Wednesday, December 27, 2006

愛国心の通知表評価

 愛国心評価というのはすでに行われているのかどうか、調べていないので不明瞭なのではあるが、私の記憶ではまだだったような気がする。

373news.com - 通知表に「愛国心」評価 薩摩川内市の2小学校

 鹿児島県の公立小学校で、通知表に愛国心の評価欄があったとのこと。1校では2003年度から行われているということなので、今年の教育基本法改正による関心の高さが伺える。そういう私もそうであるが……

 記事によると評価項目は以下である。
  1. 我が国の歴史と政治、国際社会における役割に関心を持ち、歴史と伝統を大切にし国を愛する心情を持とうとする
  2. 我が国の社会的事象に関心を持ち、意欲的に調べ、国を愛する心情と世界の国々の人々と共に生きるという自覚を持とうとする
 まぁ、「我が国」という言葉だったり、「国を愛する」という言葉だったりが愛国心と結びつくか。記事によると学校側は愛国心の評価ではないと言っている。学習指導要領の「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする」という文言から設定した項目のように受取れる。

 そうか、学習指導要領に書いてあるのか……。それなら評価せねばならないよなぁ、普通に考えれば。しかし、教育基本法に文言を入れる入れないであれだけもめているのに、学習指導要領の方はそれほどシビアではないのね。なんか、腑に落ちないけど……

Tuesday, December 26, 2006

怪盗アンデス

 昨日、TVのニュースでも多く流れていた。しかし、面白い。

漢検 変“漢”ミスコンテスト

 大賞に選ばれた「遅れました。怪盗アンデス」は、もし、自分に送られてきた時のことを想像するとほのぼのしてしまう。なんとなくホッとしてしまうような誤変換。

 しかし、漢字変換するタイミングってのはみんなどんなかんじなんでしょうか?私は助詞の前で変換するので、結構こまめに変換するタイプのようですが……。

Monday, December 25, 2006

いじめられている君へ

 最近、初講義を行った等々、何かと話題のさかなくん。彼のいじめに対する呼びかけですが、いいこと言っております。

asahi.com :教育 - いじめられている君へ

 魚の世界にも「いじめ」と思しきモノがあるというのは以外でした。発生原因も人間のそれと変わらないように受取れます。さんざん「いじめ」に対するコメントを見聞きしてきましたが、一番こころに響きました。

この類のパズルはやや苦手

 テレビのつまらない時期になってきました。頭の体操と暇つぶしにいかがでしょうか?

ちゅるるん:ピースを組み合わせて空間を埋める 頭の体操っ

 ちょっとやってみましたが、この類のパズルはやや苦手です。幾何学とかすごい苦手でした。なんだか火照ってきました。

Monday, December 18, 2006

オーストリーは定着してない

 NHKのニュースウオッチ9で「Mozartの楽譜がWebで無料公開」を発信していた。まぁ、前に記事にしたが、そこで「オーストリアのモーツァルテウム財団……」と発せられたのを聞いてひっかかった。

 ニュースですらオーストリーと言おうとしない。大丈夫かね?

センスのいい人、悪い人

 ソフトバンクのCMを皮肉ったモノ。いいセンスしているなぁと感心した。



 私もはじめて、このソフトバンクのCMを見たときに「ん?」と感じた。昨今のいじめ報道で洗脳されてしまって、敏感になりすぎかなぁとも思っていた。

 しかし、それを差し引いてもこのソフトバンクのCMは「センスがないなぁ」って感じだ。同じ内容でも、例えば場面設定が「合コン」だったら

男:「ねぇ、電話番号おしえてよ」
女:「えっ、でも私にかけるとお金かかるし……」

 なんてのもできるのにって思う。

Friday, December 15, 2006

Mozartの全楽曲のスコアをWebで公開

 まぁ、このブログの趣向とは全く関係のない記事なのだが、使えるサービスなのでピックアップ。

Home - NEUE MOZART-AUSGABE / DIGITAL MOZART EDITION

 Mozartの全楽曲のスコアがダウンロードできるらしい。素晴らしいサービスだと思う。しかし、曲名と楽曲が一致しないので検索にするための曲名を調べるのに時間をとられそうだ。

 最近、Bachのピアノ曲のCDを友人から借りたのだが、これまたスゴイ。小学生や中学生時分の感動とは比較にならぬ高揚感が得られた。Bachのサイトはないのかい?Chopinもない?

Thursday, December 14, 2006

わかったつもり 読解力がつかない本当の原因

 「わかったつもり」は、ひとつの「わかった」状態で安定状態だ。そんな言葉が本書中に何度も繰り返し出てくる。それくらい、読みに対して厄介な状態ということ。本書は、読みに対するひとつの姿勢を示してくれる。

Amazon.co.jp: わかったつもり 読解力がつかない本当の原因

 結構、読まれている本だということがGoogleの検索結果やAmazonのレビューからも分かる。それ故に、様々なレビューがあるが、私は「良書」だと思う。特に第5章の「2. 解釈の自由と制約」、「3. 試験問題を解いてみる」は良かった。まとめのページから引用。

  1. 整合的である限りにおいて、複数の想像・仮定、すなわち「解釈」を認めることになります。間違っていない限り、また間違いが露になるまで、その解釈は保持されてよいのです。
  2. ある解釈が、整合性を示しているからといって、それが唯一正しい解釈と考えることはできないのです。
  3. しかし、ある解釈がどこかの記述と不整合である場合には、その解釈は破棄されなければならないのです。

 これは、「なるほど、そういうことか」と妙に腑に落ちた。本書にもあるが、国語の試験問題で、適切なモノを選ぶより、適切でないモノを選ぶ設問の方が自信を持ってスムーズに解答できたことを思い出した。それが、上記の「整合性」に関わる記述とピッタリだ。

 これを見ると、日本の国語教育でも「論理的な考え方」が行われていたのだなぁと実感する。ただ、それを「教える側」も「教わる側」も深く考えず、なんとなくやり過ごしてしまったのだと思う。そういう私も、なんとなくやり過ごしてしまったひとりなのだが……

 読み易い本ではあるが、扱っている問題ゆえに、書かれていることが冗長になってしまっていると感じる。しかし、そのために読むのを放棄してしまうのはもったいないと思う。

Monday, December 11, 2006

THE TWELVE APOSTLES AND A BETRAYER.

 非常にむずかしいが、面白いパズル。2日ほど考えた。

THE TWELVE APOSTLES AND A BETRAYER. - R27

 答えはGoogleで検索すれば出てきます、ご安心を。どっぷりはまってみては如何でしょうか?

 先日の情熱大陸で、算数塾の講師がとりあげられていたがはやっているのかしら?コマネチ大学も面白い。

Flashがはやっている?

 KSSブログさんに「社会科で使えるFlash」というエントリがあった。先日、私も紹介した地図が含まれておったがはやりなのかしら?

KKSブログ: 社会の教育に使える、ほどほどにでっかい地図フラッシュ

 個人的に、「Imperial History」はヒットです。英語史で若干、歴史がらみの話があったので興味を惹きました。ほんとに覚えてないなぁって思います、高校の世界史って……

Thursday, December 07, 2006

2学期制で時間にゆとり

 2学期制はすでに多くのところで導入されている。というか、私はすっかり3学期制から2学期制に移行したのかと思っていたが、各自治体・学校で試験的に導入されているもよう。

asahi.com: 2学期制「時間にゆとり」、モデル校で好評 広島 - 教育

 まず、何故3学期制なのかを考えるとよく理由は分かりません。とりあえず思いつくことといえば

  1. 季節感がある
  2. 学習達成度を測るテストの回数を多くし、現状把握を正確にする

くらいしか思い浮かばない。

 記事によると、どうも2の理由が足枷となっているようだ。

同市教委指導課は「これまでも必要な授業時間は確保していたが、さらに年間30~40時間上乗せが出来た。教師が成績評価に追われる7月、12月にも、子どもと向き合う時間を確保できた」とメリットを強調する。

 まぁ、個人的な意見としては、学校になんでもかんでも持ち込んだツケのようなモノだと思う。授業時間を確保することは、義務教育にとっては早急になんとかせねばいけない問題だ。現在のプライオリティだと思う。教えねばいけないことだけがドンドン増えていく。

Tuesday, December 05, 2006

なれあい学級

 最近、児童・生徒と教師の関わり方のスタンスの違いで論じられることが多い。

なれあい学級でいじめ多発、長期被害は小学生の3.6% : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 旧来の管理型への反発・反動から「なれあい型」が生まれたと思うのだが、どうも「なれあい型」の方がいじめ発生率が高いという結果らしい。厳しくしても、緩くしてもいかんということだろう。この記事だけを読んでいると、あまり干渉しないほうがよいのかとも思ってしまう。しかし、どのグループでもいじめがゼロでないことに注目せねばなるまい。

隕石衝突の瞬間

 未だにこの類の映像だったり話の類は心が奮い立つ。

Technobahn - 写真: 月に隕石が衝突する瞬間

 画像は少し分かり難いが、確かに隕石の衝突らしき模様が確認できる。しかし、こんな計画があったのか……

NASAでは現在、月面に人間を送り込む計画を進めており、計画の一環で月面に衝突する隕石の分析を進めているとしている。果たしてこれらの隕石は有人月計画にどれだかえの影響を与えるのか?「我々も正にそのことに関して調査を進めているところです」と、NASAの小惑星環境室(Meteoroid Environment Office)のビル・コーク室長は述べている。

 隕石が降り注ぐ状態ってのは、少し想像し難いが、困難な状況であることだけは確かだろう。どう解決するのか楽しみだ。

Monday, December 04, 2006

早生まれの格差

 幼少期の早生まれに対する「不利」に関する記事。昔からいろいろと言われているが、幼少期の格差を埋める試みも行われているようだ。

早生まれは得?損? 微妙な“格差”埋める動きも|学校教育|教育・福祉|Sankei WEB

 まず、Jリーグの選手の誕生月別で「これほど、バラつきがあるのか」と言っているが、全体の誕生月別の割合が分からないので一概には格差とは言えないのではないだろうか?まぁ、絶対に出てくると思ったが、ちなみに、ヒデと宮本は早生まれである。

 さてさて、勉学面では確かに考慮する必要がある。特に低学年であればあるほど、格差は大きいであろう。公立は知らんが、私立では誕生日別にクラス編成をしたりと工夫をしている。そして、記事にもあるように配慮も必要だ。

 川口さんは、小学校時の成績の差がその後の勉学の過程に影響している可能性を示唆し、「教員などに早生まれの子供に早い時期に(できない子だという)烙印(らくいん)を押したりすることがないように注意を喚起する必要がある」と言及する。

 まぁ、この言葉に問題がないかどうかというと首を傾げるが、心構えは必要だ。

偏愛マップ

 齋藤孝氏の提案するコミュニケーション・メソッド「偏愛マップ」のHP版です。

●◎偏愛マップ◎●

 ここには、NTTでの実践例と僅かではあるが素材のダウンロードができる。

 非常に有益なメソッドだと思います。「偏愛マップ」はコミュニケーションに特化した方法論であるが、なんにでも応用できるだろう。論理は、マインドマップやフィンランドのカルタと同列である。

 相手を知るためにも有益ではあるが、自分を知るのにも有益である。

Flashを使った世界地図

 Flashを使った世界地図で、クリックすると国名が英語で表示されます。

WORLD MAP - countries of the world

 ある程度は分かるかなぁと思っていたが、散々な結果だった。特に、東欧とアフリカはほとんど不正解でした。

The miniature earth

 「世界がもし100人の村だったら」は、既に日本でもよく知られているモノだと思います。

The Miniature Earth Project ::: since 2001

 私は書籍を読んでいないので詳しいことは分からないのですが、これを見るとチョット切なくなります。

Friday, December 01, 2006

品性の問題と言ってしまったらそれまでなのだが……

 ある特定の学校だけの話なのか、それとも一般的な話なのか。

OhmyNews:公立高校教師の華麗なる生活

 記事を読むと、組合という存在が問題なのだというようにとれる。どんな組合なのか知らないが、何かに対して敵対意識を持っているような組合だと、私は感じた。どこと対立があるのか分からない。あくまで推測である。

 しかし、品性の問題と言ってしまったらそれまでなのだが、なんとも骨砕けだ。私生活がどうであろうと、教育を受けた生徒がよい教育を受けたと思ったならば、それはそれでよいだろう。共に働くのは苦痛ではあるが、どう関わろうと自己責任だと考えればよいと思う。ただそれで、被害を被るのであれば、考えなければならないが。しかし、そう思っても、私はこの記事の教員の行動に悪意を感じずにはいられない。

国大のスチューデントティーチャー

 教育実習については、いろいろと問題視されている。例えば最近では、母校での実習は採点が甘くなりがちなので止めたほうがよいなどなど。そんな教育実習に対して、国大が取組んでいる、新しい試み。

「スチューデントティーチャー」 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 名が体を表さないような安直なカタカナ表記は止めてもらいたい、というのは置いておいて、短期的な教育実習とは別に、4年間通して現場に出てもらおうという試みらしい。付属ではなく、地元の学校へ出向いているというのは素晴らしいことだと思う。正直な話、付属の実習と公立校での実習とでは質が全く違う。

 さてさて、何度か指摘しているが、この取り組みのように新しい教員候補は現職の教員により教育されている。当たり前のことなのだが、昨今の教員免許改正の経過過程を見ていると、どうも、新しい教員候補・学生に対してのみばかりに負担を負わせようとしている気がしてならない。大学ばかりでなく、現職が学生を新人教員を「教育」していることをもっと重要視・問題視してもよいのではないかと思う。

Thursday, November 30, 2006

Flash周期表

 情報量が多すぎて、すこしウザイかなぁ(笑

秋元@サイボウズラボ・プログラマー・ブログ: Flashによる、とても情報量の多い周期表

 中高生向けではありません。プログラマー向けです。

ひらがな改革

 昨日の「その時歴史が動いた」が面白かった。

 古今和歌集を作った背景を追った番組だったのだが、ひらがなの歴史と日本語の成り立ちについて少し触れられていた。

 当時の人たちって、どんな言葉を発していたのだろうと思った。まぁ、識字率は現在と比べれば低かったと思うが、文章が漢文であるならば中国語ということになる。中国語を理解しつつ、大和言葉を発する。とんでもない時代だったんだなぁと思う。

 ひらがなが女性言葉だってのは、はじめて知ったことだった。カタカナもこの頃なのかなぁ?触れられていなかったけれども。元々は、全く別の言葉だったのが、鎌倉時代ころに和漢混合され現在の日本語になったってのも初耳。学問的というかロマンを感じてしまう。

 まぁ、無知なのは十分認識しているが、このような発見を喜べるのはよろしいかな。

青少年問題に関する特別委員会(11月16日)の議事録から

 このような特別委員会があることすら知らなかった。よいモノを見つけたと思う。

覚え書き - こういう議論こそ教育基本法に関する特別委員会でやってほしかった

 ざっと斜め読みしてみたが、教育社会学というのがもっと機能し、現場にリンクする必要があるのではないかと感じさせられる。それぞれ、目的や問題意識は一致しているが、解決のための手段となるといくつかの方法がでてくる。これは教育界に限ったことではないが、こと教育になるとそれが大きいと密かに感じている。

 「現象は同じでも、背景が違う」そのために方法が違ってくるのだと直感的に理解した。何も解決方法はひとつではない。しかし、そこら辺を学問としたのが社会学であり、教育社会学でもある。もっと学問として評価されてもよい。

Wednesday, November 29, 2006

団塊向け、教員採用新枠

 教育界にも中途採用の流れか?

「教師への夢かなえます」 島根、団塊向け新採用枠 | エキサイトニュース

 個人的には非常によろしい傾向だと思っています。島根県は、もしかすると、苦肉の策なのかもしれませんが……

 記事によると、教員免許はやはり必要だとのこと。これは確かに譲れないことかもしれませんが、希望者には特別免許などを考えてもいいのではないかと思う。より、柔軟な対応を検討したほうがよりよい活性化にはつながると思う。

 正直なところ、小学校に積極的に採用してもらいたい。規範意識を植え付けるには早い方がいい。机上ではなく、実際の規範を教えられるはずである。教育界と一般会社とは違いがある。

 それと、民間人校長の強い味方になるのでないか?どうも、全ての民間人校長がうまくいっているとは言いがたい現実がある。もちろん、全ての民間人校長がパーフェクトかといったら疑問だが、はじめから聴く耳持たずなどの態度も聞かれる。

かんさい絵ことば辞典

 関西弁と知らずに使っていることばが意外に多いなと思った。

かんさい絵ことば辞典

 語例も面白いし、絵もかわいい。子どものころ「いっちゃん…」なんてのは使っていたような気がしてきた。うろ覚えだけれでもね。あっち、こっちのことばがミックスされているね、と実感。

Tuesday, November 28, 2006

保護者を学校の味方にする一試案

 保護者と学校というと、最近では対立という構図が一番最初に思い浮かびます。いろいろと原因はあろうことかと思います。教員の不祥事やいじめなど、親の目の届かない、もしくは親の力ではどうしようもないことも手伝ってか、負のスパイラルのような現象のような気もします。

 その中で、子どもの教育というものにもっと親が責任を持つようにということで「学校選択制度」が思考されたと思います。まぁ、ひとつの理由だとは思います。

 自分が選択したという責任感を持たせることは、学校としては「責任逃れ」じゃないのと思われるかもしれませんが、「こうしてほしい、ああしてほしい」という要望を減らせることも事実だと思います。ある程度、望みのところに子どもを通わせているわけだし。学校としては、余計な仕事が減るってもんです。学校の権威というか威厳というものも再構築できるでしょう。私的意見として、保護者に大学の教職課程を履修する権利を与えることも、学校の味方にするひとつの方法のように思います。

 これは、自分の経験から考えたことなのですが、教職課程の勉強をしていると漠然としていたものが、クリアになることが多々あります。もちろん程度の差はありますが、大抵はすっきりします。教育というのは、全員が何かしらの体験をしているので、人それぞれの意見が存在します。そういった意見を聞くだけでも効果はあると感じる。「結果ではなく、過程に興味が出てくる」というのが一番の狙いです。

 保護者にとっても学校にとってもメリットはあると思う。

英文法の疑問 恥ずかしくてすっと聞けなかったこと

 英文法について、面白おかしく書かれている。新書で、これだけのコトが書かれていることにもっと評価すべき。

Amazon.co.jp: 英文法の疑問―恥ずかしくてずっと聞けなかったこと

 前に英語のドレミファという本を読んだが、それと同列である。しかし、私はコレが新書で書かれていることを評価したい。

 巻末に「もっと学びたいヒトへ」として、いくつか推薦図書が書かれている。そこに、「ネイティブスピーカの英文法」シリーズがリストアップされていることに、すこし驚いた。でも、ちょっとムフフという感想が正直なところ……

わが子に教える作文教室

 とても面白く、私の興味を惹く内容だ。そして、内容も激しく同意できるものであり、且つ考えさせられるものでもあった。

Amazon.co.jp: わが子に教える作文教室

 まずは書かせることが第一というスタンスは当然として、長い目で成長を見るということは教育の本願である。しかし、学校なのではコレがおろそかになりがちのような気がしてならない。矛盾を抱いていた私には、とても心に響く内容だった。

 ここに書かれているスタンス、子どもに対するスタンス、これがゆとり教育の目的だったはずだが、どこでどう歪曲されたのか……

Monday, November 27, 2006

検索機能をつけてみた

 その他ブログを見ると、「このブログ内を検索」というとても便利なモノがある。必須というワケではないのだが、ときどき、無性に無いと不便だなぁと思うことがある。「不親切だなぁ」と自分勝手に決め付けてしまうこともある……ヾ(_ _。)

 これまた時折、Googleが提供するAjaxのブログ内検索を見ることがあり、「これはいい」と思った。チョコッと調べてみると@akaさんがとてもよい記事を書いていることを発見。

clmemo@aka: Google AJAX Search でブログ内検索

 Blogger用に書いていてくれているのでとても助かる。また、Beta版の言及も忘れていないことに痺れた…… 多謝多謝

 APIリファレンスも公開されているので、ある程度、自分好みにできそうである。個人的にはデフォルトで検索結果を1件だけなく3件くらい表示してもらいたい。そこらへんのコトがどこに書いてあるのか……

Google AJAX Search API Documentation

 しかし、現在、雨がスゴイ。カメハメハ大王が統括する国家へ亡命したいものだ……

Saturday, November 25, 2006

先生って本当に忙しいの?

 誰もが知っている学校、そして先生ではあるが、謎に包まれている先生の勤務実態。給料の妥当性も問題視されているが、手始めに勤務時間はどうなっているのでしょうかという調査を文科省は行っているらしい。それの初報。

asahi.com: 教員の残業、1日平均2時間 文科省が勤務実態調査 - 教育

 さて、コレを見てどう感じるだろうか?正直、それほどでもないんじゃないのと思うのではないだろうか。しかし、これの集計期間を見てもらいたい。

 集計結果は、この日開かれた中央教育審議会の作業部会で示された。7月分と8月分について、無作為抽出された170校前後の延べ約1万5000人から回答を得た。

 7月分でみると、小学校教員の残業時間は平均で1時間48分、中学校は2時間25分。中学校は部活指導の影響が大きいとみられる。

 7月・8月って、夏休みですよね、きっと。これで実態調査になるのでしょうか?おそらく、年間でも一番、時間的に余裕がある時期なのではないでしょうか?それでも残務があるってのは疑問です。

もう1年経ったのか……

 栃木県の小学校女児殺害事件からもう1年も経ったのかと、NHKの「特報首都圏」を見ながら思った。女児の通っていた小学校では、保護者・行政が協力し、安全対策を講じている。スクールバスで送り迎えをしたり、町内の人々がパトロールしたりと苦労を察する。

Friday, November 17, 2006

やっぱり、おもろいギタリスト Marty Friedman

 久々によく笑った。Marty Friedmanが英語でしゃべらナイトに出演していた。前回の「黒船」の時も腹抱えて笑ったが、今回もほんわかさせていただいた。

英語でしゃべらナイト

 なんだか色々と驚かされたなぁ。ケータイ・メールも速弾きなんて比ゆを使っていたけど、日本語で打っているようだ。すごい。そして、マーティが通信教育で日本語を勉強していたってのはかなり度肝を抜かれた。

SY: ここまで日本語を話されるようになるために、どうやって勉強されたんですか?
MF: ずっと通信教育です。
MK: 通信教育!
MF: そうなんですよ。世界中をライブのツアーで回っていたとき、飛行機やバスの移動で、けっこう時間つぶさなくちゃいけなかった。ちょうど、日本語に興味があったので、これは一石二鳥、移動時間を使って日本語を少し頑張ろうかなと思いました。試験もあったんですよ。
MK: メガデスのメンバーとして、大学に行って試験を受けたんですか?
MF: 一生懸命だよ。マジメだよ。

 移動中でも勉強できるって理由も感服するが、すごい行動力だ。しかも、大学なのかなぁ?日本語スピーチのビデオも流れていた。やるものスゴイと思うけれども、それを放送させてしまうのもスゴイ。いいもの見させてもらった。

屋上の少女

 「そういうオチか…」と、妙に腑に落ちてしまった。

掛け算 2.0

 ちょっと前にもいろいろと紹介されていましたが、またまた、面白いのが紹介されています。

sta la sta - 線を引くだけで簡単にかけ算を解く方法

 やっていることは筆算の亜種みたいなものでShow的な要素が大きいのかなぁと思いました。そう考えると筆算ってのは完成されたモノなのだなぁと、改めて思い直しました。

 いろいろリンクも貼られており遡っていくと前に紹介されていた計算手法を見ることができます。そこで、私もナイ頭を絞ってひとつ。

 二桁の2乗の計算。
例えば、25の2乗を計算したいとする。
  1. 25 → 20+5 と考える。
  2. (20+5)*2 → (a+b)*2 = a*2 + 2ab + b*2
  3. 20*2 + 2×20×5 + 5*2 = 400 + 200 + 25 = 625
 同じような考えで、もし二桁の掛け算で(a+b)(a-b)が成り立てば計算は楽。

 まぁ、そう考えるより普通に計算した方が速いかもしれない…… まぁ、頭の体操と自己満足ということで。そんなことより「教育と社会学」のレポート書かないかん……

Thursday, November 16, 2006

効率的ノート作成マニュアル

 前に「コーネル大学式ノート作成法」について書いたが、作成法をマニュアル的に書いている記事があった。

受験勉強法Blog | 効率的ノート作成法{決定版} その2

Österreichはオーストリー

 オーストリアの日本語表記が「オーストリー」になるとのこと。確かにオーストラリアと紛らわしい。しかし、それでオーストリアが動くのは、チトかなしい……。

[N] オーストリアが「オーストリー」に国名変更

 国名や地名は、なるだけ、現地の発音を汲み取った日本語表記にしたほうがよいと思うのだが……、「いまさら」って感は否めないか。

 Wikipediaでも早速、変更されています。

オーストリア - Wikipedia

Wednesday, November 15, 2006

“愛国心”って何ですか

 昨日のクローズアップ現代で、愛国心を教える授業を放送していたのを思い出した。

今日行く審議会@はてな - 愛国心の問題を無理矢理無害化する授業

 NHKのホームページより、放送内容は以下。

“愛国心”って何ですか

教育基本法の改正案が今国会で成立する見通しで、昭和22年に制定されて以来、60年ぶりの改正となる。改正案の最大のポイントは、「愛国心」がどう盛り込まれるか。戦前の皇国教育への反省から生まれた教育基本法は、「個人の尊厳を重んじ」、「自律の精神を養う」という理念に賛同する人々と、国を形作る構成員としての「道徳心」や「規範意識」に欠けると見る人々の間で常に揺れてきた。「愛国心」とは何か。それをどうやって子供たちに教えていくのか。法律の改正で大きな影響を受けることになる学校の現場から、考えていく。

 このように、「愛国心とは何か?」という問題を、3者の視点で描いていた。3者とは、仏教系私立、キリスト教系私立、そして公立である。私としては公立に興味があるのでそこに言及する。

 放送されていた授業を見る限り、気が重くなるものだった。私もこのような授業をしなければならないのかという意味も含む。その授業内容は以下のサイトにあるよう内容だった。

Imaginary Lines - 論理の飛躍についていけなんだ

 授業を行っている先生も手探りだろう。その苦労もよく分かる。その後の研究授業のレビューの模様を見ても、それらが痛いほど分かる。しかし、どうにもこうにも腑に落ちなかった。今日行く審議会@はてなさんのところの文を引用するが、同じ気持ちだ。

 そして、こういう授業の問題点はもう一つある。それは、限定された価値観だけをそこでは正当化し、美化し、子どもはそれを受け入れさせられることだ。教室には、その価値観に反論できるほどの知識や能力を持った人間がいない。だから、討論なんて生まれない。あるのは想定された範囲内での揺れだけ。「一人の生徒が「スージーさんの国も美しいと思うから…」と反論をしていた。」という。その子どもはその授業のおかしさに気が付いている。しかし、教員はそれをまともに取りあげなかったようだ。そういう授業では、子どもの考える余地も多様な価値観を育むこともしていない。

 そう、愛国心の授業となると「反論が許されない」のだ。学校では「聞く態度を持ちなさい。相手の立場になって考えなさい。」などとしつこく教えているだろう。しかし、その態度が先生にないのは如何なものか。この1点をとっても腑に落ちない。

 私は愛国心なんてのは自然と生まれてくるものだと思う。自分にとって、家族にとって、好きな人にとって、住みやすい国であるならば、自然と帰属意識は高まるだろう。もちろん、愛国心はこんなことだけではない。私自身、勉強不足なの浅い展開しかできないのが歯がゆい……

小中高一貫

 2008年度から小中高一貫教育が長崎県五島市で行われるようだ。

全国初「小中高一貫特区」長崎・五島市で認定へ : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 記事中にもあるように、義務教育課程と高校課程の接続・連続がカギとなる小中高一貫教育、行政も全面協力らしい。よい傾向と思う。

姉妹都市

 なぜ「姉妹」なのだろうと一度は思ったことがあるはず。私も思っていましたが、さずがに調べるまではしませんでした。

だいたい「姉妹都市」ってなんだ | エキサイトニュース

 「ほう、そうなのか」と感心しきりです。鵜呑みですが…… ちなみに「帰国子女」の「子女」はちゃんと男と女を指しています。

江戸大絵図 by Google Earth

 Google Earthに時間軸がついたようだ。現在のデータに過去のデータを重ねられるようになった。

Google江戸大絵図 - Engadget Japanese

 東京の海岸線の変容も分かる。まだまだ、過去のデータは少ないが増えていくのではないだろうか。色々と使えそうな気配です。しかし、茶褐色がなんともイイ……

黒い絵

 公共広告機構(AC)のCM。ACのCMは前々から強烈だとは思っていましたが、これも例外なく強烈です。はじめて見ましたが、なんだか切なくなります。

Monday, November 13, 2006

所属の多様化

 いじめに対して同じような考えを持っている人がいたのでピックアップ。

finalventの日記 - なんどか書いていると思うがいじめ問題の解決は簡単といえば簡単ですよ

 小学校の教師をしている友人に提案したアイディアとかぶる。しかし、どうにもこうにも評判はよろしくなかった。何故かというと、学校だけではどうしようもないアイディアだったからだ。私が話したアイディアは以下のような感じ。

学校を単科学校にする。児童・生徒はひとつの学校に通うのでなく、教科ごとに移動しなければならない。

 極端だがこんな感じだ。なぜこんなこと考えたかというと、学校評価制度に疑問を感じたからだ。学校評価制度というものの、結局は、先生評価制度なのではないかと思うからだ。公立は教員の異動が必ずある。校長だって未来永劫そこに居座るわけではない。今現在だって校長や教員が変われば、学校の評判は大きく変わる。なぜか?人材に差があるからではないか?公立で学校評価制度を行うためには、教員の固定化は必須だと考えたからだ。

 で、上記に述べたようなアイディアが出てきたわけだが、そうなると副産物的に教室の固定化がなくなる。私は、大人数で同じ顔ぶれのユニットが長期的に続くこと、要はクラス行動がいじめの原因としてあるのではないかと考えている。このアイディアならば、同じ顔ぶれというのなくなる。教科ごとでは同じ顔ぶれとなるが、現行よりは時間的に少ない。大人数というのもなくなるだろう。これも教科ごとでは変わりないだろうが、クラス行動というものが消えるので解消できる。

 まぁ、いずれにせよ、非現実的ではあるけれでも…… 現実は以下のサイトのように、圧倒的多数である部外者がどうするかなのだろう。

Tuesday, November 07, 2006

ホワイトボードをWebで共有

 利用価値大ではないでしょうか?

ブラウザ上で使えるホワイトボード「Thinkature」:phpspot開発日誌

 その場で書き込めるってのがイイですね。

小学校に英語がやってくる?

 北海道にモンスター出現!そんな感じの光景が…… 確かに風は強かった。昼頃は歩くのもままならないくらいだった。そのせいでのどがイガイガする。さて、遅ればせながら、11/5に放送されたNHK教育の「小学校に英語がやってくる?~教室で何が起きているか~」を見て。

NHK 小学校に英語がやってくる?~教室で何が起きているか~

 まだ教科として英語ははじまっていませんが、総合的な学習の時間を利用してほどんの小学校では何かしらの英語活動が行われています。その割合は9割以上です。しかし、内容はバラバラで、学校側が「英語活動をした」と認識したモノは、それが1時間でもYESになります。そこをよく理解する必要があると思います。
 番組としても「9割」という言葉が一人歩きしている感があるのでしょう、現状行われている内容を冒頭で放送していました。これを見て「9割」という魔法の言葉が解き放たれればいいと、私は思います。
 番組は小学校英語について知り、考えようという内容で是とも非とも言っていません。私は、小学校での英語必修化には反対です。しかし、あえて肯定的な立場で番組を観てみました。
 その中で共感したのはふたつ。

  1. 学習塾の力を借りる
  2. えいごリアン10校プロジェクト

 まず、番組では現場の混乱が放送されていました。当然といえば当然でしょう。私は中学生に英語を教えるよりも、小学生に英語を教える方がシンドイと思っています。
 そこで、学習塾や出版社の力を借りて行いましょうという試みが多くの自治体では行われているようです。その中でフォニックスによる幼児英語教育で有名な松香洋子氏がインタビューを受けていました。彼女はおそらく小学校、もしくはそれ以前からの英語教育に肯定的な考えを持っています。書物も多数あるので詳しくはそれを読むとよいでしょう。
 このように外の力を借りることはとても良いことだと思います。ただでさえ小学校ではひとりの教員が多くの授業をカバーしなければなりません。そして、最近ではしつけや生活指導などもよりウェイトをおくような風潮がある。

 もうひとつの「えいごリアン10校プロジェクト」とは「えいごリアン」という名前から分かるようにNHKの番組を授業に取り入れたもの。以下のサイトを参考にしてください。

小学校英語 この人の意見:スペースアルク

 NHKに踊らされている感はあるが、放送された授業がいい。私は何度か荘先生の授業を見ているが理想的だと思う。そして、同じようなことをしている人として田尻先生がいる。これもNHKで知ったのだから踊らされっぱなしだ。何がイイかと言うと、窮屈感がないこと。コレに尽きる。

Saturday, November 04, 2006

青い目、茶色い目

 TBS、ブロードキャスターでの岡本行夫氏の発言を受けて思い出した。「青い目、茶色い目」というドキュメンタリー。

frontline: a class divided | PBS

 私はこのドキュメンタリーを通教のスク(確か異文化間コミュニケーション概論だと思う)で見ました。確か人種差別の話の時だったと思う。教育現場でも用いられているモノらしいことが、齋藤孝氏のサイトが上位に表示されるGoogleさんの検索結果から分かる。

 個人的には衝撃的な内容だと感じた。今の日本で、学校教育で行われたら「PTSDになるではないか」などと抗議されかねない内容だと思います。しかし、本気度は高いと感じられる内容であることは間違いないと保護者も感じることができるでしょう。言葉で説明するのは誰でもどこでもできるが、これは学校もしくは団体生活をする場でしか実践できない内容です。

 このドキュメンタリーはNHKで1988年に放送されたようです。もう、18年も前になります。私は幸運にもこのドキュメンタリーを見ることができましたが、教育関係者以外にも是非とも見てもらいたいと思います。

Monday, October 30, 2006

必修科目逃れ - 高校リスト

 相変わらずニュースではトップ項目。時間が経つにつれて波紋は広くなり、歪んでいくような感じです。そんな中、こんなwikiがありました。

"必修科目逃れ"wiki - 高校リスト

 興味のある人はどうぞ。

 今、報道ステーションで高校の校長が自殺したとあった。その高校でも例外なく、必修科目未履修だったようだ。なんだかなぁ……

Sunday, October 29, 2006

無試験入社、定年なしで世界レベルの「匠」を育てた

 先日のカンブリア宮殿で放送されていた樹研工業社長の松浦元男氏の著書だ。放送を見てとても感銘を受けたので読んでみた。

Amazon.co.jp: 無試験入社、定年なしで世界レベルの「匠」を育てた

 読んでみた思ったことは、「信頼」という言葉が多く出てくることだ。理屈は分かるのだが、この「信頼」を築くのに苦労しているのが、ほとんどなのではないだろうか?まぁ、そこがこの社長のスゴイところではあるのだが、もし、自分が経営者だったら…… 果たして同じことができるかといわれたら、できないだろうかぁ……

 しかし、この「信頼」がこの社長の信念のコアである。これがなければ、「伝統的師弟関係からコートと選手へ」ということもできないだろうし、「反論を許さない徹底的な基礎訓練」なんてこともできないだろう。仲良しクラブではないが、仲がよく、組織としての機能も向上し、個々人のスキルも上がるってのは、理想意外の何物でもない。

 以前も同じように感銘した経営者がいる。星野佳路だ。NHKのプロフェッショナルで知ったのだが同じように「社員を信頼し、任せる」というスタイルだ。経営者のみならず上に立つ人間のスタンスというものを考えさせられる。

什の掟

 ソースが日刊スポーツというのがいささか心許無いが、遅かれ早かれ採り上げられるだろうと思っていた。

いじめ問題に「什の掟」問い合わせ続々 - 社会ニュース : nikkansports.com

 「国家の品格」が発行された当初もなんやかんや言われたが、教育現場が積極的に取り入れたいと動いているという。

 現在は博物館となっている会津藩校日新館には、全国の教育関係者から問い合わせが相次いでいる。同館によると「九州、四国を含め、全国の小学校の校長先生から『現代風に変えて子供たちに教えたい』という声が多い」という。

 まぁ、変えずに教えても困るけれど……、どう変えられて子どもたちに教えられるのか、いささかの心配はある。しかし、なぜコレが今に生きていないのかをよくよく考えてもらいたい。

Saturday, October 28, 2006

「アナタ」にこめられた想い

 10月27日付の読売新聞朝刊の編集手帳を見て思い出した。

10月27日付・編集手帳 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 それは、ある南極越冬隊のエピソードである。編集手帳ではこう書かれている。
その昔、日本から届いた電報が南極の昭和基地で読み上げられたとき、一同の胸に深くしみ入ったのは、ある隊員に夫人があてた三文字の電文であったという。「アナタ」。
 今見てもこれは強烈だなぁと思う。いつまでも強烈な言葉として受け継がれてもらいたい。というか、強烈な言葉として受取れる感受性が受け継がれてもらいたい。

Friday, October 27, 2006

横浜にもインド人学校

 プレジデントFamilyの記事を受けてかどうかさておき。横浜にもインド人学校が開校とのこと。

横浜にインディアンスクール、インド系企業誘致に弾み - ヨコハマ経済新聞 - 横浜都心臨海部のビジネス&カルチャーニュース

 どこにできるんだろう?

競争やめたら学力世界一 - フィンランド教育の成功

 斜め読みでざっと読んだ。それでも、ページをめくる度に「はぁ~」と溜息がもれる。脱力感と希望と、相反するものが同時に襲ってくる不思議な感覚に陥った。

Amazon.co.jp: 競争やめたら学力世界一―フィンランド教育の成功

 ひとつ気になったのは、「情操教育はどうしているのだろうか?」ということだった。日本と違い「宗教/倫理」があるから問題ないのだろうと、勝手に解釈している。このことをふまえると、日本の「教育」という言葉とフィンランドの「教育」という言葉に包括されているキーワードがそもそも違うということ、それが、日本の教育とは似ても似つかぬ状況だと思う。

 しかし、フィンランドの教育様式を日本に持ち込むのは時期尚早であろう。とても合理的なシステムであるのにも関わらず、だ。

 まず、強烈な言葉があった。咀嚼して示すがこんな感じである。「できる・できない、それは全て本人(生徒)の責任」日本じゃこんなこと口が裂けても言えないと思う。日本とフィンランドでは、義務教育課程の子どもの捉え方がまるで違っている。これは学校だけでなく、行政も社会も一致した見識だ。これには驚いた。時期尚早と考える理由はこのこと。このような考えがある社会では機能しても、現在の日本ではおそらく無理だろう。何から何まで、責任は教師・学校・行政にある。

 そうではなく、本人なんだとなぜ言えない。こう言えたときはじめてフィンランドの教育様式はフィットするのではないだろうか。そのためには社会と教師が変わらなければいけない。そう思った。

講義ノートの取り方と復習のコツ

 最近、個人的に興味あること、ノート術。巷には様々なノート術があるがこれは良さげだ。

ITmedia Biz.ID:講義ノートの取り方と復習のコツ

 まだまともに読んでいないのでコメントできないが、しっかりとマインドマップのような特別な記述法ではないようだ。従来のノート記述の発展と考えられそう。

 そういえば、まだ自分が中学生のころ、数学の時間に「故に」を「∴」と書く人はオヤジだといったことが常識となっていた。今思うとウソね、あれ。まだ、しっかりと使われているし、推奨されている。ちょっと、思い出した……

適切な睡眠時間

 10万人規模の調査で、適切な睡眠時間が7~9時間だとするデータが得られたとのコト。

睡眠:7~9時間が適切 10万人規模の調査で判明-科学:MSN毎日インタラクティブ

 記事によると調査の対象は中学生と高校生。過去1ヶ月の睡眠状態や精神的健康度に関して質問し、その回答を解析して求められた結果のようだ。ひとつ興味を惹いたのは寝つきに関すること。
 また、寝付きの悪さと健康度には大きな関連があり、「常に悪い」と答えた子どもの74.7%が不健康で、逆に「全くない」と答えた子どもでは31.5%だった。
 健康度とは精神的な健康度のこと。寝つきが悪さと関連があるとのこと。となると、私も精神的に不健康なのかしら?ちょっと、不安……

 これから発表されるとのことなので、議論されるでしょう。まぁ、参考程度に。

Thursday, October 26, 2006

工学部不人気

 工学部が存続の危機らしい。工学部出身の私としてはチョット悲しいが、分からない問題でもない。

知りたい:工学部志望、10年で半減 私学、相次ぎ再編--「資格なく不利」克服へ-大学:MSN毎日インタラクティブ

 記事によると、工学部の受験者が減少しているという事実を持ち出しているが理工系学部のもう一つの柱である理学部の動向が出ていないのがひっかかる。逆に、増加が認められているのは医学系、福祉系である。増加の理由を記事では以下のように示している。
医療系学部は理学療法士などの資格が取れるため、就職を見越した受験生が殺到する状況だ。
 ちょっと調べていないので分からないが、医療系学部で取得できる資格は実務経験は加味されないのだろうか?例えば、工学部でも資格は取得できる、電気工事士などがあるが、こいつは実務経験が必要だ。まぁ、こいつが有益な資格かどうかというのは置いておく。
 一方、工学部の不人気の理由としては、(1)就職に有利な資格取得に直接結び付かない(2)学問の内容が多岐にわたり、高校側が進路指導しにくいなどが考えられるという。
 大まかな分類は、機械、電気、電子、情報、建築、化学だろう。私が学生の頃は、経営工学や土木なんてのもあった。経営工学なんかは名前だけでは何を勉強するのかも分からない。

 資格に関しては将来の職業に見合った資格は取れると思う。先に述べた電気工事士や危険物取扱者など、まさにピンポイントの資格が取得できる。まぁ、そうは言っても志望者が減っているのは事実なので、大学側も手を打つのが普通だろう。その取り組みのひとつが再編だ。

 関西大では、
関西大(大阪府吹田市)は工学部の募集を停止し、「システム理工」「環境都市工」「化学生命工」の3学部に再編する。システム=仕組み作り▽環境都市=街づくり▽化学生命=モノ作り、というキャッチフレーズでアピールする。
 早稲田では、
 早稲田大も96年続いた理工学部を「基幹理工」「創造理工」「先進理工」の3学部に再編。大学院も併設し一貫教育を強調する。
 電機大では、
東京電機大は、これまで工学部に入っていた建築や情報の学科を集めて「未来科学部」を新設。
 武蔵工と上智は、
武蔵工業大(世田谷区)は従来の工学部に加え新たに「知識工学部」を設けて情報関連に特化した教育を目指し、上智大(新宿区)も08年度理工学部を再編する予定だ。
 で各大学の取り組みを見ていると、分かり易い名称ってのがポイントのように思える。しかし、本当に分かり易いか?関西大の「化学生命工」が「モノ作り」に高校生には結びつくと思っているのだろうか?私は結びつかぬ。まぁ、研究内容に沿った名称を付けているのだから間違いないだろう。これで。大学に入学してから「あっちの方が、自分の好みだった」なんてことになってしまわぬよう、改善する必要はあろう。これでは、高校の先生がさらに困惑しそうだ。

 このような、あっちが増え、こっちが減りってのは世の常だと思う。それで、改善・改革が行われ、よい方向へ進めば、これはこれで良いことだ。

で、結局どうなる - 必修科目未履修

 昨日の富山県での必修科目未履修発覚がきっかけで、文科省が調査した結果、現在のところ11県66校らしい。

Sankei Web > 社会 > 11県66校に 高校の必修科目未履修

 こうなると、自分はきちんと要件を満たしているのかしら?と不安になる。しかし、過去に遡った処置は行われておらず、卒業は認められたという前例があるようだ。

 地理歴史の不足が大半だが、中には公民、情報、理科、芸術で不足している高校も。卒業生の一部が卒業資格を満たしていない可能性もあるという。ただ、過去に卒業生を含む同様の未履修が発覚した広島県などは、さかのぼった措置はとっておらず、そのまま卒業が認められる見通しだ。

 隠し通したモン勝ちですか…… 今年の学生は災難だね。

Wednesday, October 25, 2006

誰にでも新人のときがある

 非常にショッキングな内容の記事。これは教師の育成にも関することなので見過ごすことはできない。

保護者から批判『結婚、子育てしてないから』 『ストレスで教諭自殺』

 見出しが呷っているような気もするが、東京新聞の記事によると教員の自殺の原因である、精神疾患の引き金として以下のことが書かれている。
 教諭は着任後、連日授業の準備に追われ、一カ月の超過勤務時間は百時間を超えた。また、保護者からの連絡帳には指導への疑問や批判が繰り返し記され、「結婚や子育てをしていないので経験が乏しいのではないか」と人格を侵害するような内容もあったという。
 残業100時間/月というと、それほど異常な時間ではないと思ってしまう、私も私だが、堪えられない時間ではないと思う。残業の内容が問題だろう。もうひとつの「結婚や子育てをしていないので経験が乏しいのではないか」という批判が如何ともし難い。おそらく本人もこんなことは笑い飛ばしているであろう。こんなことで悩んでも仕方ない。

 問題は記事にも書いてあるように新人へのサポートの脆弱さだろう。
 同校は一学年一学級編成で、教諭は友人に「相談する人がいない」と漏らしていた。[中略]

 記者会見した代理人の川人博弁護士は「新任教諭への学校のサポート体制が脆弱(ぜいじゃく)だった。保護者にも新任教諭を育てる姿勢が必要だ」と指摘している。
 弁護士は保護者にも新人へのサポートを求めているがこれはお門違いだと思う。保護者にとってはそんなことは関係なく一律で先生だ。保護者に同一校内の教師による格差を認めさせることになる。ならば、先生を選ばせてくれとなるだろう。

 小学校ではひとりで国語、算数、理科、社会などなど授業をこなさなければいけない。就業時間中はほとんど教室にいて授業をしているはずだ。本当に厳しいと小学校の先生をしている友達が言っているのを聞いたことがある。ノウハウがあるはずなのだが、文書としてでなく、ほとんどが各教員の脳内ソースにある。これが文書としてあるだけでも、新人にはありがたいことだと思う。これがあれば、この教員の残業100時間/月の内容も、指導方法の改善などの発展的なものに費やすことができただろう。

 とにかく、教員はスタイルさえ確立してしまえばなんとなるものだ。これがいいのか、悪のかはさておき、基準となるスタイルがなければ発展も改善もないと思っている。誰にでも新人のときがあることを、一番よく知っているはずの学校で軽視されているのは如何なものか……

Tuesday, October 24, 2006

滝川市教委のいじめ隠し

 非常にショッキングなタイトルのYOMIURI ONLINEの記事。

滝川市教委のいじめ隠し : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 この記事のポイントは、「いじめを隠したのは同級生へのケアのため」ということだ。
 確かに同級生への配慮は必要だった。少女は昨年9月、教室で自殺を図り、意識不明のまま今年1月に亡くなった。同級生の精神的なショックは大きかった。

 学校では、カウンセラーを常駐させ、教員同士が様子のおかしい子供がいないか、情報を交換し合った。市教委は、報道機関に子供たちや近所への取材自粛を強く要請した。子供のケアのためという理由だった。

 「悲しい出来事からよくここまで立ち直ってくれた」。今、中学に通うかつての同級生を見て、そう校長は語った。
 一方では、この校長の処置は正しい。しかし、問題視されているのは「死人に口なし」的な行動をとってしまったことだろう。
 その一方で、「人から『キモイ』(気持ち悪いの意)と言われてとてもつらい」と記した少女の遺書は、公表されなかった。「悲しい出来事」に最も傷ついている遺族が置き去りにされた。市教委や校長は、アンケート調査などしか行わず、真相解明を事実上、放棄した。「いじめ認定」は、同級生の心のケアを阻害する、とされた。
 平等・公平な態度ではなく、残された方に振り子が大きく振られてしまった。誠実な対応ではないと写ってしまった。

 いじめを公表しようが、隠そうが起きてしまったことに変わりはない。誠実な対応ってなんだろう。犯人探しか?それとも、学校の非を認めることか?その前に、学校の非ってなんだ?いじめを止めさせることができなかったことか?それとも、自殺まで追い込んでしまったことか?いじめを隠したことか?

世界史って必修だったのね……

 珍事というか、なんというか。富山県の高校で、必修科目を履修せずに197人の卒業がピンチらしい。

asahi.com:必修履修せず197人卒業ピンチ 富山・高岡南高 - 社会

 世界史って必須だったのね。はじめて知りました。そういえば、世界史やっていたなぁ、確か…… この記事の生徒の気持ちはよく分かる。
 同校や県教委によると、学習指導要領では世界史、日本史、地理の3教科から2教科を選ぶことになっていて、世界史は必修となっている。しかし、同校では昨年春ごろ生徒から「受験に必要な教科だけにしたい」との声が上がり、昨年度は3教科から1教科だけの選択でも可能とするようにした。
 「した」って、さすがに教員は知っているんじゃないの?世界史が必須だってことを。それとも知らなかったのかなぁ?
その結果、世界史を履修していないなど、3年生全員が卒業資格を取得していなかったという。
 って、誰も世界史を履修しなかったってコトですか?人気ないねェ、世界史。

 私も内容云々より、カタカナのやたら長い歴史上の人物名を覚えるのに嫌気がさしたのを、鮮明に覚えている。ちょっとGoogleさんで調べてみたけれど、「マルクス = アウレリウス = アントニ ヌス」だったかなぁ?もっと、覚え難い名前があったと思ったけれどなぁ。後、ルイ何世が何をしたとか。これは、日本史でも同じか。

 まぁ、とりあえず、12月末までには70時間確保できる見込みだと言っていたので頑張れとしか言いようがない。そうそう、センターまで100日切っているのね。難儀だねぇ。

Monday, October 23, 2006

法務省と文科省

 これは鵜呑みにしていい記事なのかどうか、非常に悩む。

<いじめ>法務省調査では「増加」 文科省とは逆の結果に | エキサイトニュース

 法務省の調査どおり「いじめが増加」しているのなら、文科省は数値目標のためならなんでもする、非常な場所のように響いてしまう。なぜこのような結果になったかという一つの考察が記事ではこう示されている。
 一方、文科省は、学校や自治体教委の報告を積み重ねる形だ。学校側がいじめを見落としたり黙認したりすれば、統計には反映されない。また、いじめ根絶を目指す自治体が発生件数を具体的な目標として数値化したため、「実態を目標に合わせて報告する例もあるのでは」との指摘もある。
 もし、これが原因ならば、いじめ発生件数を目標とすることに間違いがあるのではないだろうか。「いじめゼロが理想だ」という考えに異論はない。それならば、いじめが1件だろうが100件だろうが、発生件数に意味はないのではないだろうか?よくよく考えると「いじめ発生件数を目標とする」とは、おかしなものだ。

アメリカの数学教育者の憂鬱

 米シンクタンク、ブルッキングズ研究所のブラウン教育政策センターが面白い研究結果を発表した。

CNN.co.jp : 米国の数学教育に警鐘、「楽しさ」と成績は別物と - USA

 上の記事によると、生徒の自信と成績が一致していないことを示すデータも得られたという。そして、その原因に、
研究をまとめた同センターのトム・ラブレス氏は「成績の良い国は総じて、生徒への要求水準が高いようだ」との見方を示す。「だから生徒は数学を楽しんでいないし、自信もないと答える傾向があるのではないか」
と、述べている。

 成績としては、アメリカの数学教育の努力が報われていないと結んでいる。しかし、次の一言にちょっと惹かれた。
一方、全米数学教師協議会(NCTM)のフランシス・フェンネル会長は「楽しさも自信も重要な要素。これらが欠けていたら競争力はつかない。数学に自信のない生徒が、将来数学を専攻しようと思うはずもない」と反論する。
 これは、意外に重要でないかしら。私の周りに数学科の人間が少ないからそう思うのかも。日本でも理数離れが深刻な問題として、多々取り上げられている。そして、その解決方法はアメリカの教育方針と重なっている部分が大きいように思える。

 おそらく、アメリカは教育格差が大きいのではないかと思う。そうすると、成績が抜群の生徒も多かろうが、悪い生徒も多かろう。となると、平均は下がってしまうのではないだろうか?アメリカの教育方針は、この底辺層の底上げだと思う。これがうまく機能していないから、憂鬱なのだろうか。それとも、純粋に結果に憂鬱なのだろうか。

Label Cloud for Blogger Beta

 Blogger Betaの目玉機能(私的には)であるLabelだが、今現在、のっぺりとリスト形式でしか表示できない。そのうち、オフィシャルで形式のバリエーションは増えそうだが、いろいろとhackしているヒトが探せばいるものだ。

phydeaux3: Code for Beta Blogger Label Cloud

 早速、導入してみた。うん、いい感じ。しかし、ラベル名に「・」や「、」などの句読点があると、所望の動作をしてくれない。うん、JavaScriptの問題だろう。まぁ、こんな文字をラベルに使っている方に問題があるのかもしれないが、ちょっと気になった。とりあえず、このhackを利用したかったのでラベル名を変更して利用することにした。CSSで見た目を変えることもできるので、後で少しいじりたい。このCSSの操作が、Layoutページでサクサクできればなおよしなのだがなぁ……

Thursday, October 19, 2006

英語のドレミファ

 中学生向けの英文法の本だが意外に面白い。

Amazon.co.jp: 英語のドレミファ〈1〉英文法は楽しい

 作者が学習塾を営んでいるせいか、流れにテンポがある、ような気がする。内容は非常にタイトで、よくまとめられていると思う。これくらいの分量が適当かもしれない。

Wednesday, October 18, 2006

これ、よくなくな~い?

 最近、聞かなくなったなぁと思ったらどうやら放送される歌はローテーション制らしい。なんのことか?NHKのみんなのうたである。最近は、宇多田ヒカルの「ぼくはくま」がYouTubeで結構なアクセス数を稼いでいるようだ。私も聞いてみたがなんとも独特だ。不思議な世界を感じる。YOUが歌う「月」もシュールで好き。

 意外といってはなんだが、みんなのうたはビックな人たちが歌声を披露している。現在は倍賞千恵子、宇多田ヒカル、YOU。その前は、マイク眞木や伊武雅刀。伊武雅刀が歌う「フンコロガシは、忙しい。」ってのもインパクトある。

 さてさて、何を聞かなくなったのかというと「これってホメことば?」である。NHKのサイトを調べてみると上記のように放送される歌はローテーション制なので、現在は放送されていない。YouTubeにアップされていたなぁと、かすかな記憶を頼りに探したが、既に削除されていた。うん、CDかDVD買わないとダメなのかしら……

 なにやら歌詞が4番まであるようだが、1番しか聞いたことがない。ちょっとそそられる。

Tuesday, October 17, 2006

オンライン英英辞書

 Going My WayさんがとてもGoodなものを紹介している。

Going My Way: 英語のわからない単語は英語で調べるのが上達の近道、Alt+クリックでanswers.comでの検索結果を表示する1-Click Answers

 とても利便性が高そうなモノだったので、さっそくインストールしてみた。Firefoxの拡張機能の方ではなくアプリケーション版をインストールした。テキストエディターとして使っている秀丸でも問題なく使えた。軽く感動した。レスポンスも悪くない。

 英英辞書はローカル環境にMacmillan Dictionaryを使っているが同じような機能があればなおよしだと思った。英辞郎にも同じことが言える。

Friday, October 13, 2006

RiSuPia

 昨日のNHK首都圏ネットワークで「文化流行最前線 ~化学の魅力~」として興味深い施設が紹介されていた。

リスーピア RiSuPia パナソニックセンター東京

 素数ホッケーがとても印象に残っている。個人的にこういう類のモノがスキなのでいろいろな場所にできて欲しいなと思う次第です。ここにレビューがあります。

isologue: RiSuPiaに行ってきた(+日本の理数系人材戦略の未来)

楽しそう。

Thursday, October 12, 2006

プレジデントFamily 11月号

 今さらなのだが、プレジデントFamily 11月号は買いだと思う。メインは「担任教師の能力判定」なのだが、「子どもの問いかけ難問20」はいろいろなところで話題になった。そしてもうひとつ、表には大きく載っていないのだがインド人学校についての記事はある意味ショックであった。

 インド人学校という言葉ははじめて聴く言葉だった。インターナショナルスクールだと欧米式しかないと勝手に思い込んでいた。後は朝鮮学校のようなナショナルスクール。この記事を読む限り、とても興味がある学校であることが分かる。

  1. 授業は英語で行われる
  2. 教育レベルが高い
  3. INTERNATIONAL BACCALAUREATE

 まず、授業は英語でということなのだが、欧米式のインターナショナルスクールでもこれは同じである。しかし、欧米式だと母語としての英語となるので、インドとは状況は違う。インドの場合は公用語、共通語となるので第2言語としての英語教育がなされると想像できる。しかも小中高一貫校なので相当の英語力が期待できるのではないかと思われる。
 第2点は教育レベルが高いこと。実情は知らないが、欧米式の場合は教育レベルが低いということをよく見聞きする。そのことが本書にも書かれている。教育レベルが高いという証明なのかどうか分からないが、数学の時間の様子が記事に載っている。30×10まで暗算できるとか、25×25などの同数の乗算を暗記しているなどと論理数学に必要な計算を暗記できるというのは有利だなと思った。
 そして3点目、これが一番目を惹いたのだがINTERNATIONAL BACCALAUREATEとという資格だ。文科省ホームページより抜粋

国際交流の進展に伴い、各国において、外国人子女の教育を主な目的とする国際学校で学ぶ者が増えていますが、これら国際学校の卒業者には一般的に各国の大学への入学資格が認められていません。

このため、これら国際学校の卒業者に国際的に認められる大学入学資格を与え、大学進学の途を確保することを目的として、スイスの財団法人である国際バカロレア事務局により、国際バカロレア資格を授与する事業がすすめられています。

文部省においては、この国際バカロレア資格についてかねてから調査をすすめてきましたが、このたび大学設置審議会大学基準分科会の審議を経、同分科会の了承を得てこの国際バカロレア資格を我が国においても大学入学資格として認めることとし、このため別添のとおり大学入学に関し高等学校を卒業した者と同等以上の学力があると認められる者の指定(昭和二三年五月三一日文部省告示第四七号)の一部を改正しました。

 この記事を読む限り、とても魅力的な学校のように思える。しかも、インターナショナルスクールに比べて学費やら入学費やらが安いらしい。日本の私立よりもやすいのかどうかは知らない。もしかすると、同程度かもしれない。

 インド人学校おそるべし……

Friday, September 22, 2006

教育改革

 2006年9月20日付けの読売新聞・朝刊に「安倍氏 教育改革で具体策」と総合面にでっかくあったので覚書の意味も含めて安倍さんがどんな教育改革を推し進めようとしているのかまとめてみる。

 読売新聞にあったのは以下
  • 臨時国会での教育基本法の改正
  • 教員免許の更新制導入
  • 「教育バウチャー制度」導入
  • 「教育改革推進会議」(仮称)の新設
  • 学校評価制度の導入
  • 国公立大の9月入学への変更と奉仕活動の奨励
 はじめの「臨時国会での教育基本法の改正」というのは、私にはよく分からないので端折りたい。「教育改革推進会議」ってのは、臨教審や教育改革国民会議と一緒であろう。「教員免許の更新制導入」と「学校評価制度」は今さらという感じがあるので、これも端折る。なんとなく唐突に出てきたような感じがある「教育バウチャー制度」がポイントではないだろうか。

 教育バウチャーとは、asahi.com:文科省検討の教育バウチャー、効果は未知数 - 暮らし にある言葉を借りると
 教育バウチャーは一般的に、
  1. 子どものいる家庭が行政からバウチャーと呼ばれる利用券を受け取る
  2. 公立、私立を問わず、子どもが通いたいと思う学校に利用券を提出する
  3. 利用券の枚数に応じて、学校側が運営資金を得る
――という仕組みとされる。
とある。
 要は入学者の多い学校にはたくさんのお金を、予算をあげますよ。という制度だ。公立も私立も関係ない。これだと、公立は先細りしそうな感じが否めない。学校の特色を出しましょうといいますが、公立校では教員の異動がある。先生を固定せずにこのような制度が行われると公立はなくなってしまうのではとも思えてくる。利用者が選べるというのはとてもよいことだが、現行の学校行政では、競争原理を導入しようも、思ったような効果は期待でいないのではないだろうか。私立へよい人材が流れてしまうという危険もあるように思える。

 もうひとつ、目新しいものとしては「国公立大の9月入学への変更と奉仕活動の奨励」だろう。正直、意図がよく汲めなかったが、asahi.com: 「教育基本法の改正後、大学9月入学を」 安倍官房長官 - 教育 によると、
国公立大学の入学時期について「世界の大体の学校は9月だ」と語り、9月入学の導入を検討する考えを表明した。そのうえで「(入学まで)4月から9月の間に、ボランティア活動をやってもらうことも考える必要がある」
ということらしい。もっともらしいが、卒業も9月になるんでしょうか?なるんですよね、きっと。世界というよりは、イギリスよりな感じです。ファンデーション過程なども、そのうち言われそうです。
 ボランティアを義務づけるというのは、筋が違うのではないかといった話もあるだろうし、当然、あったようだ。谷垣氏がそうであった。私も、なんか違うなと思うが、ボランティア然り、インターン然り、日本ではまだまだ認められた奉仕活動ではないと感じている。特に企業ではボランティアに行く時間があるなら効率よく作業しろ。などと叱られそうであるし、もっともな意見でもある。インターンも、試験があり、それに落ちるとインターンに参加できない。インターンってそういうのだっけ?と人事に喰いついたこともある。大人の事情がある。

 バウチャー制は悪い制度ではない。ただ、現行の学校行政ではうまく機能しないことは目に見えていると思う。まずは、バウチャー制導入にあたり、しっかりとした人事制度を作るべきではないだろうか。「しっかりした人事制度」とは具体的に何かというと、学校の特色にあわせた教員を集めること。教員異動のシステムもバウチャー制にはそぐわない。教員の固定化も視野に入れてもらいたい。
 そして、ひとつの学校ではなく、生徒が移動しながら授業を受けられるのも面白いのではないか。「この教科はこの学校、これはこっち」などもありなのではないか。そうすれば格差拡大も抑制できるのでは。

 【論点・争点】(3)教育改革 : 自民総裁選 : 特集 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) に3者の主張がのっている。

Sunday, September 03, 2006

たばこのニコチン、タール含有量

 飲み会の席、ひとつ話題として出たことが興味深かったので調べてみた。「たばこの箱に書いてあるニコチンやタールの含有量って媒体はなに?」

 何人かたばこを吸う人がいた。そのひとりが物珍しいものを取り出した。紙巻タバコっていうのかしら?自分で紙に葉っぱを敷き、フィルタをつけるやつ。
「重さ、どのくらいなの?」って話になり
「普通のやつと変わらんよ」と軽いやりとりの後、ふと、先の疑問が湧き出た。

「一箱に含まれている量なんじゃない?」とある人。
「いや、一本に含まれている量だよ」と違うある人。ここまでは何となく想像の範囲内の回答だったのだが
「えっ、一吸いじゃないの?」という言葉で状況は一変した。

 即席アンケートだと、いい感じに3通りの答えに分かれた。

 簡単に考えると、一箱というのが一番ストレートなのかなと思った。しかし、「どうやって含有量を調べるのか、測定するのか?」という逆問題的な考え方をすると、なんかメンドクサイ。含有量を調べるにあたり、ある一本に火をつけ、フィルタ側から出てくる煙を対象に含有量を調べるのが筋だろうと考えたからだ。仮に、この方法で含有量を調べているならば「一箱に含まれている量」だとすると、煙から求められた含有量から一本の含有量を求めて、一箱に含まれる本数分の合計ということになる。だとすると、一吸い、つまり、フィルタ側から出てくる煙に含まれている量ということになる。JTのサイトにこのことについて書いてあるページがあった。

たばこの構造 > たばこの基礎知識 > ミュージアム > SMOKERS' STYLE
タール/ニコチン値

たばこ1本あたりのタール量は整数値、
ニコチン量は小数点1桁までの数値で表示されています。

タール・ニコチン含有量の測定方法
「自動喫煙機」を使用し、決められた条件の下で主流煙の粒子部分を集めます。
ニコチンは、集めた粒子を溶かして測定。
タールは、その粒子の重さからニコチンと水分の重さを差し引いて測定します。
(この測定法は法令により定められています)
 含有量の測定方法はやはり、フィルタ側からの煙(主流煙)を対象にしているようだが、どうやらパッケージに記載されている値は1本あたりの含有量のようだ。

Thursday, August 31, 2006

翻訳教室

 東大文学部の講義、翻訳演習の書籍化である。授業内容をそのまま文字化した本書であるが、授業を受けている雰囲気や臨場感が懐かしく感じた。受けてみたい授業の上位3位以内に入る好感触であった。大学入試の参考書、実況中継シリーズといえば分かり易いかしら。例えとしてはチープな感は否めないが。

Amazon.co.jp: 翻訳教室

 一気に読み干してしまった。作者の言うように、課題英文を自分で翻訳し、それから例訳を使って修正してから、疑問を持ち、講義内容を読んだほうがずっとよいと思う。が、しかし。読み出したら止まらない。そうせずとも、なぜここに「ひっかかる」のか、なぜここはすんなりいくのかということが伝わってくる。この、予定調和のないやりとり、これは先の実況中継シリーズと対比しているのだが、それがいい感じに読み手を刺激しているように思う。
 私は、翻訳業務ではないが、仕事でローカライズ業務に翻弄された時期がある。そのときの経験があるから、課題英文を翻訳せずもその雰囲気をうまく掴めたのかなと思う。多く文中に出てくる、「重い・軽い」、「リズムがいい・悪い」など、野球でいうと「キレのある球」や、サッカーなら「今のは決定的でしたね」などという分かるようで分からない言葉をすんなり受け入れることができた。これが、面白さを倍増させたのかと思う。

 この本を読んで思ったことに、著者はイメージを多用していることがある。最近、新しい英語の教授法として「コア・イメージ」や「マインド」といったものがあると思うが、この授業だとこれが効果的に使われている。英文和訳はさんざんやってきたが、訳している時に楽しさはMAX。授業自体を楽しいと思ったことは少ない、というか、ない。レビューに問題があったと思う。しかし、この本が面白いと思ったというこは、レビュー内容、つまり、授業内容が面白いということだ。
 正直、学生時分にこの授業はキツイ。でも、なんとなく授業という感覚が薄いというのも、私が感じたところだ。それは議論があったからだと思う。
 この授業の素晴らしいところは、目指す方向性がはっきりしているところだと思う。先生も、本音かどうか分からないが、生徒の意見に唸り、感服している姿はいい雰囲気作りに必要不可欠だと、私は思っている。

 これは「翻訳」だから、より強く感じることなのかもしれないが、日本語力って必要だなと、改めて思う。本中にも「漢語と大和言葉」というのが出てくるのだが、私はどのように区別するのか分からない。昔、外国人の友達に「日本人なのに知らないの?」と揶揄されたのを思い出した。ちなみに、「音読み、訓読み」も全く区別できない。はぁ~

Tuesday, August 29, 2006

ムダで儲ける会社

 昨日のカンブリア宮殿は面白かった。久しぶりに偏頭痛に襲われたが、それを抱えていても集中できる面白さだった。ゲストは松浦元男氏、樹研工業という、私ははじめて知る企業の社長だ。チョット前に、世界最小の歯車を開発した企業といえば「そういえば、そんなニュースがあったなぁ」と思い出すかもしれない。その会社の社長さんなのだが、この人の姿勢・スタンスに非常に共感した。内容は番組ホームページにあるのでそれを参照してもらいたい。

カンブリア宮殿:テレビ東京

 松浦氏は、確かに経済やマーケット動向を読む力に長けている部分があるが、それ以上に社員教育の部分で感銘を受けた。松浦氏の考え方は、性善説の考えに沿っているという。そして、誰にでも他人より長けた部分があり、それを伸ばし見つけることが社長の仕事だと断言しているという言葉に感銘を受けた。それは、入社条件にも現われている。
 入社条件は「先着順」だという。履歴書不要、入社試験、面接なし、純粋に先着順だという。ありえない。一般的な考えからいうならば、少しでも有能・優秀な社員を確保したい。しかし、社長の考え方は先に述べたように、「誰でも人より長けた部分を持っている」のであれば、そんなものは不要だし、「たかだか数十分でなにが分かる」という言葉も重みが違う。

 オーディエンスの質問で「結果の出ない社員の処遇はどうしていますか?」という質問があった。それに社長は、「結果の出ない社員がいないので分かりません」と答えた。この人はすごいと思った瞬間でもあった。彼は続ける。「1ヶ月や半年で、得意分野が分かる社員もいるが、3年、4年と模索する社員もいる。しかし、必ず、その人の長けた部分が見つかる。」
 この言葉のすごいところは、結果を出せる得意分野の模索に期限を設けていないところだ。
 一般的に、「何年目までにはなにを」と期日を設けて、それを過ぎてもダメな場合「結果が出ない」とされる。しかし、それをしていない。
 これまた一般論だが、期日を設けることで尻を叩き、やる気を鼓舞しているのだが、松浦氏はこれを社員には分からないように行っているそうだ。私はこの部分にいたく感銘した。私が考える「ゆとり」と同じ定義だったからだ。

 この考えをどのように実現しようか悩んでいたが、松浦氏にヒントがありそうだ。Googleさんに問い合わせたところ約20,000件ヒットした。そのひとつに読売新聞のインタビューの記事があった。

第1回) 樹研工業 松浦 元男社長 減点恐れたら 新技術ない : グローカル : 中部経済 : 中部発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 番組中にあった、「一流は失敗を恐れる、三流は恐れない」という言葉は、どこか歯がゆいが、的を得ている言葉だとも思う。そして、自分自身にとっても耳が痛い言葉である。この人の人間性というものも、この会社が結果を残せた大きな要因だと思う。
 「非合理的なことが、実はもっとも合理的だ」番組はこう言いたいのだと思う。感覚的にはなんとなく理解できても、言葉にするのは難しいし、不確定要素が多い。しかし、不確定要素を省いていった結果が、現在の合理主義である。この不確定要素の研究を望む。

Tuesday, August 15, 2006

なぜ子どもに英語なのか

 小学校への英語教育の導入はさまざまな意見が交錯している。「国際語である英語は、これからを生きる人たちには必須のスキルで数学や歴史となんら変わらない」、「言語習得には臨界期があり、小さいうちから英語を習わなければものにできない」、「英語を理解することで国際的感覚が磨かれる」など肯定的な意見と共に、「日本語がおろそかになる」、「全ての人に英語が必要なわけではない、それより基礎をしっかりと固めるべきだ」、「偏った国際感覚が身についてしまうのではないか」といった否定的な意見も多数である。

Amazon.co.jp: なぜ子どもに英語なのか―バイリンガルのすすめ

 この「なぜ子どもに英語なのか」は、小学校英語教育を反対する大津氏の「小学校でなぜ英語?」に反旗を掲げるスタンスで書かれている。つまりは、小学校英語教育へ肯定的な意見をもった著者により書かれている。唐須氏は慶應大学の教授で、大津氏の同僚ということになるが、そのような立場の人間が真っ向勝負を挑むような形が面白いと思い、本書を手にとった。

 この本は、一貫して経験を元にして書かれている。この経験は筆者の子どもたちがほとんどなのだが、先に述べたような幼少から英語に触れることが国語力や日本語力にマイナスの影響を与えることは全くないとし、ましてや、ことばに関してより鋭敏な感覚を養うことができるとしている。2ヶ国語できることは、それ以上に相手を理解する気持ちや、コミュニケーションの場合においても開放的な気質を養うとしている。

 著者は小学校英語教育とバイリンガル教育を同列として考えている点が面白い。もちろん、小学校英語教育導入の理由としてはこれが希望であり、目標でもある。本書の内容は、以前、私も考えたことがあることが非常に多く載っていた。「英語で授業を行う」というのは、かなり、反感をかった意見だが。

 残念ながらこの本には、公立学校での事例や改善点などが書かれていない。言うは易し。具体例を挙げねば、反論の価値がない。経験は確かにどんな実験よりも確かなものだと思うが、背景が記されていなければこれもただの世間話の域をでることがない。著者の子どもたちがアメリカンスクールにいたときの感想として「たのしい」という言葉が多く見られた。なにが楽しいのだろうか?ひとえに楽しいといわれても彼らの思った楽しいが、私の思う楽しいと重なるかどうか分からない。これのオンパレードではどうにもならない。

 ただ、著者が言うように、変わらなければ「失敗」も「成功」もない。教育界では失敗できないと、改革を遅らせる要因が多々ある。これは、子どもたちを実験台にすることができないという考えからだ。しかし、それに捕らわれすぎて、何もやらないのでは話が違う。インターナショナルスクールとの交流などはすぐにでもできることではないだろうか?私もこのことはなぜやらないのではと思っているのだが、いろいろあるのだろう。

 そして、最後にこの本を読むと、日本にいてバイリンガル教育を受けるメリットというものも妥当性があるように思える。大津氏の本も読んで、相互的な感想を書きたい。

Bloggerが鬼のようにバージョンアップしている

 今日、Bloggerにアクセスしたら、なにやら微妙に画面が違う。日本語表示されない。なぜ?と思ったら、ユーザ名とパスワードを入力するところにBloggerアカウントとGoogleアカウントで利用可能ですよなんてことが書いてある。

 それでSignificant Blogger Upgrade - Freshblogを見つけた。カテゴリーとラベル機能が実装されたそうな。そのほか、エディタもカイゼンされている模様。これからヘルプを熟読します。

Saturday, August 12, 2006

探検!ことばの世界

 激しい雷は、なにか空の悲鳴のように思えてならない今日この頃です。もろい交通機関に翻弄させられるのは歯がゆいですが、それに依存しなければならないのは世の常。幸い、せわしい日常での出来事でなかったのが、不幸中の幸いか。しかし、楽しいレジャーの予定がゴチャゴチャしてしまうのは、いささか難儀かな……

 さてさて、大津先生の「探検!ことばの世界」という本を読んだ。これがなかなか面白い。

Amazon.co.jp: 探検!ことばの世界

 この本を知ったキッカケは、今年の春スクのときでした。英語科教育法のスクで、ことばへの興味喚起というお題のディスカッションのときに、指導教授が話していたのを最近、なぜか、ふと思い出して図書館に走った。

 平易な語りで、面白い例が多く、私のような「国語嫌い」が読んでも惹き込まれる。私のような「国語嫌い」だからこそ惹き込まれるのかもしれない。英語学で、生成文法を知ったときから、これは理系思考の人にはソソラレル内容だと思った。ちなにみ、私は理系人間である。腐れ縁の友人、彼も理系思考で同じように英語教育を志したものの断念したが、同じように興味を示したといっていた。サンプルが少なすぎるが傾向は強い。データマイニングを専攻していた同僚も、生成文法は面白いと言っていた。内容はそれを包括している。

 そして、もうひとつ、分かり易い例が多い。中学・高校生向けらしいが、英語の知識(なにも高度な知識が必要というわけではない)があるとなおさら面白さが増す。国語についても同様。動詞の活用形なども、私はひとつひとつ疑問も持たずに覚えていた口だ。この本のような切り口をしている先生もおらんかったし、友人もいなかった。学生時代にこの本にであっていればと思った。

 この本の目的は、「ことば」への興味喚起である。十分にその目的を果たせると感じた。語学学習の一番のモチベーションは「興味」だ。英語ばかりでなく国語にも影響大だろう。

Thursday, August 10, 2006

国家公務員は子育てで半日勤務OKらしい

 ざっと記事を読んだかんじでは「良案」のようだ。ほとんどの人が常々考えていたワークシェアリングの考えだと思うのだが、これがまともに運用され、機能すれば安心して働けるような気がしないでもない。

 現場を離れると、どうしてもリハビリが必要になる。昔の仕事振りに戻るまでに相当の時間がかかるし、思考のプライオリティが変わってしまう(仕事中心から子育て中心へ)ので、一概に昔の自分に戻れるわけではないと思う。もちろんそれがマイナスの働きになるわけではない。むしろプラスに働くことも多いのではないだろうか。

 しかし、企業というものは短期的な結果を期待する生き物だ。そして、変化を極端に嫌う。昔のままでいて欲しいと願うのではないか。これならば、浦島太郎になることもないのではと思う。これは母親のみなのかしら?

Wednesday, August 09, 2006

英語が嫌い?否、英語の授業が嫌い | 保護者に対するアンケート結果

 最近、良くも悪くも表に出てくる山形県。その山形県で英語授業のカイゼンを図るべく元生徒である保護者にアンケートをお願いし、過去の教育方針の検討をするというからよい傾向だと思う。

保護者半数以上が英語嫌い 訳読中心の授業が原因か(山形) : 学力・授業・部活 : 地域ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 しかし、記事を見る限り保護者は「英語が嫌い」とは言っていない。英語の「授業」が嫌いだったと言っている。英語に関してはむしろ好きというか、モノにしたいと思っていたのではないだろうか?と、個人的には読める。
 中学・高校生の時、英語の授業は嫌いだった――。県教委が、小・中学生の子どもを持つ親を対象に、かつて自分が受けた英語の授業の感想などをアンケートで尋ねたところ、回答した親の半数以上が良い印象を持っていないという結果が出た。県教委は、「英文を音読して訳す授業の仕方が原因だったのでは」と分析。過去の授業の問題点を洗い出し、今後はリスニングや実践的な会話などに力を入れる方針だ。
 しかしまぁ、安直といえば安直な結論の出し方になりそうである。これはいわゆる市場調査という位置づけだと考えているとすると、恐ろしい方向へ進むのではないかと危惧する。
 従来の英語教育が“不評”だったことについて、県教委は、読み書き中心の内容にあると判断。「保護者は、会話を中心にした授業で、日常的な平易な英語を使えるようになることを望んでいる」として、報告書に反映させる方針だ。
 「日常的な平易な英語」ってのは、最終段階の英語レベルだと思っているのだが、いかがでしょうか?このレベルの英語をいつまでに獲得してもらいたいかといった時間軸が記されていないので微妙なところだが、高校卒業時でこれを満足させるには、中学の段階でかなり頑張らないと無理なのではないだろうか。かなり頑張るとはどのくらいかというと、おそらく、現状の高校レベルを中学の段階で完全に終わらせて、後は実際に運用しズレを直す、定着させる時間に費やす必要があると思う。それくらい、実際に使う時間が必要だと思う。

 体系的なかつ継続的な学習ができるようすることが、一番の近道と思っているのだが、どうでしょ?

Sunday, August 06, 2006

論理的思考と日本的情緒 | 「教えない」英語教育を読んで

 週末を利用して市川力氏の「教えない」英語教育を読んだ。非常に面白かったが何点か腑に落ちないこともあった。

Amazon.co.jp: 「教えない」英語教育

 まず「教えない」という言葉に非常に惹かれた。私も学ぶことに必要なことはモチベーションだと思うし、それ以外ないとも思っている。英語「を」から英語「で」という言葉は非常に分かり易い言葉である。そして、「子ども英語」と「大人英語」という分け方も目新しかった。「子ども英語」は興味喚起を総括した言葉で、「大人英語」は論理的に英語を理解する、旧来の英語教育の内容を意味している。

 全てにおいて理にかなっているし、うなずけることばかりが並んでいたので非常に有益な書物だと思ったが、もうひとつレベルを上げて考えてみると日本的情緒を捨ててしまうのかという、非常に厄介な問題もあるように思う。

 市川氏は小学校英語教育に反対している有識者のひとりだ。小学校では母語で論理的に考えられるようにすることがもっとも優先順位が高いことで、外国語(英語)は興味喚起の手段の一つに過ぎないと、極端な解釈をすればそうなる。

 論理的に考えることは、母語を修得するのとは条件が違いすぎる外国語修得に際しては必要なスキルであり、外国語を運用するために、要は英語を使う場面で相手の話を聞き、理解し、返答する際のスキルでもあり、外国語に携わる際に気っても切り離せないスキルになる、そういった理由で、母語での論理的思考能力を鍛える必要があるという結論になると思う。小学校英語教育反対を掲げる有識者の書物のほとんどはこの流れで書かれていることにも、外国語を修得し、運用するには母語での論理的思考が不可欠と一つの答えを出したのだ。

 最近、フィンランドメソッドなど海外の論理的思考を鍛えるメソッドが注目を浴びている。徹底的に論理思考を鍛えるプログラムであるが、先の国語教育でも日本的情緒を叩き込むことを目標としていたのに、まぁ、キツク言えば失敗しているのに、日本の文化にあまり根付いていない論理的思考と情緒をパラレルで育むことができるのかと思うと厳しいのではないかと思う。

 私が考える日本的情緒というのは、簡単にまとめると「行間を読む」ということだ。俳句なんかがいい例だと思う。絵本などもそうかなぁ。行間を読むということを小学校の低学年から、高校まで旧来の国語教育では行ってきた。しかし、行間を読むということは一様に同じものをアウトプットできるかというと、そうではなかった。よく言われていることは、作者と意図しないことが正解とされ、作者が文句を言ったなどということがよくあるが、行間を読むことにはそれ相応の経験と体験が必要であり、同じ経験をしたとしてもアウトプットが違うことは人として当たり前のことで、それが積もり積もって日本的情緒となったのではないかと思っている。要は行間を読むことは、日本人なら誰でも出来ることではあるが、同じものが出てくるとは限らない、不確実なものなのだ。行間を読むこと自体が日本人らしさの象徴であるので、アウトプットの質は問わないのが本質ではないかと思う。行間を読んで出てきたものに正解も不正解もないということだ。

 行間を読むことの元となるスキルはなんであるか?私は「察する」ことだと思う。これは外国人には、特に論理的思考を体得するための教育を受けてきた人たちにはしんどいらしい。「察する」ことのひとつに共感があるが、外国人はこれが得意である。男女問わずにかなりの確率で正しく共感してくれる。しかし、それには言葉が必要だ。もちろん、ボディーランゲージというものもある。しかし、日本人の「察する」はちょっと違うように感じている。私自身、感じているだけなので、「これがこういうわけで……」と言えないのが歯がゆい。というか、私自身あまり明確に理解していないのかもしれない。ひとつ例を上げるならば、「美辞麗句」だろう。最近は悪しきモノとしてとりあげられることが多い。それは、断定的な判断が必要とされるべきモノに対しても日本人は「美辞麗句」を使っていたからであろう。役人が考える文章のように。けど、「美辞麗句」自体が悪いのではない。使い方を間違えているだけなのだ。そういう私も「美辞麗句」が好きだったりする。

 今まで日本の教育では論理的思考がかなり軽視されてきた。その反動で今はどこでもだれでも論理的思考を強く求めている。問題だと考えるのは、振り子が完全に振り切って論理的思考ばかりに目をやり、日本的情緒は悪しきモノとし排除されていることだろう。確かに、バランスは非常に微妙で繊細だと思う。最適なバランスというのを私は分からない。特に教育ではこのバランスが分からないためになかなか一歩を踏み出せないでいる実情もある。しかし、一歩踏み出してしまえば、なんの迷いもなく、100%で一方に進むのも教育である。危険性はここだろう。だれとてバランスを考える人がいない。いるのかもしれないが、聞こえてこない。書物には批評として反対意見が多数見受けられることもあるが、それは極端な例しか現われない。

 論理的思考の欠点は極端になりすぎて「あいまい」が排除されることにある。予定調和しか認めない風潮は危険だと思う。「ああなればこうなる」となると問題責任ばかりを追及する犯人探しが横行するであろうし、責任転嫁の逃げ道を懸命に探す輩もすでにいる。法の抜け道を探すことがその極端な例であろう。しかし、これが論理的思考の最大の欠点であることを「国家の品格」は呈している。

 もうひとつ。外国人が映画や絵画などのコメントを言うのを聞いたことがあるだろうか?彼らは何かしら明確にポイントを絞ってコメントをする。例えば絵画なら「大胆な筆遣いが力強さを表している。タイトルと呼応して素晴らしいねぇ」などなど。私はこのようなコメントを聞くたびにどうにもこうにも「薄っぺら」く聞こえて仕方がない。そんな単純な言葉で説明できるものなのか?といつも思い、コメントをした人の感受性の困窮さを嘆いている。もちろん、彼らがこのような何かしら必ず明確にポイントを指摘してコメントするという教育を受けていることを知っているので仕方がないことだと理解しているが、それでも違和感が残るのだ。これは、私が論理的思考を教育されていないからなのかもしれない。しかし、映画監督であったり、アーティストがコメントする際はこの限りではない。意外に、抽象的な言葉を使い、「そういうものなのだ」と思考停止言語を使うことも多々ある。しかも彼らはそれを英語で話している。

 論理的思考は絶対に必要なスキルであることは間違いない。しかし、それが絶対ではないことも同時に考えていかなければいけない。日本的情緒を捨てた英語を話せる日本人には価値はあまりないように思えるし、もったいないことである。

Tuesday, August 01, 2006

徒歩暴走族

 しばらく前に見つけた記事です。

asahi.com:バイクに乗らない「徒歩暴走族」 - マイタウン北海道

 ほとんどドリフです。

教育的指導

 これは新しい問題でもなんでもないような気がしているのだが、違うのだろうか?様々なスポーツ関係者は、ずいぶん前から問題視していることだと思っていたのだが……、少し前の出来事であるが重い腰をあげてみる。

asahi.com:「眉毛をそってるから」負け 鹿児島の中学総体 - スポーツ
 鹿児島県中学校総合体育大会バドミントン競技女子団体戦の準々決勝で、眉毛をそっていたことを理由に、試合に勝った生徒を負けたことにしていたことが28日、わかった。その結果、団体戦の勝敗も覆ったという。教育関係者からは「スポーツと生活指導を一緒にしている」と疑問の声があがっている。
 ここで面白いというか、興味深いのは教育関係者から「スポーツと生活指導を一緒にしている」と疑問の声があがったことだ。中学生の練習場としては、大半は部活動だと思う。その部活動は、明らかにスポーツと生活指導を一色にしていると思うのだが、ソレに対してはなんの声もない。

 根本を叩かないとこのような出来事はなくならないし、指導している教諭は混乱する一方だろう。乙武さんか為末さんが教育とスポーツについて言及していたのを聞いたことがある。時代遅れの教育が蔓延る公立。おそろしや、おそろしや。

Monday, July 24, 2006

何を守り、何を失うか。その現実味の希薄さ。

 教員の不祥事に対して何かを書くということにバカバカしくなり、最近、不祥事が起こってもスルーしていたが何も変わらぬ現状と企業不祥事における「何を守り、何を失うのか」という単純な損得勘定における隔たりをより一層強く感じるようになったので、書きたい。

asahi.com: 下着盗の教諭を匿名発表 「被害者の意向」とウソ - 教育
 千葉市教委が、市立小学校教諭が下着を盗んだとして処分を発表した際、「被害者の意向」といううその説明を基に、教諭の氏名などを伏せていたことがわかった。市教委の懲戒処分の公表基準では実名での発表に当たる事例で、実際には被害者は教諭の実名公表を繰り返し求めていたのに、市教委が「被害者の意向」を捏造(ねつぞう)していた。
 市教委は何を守りたかったのだろうか?罪を犯した教諭か?そんなことをしても、市教委になんのプラスにもならないことは誰の目から見ても明白だと思うのだが、組織というのはナゾが多い。その結果、被害を受けるのはその他大勢の千葉市の教員であり、全国の教員である。先生と呼ばれる全ての人が、今回の市教委の下した判断と同じ考えを持っていると思われるのだ。甚だ迷惑なこった。

 さんざん言っているが、誰が問題を起こしていて、その問題を解決するためにはどうすればよいのかということを本気で考えているのだろうか。今現在、教員に対して世間の風当たりは強い。これから教員になる人は、この不祥事を起こした教員よりも厳しい教職課程が待っている。教員免許更新制に対しても当初は、現職には対応しないとしていた。しかし、現実は間違いなく現職に対して、全ての世間の逆風が向けられている。それがなぜ、問題を連発する現職が守られ、次に入ってくる、入ってこようとしている人たちにその尻拭いをさせるのか、お上の考えることはナゾだらけだ。新任の先生は現場では彼らから教育を受けるのだ。これを忘れてはならない。

 先の教育基本法改定では、一応、現職にも免許更新制については適応されるが、機能するかどうかはナゾだ。おそらく、機能しないであろう。今日のこの記事を見る限りでは……

Friday, July 21, 2006

フィンランドのカルタ

 フィンランド教育への関心は日に日に高まっているように感じる。教育ルネサンスでフィンランドの国語教育、フィンランドメソッド(記事中では読解メソッドと読んでいる、混乱するので統一してもらいたい)を日本で行っている学校が紹介されていた。それは京都にある。

小中一貫(7) 視覚で養う読解・思考力 : 教育ルネサンス : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 記事にも書いてあるように京都は挑戦的な教育改革を実行している。教育改革のデパートとはよく言ったものだ。私の印象も同じである。品川よりも京都のほうが意欲的に思う。

 さてさて、フィンランドの国語教育でよく出てくる言葉がある。それがタイトルにもつけた「カルタ」だ。日本のカルタとはチト違う。日本的に言うとマインドマップだ。Googleさんでイメージ検索すればマインドマップを見ることができます。

 フィンランドメソッドは国際学習到達度調査(PISA)の読解力テストで連続1位を獲得していることから考えると成果があるといえる。私自身も自己啓発のひとつとして書籍を読んでもいる。学校教育にも用いたいと思っているし、そのアイディアも考えある。フィンランドメソッドが効果的な学習方法であることは広く知られているのに、小中一貫の特集でとりあげられていることに「なぜ?」と私は思うのだ。

 ひとつ、私が思うに、今までの制度が縦の関係で全くつながっていなかったと暗に知らしめたいのではないか。具体的に、ここがダメなんだということは一言で言えないが、語学は継続しなけりゃ意味がないことを知らしめたいのだと思う。英語ばかりでなく、日本語においてもだ。

 そして、もうひとつ思ったことに「モノ分かりの悪い先生」でなければいけないのではないだろうか。いくら授業で論理的な考え方について学習しても、それを活用する場所がなければ定着しないというのは英語と同じだと思う。子どもたちの言葉を汲み取って、言いたいことを理解する姿勢は必要だと思うが、「いつ」「だれが」「どこで」などと子どもたちの言葉が足りなければ「モノ分かりの悪い先生」になる必要もあるであろう。先生ばかりでなく家庭でも「モノ分かりの悪い親」を演じることも必要なんだろう。

Friday, July 14, 2006

英語でお稽古

 英語でそろばんやピアノを習う小学生が増えている。塾やスポーツで忙しい子どもたちにとっては「一石二鳥」。小学校の英語必修化の動きもあり、習い事の世界も敏感に変わってきている。
 らしい。個人的には「いいな」と思う。

asahi.com: 習い事「一石二鳥」流 英語使いそろばん・柔術・ピアノ - 教育

 英語が話せるようになるかどうかといわれたら、本人の頑張り次第と言わざるを得ないが、インプットとアウトプットの場が増えるという点ではよいと思う。中学の2年間をこのようなアウトプットの場に使えればずっと変わるような気がしている。

 しかし、今の子どもは大変だ。
 ベネッセコーポレーションが02年に首都圏の小中学生を持つ母親約6000人に聞いたところ、英会話を習ったことがある子は27.4%。一方、これまで経験した塾と習い事は「5個以上」が40%だった。
 教育費が大変で子どもを産まないって選択も分からんでもないし、最近の子どもの犯罪も理解できなくもない。そんなことはさておき。きっと、家では遊びまくっているんだろうなぁ。勉強する場所とそうでない場所を分けないと精神的に参ってしまうだろうし、でも、英語に関して言えば自習というか自発的な勉強が必要条件であるので、場所を区別してしまうと伸びが鈍るので挫折しやすくなる危険性もあると思う。あまりにもボーダーを明確に引いてしまうのも問題だ。

 でも、子どものこの言葉は重要ではないだろうか。
 英会話教室に通っていたが、間違うと直されるのが嫌でやめた。「柔術では英語を間違っても大丈夫」
 学校などで教わった後には「なんでこう言わなきゃいけないの?」と多々思っていた。「こうでもいいんじゃない?」と思っていたが、それが正しくてもテストでは間違いになる。授業中の発言でも「それでもいいけど、こう言ってね」と訂正される。でも、記事のような場であったら、意思伝達の手段としての英語のはずだから、「この構文で言ってね」なんてことは絶対にないはずだ。間違っても意思伝達できればよい。教わった後も「そう言うのか」と前向きに捉えられるような気がする。確証はないけれど(若干の経験則はある)。

Wednesday, July 12, 2006

椅子のない教室

 バランスボールを椅子代わりにしたところ、生徒の集中力がアップしたという記事がasahi.comにあった。バランスボールを椅子代わりにすることに関し、私はとくに目新しさもなにもないが、このような小さな出来事にまで目が届くということに喜びを感じる。と同時に、情報過多の具合も危惧したい。

asahi.com: 「バランスボール」で集中力アップ 学習塾が活用 - 教育

 自分のほかのブログで、「会社の席、居心地いい?」という記事を書いた。その中で言及しているとおり、海外の教育現場ではすでに実行していることである。科学的根拠は分からないが、このasahi.comの記事と海外の教育現場での例を受けると、集中力アップは確かなようである。

 asahi.comの記事の学習塾がどのような経緯で椅子の代わりにバランスボールを導入したのかとても興味がある。海外では既に椅子代わりにバランスボールを使っていることを知っていて、かつ成果があることを知って導入したのか、それとも、「これいいんじゃない」という感覚ではじめたのか。

 感覚的な理由ではじめたのなら私も同意できることだ。私もはじめてバランスボールを椅子代わりにした教室を見て、直感的に「いいなぁ」と思った一人だからだ。基本的に、落ち着きのない子どもだったので、じっとしているのが窮屈でたまらなかった。集中できないことはなかったが、そこにたどり着くまで時間が必要だった。そわそわし、ああでもない、こうでもないと自分のポジションを探していた。眠る前に、寝やすい姿勢を探すのに似ている。落ち着けば後は体が反応してくれるので、なんだかんだで終わりまでいい感じで集中できる。絵を描くときなんかが特にそうであった。

 最近思うことに、エネルギーの発散が足りないことに集中力が関係しているのではないかということがある。じっとしていられないのは動きたいからだと思う。基本的に、動くことが足りないというのは、ほとんどの人が感じていることではないだろうか。歩くことで記憶力が高まるという話を聞いたことがある。歩くことで脳に血液が巡りやすくなり記憶力増大につながるそうだ。つまり、ジッとしていると脳に血液が行かないってことではないだろうか。俗にいう「貧乏ゆすり」なんてのも禁断症状のひとつなのかなと思う。日本では、下品な行為としてとがめられるけれども、気が済むまでやらせるべきでないだろうか。

 エネルギーの発散が足りない現代に、無理にジッとさせることがはたしてよいことなのかどうか、学校教育の根本にまで忍び込む必要があるのではないだろうか。そういったことを投げかけてくれる記事だと思う。

Tuesday, July 11, 2006

教材マーケット - Teachers Pay Teachers.com

 百式さんトコにあった興味深いサイトです。同じようなこと考えていました。とりあえず、我が市にはないようです。他のところはどうなのでしょうか?

百式 - 教材マーケット (Teachers Pay Teachers.com)

 この類のことってのはかなり重要だと思います。今年頭から「団塊世代大量退職」など言われていますが、その技術やノウハウを伝えることが今までの流れや制度上では、円滑に行えていないといわれています。それとともに、すべてが各先生の頭の中にあるってのもモッタイナイことだと思います。

 本屋に行けば、名前のある人によるこの類の書籍は山ほどありますが、「痒いところに手が届く」ものは少ないですよね。「帯に短し襷に長し」ってこともありえます。Webを利用することで、DB管理が進むのが最大のメリットだと思います。ただ、残念なのは現場の先生は形にしないんですよね、積極的には。Webないし、電子媒体での管理となると尚更です。もったいない、モッタイナイ。

Sunday, July 09, 2006

爆笑問題×東大

 昨日のNHK教育テレビのETV特集で、東京大学教養学部の駒場キャンパスでの、新入生歓迎シンポジウムが放送されていた。再放送で、かつ拡大版らしいが、私はオリジナルを見ていなかったのでその違いはよく分からない。でも、面白かった。

 基本、爆笑問題・太田氏を軸に話が進められているように感じたが、双方のプチ哲学を聞くことができ擦り合わせにはよい。いい言葉が多かったが、いい言葉ってのは得てして現実味が薄いものだとも思った。その中で、太田氏の言葉、これは立川談志氏の言葉になるのだが、「伝わらないのは、己の技術不足」ってのは耳が痛い言葉だ。

 「知の技法」という東大教養学部文系の必修科目のサブ・テキストがある。ブックオフなんかでは100円コーナーにあるのではないだろうか?読み物としても面白い。

 教養ってなんだろうと自分なりに考えてみた。教養ってのは、結局、結果なんだろうと思う。結果が積もり積もって、淘汰されて、現在に残っているものが教養なのだろう。各業界で、平たく言うと「おばあちゃんの知恵袋」的なことがあるだろう。それが、個人に蓄積されたのが教養人なのではないか。この番組を見て、そう感じた。YouTubeにアップされないかしら。

Thursday, July 06, 2006

ラテン語のニュースを配信

 なんて知的なジョークなんでしょう。

フィンランドがEU加盟国向けにラテン語のニュースを配信 | エキサイトニュース
新しくEU(欧州連合)の議長国となったフィンランドが、ヨーロッパの人々に古代にまでさかのぼるルーツを意識させるために、ラテン語でニュースを配信し始めた。
日本語はいまだに起源が特定されていないようなので、この類のジョークはできそうにありませんね。

Sunday, July 02, 2006

JSTバーチャル科学館|惑星の旅

 科学館やNHKの科学特番を楽しみにしている人には、この類のサイトは興味深い。自分も楽しんだ。

JSTバーチャル科学館|惑星の旅

Monday, June 26, 2006

Fishbone

 KSSブログ経由で図解で考える方法のエントリがあったのでひとつ。フィッシュボーン・ダイアグラムというものらしい。詳細はKSSブログ、もしくはそこからリンクしてある解説サイトを参照してもらいたい。

KKSブログ: 図解で考える方法 魚骨図

 今流行りのノート術は図解だ。KSSブログでは学校現場でも多く用いられているとあるが、どの学年で、どの教科でなどなど知りたいことが山ほどある。なぜそう思ったか。教育実習を終えて児童生徒を直に見ることができ疑問が深まったからだ。

 生徒は黒板をそのままノートに写す。当たり前かもしれないが、非常に驚いた。例えば、私の板書が下手なためにアンバランスな書き方になってしまっても、そのアンバランスさも全てノートに再現している。しかも、異常に時間がかかる。わずか4~5行の板書にもかかわらず、10分は時間をとらないといけない。生徒たちは黒板に書かれたモノを絵として自分のノートに書いているだろう。なので、ほぼ無心でノートをとっている。おそらく、私がお世話になった学校の生徒だけの話ではないだろう。そのような生徒たちに対して、このような図解式ノート術をどのように理解させ、書かせているのか非常に興味がある。

 確かに理解しやすいが、自分で記すさいには非常に難しい。試行錯誤するか、はじめはプリント配布して型を教え込むのかしないと無理だろう。しかし、このような図解ノート術のポイントは、悩みながら書くことにあると私は考える。時間をかけて悩みながら書くことにより、記憶に留まる。ダイエットのために水泳をはじめたが、慣れてきて泳ぎがうまくなってしまいダイエットにならなかったなどという本末転倒の可能性がこのような図解ノートにはあると思う。

 というと、板書とは別にまとめの時間にこのような図解ノート術でまとめさせているのかなぁとも思った。でも、10分じゃ足らないだろうな、きっと。授業、終わっちゃうじゃん!

Sunday, June 25, 2006

何気にアップデート

 BloggerにRSS配信が追加されている。クリボウさんの記事で知ったのだが、アナウンスはあったのだろうか?私の見過ごしか?

 機能追加時は、私も忙しかったのでほどんどの「お知らせ」関係は見ていなかったが…… これで、TagClickにもFeedBurnerを使わずに自動追加できる。余計な経路を踏むことに気持ち悪さがあったから、スッキリ。

Friday, June 09, 2006

アンバランス

 暇な時はトコトン暇。忙しい時はトコトン忙しい。おそらく、誰もがそんなアンバランスな生活だろうと思う。私は今現在、トコトン忙しい。なので、このブログも放置プレーしていたが、もうしばらく放置プレーします。書きたいことが山ほどあるのですが、時間がない。

 3時間睡眠で、ゴハンもろくに食べられない。そんな生活は私には無理のようだ。というか、自分の仕事ならば、大したことではないこと。目的以外のことで神経をすり減らしている。

 今日、久しぶりに寝坊したのであせった。本当にコレでいいのだろうか?どっちつかずになりそうで怖い……

 私もM-Time人間なりたい……

Tuesday, May 23, 2006

ゼロトレランス

 ゼロトレランス(Zero Tolerance)に関する記事があった。

生徒指導厳格化:「信頼関係損ないかねぬ」…校長ら懐疑的-教育:MSN毎日インタラクティブ

 高校では停学や退学などの懲戒処分ができるが、小中学校ではできない。現在では高校でもこれらの懲戒処分が「思う存分できるか」といったら、おそらくNoだろう。最近の教育現場では敬遠されがちなことだと思う。

 このようなゼロトレランスが必要な背景もある。しかし、これを一律、横並びで行う必要は全くない。このような「厳しさ」も認めるということにはできないだろうか。そうすると基準の問題が出てくるが、学校や先生単位ではなく、児童・生徒単位で判断することができると思う。ゼロトレランスを発動するに当たり、かなり臨床実験を行ってデータや傾向等々取れているはずだ。

 記事にコメントを寄せているふたりの著名人の意見も正反対の意見なのだが、それぞれ一理あり、問題の難しさを呈していると思う。個人的意見だが、校則の信憑性というか妥当性というのも、そろそろ考えてもいいのではないかと思う。

 例えば、小中学校では授業中に飲食できない。というか、その類のものを学校に持ち込むこともできないのが原則だろう。しかし、大学や職場になれば、ドリンクはおろか、ちょっとしたおかしを傍らに置いていても文句は言われない。むしろ、作業効率があがればなんでもありという職場もあろう。

 休み時間に関しても、先生は次の授業への接続と考えて休む時間ではないと言う。そうではなく、きちんと休むための時間を確保する必要があるのではないか。私が学生の頃は、2時間目と3時間目の休みが15分か20分くらいあったが、若干長いと常々思っていた。それならば、均等に10分にしてもらいたいなと思っていた。自分が望むときに休みが取れないのだからそれくらは融通利かせてもいいと思う。私の会社では月に5%の自己管理時間というのがある。厳密に5%を計っているわけではないが、自分の好きなときに休憩を取ることが認められている。自分のペースというものが作業効率に大きく関わると、会社側も認めた結果と思う。学校の一斉教授では難しいが……

 私としては、逆に全く自由にしてしまうのもアリだと思っている。そこには時間割もない。校則もない。先生も率先して教えることはしない。教えを乞いにきたものだけに教える。まぁ、このように自発的に動ける人に育てることが義務教育の核なのだが、「枯渇感を呷る教育」ってのも必要だと思っている。

 少し話がずれてしまったが、ゼロトレランスに関しては現行の学校運営をする上では必要だと思う。しかし、ケースバイケースで児童・生徒単位で考えて行うべきだ。やってしまったコト単位で考えるべきでない。それより、ゼロトレランスの話をする前に、現行の学校運営を考えるべきなのでは思う。

Monday, May 22, 2006

視点を変えて、みて

 教育系バラエティー番組の平成教育委員会。中学入試程度の問題、すなわち、小学校卒業程度の知識で解ける問題が出題されるのだが、なかなか……

 最近のこの番組の社会の時間だったか、一般には見たことのない一見、歪な日本地図が登場し、「これはなにを表している地図でしょうか?」という問題が出題された。答えは、東京から鉄道で移動した場合にかかる所要時間だった。このサイトWorldmapper: The world as you've never seen it beforeの地図を見てそれを思い出した。

 このサイトの地図はおそらく、Web2.0で使われる「cloud化」とのからみでユニークな考えだなぁということで、はてなブックマークで上位にランクされたと思う。このような遊び心や感覚が、近年の「個性」を問う受験では出題されるのだなぁなんてのも考えた。

Monday, May 15, 2006

授業削り職員会議

 にわかに信じられない記事。正直、職員会議というものが何を話される場なのか詳しく知らないが、記事にある
勤務終了時間の午後五時を待たず、午後四時には教職員が帰宅できるようにするための編成だった。
というのは、いやはや……

Sankei Web 産経朝刊 八王子の公立小 授業削り職員会議 4割29校 振り替え、児童に負担(05/14 05:00)
 東京都八王子市内の二十九の小学校が、「職員会議」などを理由に毎週水曜日の授業を午前中だけで切り上げ、児童を下校させていることが十三日、同市教委の調査で分かった。学力低下への不安が高まり、全国の公立学校で授業の充実に悪戦苦闘するなか、八王子市では教員たちの会議のために授業が犠牲にされ、児童にしわ寄せが及ぶような「時間割」が残っていた。市教委側は「問題がある」としており、二学期以降の時間割編成で改善を指導する考えだ。

 市教委が市内の小学校六十九校の時間割や学校運営などを調べたところ、全体の四割を超える二十九校は、職員会議などが予定される毎週水曜日を午前中の四時限授業(一時限四十五分)だけにし、児童は給食後に下校させていた。

 同市では職員会議を毎月一回開くことを原則としている。二十九校は、職員会議がない週も四時限で授業を打ち切り教科別、学年別の教員研修に充てることもあった。水曜日に行わなかった午後の授業分は、月曜日や金曜日などに埋め合わせを図り、学習指導要領で定めた一週間の標準時数(通常二十七時限)を確保していたという。

 関係者によると、午前中だけの授業で児童を帰宅させ、午後を職員会議などに充てる時間割は、昭和三十九年から東京都内の公立学校で続いていた。通常二時間かかるとされる「職員会議」を終え、勤務終了時間の午後五時を待たず、午後四時には教職員が帰宅できるようにするための編成だった。

 こうした慣習は平成十年に発覚、問題となり、その後の都教委の指導で現在は教職員が四時に帰ることはできなくなった。学力低下への不安が広がり、ゆとり教育への批判が高まりを見せるなかで、「学力向上」や授業の充実を掲げる学校が一般的となり、時間割も見直された。

 八王子市内でも、残る四十校は水曜日に五時限目(昼休み終了後)の授業を確保。職員会議は児童下校後の夕方に開き、授業の犠牲や児童へのしわ寄せがないような時間割だった。
 今、職員会議自体が問題になるケースもあるようだ。民間出身の校長がまず手をつける部分といっても過言ではないくらい、普通の感覚とは何か違うらしい。先週の読売新聞の教育ルネサンスが「民間出身校長」特集だったのでビビッときた。

 こういうのを聞くと軽い脱力感があるのは、私だけでしょうか。

Thursday, May 11, 2006

誤字・脱字

 今までも必ずあったであろう教科書の誤字・脱字。しかし、これほど大きなニュースになるってことは今年はその量が多いってコトだろう。

教科書:中学校で使用の半数に誤り 文部科学省調査-教育:MSN毎日インタラクティブ
 今年度から中学校で使われている教科書134点のうち、ほぼ半数の65点で計208カ所の誤りがあることが文部科学省の調査で分かった。誤りは全9教科16科目の教科書で見つかり、同省は「誤りがあってはならないだけに非常に残念。検定作業を一層慎重に行うとともに、出版社にもチェック体制を強化してもらう必要がある」と話している。

 同省によると、今年1月、高校の政治・経済の教科書に誤りが見つかったため、出版社に点検と報告を求めていた。誤りの例としては、漫画「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さんの名前のふりがなを本来の「けいじ」ではなく、誤って「けんじ」としたり、「ひらがな」という言葉を誤って「ひらなが」と記述していた。
 マニュアルの査読などをした経験から話をさせていただきたい。案外見落としてしまいます。査読は内容の妥当性、表現が難解でないかなど文章表現にポイントがおかれます。なので、かなり意識して一字一字読まないと誤字・脱字は見過ごされてしまうと、上司に怒られた経験があります。

 まぁ、子どもたちはこういったものを探しては喜んでいるんですけどもね。

教職員の成果とは? - 教職員に成果主義

 成果主義導入のニュースは岩手県だが、現在、どの程度教職員に対して成果主義が導入されているのだろうか?とても興味がある。まず成果目標をどのように設定するのだろうか?評価期間は、学期単位かそれとも年度か、はたまた受け持った子どもたちが卒業するまでだろうか。少し調べてみる価値はありそう。

教職員に成果主義。県教委が導入へ(岩手) : 教育行政 : 地域ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 県教委は今年度から、教職員の勤務成績に基づき、昇給やボーナスの額に差を付ける制度を導入する。今月中に詳しい評価制度や基準をまとめ、来年4月の昇給や今年12月に支給するボーナスから適用する方針。これまでの教職員の勤務評価は、人事の参考にはなっても、給与には反映されなかった。今回、県人事委員会の勧告に従い、制度を見直すことにした。

 県立学校や市町村立の小中学校の教職員ら計約1万4000人が対象となる。

 新制度では、教職員をAからEまでの5段階で評価し、成績に応じて昇給に差を付ける。評価の方法は人事委員会の規則に沿って、上位のAとBは相対評価とし、下位のDとEは基準に該当した教職員に付けるようにする。結果的にC評価を得る人が最も多くなる見通し。ボーナスについても、昇給とは別に4段階に分けて支給額を決める。

 県教委は評価の担当者や職場ごとの評価の指針を詰め、6月から評価を始める。教職員課は「公平で客観的な制度を早急に取りまとめたい」としている。

(2006年5月11日 読売新聞)
 しかし、この記事を読むと、どうも公務員の給与カットの穴埋め的なニオイがしてならない。私だけだろうか……

Wednesday, May 10, 2006

小学校英語 - 先生がしていることを児童にやらせるのは……

 今週のNHK - 首都圏ネットワークの特集が小学校英語のようです。今日はALT確保について行政や現場の奮闘ぶりを放送していました。そこで、小学校の先生方がALTと授業の打ち合わせをしているシーンがあった。授業計画をALTに伝え、理解させ、ALTの意見も柔軟に取り入れる。そういった遣り取りだろう。そこでの先生のコメントが気になりましたのでひとこと……
私たちも鍛えられています
 ここでの「鍛えられています」というのはおそらく次のようなことと思う。
  1. ALTと英語で授業計画をしなければならないので英語力が鍛えられる
  2. 英語教育について勉強している
 そこで私は1の意で思ったことがある。おそらく、英語教育全般においての目標というのは、「英語を介してなにかやりとげる」といったものだと思う。小学校の先生方は今、まさにその状態で、かつ理想的な環境下にいると思ってしまった。指導する立場の人間が、教える場合の理想的な環境下にいるのはなんとも幸運だし、ちょっと可笑しい。
 もしかしたら、小学校では、先生の変わりに児童がALTと話し合いをして授業計画を作るってのもアリなのかなぁと思ってしまった。

Tuesday, May 09, 2006

母語と母国語

 ひっかかりシリーズ第2弾です。第1弾は外人と外国人でした。

 私は最近まで特に意識せずに母語や母国語という言葉を使っていました。どちらかというと、母国語という言葉のほうが、使用頻度は高かったように思います。その国で話されている言葉というよりは、第1言語といったニュアンスで使っていました。

 なぜ、この言葉にひっかかったのかというと、第2言語の話をするときに頻繁に使われる言葉です、このふたつは。その中で、何人かは使い分けているような気がしたんですね。そこにひっかかり少し調べてみようと思いました。

 端的にいうと、母国語という言葉は日本でしか使わないようです。政治的な理由があるってのが大抵の見解かと思います。Googleさんで調べてみると、そこいらの意見がワンサカ出てきます。そして、辞書(Yahoo!辞書)の国語で母国語を調べると、その意味は母語に内包されて、母語のなかの狭義で母国語といった示し方をしています。要は意味は同じですよということ。

 私の意見としては、母国語は公用語とでも呼んだほうがいいのではと思う。

Monday, May 08, 2006

大学も企業も自分が生き残ることに必死

高校生青田買い:1学期で合格…面談で合格も 大学も必死-教育:MSN毎日インタラクティブ

 「AO入試」を採用する大学が国公私立を問わず急増し、いち早く高校生を囲い込もうという動きが強まっている。高校3年の1学期にあたる5月末に合格を出すことを表明したり、選抜の途中で合格の「内定」を出す私立大も現れた。急激な少子化を背景とする「青田買い」の過熱に、高校側は「生徒が学校で勉強しなくなる」と神経をとがらせている。

 AO入試は、大学が受験生の自己推薦を募り、面接や小論文で選抜する。高校長が日ごろの成績を基に生徒を推す従来の推薦入試に比べ、人物重視の選抜方式とされる。本家米国では多くの大学が早くから取り入れ、日本では慶応大が90年度初めて実施。導入する大学は増え続けている。

 推薦入試では願書の受け付けを11月1日以降とする文部科学省のルールがある。しかし、AO入試に縛りはなく、多くの大学は夏ごろから受け付けを開始する。

 昨年、福岡県太宰府市の第一経済大では、5月末に合格を出すという触れ込みでAO入試の受験生を募った。しかし、応募者はなく、今年は合格発表を7月末に設定する見通し。

 また、愛知県美浜町の日本福祉大は先月受け付けを開始(合格発表は10月)。岐阜県大垣市の岐阜経済大は今月15日から開始する(同11月)。愛知県岡崎市の愛知産業大は、出願前の面談で合格に当たる「出願許可書」(内定)を出す。

 AO入試の広がりについて、大手予備校の担当者は「中には『来れば内定、会えば内定』という大学もある」と明かす。大学見学や面談に訪れた受験生を軒並み合格させるという意味で、選抜の質を疑問視する。夏休み前に進路を決める生徒も増え、進路担当の都立高教諭(39)は「生徒が楽な方へ流れ、勉強しなくなる」と嘆く。

 推薦入試でも80年代後半、大学がいかに早く合格を出すかを競い合い、当時の文部省が95年度から「11月1日」の縛りを設けた経緯がある。【高山純二】

 ◇10年で161校も増加

 文科省によると、国公私立の大学数は05年度が計726校(国立87、公立86、私立553)。10年前の97年度は計565校(国立98、公立52、私立415)で計161校も増加した。一方、大学進学者数は95年度の59万7986人に対し、05年度が56万8336人と約3万人も減少した。07年度には大学・短大の進学希望者数と合格者数が同じ「大学全入」になるとの試算もある。

 ▽AO入試 学生の募集から入試までを担当する米国の大学の「アドミッション・オフィス」(入学事務局)が、名前の由来。大学により選抜方法は異なるが、志望理由などを記したエントリーシート(志願書)を提出させ、面接や小論文で選考するのが一般的。国立では00年度、東北大、筑波大、九州大の3校が初めて導入。文部科学省によると、05年度入試では、国立大では約3割の25校、公立大は2割弱の12校、私立大では約7割の364校が導入した。

毎日新聞 2006年5月8日 3時00分
 少し前の就職活動でも問題になった青田買い。少子化により学生確保が難しくなり、なんとしてでも学生を確保したいという思いが感じられる。

 AO入試自体が悪いわけではない。ましてや、早めに、この記事のように5月に内定を出すことも悪いことではないと思う。確かに勉強しなくなるということも真だが、その後の時間を学生は有意義に使えるメリットもある。大学の勉強の予習をするかもしれない。しかし、記事によると、学生の動向云々ではなく、結局は学生確保、経営安定といった企業経営のためというのはいささか悲しい。もし、自分なら、そのような目的でAO入試を行っているであろう大学には、進んで入学することはないだろう。この判断は難しいが……

 全入時代だからこそ、大学のブランドに価値がおかれる。これからは、今まで以上に受験は激化するだろう。そして、間違いなく大学は二極化する。就職にも影響するでしょう。

Sunday, May 07, 2006

ノートからごみ出しまでを大学で教える

 ちょっと驚いたが、必修としてやることなのだろうかと思ってしまう。もっと他にやりたいことがある学生もいるはずである。

Yahoo!ニュース - 時事通信 - ノートからごみ出しまで=基本教える必修授業-金沢大、今年度から
 「教授が繰り返す部分は重要事項。しっかりメモして」-。ノートの取り方からごみの出し方まで、大学生活の基本を教える授業が、今年度から金沢大学(金沢市)で始まった。背景には、高校までの教育で大学で学ぶための基礎が身に付いていないという実態がある。
 授業は「大学・社会生活論」で、半期の必修科目。「勉学や生活にかかわる必要な基本事項を学び、自らの将来像を考える」ことが目標で、ノートやリポートの書き方、図書館の使い方、健康づくりなどを学ぶ。
 これもゆとり教育の弊害なのか、きっと、それ以前は小学校や中学校などの初等教育で行われていたことなのだろうが、それが大学で帳尻合わせをせねばいけぬ状態になってしまったのだろうか。

本屋のオヤジが気づいたこと

 このような試みが行われていることすら知らなかった自分にガッカリですが、現社会におけるひとつの問題提起にも一役買うのではと思う。

asahi.com: 「中学生はこれを読め」 書店主が推薦リスト、全国波及 - 教育
 札幌の本屋のオヤジは気がついた。「最近の中学生は本を読まないと言うが、うちには彼らのコーナーがなかった」。オヤジは500冊のお薦めをリストアップし、専用の棚を作って、こんなキャンペーンを始めた。「本屋のオヤジのおせっかい 中学生はこれを読め!」。それから1年半、おせっかいは全国に広がっている。
 本屋のオヤジの言葉に
「最近の中学生は本を読まないと言うが、うちには彼らのコーナーがなかった」
というのがあったが、これが現実だろう。Web進化論でも触れているが、書店には実空間に収めされるだけの本しかおけない。しかも、あまり売れない本をおくだけでは、在庫負債といった形になってしまうので、基本的にはどこの書店も似たり寄ったり、かつ、売れ筋の本をおくことになる。それじゃイカンと気が付いたオヤジに拍手を送りたいです。

 こういった試みは学校外だからこそ機能すると私は考えているので、できれば、学校教育には持ち込まないでもらいたい。なぜかというと、学校教育に吸収されてると、当初の目的が変わってしまって、まるきし機能しないことが多々あるという話を聞いたことがその根拠。具体的にどれとどれと言えないが、これは間違っていないという気がしている。

Friday, May 05, 2006

教員は人事権で縛られている

 現在、教員の人事を決めるのは都道府県と政令指定都市である。今回、政令指定都市ではないが、それと同程度の市町村には人事権を譲渡しましょうという話らしい。

小中教員の人事権、36中核市に移譲へ : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 文部科学省は2日、都道府県と政令市が持つ、公立小中学校の教職員の採用や懲戒処分などに関する人事権を、新たに中核市にも移譲する方針を固めた。

 市町村側に、人事権がないため地域の実情に応じた教職員の配置ができないとの不満が出ていたことに対応するものだ。地方教育行政法改正案など関連法案を遅くても来年の通常国会に提出し、2008年度からの施行を目指す方針だ。

 中核市は人口30万人以上で面積100平方キロ・メートル以上か、人口50万人以上が要件。現在、旭川、秋田、横須賀、金沢、浜松、東大阪、倉敷、鹿児島市など計36市ある。

 現行の公立小中学校の教職員の採用や異動、処分は、政令市については市が独自に行えるが、中核市と一般市町村については、都道府県が行っている。人事権を持たない中核市と一般市町村からは、「教諭の関心は(人事権を持つ)都道府県教委の方にあり、市町村の指導に従わない」などの声が上がっていた。

 中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)も、05年10月に当面、中核市をはじめとする一定の自治体に人事権を移譲するように答申していた。

 文科省の方針は、この答申に沿ったもので、一般市町村への人事権移譲は、財政基盤が脆弱(ぜいじゃく)な自治体が多いため見送る。ただ、中核市には県庁所在地などが多く、政令市に加え中核市も教員を独自採用することになれば、優秀な教員が政令市、中核市以外に回ってこなくなるとの懸念が一般市町村側にはある。

 今回の法改正では都道府県や中核市などに教職員の人事全般に関して一般市町村と連携する協議会の設置を義務づけることを検討している。

(2006年5月3日 読売新聞)
 教員としては異動範囲が狭まる(?)ので朗報なのかしら。まぁ、これはいいとして、次の一文が気になった。
人事権を持たない中核市と一般市町村からは、「教諭の関心は(人事権を持つ)都道府県教委の方にあり、市町村の指導に従わない」などの声が上がっていた。
 これは本当なのか?確かに一般企業で考えると、市町村の指示・指導は部レベルで、都道府県の指示・指導は事業部レベルの指示という感覚なのだろうか。それならば、分からないでもない。しかし、市町村の指導に従わないのが、どのような指導に従わないか分からないのでなんとも言えないが…… でも、トップダウンならば都道府県の指示・指導は市町村を経由して各学校・教員へ届くのではなかろうか。ということは、普通に考えれば、市町村の指示・指導は都道府県の了承を得てから発せられるはずじゃなかろうか?市町村の指示・指導は間接的には都道府県の指示・指導のはず…… なんじゃなかろうか…… どうも、合点いかない。

Monday, May 01, 2006

耳が痛いお話しかも……

 はてなダイアリーで展開されているZ会のブログに以下のような記事があった。素直になると耳が痛いお話。

Z会 はてなダイアリーver. - 高校生と変わらない意識じゃダメ!

 まず、「教員養成セミナー」を購読していない。立ち読みで済ませてしまう。やはり、投資しなければならないと思いながらも、躊躇する。「英語教育」は時々、気になる特集が組まれているときには購入している。その前にやることがあるのだが……

小学校の英語必修化 - 問題は教員

 「小学生が優先的に学ぶモノはなにか?」といった論調で、様々な意見がある小学校の英語必修化。しかし、問題は教える側にあるという内容の記事。

産経Web【教育を考える】
■小学校の英語必修化 教員確保も大きな課題 自治体、育成に動く

 中央教育審議会の外国語専門部会報告を受け、小学校での英語教育が本格実施へと動き出した。英語必修化に対しては「国語力や基礎学力を付けるのが先なのでは」といった否定的な意見もあるが、そもそも英語を教えることができる教員を確保できるかも大きな課題の一つと指摘される。各自治体は近い将来を見据え、研修や手引書を作成するなどして教員育成に乗り出している。(石田貴子)

≪研修は不可欠≫

 英語教育に熱心なことで知られる東京都文京区立誠之小。英語活動を担当する主任の三浦邦子教諭は、英語必修化への課題を「まずは教員研修」と話す。

 同校の場合、英語活動は三年生以上が年間三十五時間、一、二年生が十八時間。外国人の外国語指導助手(ALT)が約半分の時間を担当するが、それ以外は担任教員が行っている。

 三浦教諭は「研修の場を持たないとどう指導していいのか分からないし、教員が自信を持ち楽しく教えないとそれが児童に影響してしまう」と教員研修の重要性を強調する。

 同校では指導方法などについて年六、七回の研修を行うほか、新しく赴任してきた教員にはこれとは別に数度の研修を行っている。しかし、それでも「個人的に学校外でも勉強する人も多い。時間がない中、本当に苦労している」という。

 文部科学省によると、全国二万二千二百三十二公立小のうち、平成十七年度に英語活動を行った学校は93・6%。実施校は年々増加傾向だが、活動は九割以上が「学級担任」が担当している。小学校教員には英語の免許が必要なく、専門部会の報告でも「指導者、教材などの条件整備は不可欠」と指摘されている。

≪大学など協力≫

 こうした指摘を受け、英語必修化へ向けて教員育成に取り組む自治体も出始めた。

 荒川区は数年前から区が独自に作成した英語教育の指針に従い、年間八回の教員研修を実施。授業の進め方や教え方のノウハウを学ばせるほか、実際の授業ではALTのほかに大学講師や長期海外滞在者など英語教育に詳しい専門アドバイザーを派遣して教員をサポートさせている。

 区教委は「担任指導が中心となるので、教員育成は重要視している」とする。今後は授業運営のテクニックなどに加え、「話す」「聞く」など基本的な英語力をもっと身につけてもらうためにさらに研修に力を注ぐ考えだ。

 小平市でも津田塾大の協力を得て昨年から教材開発や指導方法について教員が学ぶ場を設けたほか、文京区も今年度から外部に委託した教員研修を義務付けた。

≪手引書を作成≫

 東京以外でも福岡市が三月、教員用の英語教育の手引書を作成した。手引書は約百十ページにわたり、授業の流れや年間計画、教材開発などを網羅。昨年、同市で英語教育を進めている百四十校のうちの十八校が公開授業を行ったところ、授業の進め方や内容について学校ごとのバラつきが目立ったことから手引書作成を決めた。

 同市教委は平成十五年ごろから国の動きに合わせて英語教育への支援を展開しており、「急では(教員育成が)間に合わない。今年度も、資料配布や研修を重ねたい」と話している。

                  ◇ 【用語解説】小学校の英語必修化

 中央教育審議会の外国語専門部会が3月、小学5年生から英語を必修化すべきだとの報告書をまとめた。授業時間数は5、6年生に週1回、年間で35時間程度。正規の教科のように成績評価はせずに、「総合的な学習の時間」で指導を行うよう提言している。文部科学省は今年度中にも学習指導要領を改訂して英語必修化を盛り込む方針で、早ければ4、5年後からスタートする。
 ごもっともなな内容で、何をどのように教えるのか、そこら辺はこれからの大きな課題。「ALTを導入して…云々」とあるが、ALTの質の問題はかなり深刻。そうなると、日本人が教えるしかない。そうなると教育がどうしても必要となる。要は教育行政のあり方が問われている問題だ。

 私立や一貫校などで最近、英語教育が盛んに行われているような報道がされているが、そんなことはなく、前から行っている。一貫校は創立までに、かなりの時間があるので綿密なプランを練る時間や適切な教員を採用する時間があった。つまり、ぱっとでのことではなく、綿密なプランが存在し、選ばれた教員により、時間をかけて授業計画を作っているはずなのである。そのような、綿密なプランのもと組まれた計画と対抗しなければならない公立小学校の英語必修化に追われる、行政と教員は……と思う。

横浜市は教員不足か?

 教員の年齢制限は各教育委員会でマチマチだ。既に、年齢制限がないところもあれば、30歳という場所もある。

asahi.com: 横浜市立校教員採用試験、年齢制限なくす - 教育
 横浜市教育委員会は4月20日、06年度に実施する市立学校の教員採用試験で、これまでの年齢制限をなくし60歳未満までとすると発表した。「団塊の世代」教師が06年度末から退職し始めるため、人材を確保するのが目的。子どもの減少で採用が少なかった35~45歳の教員を増やす狙いもあるという。

 これまで教員採用試験の受験資格は、一般選考と語学やスポーツで実績のある人を対象にした選考は35歳未満、教員経験者と社会人を対象にした選考はそれぞれ40歳、45歳未満だった。教職員人事課の宮下岡三課長は「若い人も必要だが、豊富な社会経験や実際に子育てをしたことのある人材も発掘したい」と話す。

 06年度は約850人を採用する予定。全国から受験者を募るため、今年から新たに札幌、広島の両市内のホテルでも説明会を実施する。
 横浜の場合は、2007年問題によるもので、団塊の世代の大量退職による補てん。それでも記事にある一言に、私は目が止まった。
子どもの減少で採用が少なかった35~45歳の教員を増やす
 ある意味素晴らしい考えだと思うが、既に就職して10~20年経った、元教員志望は戻ってくるだろうか?

 情報源はどこは忘れてしまったが、記事の内容はこんな感じ。
2000年の就職超氷河期の学生で正社員として就職できず、派遣で働き、キャリアアップなどとは無縁の人生になる恐れがある人が多い。しかし、昨年度はバブル期以上の求人倍率だったが、新卒や第二新卒にしか門戸は開かれていない。学生側にすれば、卒業年度で内定率に雲泥の差があるのは不公平で納得できない。就職氷河期時代の年代にも同じ条件でチャンスを与える必要があるのではないか。
という旨の記事があった。

 この記事を読んでいたので、あの一文が気になった。だが、少し時間が経ちすぎている気もしないでもない。とにかく、横浜は教員確保に躍起になっている。狙い目かもしれない。

Wednesday, April 26, 2006

教育実習生のための教案作成の基礎・基本

 教育実習事前指導から10日くらい経ちましたでしょうか?本日、私の元に教育実習許可書(?)なるものが届きました。既に、実習に行かれている方もいると思いますが、教案作成に関する心構えといいますか、ありがたいお言葉が英語教育ニュースにありましたのでご紹介。

教案作成の基礎・基本 英語教育エッセイ【英語教育ニュース】

 教育実習での懸念材料というと、教案作成ではないだろうか。事前指導のために教案らしきものを書いたが、まだまだ、不安は拭えない、というか、不安は大きくなった。かといって、このサイトに書いてあることが目新しいかといえば決してそうでもない。事前指導で高校で教鞭を振るっている先生にお話しいただいたものと基本は同じだ。ただひとつ気になる点があった。「3年間のゴールが見えていますか?」という件だ。

 「やっぱりかぁ…」というのが私の第一印象だ。これは教育実習生だけに向けられている言葉ではない。それはなぜか?基本的に教案というものは、何か大切な授業、例えば研究授業などの時しか作らないという。

 自分が学生の頃を振り返っても、3年間のゴールというか3年後の到達点を示された記憶がない。覚えていないだけかもしれない。だから、自分が教壇に立つときにはコレをしっかりと提示しようと「密かに」思っていた。

Tuesday, April 25, 2006

給食に薬物

 だいぶ驚きである。

中3女子生徒2人、担任の給食に薬物を混ぜる : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 栃木県那須烏山市の市立中学校で今月18日、3年女子生徒2人(いずれも14歳)が、担任の男性教諭の給食に薬物を混ぜ、これを食べた担任が体調を崩していたことが25日、わかった。

 県教委などによると、女子生徒2人は担任に不満を持っていたという。

 女子生徒2人は、別の同級生が携帯電話を使ったネット取引で入手した抗うつ剤「トリプタノール」5錠を計25円で購入。そのうち3錠をすりつぶし、担任の給食のなめこ汁に混ぜていた。担任教諭は体調を崩し、学校を2日間休んだ。

 県警は、薬物混入の経緯や入手方法について調べる。

 抗うつ剤は、副作用で目まいなどを起こすことがあるとされる。
 なんだか、いろいろな問題が内包されているような気がする。

Wednesday, April 19, 2006

小学校の教員採用で大学推薦

 神奈川県教育委員会が、2006年度に実施する小学校区分の教員採用選考に、全国初の大学推薦制を導入することを発表。県内の大学に限定することなく全国の大学が対象らしい。なかなか、画期的な試みです。 優秀な人材確保と、団塊世代の大量退職に備え教員を確保したいというのが目的か。(asahi.com:団塊世代引退へ大量補充 「先生」争奪戦激化)こういった試みは大抵は横浜がやるんですが、神奈川ですか、以外ですね。通教生も対象に入るのでしょうか?まぁ、日大は小学校教諭の免許状取得は不可なので関係ないですが、玉川は小学校教諭の免許状取得可能でしたよね。対象になるのでしょうか?興味あります。推薦枠は各大学1名となっているので難しいかもしれませんが、成績次第では、といったところでしょうか。

Tuesday, April 18, 2006

経産省が教育活動へ

 「理系離れ」といわれるようになり長いが、そんなにひどいのかと再確認するような行動です。

経産省も理科離れ対策 理系の人材授業へ派遣 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 経済産業省は来年度から、理科教育に意欲のある技術者や研究者を「モノ作り博士」として地域ごとに登録し、小中学校の理科の授業に派遣する人材バンク作りに乗り出すことを決めた。子供たちの理科離れを食い止め、日本の産業技術を支える人材を育成する狙いがある。

 ◆文科省とは別事業で

 バンクは都道府県ごとに一つ以上を設置。研修を経て「モノ作り博士」に認定したうえで、小中学校などの求めに応じて教育現場に送り込む。

 経産省はすでに、科学教育関係のNPOや理工系学生が起業したベンチャー企業、科学技術系の博物館など、人材バンクになりうる組織のリストアップに着手した。今年度中に数か所で試行したうえで、来年度から全国的に本格稼働させたい考えだ。来年度予算の概算要求には約10億円を盛り込み、バンク作りを財政支援する。謝礼を出すかどうかの判断は、各バンクに委ねる予定だ。経産省は当初、文部科学省の理科教育支援策の一部として、産業界の人材を学校現場に派遣しようとしていた。しかし、「自らは予算を取らず、他省の施策に口だけ出すつもりか」(文科省基盤政策課)と難色を示されたため、独自に事業展開することにした。
 やることは「でんじろう先生を増やそう」ってな感じでしょうか?

 しかし、記事にある文科省とは別でってのが、いかにもって感じでイヤです。「自らは予算を取らず、他省の施策に口だけ出すつもりか」って聴く耳は持ちましょうよ……

公立塾

 児童・生徒目線ばかりでなく、教員や教員志望者目線でも良さそうなモノに見える。

塾に通えぬ小中学生に無料の“公立塾” : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
文科省、来年度から教員OBらでスタート

 経済的理由などで塾に通えない子どもを支援するため、文部科学省は来年度から、退職した教員OBによる学習指導を全国でスタートさせる方針を固めた。

 通塾する子どもとの学力格差を解消するのが狙いで、放課後や土・日曜に国語や算数・数学などの補習授業を行う。来年以降、団塊世代の教員が相次ぎ定年を迎えることから、文科省では「経験豊富なベテラン教師たちに今一度、力を発揮してもらいたい」と話している。

 教員OBによる学習指導は、希望する小・中学生を対象に、放課後や土・日のほか、夏休みなどの長期休暇を利用し、小・中学校の教室や公民館、児童館などで行う。受講は無料とし、テキスト代などは参加者に負担してもらう方向で検討する。

 教員OBの確保は、講師希望者を事前登録する「人材バンク」のような制度の整備を目指しており、計画が固まり次第、各都道府県教委などに協力を呼びかける。講師への謝礼などについては、今後さらに協議する予定だ。

 文科省は、長崎市で2003年7月に起きた少年による男児誘拐殺人事件などを受け、地域住民と子どもたちが一緒に遊びやスポーツを楽しむ「地域子ども教室」を推進している。教員OBによる学習指導は、この事業を拡大する予定で、各都道府県を通じ、市区町村に運営費用を支援する。

 04年末に公表された経済協力開発機構(OECD)の国際学力調査結果では、「読解力」を中心に成績下位層の得点が下がり、上位層との格差が広がった。特に「数学」では、経済力などの家庭環境が整った子どもほど得点が高いという結果も出ており、専門家からは「学校週5日制などで授業時間が減る中、塾などに行かず、学校の授業だけに頼ってきた子どもほど影響を受けたのではないか」との指摘も出ていた。

 文科省の担当者は「進学塾のような受験対策を行うのではなく、あくまで授業以外にも勉強したい子どもに、教育の場を提供するのが目的」と説明している。

 文科省の05年調査によると、小4~小6の児童で塾に通っているのは約37%、中学生は約51%。また、昨年度に定年退職した公立小・中学校の教員は約6500人だが、来年からは戦後のベビーブーム時代に生まれた「団塊の世代」の教員の大量退職が始まり、08年度には約1万5000人に達すると見込まれている。

(2006年4月16日 読売新聞)
 今ひとつこの試みの真意がつかめないでいるが、私なりに咀嚼。

 ひとつは「ゆとり教育」の穴埋め機関という考え。ゆとり教育間の子どもたちの学力をデータを記事では引用しており、そこでは勉強環境の整った、つまり、塾や家庭教師など、学校以外にお金を使える経済的に裕福な家庭の子どもとの学力差が大きいといっている。その穴埋めのために公立塾としてフォローしましょうと聞こえる。まともな理由はひとつしかないかなぁ。

 講師には退職者を採用するとあるので、私的な考えとしては、先生の卵たちに訓練の場として、かつ、経験豊富な人たちに教えてもらう場としてもよいのではないかと考える。

Friday, April 14, 2006

東大の授業がPodcasting

 いいですね、こういう試みは。

asahi.com: 東大の授業、手のひらに iPodに無料配信 - 教育
 東京大学は12日から、一部の授業を米アップルコンピュータのデジタル携帯音楽プレーヤー「iPod」向けに無料で配信する。ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊・特別栄誉教授らの講義を動画付きで聴ける。通勤・通学時間などでも手軽に楽しめる形で授業を公開し、開かれた大学をアピールするとともに、授業の質を向上させる狙いがあるという。

 講義はアップルの音楽配信サービス「iTunes・ミュージック・ストア」を通じ、動画機能付きのiPodにダウンロードできる。東大のウェブページでも12日から見られるようにする。

 小柴教授や小宮山宏学長らが昨年10月から今年1月にかけて東大の1、2年生を対象に講義した「物質の科学」をまず配信する。1回分を20分程度に編集した。今後も、年2回開いている一般向けの公開講座など、配信を増やす方針という。

 東大は他大学とも連携して昨年5月からインターネットを通じて一部の講義の公開を始め、非営利なら教材として使うことも認めている。古田元夫副学長は「これまで授業は講師の聖域だったが、公開することでマンネリ化しがちな授業の質も高まると期待している」と話している。
 東大以外では稚内北星学園大学で同じようなことをしています。他でもやっているかもしれないけれど、私が確認しているのはこれだけ。稚内北星学園大学のは、特別講義だと思います。企業や他大学から講師を招いて講義をするもの。学生時代は楽しみにしていたのを覚えています。

Wednesday, April 12, 2006

EPGY - Education Program for Gifted Youth

 Stanford Universityが開発したエリート養成プログラムらしい。4/11付、読売新聞・朝刊の教育欄にあった。恥かしながら、EPGYの存在をはじめて知った。

Education Program for Gifted Youth

 記事ではインターナショナルスクールに通う姉妹と不登校児向けの適応指導教室に通う児童が取り上げられている。インターナショナルスクールに通う姉妹の方は、よくある話のひとつだが、適応指導教室に通う児童の話はなかなか聞かない。

 彼は学習能力が高い。すでに、高校レベルの数学をこのEPGYで学んでいるらしい。年長で英検準2級に合格、その頃、すでに数学は中3レベルの力があったという。親御さんの意向から公立小学校を選んだが、学校から「教えるための準備ができていない」と告げられたそうな。この「…ができていない」というのも、いかにも学校らしい答え方だと思った。
「あっ、じゃぁ、2学期には間に合いますか?」
と言いたくなる返事だ。
「あっ、いや、そうじゃないんです…」
という答えが返ってくるのは間違いないけど…。その後、適応指導教室に通うようになり、EPGYをはじめたそうな。

 確かに学校では、進度の遅い児童のための補習はあっても、進度の速い児童の飛び級などは想定されていない。私立は分からないが、飛び級にも年齢制限があったと記憶している。それはともかく、この記事中にある教師の言葉にいささかショックである。
「それはまだ習っていないから使ってはいけない」
この話は、そう遠い過去の話でないだろう。よくて1~2年、わるくて3年前くらいの話だろう。未だに、こんな発言を平気でする教師がいるのかと残念に思う。

 「できる子は放っておいてもできる」というのは度々耳にする。この記事では、コレに釘を打っている。そろそろ、機会平等を考えてもいいのではないかしら。私が小学生のときに、彼ほどのできる人ではないが冷遇されていた。なにひとつ変わっていない。

Sunday, April 09, 2006

岩手・八幡平市議を逮捕 違反重なり免停中

 個人的にタイムリーなのでチト驚いた……

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <無免許運転>岩手・八幡平市議を逮捕 違反重なり免停中
 無免許で乗用車を運転したとして岩手県警岩手署は9日、岩手県八幡平市石神、同市議、橋本修太郎容疑者(61)を道交法違反(無免許運転)の疑いで現行犯逮捕した。
 調べによると、橋本容疑者は9日午後4時40分ごろ、同市平舘の県道で免許停止期間中にもかかわらず乗用車を運転した疑い。橋本容疑者はスピード違反などを繰り返したとして2月6日から90日間の免許停止処分中だった。
 橋本容疑者はJR花輪線の踏み切りで一時停止しなかったところを警察官に見つかり停車を求められたが、脇道に入るなどその後も100メートルほど車を走らせた。停車後も親類の男性の名前をかたって自分の名前をなかなか名乗らなかったという。
 橋本容疑者は旧安代町議を経て、昨年9月1日に同町など3町村が合併した同市で在任特例により議員を務めている。【岸本桂司】
(毎日新聞) - 4月9日21時5分更新
 昨日、岩手県教職員コンプライアンス・マニュアルの記事を書いた。こんなんが多いから、必要なのかしら……

またまた小学校英語教育必修化について

 4/8付の読売新聞・朝刊の投書欄に小学校の英語必修化について寄せられた意見が載っていた。自分と同じ意見がふたつ投書されていたのでメモがてら…

 ひとつは、年齢と英語耳の関係。もうひとつは、発音と国際人として必要な知識・教養について。

 年齢と英語耳の関係は前にも「劇団ひとり」を例として記事で書いたように、幼少期に体得したものはそう簡単にはなくならないということ。1歳から6年間アメリカで生活していた子どもが、英語を学びだす中1まで6年間のブランクがあったのにも関わらず発音やイントネーションは問題ないと太鼓判をネイティブに押されたという体験談だ。

 もうひとつは、投稿者が受けた中学英語の質の低さを述べている。これは今現在でもそう違いはないと思うが、文法重視・発音軽視のことである。投稿者はアメリカで暮らした経験があるといっているのでアメリカの小学校での話となると思う。おそらく、アメリカの小学校では厳しく発音指導されたと推測される文章となっている。ESL話者に対してもっとも必要とされていることが発音だとも推測できる。

 そして、国際人としての知識と教養についても触れている。「自国をよく知る」ことは、おそらく投稿者の経験から導き出された結論だと思う。外国人として生活する上で円滑にコミュニケートするための必要最低限のものなのかもしれない。そして、多国籍国家で暮らした経験から他国の人に対する興味を反面教師的に自分が必要とされていることも「自国をよく知る」と感じたのかもしれない。

コンプライアンス

 Compliance - 経済用語で知られている言葉と思う。livedoorの事件のときにもさんざん出てきた言葉で「法令遵守」という意味で広く用いられている。もちろん今までも、コンプライアンス・マニュアルという言葉ではないにしろ、これに準じる教育は行われてきたと信じている。それなのになぜ今コンプライアンス・マニュアルなのだろうか?

KKSブログ: こどもたちに態度で見せろ 岩手県教職員コンプライアンス・マニュアル

 このマニュアルを全部読んだわけでないのでコメントしにくいが、チェックシートも一緒に配布されているようだ。さて、これは誰がチェックするのだろうか?教育委員会の人?学校の上司?自分?いろいろ考えられるが、結局は「身内の人間」がチェックするのではないだろうか?これでComplianceの精神を貫けるのか少々疑問である。

 教職員の不祥事をなくしたいと本気で思っているのなら第三者機関を作り、そこにチェックを依願するのがよいのではないか?本来ならば教育委員会が第三者機関なのかもしれないが、彼らには雇用に関する権限がある。それでは公正なチェックができないであろう。

 ISOのような品質保証が人間にも必要な時代なのだろう、と思うと下を向きたくなってくる。

Saturday, April 08, 2006

「小学生は国語力を磨け」、石原都知事が文科省を批判

 まだ朝日しか記事としてとりあげていないのが「らしいな」と思ってしまう。

asahi.com: 「小学生は国語力を磨け」、石原都知事が文科省を批判 - 教育
 小学生は、まずは十分な国語力を身につけよ。東京都の石原慎太郎知事は7日の記者会見で、「自分の国の言葉を完全にマスターしない人間が、外国の知識の何を吸収できるのか」などと話し、小学校段階での英語必修化の動きを批判した。

 石原知事は「若い人の国語力は低下している。人間の感性や情念を培うのは国語力だ」とも述べた。小学生時代、ドイツ人宣教師に英語を習っていたという自身の逸話を披露。「おやじに言われて習いに行ったが、何の効果もなかったね」と明かした。

 6日の首都大学東京の入学式でも、知事は新入生への祝辞の中で「日本で一番バカな役所の文部(科学)省が小学生から英語を教えるとか言っている。全くナンセンスだ」などと批判。

 これに対し、小坂文科相は7日午前の閣議後記者会見で、「日本語をしっかり勉強することが基本だが、柔軟な児童が英語に親しみ、英語教育に取り組むのは決して否定すべきことでない」と反論していた。
 おそらく明日の新聞各社はドンとある程度の紙面を割き掲載するだろう。

Friday, April 07, 2006

品川「4・3・2制」始動、区立の全校小中一貫に

 何気に注目している「4-3-2制」。今後の動向に注目です。

品川「4・3・2制」始動、区立の全校小中一貫に : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 東京都品川区で今年度から、区立の全小中学校で小中一貫教育が始まり、6日、各校で入学式や始業式が行われた。

■「中1ギャップ」解消狙い

 自治体内のすべての学校で、これだけ大規模に小中一貫教育に乗り出すのは全国で初めて。中学1年生が小学校時代との様々な“格差”に戸惑う「中1ギャップ」を解消するため、戦後の義務教育を支えてきた「6・3」制を「4・3・2」へと衣替えする大胆な試みだ。

 同区の小中一貫教育は、構造改革特区制度を活用するもので、区内40小学校、18中学校で一斉に始まる。

 中学入学後、授業についていけない子供が増え、不登校や問題行動も急増するというのが中1ギャップ。文部科学省によると、2004年度の不登校の子供の数は、小6の7652人に対し、中1では2万2974人に上っていた。

 そこで、品川区では、義務教育9年間のカリキュラムを「4・3・2」の3期間に分け、〈1〉基礎基本の定着を図る4年間〈2〉個性や能力を育(はぐく)む3年間〈3〉自分で課題を見つける力をつける2年間、と位置づける。

 そのうえで、これまで中学入学時に難度が上がっていた授業に溶け込みやすいよう、5年~9年(中3)では、算数・数学や国語などについて、習熟度別のクラス編制などによって授業を行う。また、1年(小1)から英語を始め、道徳と総合的な学習の時間などを合わせた「市民科」も設ける。

 小中一貫校として6日に開校した区立日野学園(品川区東五反田)の開校式には、1~9年までの557人と保護者らが出席。高橋久二区長が「小中一貫の象徴として開校を宣言します」と述べた後、小坂憲次・文部科学相も「小中連携を先駆ける大きな役割を持っている」などとあいさつした。

 同校では、1~9年生が同じ校舎で学ぶが、他の学校ではこれまで通り1~6年が小学校、7~9年が中学の校舎を使う。来年度以降、5組の小中学校が校舎を統合し、開校する予定。

 長女が日野学園に入学した母親(34)は「最新設備が整っており、教育課程も期待できそう。ただ新しい取り組みなので、不安もあります」。別の母親(40)は「区を挙げて取り組んでいるので期待している」と話した。

 同省によると、構造改革特区で小中一貫教育を実践中や予定中の自治体は全国に17ある。しかし、同区のように、すべての教科でカリキュラムを見直し、自治体内の全校で実施するケースはないという。

(2006年4月6日 読売新聞)

Thursday, April 06, 2006

小学校英語教育は「ゆとり教育」がいい

 ここ2,3日、TVや新聞なんかでよく目にするようになった。中教審が審議内容のまとめを発表したからだ。先ほどNHKの23:30からのニュースで批評があり、その中でひとつ興味深い言葉があった。
「中学生より、小学生のほうが生き生きと授業に関わってくれる」
 これは沖縄で小学生に英語を教えた中学の教諭が取材の際に発した言葉らしい。キャスターの解釈では「中学生は英語学習のモチベーションが低い」とあった。これは結構、重要な言葉ではないだろうか。

 基本的に、小学校の英語は教科でない。児童にとっては遊び感覚であるという大前提がある。つまり、教科としての英語がつまらないという、単純明快な事実があるということでないだろうか。教科としての英語がつまらないということは、授業内容がつまらないのかどうかは分からない。ただ単に、椅子に座って一斉教授を受けることに抵抗があるのかもしれない。私は、これが一番の原因だと思っている。

 もちろん、このようなことが「しつけ」につながり、これも教育の一環だという意見があるだろうが、「しつけ」と「教育」を同時進行できるものとは思っていない。「しつけ」が整った人間の上に「教育」するというのが理想だ。そうしないと「自由」に教えることもできないからだ。だから、同時進行できるわけもない。と、考えている。

 小学校英語教育では、おそらくRPG形式が主だろう。そこには机もなく、教科書もなく、椅子にも座らなくてもよい。英語が面白いかどうかは二の次で、その環境が楽しいのではないかと思う。だから、英語の時間には積極的に参加しているように「みえる」のではないかと考える。

 環境が学習態度を変えるというのは広く知られていると思う。フリースクールなどがその典型だろう。塾もそうか。

 それと、先生の態度差も児童は感じているのではないだろうか。小学校英語は教科でないので成績をつけない。成績をつけないということは評価のためのチェックがない。つまり、必ず覚えなければいけないといったノルマがない。教科となると教員は最低限、これだけは「全員」に理解させなければならないといった、使命がある。このある種の「殺気」がないのが小学校英語の特徴でないか。児童もここら辺は理解しているはずで、そのおかげで失敗も恐れず、勇敢になれるのではないかと思う。

 そんで、この効果を求めたのが「ゆとり教育」のコアだった。今、歪曲された「ゆとり教育」は淘汰されようとしている。歪曲された「ゆとり教育」でも各学期で中間と期末テストがあり、到達レベルを評価された。別に内容を薄くすることはなかったのだ。そもそも、そのようなことは現状を容易にイメージできたはずなのに…

 話が逸れたが、小学校で英語の時間に積極的に参加しているのは教科でないからである。つまり、小学校英語教育が必須となり、ましてや教科となると、結果としては今までと変わりがないといった悲惨な状況になると考える。

 ぐんま国際アカデミーは英語イマージョンで有名だが、今日のニュースで入学式の様子が放送されていた。なかなか流暢な英語を児童たちは話す。おそらく低学年では教科として英語を行っていないはずだ(確認したわけでない)。これはある種の英語の「ゆとり教育」の成功例ではないだろうかと、私は思う。

Wednesday, April 05, 2006

教育現場でもっと理解を 発達障害のアンケート

 「対応が難しい」と聴く、おそらくトップがこれ。

教育現場でもっと理解を 発達障害のアンケート | Excite エキサイト : ニュース
 注意欠陥多動性障害(ADHD)に悩む人を対象に、特定非営利活動法人(NPO法人)がアンケートを実施した結果、大半の人が「学校に通うのがつらかった」と回答したことが5日、分かった。NPO法人は「親だけでなく、教育現場でも症状についてもっと理解してほしい」と話している。
 発達障害者支援法の施行から1年が経過したのを機に、ADHDへの理解を深めてもらおうと、NPO法人「大人のADD(注意欠陥障害)&ADHDの会」が会員ら205人から、子供のころに学校で感じた思いなどについて調査した。民間では初の試み。(共同通信)
 私が学生の頃にもおそらくはいたと思うが、その当時はADHDなんて言葉はなかった。大抵は「根性論」で済まされていたと思う。きっと、その「根性論」が今、問題なのだろう。

 でも、現場の対応は難しいと思う。きっと何もできないのがリアルではないだろうか。

無免許教員:授業無効で生徒150人が再履修 三重の高校

 こういうことって可能なんですね。驚きです。

無免許教員:授業無効で生徒150人が再履修 三重の高校-教育:MSN毎日インタラクティブ
 三重県伊勢市河崎の八木学園高校(八木明子校長)で、2年半にわたり数学と家庭科の教科免許を持たない2人の教員が授業をしていたことが5日、分かった。同県青少年・私学室には架空の名前を報告しており、担当者は虚偽の申請を見抜けなかったという。

 同校によると、問題の授業が行われたのは03年4月から05年8月まで。数学を教えていたのは理科の免許だけを持つ50代の男性教員で、家庭科を担当したのは福祉科の免許しかない30代の女性教員。男性は在職中で、女性は既に辞職した。

 この2人の授業を受けた1~3年の生徒150人の数学と家庭科の単位は無効となったため、同校は新たに教員を採用して授業をし直し、昨年12月までに単位を修得させたという。

 八木校長は「問題の教員は免許があると信じて採用した。多方面に迷惑をかけて申し訳ない。今後このようなことがあってはならないと痛切に感じている」と話している。【加藤新市】

毎日新聞 2006年4月5日 14時50分
 しかし、卒業生で彼らの授業を受け、大学にいる人たちなんかはいるのかしら?もしそのような卒業生がいた場合、どのような対応をとるのかしら?

Tuesday, April 04, 2006

30~40代パパを狙え!…教育誌の出版相次ぐ

 自分の年齢や環境により、教育に関心を抱くようになった。記事の中にも出てきている「プレジデントFamily」は半分は興味本位で読んだ。

30~40代パパを狙え!…教育誌の出版相次ぐ : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 30~40歳代で、幼稚園児や小学生を持つ父母を対象にした雑誌の出版が相次ぎ、注目を集めている。

 この1年間、東京の大手出版社など4社が別冊として発売したところいずれも好評で、うち2誌が月刊誌として独立、1誌も7月からの月刊化を決めた。従来の育児、家庭誌と異なるのは、父親を意識した誌面作りをしている点。背景には子育てや子供の教育に関心を持つ父親の増加がありそうだ。

 4誌は130~160ページで、定価550~680円。最新号の発行部数は計50万部を超す。

 日経ホーム出版社(東京・港区)は昨年3月、「日経Kids+」を出版。4~9歳の子供がいる30歳代の父母が対象だ。「パパも主役」と位置づけ、子供と一緒に生活を楽しむ雑誌として、10月から月刊誌になった。

 尾島和雄編集長は「常に子供と向き合い、子育てが仕事になっている母親に代わり、父親が週末、公園の主役になっている。子供のころ持てなかったラジコンカーや望遠鏡を妻に買ってもらい、昔の夢をかなえてもいる」と、最近の父親像を語る。

 ビジネス誌を発行するプレジデント社(千代田区)も参入した。現役東大生と親を紹介する特集記事などを盛り込んだ「プレジデントFamily」を昨年11月に出版したところ、3日間で13万部が売り切れ、9万部を増刷。読者は40歳代前半の男性で、小学校高学年の児童を抱え、進学への関心も高い。

 3月発売の第2号は25万部を刷り、月刊化の準備を進める。鈴木勝彦編集長は「父親の目線で家庭の問題すべてを考える」と編集方針を説明。最近では、入学式や塾の説明会に出席する父親が増え、教育現場からは「父親の目が一層向くようになった」と、新雑誌出版に歓迎の声が上がっているという。

 教育評論家の尾木直樹さんは、「子育てを楽しむという視点が読者を引きつけている一方で、学歴社会の勝ち組にあこがれ、その価値観や教育観を読みたい人が雑誌を買っているのではないか」と分析。プロデューサーの残間里江子さんは出版界の動向について、「女性誌の細分化が行き着くところまで行き、今度は、家庭志向の父親と男性読者を絞り込んでいる」とみている。

(2006年4月3日 読売新聞)
 この手の特集は前々からあるのかと思っていたがそうではないらしい。しかし、プレジデントがこのような父親の教育観を刺激するような特集を組むことに、驚きと希望を感じた。まぁ、ドラゴン桜や女王の教室のヒットの影響だろう。

 「プレジデントFamily」の内容は「下流社会」と重なるので、コレを読んでもよいかと思う。

Thursday, March 30, 2006

学習技法としてのペアプログラミング

 一昔前に非常にはやった「仕事のしかた」である。ペアプログラミングという言葉より「XP」という言葉の方が理解し易い方も多いはず。KSSブログの記事にも書いてあるように作業効率もさることながら、スキルの共有や、進捗状況の共有などプロジェクトとして成長していくために必要な教育やノウハウ、問題解決などを特別にミーティングなどを開かずとも必然的に伝える機会が増えるので、風通しのよい「仕事流儀」として注目された。

KKSブログ: 学習技法としてのペアプログラミング

 KSSブログではペアプログラミングは「作業者間のノウハウが共有され、スキル向上につながる」ということをポイントとしておいており、学習技術としてペアプログラミングを導入することで相乗関係的なスキルアップが望めると言っているように聞こえるが、よく読んでいくとそうでない。

 KSSブログがポイントとして注目している「作業者間のノウハウが共有され、スキル向上につながる」ということを期待効果としてはおまけみたいなもので、コーディング現場ならば、主幹はProductsとModuleの関係理解だ。つまり、仕様の理解、特にI/Oまわりになる。

 学習に置き換えると、「なにを学んでいるのか?」と「つまづいたポイントはどこか?」といったことだろうか。KSSブログの言葉だと
参加者全員に全体像やフォーカスするポイントが見えるようになり、先が読めるようになる。先が読めるようになれば、頭の対応はスムーズに行なわれ、いらない混乱は少なくなる。
と言ったことだろう。

 KSSブログでは子どもの学習技法として書かれているが、教員がやるべき技法だと考える。というか、教員は、このようなペアプログラミングの本質にマッチするような職場にいるので、伝統的に、無意識に本質的な部分は行っているはずだ。ただ、それが当たり前過ぎて、特別なものと感じていなかったのだろう。ペアプログラミングやXPといった考え方も、簡単に理解できるはずで、その効果も想定できるのではないか?

Wednesday, March 29, 2006

1年経ても「力不足」教諭 研修延長(秋田)

 ふたつ考えられる。一年間、研修だけに時間を費やしたのにもかかわらず指導力不足と判断されたことは、教諭そのものに問題がある。もうひとつは、研修の内容、もしくは審査方法に問題がある。どちらが原因だろうか?

1年経ても「力不足」教諭 研修延長(秋田) : 学校運営 : 地域ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 2004年度に指導力不足教員と認定され、1年間の研修を受けてきた県立高校の40代男性教諭に対し、県教委は、新年度も期間を延長して研修を行うことを決めた。

 教諭は05年4月から、県総合教育センターで研修を受け、期間中の同年6、11月、06年2月には各1週間、所属校での模擬授業も行った。

 県教委は3月の認定審査会で、学習指導や生徒指導、学級経営などで、学校現場への復帰が可能かどうか検討したが、「まだ十分ではないと総合的に判断した」として研修の延長を決定。延長期間については、規定に基づき、3~12か月としている。

 教諭本人には今月20日、研修の延長を通知したが、教諭は「進退について考えたい」と答え、態度を保留しているという。

 05年度に申請があった県立高校3人、義務教育学校1人の計4人の教諭についても、県教委は3月、指導力不足教員と認定し、4月から研修を行う予定。

(2006年3月28日 読売新聞)
 普通に考えれば、「教諭そのものに問題がある」だろう。しかし、辞めさせられないから辞めてもらうための処置とも、ひねくれた見方をすれば解釈もできる。そして、研修する側の県教委は、明確に問題点を指摘し、それを改善させるための研修プログラムを提供しているのだろうかと疑問にも思う。「指導力不足は総合的に判断した」とあるが各ポイントがあるはずだ。そのポイントごとに「何が足りないのか」「何が不足しているのか」といった理由を述べているのか、そもそも、研修がはじまる前にそのポイントごとの合格点を明確にし、指導したのかどうかといった、県教委側の問題も考えなければならない。

 如何せん、1年も研修を受けて、それでも求める基準に満たないというのは異常だ。ハードルが高いのか、教諭の能力不足か、私には判断できないが、思うに、この再教育プログラムは最低レベルに満たない教諭の再教育だと理解している。故に、少なくとも最低レベルに「引き上げる」ことが一番の目的かなと思う。再教育を受けても、その最低レベルにも満たない教諭が10年以上も野放しにされていたことに驚かざるを得ない。

Tuesday, March 28, 2006

小学校高学年で平均週1回の英語教育を提言

 中教審により、小学校高学年での英語教育が実施されることが事実上明確になった。まだ「教科」としてはいかがなものかと議論される。縦の連携として「高学年は、中学校との円滑な接続を図る観点から、年間35時間(週1回)程度で共通の教育内容を設定することを検討する必要がある」(asahi.com)と提言がある。これは当然のことなのだが、あくまで「中学英語は現行のままで」という方針だ。これには首を捻らないといけないと思う。

 義務教育で実質5年、英語の時間が確保されるのだ。中学英語はかなり窮屈でタイトな時間配分だという印象を受ける。そして、今までの経験からも「脱落者」が多いので、これを撲滅させるための工夫を考えるよい材料が提供されたと思う。私自身、脱落者が多い理由としては復習の時間の不足と考えている。要は次から次へやるべきことが津波のように襲ってくる状態で、うまく波に乗れた人にしか制限時間内にゴールにたどり着けないような、過酷なレース。失敗したら確実にリタイヤという厳しい状況だ。

 これを書きながらふと思ったことがある。本当に「小さいうちから国語教育をしなければならないか」ということだ。日本語だけを考えたときに、帰国子女が日本で義務教育を受けた子どもと比べて劣っているのかと考えた場合、一概にそうとは言えないなと思った。もちろん戻ってきた年齢にも依存している。ひとり私がよい例だと考えている人に「劇団ひとり」がいる。

 彼は幼少期に英語圏で生活をしていた。確か5年くらいだと記憶している。その後、帰国し、小中の義務教育を受け、高校へ進学している。彼は最近、小説を書いた。それがえらい評判で賞をとってもおかしくないと評価されている。この評価は芸能人が書いたものだからというわけではない。つまり日本語においては人より秀でたものを持っているといっても言い過ぎではないと思う。もちろん、構想力やら他の文章の才、帰国後の彼の努力は加味せねばならないが。

 そして、彼の英語力はいかがなものかというと、自称だが、日常会話程度ということらしい。つまり、英語圏で生活していたときに身につけた英語を持続していると考えられる。私は「日常会話」というのは日本人が日本で英語の勉強をするにあたりかなりレベルの高いことだと考えている。正直、学会などで話す英語の方がよっぽど簡単だと思っている。これは結構多くの人から聞いたり、本で書いてあったりすることである。つまり、帰国する時期が早ければ難しいと考えられている日常会話のスキルを持続しながらも、日本語においても人並み以上のものを獲得できる猶予もある。

 サンプルが「劇団ひとり」しかいなので説得力はゼロだが、一つの可能性を考えることができる。それは、小学校を4~5年間にし、そこをインターナショナルスクールのようにすることだ。国語や音楽などは日本語OKだが、その他のことは全て外国語で行うのである。中学も4~5年とし、今度は英語の時間以外、日本語で行う。

 まぁ、現実味はゼロだが、そんなことを考えてみた。中教審が掲げる「グローバルに活躍するための英語」は、未だに幅を持った受取り方ができる。弾力化が進む中でこのような考えがないこともない。ましてや「コレが正解」というものもないはずなのである。

Friday, March 24, 2006

スクエニと学研、教育用ゲーム開発へ新会社

 ちょっと遅いかなと個人的には思いますが、巨人・スクエニが動きましたね。

asahi.com: スクエニと学研、教育用ゲーム開発へ新会社 - 教育
 コンピューターゲーム大手のスクウェア・エニックスと教育出版大手の学習研究社は22日、教育や啓蒙(けいもう)活動向けのゲームを開発する新会社を共同出資で設立すると発表した。学校や企業の社員教育、政府機関のPRなどの需要を見込み、初年度の売り上げは10億円を目指す。

 新会社名は「SGラボ」で、5月1日設立。出資はスクウェア・エニックス6割、学研4割。ゲーム感覚で操作していると、自然に知識が深まったり、技術の向上に役立ったりする仕立てのコンピューターソフトを開発する。当面は受注制をとる。

 米国では肥満対策として子供がカロリーや栄養の摂取量を計算するゲームや、消防士や介護スタッフ向けの技術訓練ゲームなどが登場している。国連世界食糧計画は昨年、食糧援助活動を知ってもらうゲームを開発した。

 記者会見したスクウェア・エニックスの和田洋一社長は「潜在的な国内の市場規模は1兆円以上にのぼる」と述べた。
 一歩先行く任天堂と、どのような差別化を図るのかも楽しみです。PSPかしらね。

宮城の教員5人を東京都に派遣

 なにやら、面白そうな試みですね。

県の教員5人を東京都に派遣、4月から(宮城) : 教育行政 : 地域ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 県教委は、4月から東京都に教員を5人派遣する。指導力向上のため県外の教育現場で経験を積ませる方針だ。東京都教委は団塊世代の一斉退職による教員不足の解消を目指しており、両教委の思惑が一致したことで派遣が実現した。

 県教委は2000年から岐阜、広島、福島の各県に教員を1~3人ずつ派遣してきた。県教委担当者は「他県の先進的なカリキュラムや進学校の特徴的な指導方法などを学ぶことができ、効果が高い」と語る。

 東京都への派遣教員を県内で公募したところ、16人が手を挙げた。このうち、高校の英語、社会、保健体育の教員3人と小学校教員2人の計5人を派遣することに決定した。5人は、おおむね3年間、東京都内の公立高校や小学校に勤務する。

 一方、受け入れる都教委は、団塊世代の退職が始まることから、教員不足の解消が課題となっている。今後10年間では毎年2000人ずつ退職していく見通しだ。新規採用を増やしてはいるが、「大量に採用すると競争率が低くなり、質が低下する。中堅クラスの職員も少なくなって教員年齢のバランスが悪くなってしまう」(都教委人事部)という。

 このため即戦力の人材確保に努めており、今回、初めて県教委の教員派遣の要請にも応じたのもこうした理由からだ。さらに都教委は、東北地方の人材を直接採用することも目指しており、4月22日には仙台市民会館で07年度採用選考説明会を開く。2004年に続き2回目で「東北各県の現役の教員や教員経験者にも積極的に参加してほしい」としている。

(2006年3月22日 読売新聞)
 記事の核心は「人数あわせ」という感じですが、地域差というものを感じ取るよい機会が与えられたかなと私は思っています。都立高や区立小では、あまりそれを感じることはないと思いますが、問題視されている事柄のギャップを感じるのではないだろうか。