Tuesday, July 31, 2007

格差時代を生きぬく教育

 タイトルに偽りあり。本書は寺脇研氏の思いをはいた本である。私がタイトルをつけるならば、「寺脇研 教育を語る」程度のものだ。

Amazon.co.jp: 格差時代を生きぬく教育

 「寺脇研って、誰?」というところから考えなければならない。寺脇研は元文科省の役人である。文科省のスポークスマン的存在としてメディアに露出していたので、知っている人は多いようだ。私が氏のことを知ったのは、「朝まで生テレビ」であった。テーマが何だったかは忘れてしまったが、「言うことはトンデモではない」という記憶だけがある。

 本書の内容もそれほど突拍子もないことを語っているようには受取れぬ。まっとうなことを述べている。

 第1章でゆとり教育について述べられているのだが、主要教科だけでは一生をまっとうできない、生涯学習の時代に入ったという認識から、生涯学習に必要な資質として「大人との交わり」や「美的感覚」が重要になると導いた。それが基本スタンスだと述べられている。

 「美的感覚」とは、私が本書から受取った感覚語なので、本書にはない言葉だ。本書では「マインド」という言葉がこれにあたる。これは問題設定能力と、本書からは解釈できるが、今で言う「生きる力」と同義語だ。これを育成するのに格差があってはならんというのが、ゆとり教育のコア。なぜ大反対されたのか、よく分からん。なぜ現場にうまく伝わらなかったのか、文科省の責任は思いと感じる。

 本書では寺脇氏個人の思いとは別に、役人として、公務員としてどうあるべきかという話しが、第2章にある。これが非常にむずかしいと感じる。役人としては全体を俯瞰の目で見なければいけない。しかし、本書では、「森を構成する木にも注意していますよ」というようなアピールがあるが、その範囲がえらい狭く感じた。が、これは他に書くことがないための揚げ足取りレベルだ。

 結局、この本は何が言いたいのか、私にはよく分からない。収穫があったのは「官僚的思考」の一端が見えたことか。寺脇研氏を知っており、ある種のラベル付けをしている人が本書を読むと、反対のベクトルに振り子が振られ、私のように混沌とするかもしれない。「まったくすっきりしない『踊る大走査線』の教育版」というのが、私の感想。

Saturday, July 28, 2007

危うし!小学校英語

 驚くほど分かり易く書かれているが、小学校英語教育に賛成の保護者に読んでもらえるのだろうか?

Amazon.co.jp: 危うし!小学校英語 (文春新書)

 なぜ保護者なのかというと、本書でも指摘があるように、この問題に対する世論の声の大部分は保護者であろう。それが文科省を動かしているという指摘が本書にある。疑問に思うのだが、文科省は保護者の声だけでここまで強固な姿勢を貫くのか?もうひとつ疑問に思うことは、保護者は小学校英語教育を帰国子女のような状態にすることと勘違いしているのではなかろうか?

 はじめの疑問に対しては、昨日、興味深い記事があった。

asahi.com:「入社時から給与に格差を」経団連会長、フォーラムで - ビジネス

 学校教育のゴールはおそらく社会人になることだ。そこからの要求は飲まねばならないだろう。

 次の疑問に対しては、「外国語は、早ければ早いほど効果がある」というのが動機になっていると考えると、全くの見当違いとはいえない。「帰国子女のような状態」ってなんだろうと考えると、「楽してモノにさせたい」ということだろうか。しかし、日本語でも「最近の若者の日本語はなっちゃいない」などというのがあるように、母語であろうとも楽というのはないだろう。

 本書では、「小学校英語」って一体なに?いま小学校で行われている英語と、必修化しようとしている英語教育ってどう違うの?小学校では誰が教えるの?そもそも日本における「英語教育」ってなに?そして、どうして反対なの?ということが、とくとくと述べられている。個人的には「第三章 誰が英語を教えるのか」と「第四章 日本の英語教育はどうあるべきか」は是非とも読んでもらいたい。

発音が日本人的だと、「この人は英語が母語ではなく、外国人として英語をしゃべっていますよ」という、ひとつの警告になる。(pp.192)


 私もこの言葉はよく使う。日本語を話す外国人と接する機会がある人は分かるのではないだろうか?

see also
文藝春秋|本の話より|自著を語る 欠陥だらけの小学校英語に唖然

Sunday, July 22, 2007

今週読んだ、その他本たち

 大相撲が終わると少し寂しくなる。

 琴光喜は、優勝は逃したが、何年越しなのだろうか、大関昇進を確定的にした。おじさん(といっても30代前半であるが)大関だ。来場所も強い琴光喜を見せてもらいたい。しかし、相撲はスポーツなのだが、やっぱり武道でもあるなぁと、最近、つくづく感じる。

 がっつり組んだ熱戦がやはり気持ちを刺激する。古典的な四つのがっつりした相撲がいい。安馬や豊真将が最近のお気に入りだ。見ていて清々しい。

 しかし、今日は暑い。とろけそうだ。先週はかなり心地よい気温だったので、何事もスムースだった。寝るのも最高に気持ちよかった。今日から寝苦しい夜が続きそうだ。私のキライな季節だ……orz

 さて、今週読んだ、その他本たち。


Amazon.co.jp: 反社会学の不埒な研究報告

 あいかわらず面白いなぁ、パオロは。個人的には「新作落語『長屋武士道』」が好き。だいぶ考えさせられた。タイムリーというか、なんというか、本日、以下のようなブログ記事が目に付いた。

今日行く審議会@はてな - こうしたレトリックに嵌らないこと

 元記事はこれから読むつもりだ……、多分ね……

 さて、筆者のHPでAmazonのレビューにつっこみが入れられている。

『反社会学の不埒な研究報告』正誤表

 こういうのは、読者に非常に有益だ。しかし、Amazonにレビューや感想を書くのは、私としてはおこがましいと思ってしまって、遠慮というか、敬遠してしまう。正直、あそこにさらすのは怖い。

茂木健一郎 クオリア日記: 情報倫理

 上記のブログでAmazonのレビューから、ネットの匿名性について述べられている。タイムリーが続く。


Amazon.co.jp: 心理学から学習をみなおす

 先日、『勉強法が変わる本』を読んだが、それの元となっているのが本書だ。とりあえず読んでみたが、前書を同じ内容なので、『勉強法が変わる本』を読むほうが経済的だ。まぁ、本書は100頁そこそこなので、短時間で読むのならこちらのほうがよいかも。まっ、時間の問題ではないが……


Amazon.co.jp: 英語攻略の「天敵」―動名詞・不定詞・分詞の再征服

 いわゆる「準動詞」にポイントを絞ってまとめたモノである。学校英語教育に沿った書き方をされているので、理解の足しにはなるだろう。

 準動詞は確かに、英語攻略の壁だと思う。先日、『英文法ゲーム104』を読んだときに感化されたのはこの部分だった。こいつをチャンクとして考えられれば、英語を読むのがずっと楽になるし、会話の際もずっと楽になる。

 しかし、本書はタイポが多い。なので、他の文法書とにらめっこしながら読むことになった。考え方に賛同できるだけに、もったいなと感じざるを得ない。と同時に、自分も気をつけなければいけないと再認識した。やはり単純ミスを頻発していては信頼は得られないと……

マスターズ甲子園

 先日、NHK「にっぽんの現場」という番組でマスターズ甲子園というモノをとりあげていた。不覚にもジーンときた。

NHK にっぽんの現場

 マスターズ甲子園というものをはじめて聞いたが、2004年からはじまったらしい。今年は開催日が父の日という、なかなか粋な計らいだと思った。よくよく調べると苦肉の策だったようだが、いいほうへ転がったなぁと感心した。

 あまりエスカレートせず、あのときのメンバーで甲子園で野球ができるということに喜びを感じられるような大会運営をお願いしたい。お祭り「が」いいと思う。非日常を味わえるのは大人の特権だと、いいように考える。

マスターズ甲子園

Saturday, July 21, 2007

いやでも物理が面白くなる

 読者対象が明記されていなので、万人向けの書籍だと思うのだが、高校生ならば1年生が対象であろう。感化されて志村史夫本、3冊目。

Amazon.co.jp: いやでも物理が面白くなる―交通信号「止まれ」はなぜどこの国でも赤なのか?

 本書の「まえがき」にこうある。

学校の試験の点数を高めようとするような本ではない。また、「受験」に即効性があるような本にも思えない。(pp.5)


 筆者が書いているのだから間違いないだろう。しかし、物理を考えるうえで大切なスタンスを学習前に知っておくことは、結果として試験の点数を高める効力はあると思う。

 物理とは、おもいっきり単純にいうと「こう考えれば、辻褄が合う」ということだ。

 「こう考える」というのは定理であったり、定義だったりで、「辻褄が合う」というのは数式で表せるということ。

 「こう考える」というのは見た目とのギャップがあると甚だ難しい。基本的に物理は世紀の大発見の積み重ねである。むずかしくて当然だと楽観的に考えてもいいと思う。しかし、見方をちょっと変えると世紀の大発見も凡人に理解できる範囲に変わることが面白いじゃないか。

 宇宙空間では常に落下している。

 上の言葉を聞いた時、まったくピンとこなかった。どこでどのように聞いたのか忘れてしまった。ピンとこなくとも「辻褄が合う」のである。解せなかった、まったくもって解せなかった。そのような対象に波・光・電磁波があるが、それが丁寧に書かれている。

 本書のサブタイトルに「交通信号『止まれ』は なぜどこの国でも赤なのか?」とある。夕日でも見ながら考えてみよう。

Friday, July 20, 2007

「これはスゴイ」そして、「これはヒドイ」

 いやはや、なんと言っていいのやら

「73人合格」実は受験生1人、大阪の私立高が実績水増し : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 ひとりの学生が73の受験をこなしたってのがスゴイ。ダブルヘッダとかあったのかしら?

 06年度、同校は4私大の合格者数を延べ144人と公表しているが、半数以上はこの生徒が1人で積み上げたものだった。


 まぁ、「延べ」と書いているので、ウソではない。しかし、あまりにもマンガチックで笑ってしまう。予備校などの実績にも注意しましょう。

 というか、合格者数にどういう価値があるのか全く分からない。誰か教えてくれ。

読売教育賞

 アンテナにひっかかっていたコトがNTVのニュースで放送されたらしい。

思索の木蔭:英語で教える小学校 - livedoor Blog(ブログ)

 先日(7月19日)の読売新聞・朝刊の「くらし・教育」欄に読売教育賞を受賞した試みが取上げられている。福岡県大野城市立大野南小学校の上原明子教諭による「学校生活のあらゆる場面で英語を使う環境をつくる小学校学級担任の試み」というモノだ。行われていることはイマージョン教育だ。

イマージョン・プログラム - Wikipedia

 「公立校もここまできたか……」というのが、正直な感想だ。

 私は新聞記事でしか、この試みを知らないので、どのくらい英語を使っているのか想像しにくい。記事を読む限りでは、国語まで英語でやっていると書いてある。国語までとなると、さすがにやりすぎかなぁと思っていたのだが、そこら辺が、「野心的」と評価を受けたのだろうか?まぁ、違うだろう。公立校で、これだけやっているというのが評価の対象だろう。まぁ、英語特区のひとつなのかもしれないが……

 これは学校教育プラスアルファだ。

 私は小学校英語教育の義務化に反対だ。しかし、小学校で英語教育を行うことには賛成している。賛成というか、プラスアルファの部分なのでなにも問題ないというスタンスだ。私は、最近、こう考えるようにしている。

Thursday, July 19, 2007

知に働けば蔵が建つ

 「リベンジ、内田樹」という意気込みで手に取りました。

Amazon.co.jp: 知に働けば蔵が建つ

 内田樹氏のブログは今年に入ってから購読をはじめた。もっとはやく購読していればよかったと後悔した。しかし、いい時代になった。クオリティの高い文章を氏の体調がよければ毎日読むことができるし、なにか大きな問題があると有識者のリアクションをすぐ見れる。

 氏の著書は2冊目であるが、1冊目は途中棄権。「むむ、危険だ」という類のモノではなく、1ページ、1ページが重い鉛のようページをめくるのが困難だったためだ。ある程度のバックグラウンドがないとまったく面白くない。何を言っているのかさっぱりだった。

 本書はブログが基になっているだけに、エッセイやコラムのようで非常に読み易い。が、そんな中でも「あとで読む」というのが1つや2つある。「おわりに」で氏はこう言っている。

例えば、本書収録のテクストの中では、ニーチェとオルテガの大衆 = 貴族論を祖述した「貴族と大衆」という長文がたいへんわかりにくい内容のことを扱っている。読み返してみて、書いた本人が「え? 何が言いたいわけ? どうつながるの?」と同じ段落を二度三度読み直さないと意味がわからないというところさえあった。(pp.299)


 よく分かってらっしゃる。しかし、「あとで読む」とラベル付けしたところは面白い箇所でもあると、私は思っている。すんなり私の中に入ってこないということは新しいことか、相反する考えということ。そういうのが面白い。特に政治に関するところは、半分以上が新しいことだったのだが、「あとで読む」とラベル付けするのではなく、リアルタイムでガンガン指が進む。

 とりわけ印象に残っているのは教育に関する部分なのだが、「危機管理の陥穽」のまとめの部分が同じ思いだった。

すべてのリスクを教師はマネージすべきだというなら、「授業以外には何もやらない」というのが教師たちが取りうるいちばん確実で誠実な対応であろう。(pp.262)


 私が思っていたのは危機管理に関することではないが、学校の守備範囲を狭めるというのは通じるものがある。

 本書にはいくつかの書評がある。『希望格差社会』は読もうと思っていて、読めていないのだが、苅谷剛彦氏の『階層化日本と教育危機』というのは知らなかったので読んでみたい。

Tuesday, July 17, 2007

勉強法が変わる本―心理学からのアドバイス

 「脳科学でも証明!」などと書かれた本より胡散臭さはないが、「心理学からのアドバイス」という一言が、もしかしたら、読者を遠のかせてしまっているのかもしれない。

Amazon.co.jp: 勉強法が変わる本―心理学からのアドバイス (岩波ジュニア新書)

 2000年発刊の市川伸一氏による勉強法本。高校生向けの本らしいのだが、中学生でも、大学生でも、学校の先生でも、お父さん・お母さんでも読んでみることをお薦めする。

この本を読んだ読者は、勉強法のハウツー本に振り回されないで、それらをうまく利用できるようになってもらえると思う。(pp.vii)


 私がお父さん・お母さんに勧めるのはこの点。本書を読み、どのように感じるかは、個々人により様々だと思う。もちろん、様々で問題ない。しかし、教育、もしくは学校教育に対して、一貫した何かを家庭と学校、そして社会と共有できればいいなと思った。

 偉そうなことを書いているが、「一貫した何か」が何なのか自分でもクリアではない。

 本書では心理学の王道であろう、「記憶」と「理解」、「考えること」について説明されている。主な教科は数学と国語だ。これは、「学問は抽象から具体へ、具体から抽象へ」ということが理解し易いためだと思われる。

Sunday, July 15, 2007

ブラック・ユーモア

 以下のポエムが高評価らしい。

現代っ子にぴったり? 「雨ニモアテズ」宮沢賢治の故郷で発表|愛媛|地方|Sankei WEB

 記事によると、これを書いたのは「どこかの校長」らしいが、発表したのは小児科の医師のようだ。日頃、子どもたちに数多く接していて「校長、グッジョブ!!」ってことで学会で発表したらしい。

 雨ニモアテズ 風ニモアテズ

 雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ

 ブヨブヨノ体ニ タクサン着コミ

 意欲モナク 体力モナク

 イツモブツブツ 不満ヲイッテイル

 毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ 遊バズ

 朝カラ アクビヲシ  集会ガアレバ 貧血ヲオコシ

 アラユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ

 作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ

 リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ

 東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ

 西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ

 南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ

 北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ

 日照リノトキハ 冷房ヲツケ

 ミンナニ 勉強勉強トイワレ

 叱ラレモセズ コワイモノモシラズ

 コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ


 しかし、この「どこかの校長」、ノリノリである。まさに「北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ」のごとく、「どこかの校長」に当事者意識のかけらもない。「いや、校長、あんたも『コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ』のひとりだよ。」っていう、つっこみはなかったのか?というか、このパロディは、「どこかの校長」がノリツッコミをして、はじめて成立するギャグだと思うのだが、私の感覚はおかしいだろうか?

アメニモマケズ - Wikisource

 宮沢賢治のオリジナルを見れば、こいつも十分に当時を皮肉っているのが分かる。先日読んだ『脳と魂』という本に興味深い指摘があった。それは差別問題に関わることだ。本文ままではないが要約すると以下のようなことだ(うろ覚えなので、後日修正するかも)。

江戸では身分制度でエタ・非人を設けた。しかし、それなりの生活保障を江戸城では行ってた。しかし、田舎の大名が真に受けて、忠実にその制度を適用した。それで、差別が生まれた。幕府に気に入られようとする大名のエゴにより、差別問題が生まれた。


 このパロディにも、これを感じずることを禁じえない。差別が生まれるということではなく、勘違い・真に受けた・エゴの部分である。もちろん、私も批判する文章を書いているので、気をつけなければいけないのだが、それを守れているかどうか分からない。

 内輪で盛り上がるための「ネタ」であるなら、まぁ、いい素材だ。しかし、この詩にはユーモアがない。

世相と人柄を皮肉ったユーモアは「ブラック・ユーモア」と呼ばれる。穏やかなユーモアと比べて不愉快に感じる人間が多い一方で、その刺激を楽しむ人もいる。

ユーモア - Wikipedia


 「ブラック・ユーモア」なんて言葉自体、忘れていた。

 さて「どこかの校長」を批判してきたが、この「どこかの校長」の存在が怪しい。

 Googleで調べた限りの初出は、作者不詳として2000年の産経新聞に載せられたとあった。

00カルチャー

 私は直感的に小学校の校長だと思ってしまったのだが、作者が「どこかの校長」というのは今回の産経の記事しかない。新聞社のブラック・ユーモアとするか、小児科医の医師のブラック・ユーモアとするか、「どこかの校長」のブラック・ユーモアとするか、むずかしい選択だ。

Saturday, July 14, 2007

今週読んだ本たち

 今週はあまり本を読まなかった。週末は台風の影響で家にいることが多いだろうから、今日は頑張って図書館へ行った。何を血迷ったか、いつのもクセで歩いて行ってしまったのでやや雨に濡れたが、歩かないと気持ちが悪い。そういえば、今日が誕生日の友達が多い。おめでとう。


Amazon.co.jp: こわくない物理学―物質・宇宙・生命

 『アインシュタイン丸かじり』を読んで志村氏のスタンスに共感を得たので読んでみた。「はじめて物語」的な語り口がいい。中学生や高校生では、少し、戸惑うかもしれない。もちろん、理解できるとは思うが、全員ではないだろう。物理好きが補助線を引きく手助けをしながら読むと、効果は倍増だと思う。良書。


Amazon.co.jp: 「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書 61)

 面白そうだなぁと思って読んだが、正直なところ、「ババ引いたなぁ……」と思った。しかし、読むスタンスを変えると良書になった。道徳の教材として使えそう。


Amazon.co.jp: わが友 本田宗一郎

 私の好きな人物のひとり、井深大。彼の晩年の書。盟友、本田宗一郎氏の死を受けた回想録。井深氏の考えは、やっぱり好きだ。晩年は本書でも触れているが、今で言う「トンデモ」の世界に踏み込みすぎて焼が回って(この使い方は正しい?)しまったという評価が多い。それでも彼らの理念は根をしっかりとおろしているような気がする。それには、彼らをサポートした人物の功労が大きいのは、大いに頷ける。


Amazon.co.jp: 迷いと決断

 『わが友 本田宗一郎』の読後に読んだ。SONYは盛田昭夫によってSONYになったのだと、改めて感じる。そのDNAを現代に適応させようと努力した出井氏の回廊録。面白い、非常に面白い。私はSONY大好き人間なので、ほんとうに面白い。

 私は、「出井はSONYを壊した人間」だと思っていた。まぁ、半分はあっていると思うが、半分は間違いだ。「SONYを壊した」と思った理由は、「QUALIA」と「ビジュアルの劣化」、「多角経営」だ。

 「QUALIA」に関しては、コンセプトは大賛成なのだが、作られるモノがどうにもこうにも意味あるものに見えない。100万円もするブラウン管テレビや、なんだかよく分からないCDトレイのプレイヤー、20万~30万くらいする超高級ヘッドホン。ディジタルの時代にアナログの価値観を捨てられずに、なんとかSONYブランドで立て直していこうという安直なプランにしか、当時の私の目には映らなかった。もちろん、消費者と経営者の視点差はあるだろう。

 「ビジュアルの劣化」はデザインが長持ちしないということに起因する。特にVAIOなんかを見ていると感じるのだが、こんなの誰も買わないよというデザインが平気で「斬新」などと市場に出てくる。デザインの価値観なんてのは、ひとそれぞれで、後から流行がついてくる場合も確かにある。にしても、VAIOの場合は、デザインのクオリティが低いのが多いと私は思うことを禁じえなかった。それに比べたら、ソニータイマーなんて可愛いものだ。というか、私はこれを信じていない。なぜなら、私が使っているVAIOはすでに5年目だからだ。「経営の多角化」は本書に詳しい。

魔女の宅急便

 『魔女の宅急便』はジブリ作品の中で、一番、好きな作品かもしれない。一番というのはなかなか定義しにくい。『ラピュタ』や『ナウシカ』ももちろん好きだが、これらの好きと同じベクトルではない。それでも、ジブリの作品からひとつ選べとなったら、これをあげるだろう。

 私のまわりでは、私の思いと反して人気がない。地味なのだろうと思うのだが、特段、理由を探したわけではない。まぁ、ちょっとズレた感覚かなぁとは、ずっと思っている。先日、『ラピュタ』が放送された時には、ネット界隈では盛り上がっていたが、今回はおそらくないだろう。まぁ、それでもいい。それがいい。

 私が最初に『魔女の宅急便』を見たのは、中学生の頃だ。その時から好きなのだが、なかなか表現しにくかった。今でも表現しにくいのだが、強いて言うなら一目惚れと同列だと自分では思う。それこそ、「好きなんだから、ショーがない」だ。それでは能がないので、理由を考えた。2つある。

 ひとつは、なんてことない、ユーミンの音楽だ。

 コレは強烈だ。私はユーミンを聞いたことがない。家族もなので、積極的に聞く機会は皆無だ。はじめて聞いたのがこの映画の中だ。これまでは、『ルージュの伝言』がお気に入りだった。跳ねるような2拍子で、乾いた感じの音楽が大好きだ。しかし、今日、久しぶりに『魔女の宅急便』を見て耳を突いたのは『やさしさに包まれたなら』だった。この楽曲たちが、どういった経緯で映画の挿入歌になったかは知らない。しかし、『やさしさに包まれたなら』はこの映画の核心をついている楽曲だと、今日、はじめて意識した。

 もうひとつは、自然との対峙だ。

 コントロールできない自然、子どもでいられないこと、大人になること、それゆえの儚さ、優しい言葉、分かるとは体感すること、など、今のはやりの言葉でいうなれば「14歳」を表現していることが、ズンときたのだと思う。ジジの言葉が分からなくなったキキの気持ちが意外と伝わってくるのは、そのためだと思っている。そして、これらのことが、『やさしさに包まれたなら』にギュっと詰まっていると、私は思う。これは私の解釈なので、異論はたんまりあるだろうとは思うがご勘弁を。

 しかし、こういうことを書くと副産物がある。はじめてネットで『魔女の宅急便』を調べたが、原作があることをはじめて知った。読んでみようかと思う。

Wednesday, July 11, 2007

INSIDE THE PRAK HOMERUN

 実はリアルタイムでNHK BSの放送を見ていました。

 なんとなく、「やってくれそうだ」という第6感がありました。もしかすると、ホームラン打つかもなんて思っていたのですが、誰も証言してくれる人はおりません。そんなのはただの自己満足なので、どうでもいい。

 しかし、まぁ、ランニングホームランとは、驚いた。Ken Griffey Jr.のあの守備は仕方がないと解説の長谷川は申しておりました。確かに、あの打球だとクッションボールの方向は間違っていないと思う。

 解説陣も言っていたが、あまりに余裕過ぎたのでありがたみがない。クロスプレーになればイチローの足のだから、という意見には賛成。

YouTube - 2007 ALL-STAR GAME-1ST EVER INSIDE THE PARK HOMERUN

 このYouTubeの動画が一番面白かったので貼っておく。もしかしたら、地元のテレビ局の映像かもしれない。

 いいもの見せてもらいました。多謝多謝。

Tuesday, July 10, 2007

志円の場

 B'zのSHOWCASEが行われているのは知っていたが、なんだかとても大規模なSHOWCASEのようだ。なぜなら、アチラコチラで開催決定の声が聞こえてくるからだ。昔は、SHOWCASEなんて1回か2回くらいだったのに……

 正直なところ、LIVE-GYMよりもSHOWCASEの方が好きだ。ライブハウスなどの1000人キャパのハコでB'zを見れるのは、ゾクゾクする。

 我慢ならず、セットリストを除いてしまったが、見なけりゃよかったと後悔した。ほんと後悔した(-"-;)

 タイトルはSHOWCASEの和訳を打ち込んだら出てきた誤変換です:p

Monday, July 09, 2007

脳と魂

 本のタイトルは無視していい。「脳」は養老氏で「魂」は玄侑氏のことだ。ちょっと仰々しすぎる。-1ポイントです。

Amazon.co.jp: 脳と魂

 養老氏がどのようなヒトと対談しているのか、すべて把握しているわけではないが、とても筋を追い易かった。対談相手の玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)氏は鬼のような博識で、養老氏の言葉を噛み砕いてくれる。普通は逆なのかもしれないが(笑)。氏の対談としてはつっかかるところが少なく、私としては珍しくスムーズに読むことができた。今まで私が読んだ氏の対談はこれがなかったのかもしれない。その場では、氏と対談相手は相互理解ができているが、第三者がそのすべてを把握できるわけではない。

 私は仏教にかぎらず、宗教というものに対しての知識はゼロだと胸を張って言える。だからかもしれないが、今まで考えていたことがほとんど仏教という分野に吸収され、置換されていくのは、チト悲しかった。「知らぬが仏」とはこのことかもしれない。

 高齢化社会になり、親の介護を誰がやるのかが問題となったときに、私は、今と逆に女側の家に男が入ればいいんじゃねと思っていた。これならば、嫁姑問題もなかろうしと。

玄侑 平安時代は妻問い婚ですよね。あれはいい制度ですよねえ。嫁姑問題もないし。安田徳太郎っていう人が『人間の歴史』(全八巻 光文社)の中で書いておられましたけど、基本的に人間社会は、最初は母権制だった。(pp.66)


 ふっ、平安時代かよ。ほんと悲しくなる。

 本書には江戸時代の生活やら制度やらが出てくるが、最近、個人的に江戸時代ってなんなんだろうと思っていたので、興味をもって読んだ。「第三章 世間と個人」は少なからずショックだ。これは、いつの時代でも社会問題なのだなぁと、改めて思った。

Sunday, July 08, 2007

キャッチコピー

 英語脳、英語耳、英語口、英語舌、まぁ、英語学習書のタイトルにはいろいろある。昨日、新聞に新しいキャッチコピーを見つけた。英語喉。あと何が残っているだろう?考えるのが楽しくなってきた。

 で、この英語喉であるが、私は読んでいない。なので、少し調べてみた。Webサイトがみつかったので覗いてみた。

英語喉(のど)オフィシャルサイト

 あれ?誰かに似ているなぁとサイト内の写真を見ていたら苅谷剛彦氏だった。

また、そのころ私は、友人たちが新たに開発した画期的な英会話の学習方法の実験台を買って出ており、日本の英語教育についても、考えているときだった。この対談のなかで、多少なりとも厳しいコメントを日本の英語教育に向けているのは、自分自身が、英会話の学び直しの最中であり、この新たな学習法が日本の英語教育への批判になっていることを身をもって実感していたからである(ちなみに友人とは、上川一秋さんとジーナ・ジョージさんで、二人の共著がまもなく出版される。
(苅谷剛彦,増田ユリヤ(2006)『欲ばり過ぎるニッポンの教育』 講談社現代新書 pp.253)


 あっ、コレだったのね。もう、すっかり忘れていた。スルーしちゃいけないような気がしてきた。本の世界のまもなくって半年くらいなのか……

 しかし、複雑な気持ちにある。タイトルは間違いなく、私にとってはスルーの対象である。しかし、ちょっと調べてみたら、忘れていた記憶が蘇ってきた。このタイトルでなければ間違いなく調べることはなかった。う~ん、複雑だ……

Saturday, July 07, 2007

アインシュタイン丸かじり

 テレビ東京の特番タイトルのようで私はイヤなのだが、帯にある「『知の巨人』の魅力を濃縮」に偽りなし、と思う。

Amazon.co.jp: アインシュタイン丸かじり―新書で入門

 著者の志村史夫氏は著書が多い。「理科系の英語」も彼の著書だ。そんな氏は応用物理が専門である。本書は氏のキャリアからは王道である。

 が、私はアインシュタインについて詳しくない。それにアインシュタイン本は初読である。なので、本書がアインシュタインについて必要十分の内容であるかどうか、私が太鼓判を押すことはできない。

 アインシュタインの名前は誰もが知っていると思うが、何をしたのか問われれば「相対性理論」と答える私。しかし、「じゃ、文型の私にも分かり易く説明してくれない?」と問われると、自慢じゃないが、私は閉口してしまう。すらすらと話せる人は少ないと思う。

 本書は、そこら辺がビシっと簡潔に述べられている。これは根本的には物理学に対してとるべきスタンスでもある。

長年、物理学の分野で仕事して来た私ではあるが、正直に告白すれば、本当に長い間、「特殊相対性理論」の理解に苦しんだ。しかし、「あること」さえ素直に認めてしまえば、「特殊相対性理論」は決して理解し難いものではないことに気付いた。(pp.102)


 先生にこう言ってもらえると学生の気分は楽になる。私は電磁気の理解に非常に時間を費やした。単位が必要だったので、半ば諦めモードで鵜呑みにした経験がある。結果、コレが正解で、電磁気があれよあれよという間に面白くなった。本書(まぁ、似たような書籍はあったと思うが)があれば、もっと楽に壁を乗り越えられたかもと、当時を振り返った。

 アインシュタインのすごさを知るには、前アインシュタインの物理を理解しなければならない。本書はその流れが秀逸で、物理を苦手とする高校生や大学生が読めば、前アインシュタイン物理の理解の足しにもなるはずだ。氏が書く、物理学の本を読んでみたくなった。

Friday, July 06, 2007

トンボがとまり、飛んでった

 とんぼが飛んでいた。

 この時期にとんぼが飛ぶなんて記憶にないが、私が忘れているだけかもしれない。とんぼといえば、晩夏から秋にかけての風物詩という、私の感覚からは、しかし、ちょっと驚いた。大量に飛んでいたわけではない。せいぜい、2、3匹だったが。

 選挙のことでメディアは騒いでいる。

 この蒸し暑い中に、あのくどい名前の連呼が加わるのかと思うと、不快指数は2割増しだ。そこで思った。

 「選挙活動ができるのは新人のみ」としてしまってはいかがだろう?

 現役は結果で評価されるべきなので、経験がない新人のみが理念を訴えればいい。まぁ、これは選挙活動中の連呼が減るということが主眼ではない。私の地元の国会議員が何をしているのか、さっぱり分からないからというのが主な理由だ。

 もちろん、私が自発的に地元の国会議員が何したのだろうと調べていないことがひとつの原因ではある。が、自然と成果が耳に届いてもいいのではないだろうかと思う。現役の理念は成果で示してもらいたい。しかし、何をもって成果とするのかむずかしい。でも、現在の選挙活動と比べてみると大差ないように私は思う。拡声器でひとの悪口なんかは悲しいだけだ。そんなに人の指にはとんぼも止まらん。

Tuesday, July 03, 2007

反社会学講座

 ちくま文庫より補講付き文庫版が7月10日に発売されるようです。まだの方はこちらを読むのがいいかもしれない。

Amazon.co.jp: 反社会学講座

 『つっこみ力』を読み、興味がわいて読んでみましたが、パオロ・マッツァリーノ氏の話術は天才だ。内容云々より、読み易さに興味を惹かれる。この能力にかなり憧れる。もちろん、内容もイイ。

 内容に関しては、タイトルに偽りなく、社会学を疑おうというもの。最近は陳腐なことばに成り下がってしまった感はあるが、2007年現在でも本書の内容は十分に耐えられる。というか、必須事項になった感がある。

 今現在、年金が今度の参院選のテーマになっている(と、メディアでは聞く)が、年金問題なんて、年金受給対象者をそうでないモノが支えるというふうに定義を変えれば済む問題だと思っている。年金受給者は一律で年金がもらえる、というふうに。積み立てた年数で受給額を決めるから、損得勘定が働く。今現在でも、集めたお金で賄っているのだから、素直にそう言えばいいじゃん。余計なお金がプールされなければ、それを使うこともできないし、一石二鳥じゃないか。

 本書によると、このような方法を賦課方式というらしい(pp.284)。「なんだ、そういう考えがあるんじゃん」と安心したが、そんな議論はどこからも聞こえてこない。これはちょっと怖いことかもしれない。

 本書では社会学をこう定義している

社会学者の個人的な偏見をヘリクツで理論化したもの、それが社会学です(pp.16)

 この理論化は「●●理論」のような使われ方で、公理の意味はないですね。一方、Wikipediaでは

社会学(しゃかいがく)とは、社会現象の実態や、現象の起こるメカニズムを解明するための学問である。社会的な文脈における、人間、及びその集団や、人と人との関係、さらには、より大規模な社会の構造を研究する学問ということができる。あるいは、思想史的に言えば、「同時代(史)を把握する認識・コンセプト」を作り出そうとする学問である。

社会学 - Wikipedia

 うん、大差ないですね。

 しかし、一番ピンときたのは

理系の学生に、なぜ文系でなく理系を志望したの、と質問すると、しばしば以下のような答が返ってきます。「国語の先生は気分によって正解が変わるから信用できない」。社会学がまさにこれです。(pp.14)


 まじですか?こんなこと書かれちゃぁ、社会学を全否定してしまいますよ……。国語の先生も大変だ。

 筆者HP
スタンダード 反社会学講座

「態度が悪かったので矯正しようと思った」

 読んでいて怖くなった。ってか、2004年の出来事がなぜ今頃。

中3柔道部員に連続技、脳挫傷負わせた部活顧問を書類送検 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 私は柔道経験が全くナイ。体育の授業などでもやったことがないので分からないことだらけなのだが、柔道は受身から教えるのですよね?
柔道部員の中学3年生の男子生徒に大外刈りや背負い投げなどの技を連続でかけた後、絞め技で意識を失わせたうえ、休憩を与えずに再度投げ技をかけ、急性硬膜下血腫(けっしゅ)や脳挫傷などの傷害を負わせた疑い。

 投げ技と脳挫傷の関係ははっきりしないのでパスするが、この文面からは、絞め技で意識を失わせておいて、その状態で、投げ技をかけたってことですか?

 ありなんですか?「受身ととらんとケガするぞぉ」という理由で受身から教えるものだと思っているのですが、違うんですか?

 ゲームであれば痛恨の一撃だなぁ、こりゃ。いや、「ラリホーマ」かけてから「ガンガンいこうぜ」か、えげつないなぁ。

 この記事からは、生徒がどのような生徒だったのか全く分からない。「態度が悪かった」とあるが、どのように「態度が悪かった」のか分からない。なので、それは別にしてこの事態だけで考えると、えげつない。

 この教諭は柔道で実績があるようだ。う~ん、少し考えれば分かるような気がするんだけどなぁ。こういうのはどこでもやっているのかなぁ、それとも。柔道界のしつけはこれが王道なのか。矯正は分かるけれども、コレしかなかったのかしら?それとも、いくつか矯正方法が浮かんだが、あえてコレを選んだのかしら?そこらへんは興味ある。

 一番、不思議なのは、なぜ今この事件(事件って言葉は適切か?)が表に出てきたのかだ。おおよそ1年半の時間がある。ということは、上の指導(顧問談)の後、生徒は一見、普通だったのかしら。最近になって、脳に障害が見つかって、記憶を遡ってみると、上の指導(顧問談)がヒット、って感じだろうか。

 何がともあれ、不幸なのは生徒。私が生徒だったら引篭もります、はい。