしょう。恨めしいキモチがあるから。いつの間にか、教員の社会的地位が低くなってしまったのです。

 「学力なら塾」という調査結果もあることから、公教育は何をすればよいのか見えてくるはずです。そして、公教育だからやらなければいけないことも見えてくるはずです。これを明確にしなければ、現場の先生はいつまでたっても社会的地位の低いまま、いち公務員として罵声を浴びせられるでしょう。

 フィンランドに限らず、北欧は、日本とよく似た経済背景があると、私は考えています。それらを、恥ずかしがらず参考にし、日本の風土に合うよう取込めば、と考えています。難しいですけれどもね……

工業高校生、久しぶりに「金の卵」

2007年問題に備えて、各企業が技術者の卵を欲しがっているというのが根底らしい

河北新報の記事より。以下、引用
大量定年目前 工業高校生、久しぶりに「金の卵」 仙台

 仙台市内の工業高校に、関東や東海地方の大手メーカーからバブル期に迫る求人が押し寄せている。業績回復に加え、団塊世代の大量定年が目前に迫り、製造業各社が人集めに走っている。来春卒業予定の3年生は久しぶりに「金の卵」扱いを受けるが、生徒側は地元志向が強く、求人・求職のミスマッチも目立ってきた。

 宮城工業高(青葉区)では、県外企業への就職希望者39人に対し、292社から求人があり、求人倍率は7.5倍。県内企業を希望する生徒の求人倍率2倍を大きく上回る。県外希望の就職内定者は1日現在ですでに31人に上り、前年実績と並んだ。

 内定先は、トヨタ自動車やホンダなど日本を支える大企業が中心。進路指導部長の鈴木康弘教諭は「東海や首都圏などの自動車が好調。団塊世代が大量に退職し始める2007年問題に備え、各社が技術者の卵を大量に欲しがっている」と説明する。

 仙台工業高(宮城野区)でも、県外就職希望者の求人倍率は8倍。内定者は22人(10月20日現在)で、すでに今春実績を6人上回った。「担当者が直接学校を訪れ、ぜひうちに来てほしいと生徒に頼み込む企業もある」(進路指導部)という。

 県内就職を希望する生徒が多い普通高校でも、県外企業から求人が相次ぐ。明成高(青葉区)では、7日現在の内定者33人のうち県外が10人を占め、地元希望者より早く内定する傾向が見られる。

 都道府県別の高卒予定者求人倍率をみると、7月末現在、東京3.65倍、愛知2.05倍に対し、宮城は改善はしているものの0.76倍と低い。地元企業の業績回復の遅れが影響している。

 特に仙台の場合は、東北各県からも就職希望者が集まるため、数字以上に厳しい状況だが、就職希望者の9割は地元志向だ。
 企業の就職試験は1次募集が終わり、2次募集に入っているが、この時期でも地元志向の生徒が多いという。県外企業からの求人は2次募集に入っても好調だが、各高校では「県外からの豊富な求人が無駄に終わる可能性もある」とみている。

2005年11月14日月曜日
 いつもながら、社会は、特に企業は「その場しのぎ」の対策しかしないなぁという印象だ。地震と違って十分に対策を練れる問題なのに、また、同じような問題を繰り返そうとしている。なぜ、計画的な雇用ができないのだろうか?それほど、社会とは激流なのか?いつも疑問に思う。計画的な雇用は、働いている人、これから働く人の心の安定に大きく関わってくる。

 ニートやフリーターを突く社会の流れだが、企業の雇用体制を突くのが本論ではなかろうか?

 今回の仙台の事例でも、需要と供給のミスマッチが既に現われているようだ。倍率だけ見たら、バブル時期のそれと同じ数字かもしれないが、ナカミは違う。特に地方からの求人だと、高校生はなかなか具体的なビジョンを想像できないし、ためらうのではないだろうか。社会人になれば、それこそ、いつ地方に飛ばされるか分からない。きちんと学生に伝わっているだろうか?就職場所は、ほんとうは誰にも分からない。これが事実だと思っている。

 実際に、私の身近にもこれがある。採用は関西でも勤務地は東京。地元で就職して10年働いたが、合併で東京へ単身赴任。これが、現実である。ならば、東京や大都市の会社に就職し、ある程度安定した勤務地を保証してもらったほうが、精神的に楽ではなかろうか?大都市なら、働きながら大学にも通える、他の道も見ることができる。これをよい機会だと考えられる、考えさせることが学校には必要ではなかろうか。

 工業高校の生徒が来年も、金の卵としてもてはやされる保障はない。働きながら考えるのも、悪くはない。

Thursday, November 10, 2005

禁煙指導に保険適用へって…

読売新聞の記事より、以下引用
「禁断症状」一種の病気、禁煙指導に保険適用へ

 厚生労働省は9日の中央社会保険医療協議会(中医協)で、医師による禁煙指導を公的医療保険の対象とする方針を示した。2006年度の実施を目指す。

 厚労省はこれまで、禁煙は個人の意思の問題と位置づけてきたため、禁煙指導は全額が自己負担だった。しかし、喫煙による体調不良や肺がんなどが医療費増加の一因となっているとみて、医療費抑制のため、禁煙指導を積極的に促すこととした。「ニコチンの禁断症状」を一種の病気ととらえ、公的医療保険の対象とする。

 初診でニコチンへの依存度を医師が評価、一定期間後に禁煙状況の確認や、ニコチン摂取量の測定などを行う。

 財団法人医療経済研究機構の調査では、喫煙による超過医療費(1999年度現在)は1・3兆円、労働力の損失(同)を5・8兆円と推計している。
(2005年11月10日0時12分 読売新聞)
 いっそ、「たばこ作るのやめたら」と思ってしまう。極端すぎるかしら?友達の教師から聞く話しでは、小・中学生の喫煙は多いらしい。「食後の一服」などとオヤジのそれとほとんど変わらないくらいたばこを吸うらしい。これを病気としてしまうのも「どうかなぁ?」と思う。

 JTは保険適用、つまり喫煙を病気とすることにひどく反対している。これもどうかなぁと思う。

Monday, November 07, 2005

イサムノグチから見える子ども教育

 去る11月6日、東京都現代美術館で開催されている「イサムノグチ展」に足を運んだ。イサムノグチで私が思い出すものは、「あかり」と「プレイグラウンド」だ。

 インテリアに凝った時期があり、そのときにはじめてイサムノグチの名前を知った。なので、私の中で彼は「デザイナー」という認識だった。チョット前に北海道に彼の最後の作品「モエレ沼公園」が完成したというTV番組を観て、彼が世界的な芸術家だと知った。

 彼の催しを見に行こうと思ったきっかけは、子ども向けのプログラムを用意していることだった。私は常々、芸術は直に見てこそ価値があると考えている。自分の目で、自分の見たい角度から、余計なうんちくも聞かずに観てこそ価値があると。

 が、今回、共感したのはこれとは別のコト。

 最近は私が子どもだった頃と比べても、外で遊べる場所が減っているし、遊んでいる子ども達を見ることも減ったと思っている。そんな時代の流れの中で、彼の「モエレ沼公園」はひとつの希望だと思っている。

 大人も子どもも楽しめる場所は少ない。今は細分化されてしまっていて、異なる世代が関わりにくくなっているのは事実だ。

 これを発端に各地に芸術家がプランナーの公園や広場、遊び場が増えれば、とてもよいことだと思う。それに刺激されて公園などにも芸術家やデザイナーが関わった公共公園なんてのも出てくれれば、イイんだけどなぁ。

Thursday, November 03, 2005

脱「算数嫌い」注目の教科書

産経新聞の記事より。以下、引用
「繰り返し」「面白く」重点 大学教授ら編集
 算数がわからない-。そんな子供たちのための心強い「教科書」が誕生した。「自分で学べる」ことに重点を置いた『学ぼう!算数』(数研出版)。大学生の学力低下の原因が小学校教育、とくに教科書にあるとする大学教授らが今春から順次、発行にこぎつけた。学習指導要領にとらわれない編集で検定を受けていないが、試用した学級では、平均点が12点以上アップ。副教材として採用する私立小学校もあり、評価が高まっている。(安本寿久)
 編著者は京都大経済研究所の西村和雄教授(58)と埼玉大経済学部の岡部恒治教授(59)。西村教授らは、大学生の学力低下の実態を明らかにした『分数ができない大学生』『小数ができない大学生』の編著でも知られる。
 大学生なのに中学二年レベルの連立一次方程式が解けない、マイナスの入った四則演算ができない、異分母の分数の引き算がわからない…。「その原因を探っていくと、不合理なカリキュラムの教科書が問題だとわかった。数学(算数)はある程度、繰り返しで学習していくものだから、自学自習できる良い教科書が必要だと訴えてきたが、だれもつくらないので三年半前、自分たちでつくろうと考えた」と西村教授は言う。
+-×÷
 『学ぼう…』の最大の特徴は、小学一年から六年までの内容がらせん階段のように繰り返し出てくることだ。例えば三年用では割り算を学んだ後、比と分数に進み、小数へとつながっていく。現行の教科書では小数は四年で、比は六年で学ぶが、「割り算と分数、分数と比は一体で考えた方が理解しやすいし、早く学んで繰り返し考えていくことが大切」という判断だ。
 こうした学習進度は一九七〇年代の日本では当たり前のことだったが、ゆとり教育の推進で他国より遅くなった。日本では現在、二けたまでの足し算・引き算を二年で学ぶが、インド、韓国では一年で教える。五年で学ぶ同分母の分数の足し算・引き算は、韓国では四年、インドでは三年。大学生が苦手とする異分母の分数の足し算・引き算はインドでは四年で学習するにもかかわらず、日本ではようやく六年で学ぶ。現行の教科書は減量化とともに教える順序に合理性がなくなった、と西村教授は指摘する。
 「その上、演習問題は平成十四年度の学習指導要領で三分の一に減らされた。それ以前も減らし続けており、五〇年代と比べれば、子供がこなす(勉強)量は四分の一しかない」
+-×÷
 『学ぼう…』は「考えてみよう」で絵を交えて丁寧に説明した後、例題と解き方にページを割き、練習問題と解答を手厚く載せている。子供に親切な編集が大方針。表現と文章の長さをめぐって、大学教授と小学校教諭が激論し、六回も書き直した単元もある。
 岡部教授は「小学生がわかりやすく、面白く、と考えて編集した。たとえ教師の説明がなくても、塾に行かなくても、算数がわかる内容になっている。今の薄っぺらな教科書を見直すきっかけにもなれば、と期待している」。西村教授は「算数嫌いをなくすことは勉強嫌いをなくすことだし、子供に自信を持たせることにつながる」と話す。

 『学ぼう…』に執筆協力した東京都杉並区の小学校教諭が一昨年、原稿の段階で三年生に小数単元を学ばせた後、業者テストを受けさせると平均点は89点で、全国平均(78点)を上回った。そのまま一学級(二十六人)で学習を続け、今年二月に同区の学力調査を受けたところ、平均点は区平均73・9点に対し、86・31点。学習目標への達成率は92・3%に上った。
 京都市左京区のノートルダム学院小学校では今年の夏休み、『学ぼう…』を六年生と四年生の一部が副教材に使い、来年度から全学年で使用することを決めた。
 同校の算数研究部長、六車陽一教諭(32)は「学習指導要領より早く出てくる単元もあるので、難しすぎるのではないかと校内で議論したが、使ってみると、文章題が多く、難しい『割合』の単元でも子供がスムーズに入っていけた。子供がイメージをわかせやすい記述で想像力も養われる。一つの単元が何度も出てくるので、その都度、知識や理解度をチェックできるのもいい」と話す。
 京都府精華町のNPO国際教育開発機構は、『学ぼう…』を英訳して開発途上国などに贈ることを計画している。
 「この本は、日本の教科書が削減したものを体系的に扱っているほか、子供が自分で解き方を学べる内容になっている。これからの世界では『自ら学ぶ力』が大切なスキルになる。世界のスタンダードな教科書になれる内容になっている」
 今年三月まで聖母学院小学校(京都市伏見区)で校長を務めていた楠井昭生代表(62)はそう評価している。
 数学に限らず、教科書はもっと楽しく書けるし、面白いものになり得ると思う。私は常々「教科書はなぜ小難しく書かれるのだろうか」と思っていた。参考書然り、如何にも教科書というものは多い。「やさしい…」などの参考書と書いてあること、つまり、情報は変わりないのに読み易さは雲泥の差がある。今回の記事は、数学のカリキュラムを段階的・螺旋的に繰り返し学べるよう工夫したもので、私が言う「読み易さ」とは違うが、教科書の変化には敏感になっている。

 今後、教える内容も増え、複雑化するのは目に見えている。カリキュラム、教科書の役割は大きく変わらなければ対応しきれないだろう。

Tuesday, November 01, 2005

いまどきの子ども?

 最近というか、私が現役の頃も問題というか、「へぇ~」って思っていたことです。最近立て続けに目撃したのでチコッと書きたいと思います。
  1. 夜・深夜にウロウロしている子どもたち
     夜・深夜といってもだいたい21時以降ですか、それくらいにウロウロしている子どもたちを最近見ました。しかし、まぁ、一人でウロウロしているわけでないのでヨシとしようと… ん!イヤイヤ、それはないでしょう。
     そうです。親御さんが子どもを連れてウロウロしているのです。子どもの年齢はだいたい年長から小学校低学年くらいでしょうか。コンビニやら居酒屋やらよく見かけます。どうなんでしょうね、これって?子どもの睡眠に関して色々な研究会も作られている時代です。親御さんはもっとデリケートになるべき問題なのではないだろうか。
  2. お散歩ですか?
     ようやく歩き出した子どもでしょうか。犬のように首輪というか手綱をくくりつけている子どもを見ました。驚きました。まぁ、とりあえず笑っとけってことで笑っておきましたが。方向転換は手綱を強く引く、そんな操作でした。こんなことしている人は多いのでしょうか、現在では?
 タイトルを「いまどきの子ども?」としたのには理由があります。「子どもを見て親を知れ」ということです。正直、私には理解が難しいふたつの事例ですが、これが「いまどきの親」なのでしょうか?それとも、かなり例外ですか?