Thursday, April 26, 2007

「超」英語法

 賛否両論、どちらかといえばアンチが多いか?

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 著者や私が学校で受けた授業は「読み」中心の授業であった。しかし、成長しビジネスマンになったころには「話す」、「聞く」といったコミュニケーション力が急速に求められるようになり、強い失望感を抱いている。「読み」中心で授業を受けてきた私達はどのような勉強をすればよいのかと思い、この本を手にした。

 この本を選んだ理由は、
  • 著者も私と同じく「読み」中心の教育を受けたこと
  • 「話す」ではなく「聞く」を重要視していること
 実用英語としては「聞く」コトが全てのベースになるということは、私も感じていたことだが、ガツンといわれると自信がもてるものだ。つまり、「聞く」コトを核として英語の勉強をすればよいことになる。そして、到達点の設定も分かり易く区分している。専門的、正式、非正式と区分している。この本で到達目標としているのは正式である。正式を選んでいる理由は本に書かれている。著者も私も似たような経験をしているので、万人に通ずることと思う。

 では、「聞く」勉強法はどのようにすればよいのかというと、この本では、英語のルールを知る必要があると書いてある。

 日本語でも読み仮名と音がずれることがある(例:雰囲気 → ふいんき)が、英語はこれのオンパレードだということを理解する必要があると。子音の消失、変形、連結のルールを覚えれば、かなり聞けるようになるという。

 そして、強弱、抑揚、スピード、間の取り方などを理解するとあるが、これについては詳しく触れられていないので物足りない感じがした。間の取り方は、昔、句読法を習ったときに教わった記憶がある。確か、「関係代名詞を使ったとき「,」の位置で意味が変わってしまう。口頭では注意が必要である。」みたいな感じ。テストには出ないので聞き流していた。少し、損した気がした。

 最後に、話されている内容を知らないと理解が難しいとあった。これには激しく同意する。読むときもそうであるが、自分が知らない内容は理解できない。日本語でも同じコトを経験しているだろう。読める、聞けるけれど内容は理解できない。日本語だと、これをあまり意識しないが、英語になると「やっぱり英語は難しい」と問題点が語学力すりかえられてしまう。これは、かなり盲点的な事柄のようだ。

 さてさて、読んで気になった点をダラダラと書いてきたが本書は、「読み」中心の学校教育を受けてきて、コミュニケーション・ツールとしての英語をどう身に付けていくかと考えている人には、かなり有益だと感じた。「釣り名人が、お腹を減らしている子どもに、魚を釣って与えるのではなく、魚の釣り方を教える」、そんな本。

 最近、以下のサイトで『「超」勉強法』が勧められていたので読もうと思ったが、そういえば、野口氏の本は読んでいたなぁと思い出し、他のブログからこの記事を移植。

わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 東大教師が新入生にすすめる100冊

Wednesday, April 25, 2007

英会話の科学

 Newsweek 2007/4.25号に「英会話の科学」という記事があった。巷に漂う「常識」を、もう一度、確認してみましょうというものだ。臨界期や右脳、英語脳、英語耳等を脳科学、心理学、言語学の専門家の意見で解説している。

 最後は、「メタ認知方略」の重要性で結ばれていた。studyのなかにどうやってstudioseを宿らせるか、教師や親の役割を果たすことが、結果的に外国語学習の成果をあげる。

Monday, April 23, 2007

星の王子さま

 私はキツネが好きです。

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 恥かしながら初見である。少し前に、わんさか『星の王子さま』が出ていたのを思い出して読んでみた。読んだのは岩波少年文庫の改訂版だ。とりあえず王道をと思った。個人的には、倉橋由美子氏翻訳のモノも読んでみたい。

 正直なところ、よく分からない。何度も何度も読まなければいけない。小学校5、6年以上が対象となっているのだが、私だったら泡吹く。というか、小学生にどういったアウトプットを期待しているのか知りたい。

 小学生時分に、これを読み、感想文を書けといわれても、絶対に書けない。大人が読むものというのも納得した。まぁ、それでも「王様がきらい」とか「王子さまが死んで悲しかった」とかくらいは書けそうだ。確実に「よい点」はもらえそうにない……

 子供時分に読んでおり、大人になり再読するとまったく違った「おはなし」になるだろう。私にはそれを味わえないのが残念だ。わがままなバラや頼りない権力者に「ある、ある」と失笑し、いつでも蛇はキーポイントだなと肯き、私を大人にしてくれたキツネをきっと愛するだろう。

 しかし、挿絵がうつくしい。そして、『星の王子さま』という邦題もためいきが出るほどうつくしい。

Tuesday, April 17, 2007

入門!論理学

 いやはや、頭がチリチリする内容の本なのだが、読み易さにおどろく。

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 これを読んで思い出しのが論理数学だ。「ド・モルガン?聞いたことあるなぁ……」というくらいサビ付いていたが、読んでいるうちに、当時の悶々としていた気持ちだけが蘇ってきた。

 なにに悶々としていたのかというと、本書のコアでもある命題論理そのものだ。命題論理を解くための道具は、それほど修得が困難というわけではない。本書にもあるが、一つひとつは当たり前すぎてありがたみが全くナイ。しかし、問題を解くとしっくりこない。

 それは、しくっりこなかった解が正解であったり、自信満々の解が不正解だったことが多々あったからだ。畳み掛けるようにしっくりこなかった。本書を読んでいても、しっくりこない部分が散見されたが、その度に「おお、そうだ、余計なことは考えちゃイカン」と己に言い聞かせていた。

 論理力の第一歩は、語外の解釈を捨てることだ。わかっちゃいるが、いざというときにはテンでダメだ。文章だと、どうしても引きずられてしまう。まぁ、行間を読んだり、コトバの裏を読む、国語教育を受けてきた賜物だと思う。ある意味、成功でしょう。

 本書は数式がないことを売りにしているようだが、個人的には数式も載せてもらいたかった。解説主体の話だと、具体のなかにいきなり抽象表現が出現して混乱する。それに、数式だと全体をパッと把握できるので、本書のような話し言葉の説明ならば、理解の手助けになると感じた。

 図書館から借りてきが、おそらく購入する。久しぶりのじっくりと読みたい本だった。

Monday, April 16, 2007

脳と音読

 古典回帰。最近、音読やら素読やらが効果的な学習方法として注目されつつある。本書は、それを脳科学の視点から覗き込み、「脳にやさしい教育」を考える。

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 外国語教育に関心があるので、そこをメインに。本書ではマルチンガルを2つに分けている。臨界期に複数言語を獲得した人と臨界期後に複数言語を獲得した人としている。両者では脳の働きが異なるようだ。そのような理由から区別したのだろう。臨界期後の外国語修得に、「脳にやさしい教育」が効率的かどうか議論が分かれるところだ。

 「脳にやさしい教育」とは、脳が理解する過程に沿った学習方法で学ぶということ。苦痛に感じることでも、それが「脳にやさしい教育」ということもある。非常に興味のあることではあるが、本書で記されている外国語学習法は、現在は敬遠されている方法である。効率的でないという理由で、学校では行われていない。

 外国語にかかわらず、教育界では教授法は常にブラッシュアップがなされている。そして、さまざまな学習法ができ、実践されている。それゆえに、学習者は混乱している。そういう私もふりまわされているひとりだ。ぶっきらぼうな言い方だが、どの学習法でも効果はある。好き嫌いだけだ。どの学習法でも続けることに意味がある。

 しかし、SELHiで素読が授業に取り入れられた。素読の効用は、まだ科学的な根拠を得ていないが、古くからの外国語修得方法として成果が出ているのは事実だ。「ほんとうに科学的な裏づけが必要なのか?」微妙なところではある。本書には、素読をしているときに「楽しさ」を感じるということばがあった。快・不快は「脳にやさしい教育」とは一切、関係ない。しかし、「楽しさ」は継続の糧だ。

Wednesday, April 11, 2007

数に強くなる

 ようやく読めた。コイツはいつも図書館にいない。あいかわらず、歯切れのよい文章がならんでいる。

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 前書の「直観」シリーズとかぶるところが多いのでざっと流し読み。数(かず)を体感的につかむというコアにズレはない。個人的に音に関する部分にひっかかった。

 筆者のように、Cの和音がピタゴラスの定理だとか、オクターブが対数で表せるなどとは考えたことはないが、コードを理解する際には、論理的に覚えた記憶がある。ルート音に3度、5度の音を加えるのがメジャーだとか、7thやadd9はルート音の隣を押さえるだとか、sus4はルート音に対して3度の音を半音上げるだとかと覚えていた。これが実際に役立ったかどうかはわからない。結局、コードは実際に演奏したい曲を練習しながら体得してきたからだ。そして、コードそのものを覚えているのは手だ。sus4はルート音に対して3度の音を半音上げると書いたが、実際は中指の音を半音上げると覚えている。ギターだとこれはより顕著。しかし、7thやsus4、m7-5の響き具合はわかる。それなりにスコアを再現できるので、最低限のことは事足りている。

 本書とは関係ないことがズラズラ続いたが、数を体得することは、単位を明確にイメージできることにつながると考える。小学生が苦手なのは単位だ。それを引きずり、中学になっても単位をイメージできないのが数学嫌いの根底にあると思う。物理、化学は単位との戦いになる。しかし、単位を見れば計算過程が見えてくる。抽象が具体的になるのは単位の理解に他ならないと考える。

 前書でも述べていたがそろばんは、私も推奨したい。自分はそろばんを扱えないから憧れの気持ちもある。

 勉強不足だったのは、アメリカとイギリスではbillionとtrillionの指す数が違うこと。知らんかった。3桁刻みで数えているのは知っていたのでそれでやり過ごしていた。今まで大きな失敗がなかったし、というか、使ったことすらないので…… やはりきちんと調べねばいけぬ。

Monday, April 09, 2007

組織を強くする技術の伝え方

 当たり前といっちゃぁ当たり前なのコトのオンパレードなのだが、自分自身の行いを振り返ると考えさせられることが多い。

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 書評については以下のサイトを見てもらいたい。私はこの書評を見て本書を手にした。これ以上のことを書けないし、これ以外のことも書けない。

404 Blog Not Found:書評 - 技術の伝え方

「英文法」を疑う―ゼロから考える単語のしくみ

 英語は「モノ」的、日本語は「コト」的。これが英語と日本語の相性の悪さの原因とし、独自の英文法解釈を展開をしている。

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 完了形の理解の仕方は、私も同じようにしていた。完了・継続・経験・結果などという分類は最近知った。進行形も同じ理解の仕方だ。なので、時間軸で考えると手こずる。しかし、理解のひとつとしては有益だ。とにかく、自分のなかで腑に落ちることが大切だ。

 「動詞や前置詞はコアとなるモノを理解するとよい」という考えはすでに市民権を得ている。むしろ、英語を理解するにはそれしかないといったような感さえある。私も異論はないが、どの程度までの拡大解釈なら許されるのかという範疇の問題と、イメージの発着が「英語話者のそれと、日本語話者のそれと同じなのか」という問題があると思う。言語間の差が大きいのなら、その発想もかけ離れてたものになると考えるのではなかろうか。そんなことを考えてしまった。しかしそれでも、takeはtakeでしかないし、asはasでしかないというのは同感だ。

Thursday, April 05, 2007

音読・暗写をスーパーで

 スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクールで音読・暗写で英語力が向上しているという記事が読売新聞・朝刊にあった。『スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール』相変わらず恥ずかしいネーミングだなぁ……

北海道函館中部高校、英語授業に古風な学習法 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 記事には多読もやると書いてある。このような古典的な学習法が新聞で取上げられ、かつ、成果がでていると報道されれば、各学校では動きやすくなるのでいい傾向だ。保護者は「なぜうちの学校ではやらないのだ」と抗議するべきだ。ただ、この学習法は飽きるんだよね。それをどう克服するかが課題だと思う。しかし「万人に成果がでるよ」ということならば、強力なモチベーションにはなるか。

 一体、どのようなカリキュラムなのか調べてみよう。定期テストもどのようにしているのか興味ある。

日産を甦らせた英語

 本書はビジネス英語指南書であり、日産どうたらこうたらは期待しないほうがよい。

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 なんでこんなタイトルをつけたのだろうか?という思いがどうしても先行してしまう。それほど内容とは無関係なタイトルだ。私の読みがおかしいのか?まぁ、それはよい。

 ビジネスパーソンに対する英語指南書としては1級品だと思う。言葉使いがうまい。学校英語の再利用とそれからの脱出をうまく導いてくれる。悩みの種である勉強法についても、力強く引っ張っていってくれる。それは企業研修を生業としているだけあって素晴らしいモノがある。

 ジレンマとしてあった、精度とスピードはスピードを優先すべきであろう。ビジネスにおける英語では相手によりけりであるが、精度に関してはビックワードを使うことにより回避できることが多い。なので、助動詞が心情を深めることや時制、特に完了形の基本的な感覚を抑えておけば大きく食い違うことは少ないはずだ。発音に関しても、本書のような指摘をしてくれると安心するだろう。しかし、それは事実で思わず膝を打った。

Monday, April 02, 2007

教育力

 現代教職論の副読本にするとよい。

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 非常に手厳しいことが書かれているが、自分が教師を求める場合の条件を考えれば、どれも外せないポイントである。特に、『4 試験について考え直す』と『5 見抜く力、見守る力』はプライオリティが高いのではないだろうか。

 試験については、生徒の理解度を測るばかりでなく、教師の伝える技術力を測るものでもある。本書を読んでいて思い出した言葉がある。「ここはいつも(毎年)できないから、注意するように」という言葉である。具体的にどの教科のどの分野ということまでは覚えていないのだが、確かに聞いた言葉だ。内容が難しいから理解し難いと思っていたが、教師も手を変え品を変えして、伝える技術をブラッシュアップしていたのかなぁと考えてしまった。もし、していなかったら残念である。試験が教師の伝える技術力を測るモノとして機能していないのではと、最近では思っている。

 見守る力というのも奥が深い。やはり、さっと手を出し、その場の結果を重視してしまうと思う。これは子どもの評価の仕方にも問題があるのではないかと思うし、教師の評価の仕方にも問題があるようにも思う。

 本書を見ると、教師に『反面教師』はいらないのだなぁと感じる。これは肝に銘じておきたい。