Friday, September 28, 2007

大人の英語発音講座

 「今どき英語発音本にCDがついていないなんて……」と思った。あら、ビックリ。こいつはいい。

Amazon.co.jp: 大人の英語発音講座 (生活人新書)

 2年くらい前に、本書の存在を知った。ということは、2年くらい読んでいないことになる。なぜ、2年前にスルーしたのかというと、上記にも書いたとおり、本書にはCDがついていない。「英語リスニング・スピーキング本としては如何なもんでしょう?」というのと、batの母音の説明(他の音も同様)で、「エ」と言いながら口を縦方向へ開いて云々、という説明しかなく、図がないことに不満だった。舌の位置とか、唇の形とか知りたかったのだ。

 その当時は、個別の音を知ることが英語リスニングへの近道だと信じていたので、『英語耳』(松澤喜好、アスキー)や『オバケの英語』(明川哲也・クレイグ ステファン、宝島社)に飛びついた。

 しかし、徐々に違和感を覚えるようになる。発音記号、一つひとつの音をなんとかモノにしたとしても、単語や文章として聞いた場合に、どのようにコレが役に立つのか、私には見えにくかった(気がついていないポイントがあった)。なので、フォニックスに手を出した。

 が、フォニックスでも問題は変わりなかった。基本的には『英語耳』や『オバケの英語』と変わらなかった。フォニクスの方が自学にとっては汎用性が高いと、思った程度だ。

 なにが不満だったか?

 それがシラブルとアクセント、音の連結や消失であった。本書ではこれらが、体系的に示されている。学習ステップと目標にも共感できる。本書のpp.113 - 115に書かれていることもこれらを後押しした。この手の言及を、私は『魔法の発音 カタカナ英語』(池谷裕二、講談社)しか知らない。

Thursday, September 27, 2007

本当に発音記号ならば

 英語の場合、どのような「ふりがな」がつけられるのか、私は知らない。もし、IPAなどの発音表記が付されているのならば、これはorzなコトではないと思う。

正しく読んで大統領! 演説草稿に〝発音記号〟|米国|国際|Sankei WEB

 日本人ならば、この記事を読めば、ふりがなを思いつく。確かに一国の長が、演説草稿にふりがな、― 外来語はカタカナ表記になるので、この場合は確実に母語にふりがながふられることになるので、ちと恥ずかしいのは分かる。

 英語ならば基本的には表音文字なので、日本語と対比して考えるならば、すべて平仮名で書かれているものと考えていい。しかし、英語母語話者でも読みに窮する綴り字もあるので、平仮名と単純に比べることもできない。

 発音記号というと、私たちはまず、辞書の単語の横に書かれた、eを逆さまに書いたような文字などを思い出す。あれがIPAだと思っていい(中には違うものもあるけれど…)。もし、IPAがルビで付されていたのであれば、「ブッシュ、ヤルじゃん」と、私は思ってしまう。英語母語話者の何パーセントがIPAを読めるだろうか?

 とりあえず、パックンは発音表記を読めないらしい。
In the show on September 17th, 2007 : 英語でしゃべらナイト

 まぁ、記事ではアルファベットでルビが付されているとあるので、例えば lightをliteのような感じなのであろう。しかし、失敗事例を見ると、発音の困難な単語という問題で片付けてよいのかと、思わないでもない。

Wednesday, September 26, 2007

教育再生会議は存続

 予想通り

Yahoo!ニュース - 産経新聞 - 町村官房長官、教育再生会議存続を表明

 しかし、教育再生会議の影響力ってのは一体どれくらいなのだろう?未だに謎である。

テストとはなにか?

 この記事を読み、「これはすごい」と思うか、「当然じゃん」と思うか。

テストを生かす(1) 学力に応じ出題「新タイプ」模索 : 教育ルネサンス : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 当該記事を書いた記者は「これはすごい」と思ったようだ。当たり前なら記事にならないだろう。テスト本来の活用法が「これはすごい」記事になる。

 この記事でひとつ、ひどく気になった箇所がある。

繰り返せば同じ問題が何度も出てきて、テストの意味が薄れることになるが、……


 これはおそらく記者の質問だと思われる。同じ問題でも、正誤が激しいのであれば、きちんと理解していないことが一目で分かると思うのだが、違うのだろうか?この質問の意味が、私にはよく分からない。

 この記事には指摘がないが、テスト結果は「教員の『おしえる力』も点数化する」ということを忘れてはならない。この点の議論が、表に出ていないことの方が驚きだ。

 教員の指導力不足が声高になっている。指導力が不足していると判断された教員には、再教育が実施されている。どのような再教育プログラムが実施されているか、各教育委員会にまかされているのだろう。私は詳しくない。もし、本気で指導力不足解消を目論むのであれば、この類のテストを教育委員会で作成し、各教員の得手・不得手を明確にする材料を提供するのも教育委員会の仕事なのではないだろうか。

 なぜ教育委員会の仕事にしたのかというと、項目反応理論を使ったテストの作成を一教員に任せるのは、負担が大きすぎるのではないかと思うからだ。もし、一教員でも可能であるならば、教員の職業倫理の問題だけである。

Tuesday, September 25, 2007

文部科学大臣に渡海紀三朗氏

 福田康夫首相が正式に任命された。それに伴い、内閣が発表になった。平時ではないということで、多くの大臣が再任となった。数少ない、福田首相の任命に文科省がある。

 文部科学大臣に渡海紀三朗氏が任命された。一部、憶測では橋本聖子氏が有力ではないかと報道でもあった。伊吹前大臣はかなり?な任命であったが、渡海紀三朗氏は文部科学副大臣経験者ということで、このことだけならば適任ということになるだろう。

 期待したいのは渡海紀三朗氏が理系出身だということだ。建築学科出身なので芸術的な感性も十分に持っていると想像する。個人的に、この部分が意外と大切だと思っている。

 そして、内閣補佐官の山谷えり子氏は留任した。このことからも、安倍内閣の方向性は維持されていくのではないかと推測できる。教育再生会議ももしかしたら、機能は残るのではないだろうかと思ってしまう。

Friday, September 21, 2007

小学校はCD付きテキスト、中学・高校は?

 文科省は、約4億5,000万円を使い、小学校の英語教育で使う「英語ノート」を配布する方針に固めた。

小学校にCD付きの「英語ノート」を導入へWorkbook with CD to be Introduced for Elementary School English Classes (英語教育ニュース)

 ねぇ、中学校は?高校は?既に教科書とともにCDも配布されているの?

足立区の学テ不正行為問題

 足立区の成績による予算配分制度ができたときに、かならずこの類の問題ができると話していた。案の定、そうなった。

東京新聞:成績による予算配分廃止へ 学テ不正行為受け東京都足立区:社会(TOKYO Web)

 この校長はなぜ不正をしたのだろう?
  1. 是が非でも予算が欲しかった
  2. 是が非でも校長職としての成果が欲しかった
  3. 是が非でも教育への競争原理導入に反対だった

 3であってほしい……

Thursday, September 20, 2007

「いじめというより犯罪」

「いじめというより犯罪」文科相が批判 神戸の自殺|学校教育|教育・福祉|Sankei WEB

 こういう発言もやればできるのね。まぁ、大臣はもうおしまいだから、やけっぱちなのかも……

Tuesday, September 18, 2007

平等社会フィンランドが育む未来型学力

 フィンランドセンター所長によるフィンランド教育レポート。

Amazon.co.jp: 平等社会フィンランドが育む未来型学力

 一時期、さんざん騒がれたが、最近トンと聞かなくなった。日本「的」な一過性ブームの一端をここでも垣間見た。

 本書は、OECDで行われているPISAで好成績を示した、フィンランドにおける「教育とはなにか」というのを記したモノである。教育史、教育改革のポイントなど参考になる箇所がありそうだと手にした。

 本書を読んで、フィンランドでは「教育でできること・できないこと」を見極めていると感じた。フィンランドにもいじめや不登校の問題があるはずだが、そのことに関しては記されていない。進路指導や部活動についても書かれていない。不登校に関しては少し書いてあるのだが、それも教育制度でなんとかしている。この大胆さが羨ましい。

 さて、「教育でできること」は「教育制度の制定」と「教員養成」だと受取れる。

 「学校制度の制定」は日本でいう文科省と同様、国が行う。しかし、日本と比べると縛りは厳しい。

一般的な国家目標と科目別、分野別の授業時間数および生徒指導時間数の割り当てについては、フィンランド政府が決定します。国家教育委員会は、教育課程基準を承認し、各教育の目標と内容を設定します。これをもとに、地方自治体などの学校設置者が地方カリキュラムを編成します。(pp.117)


 同じではないかと思うかもしれないが、フィンランドには日本のような内申評価というものがないのかもしれいない。

義務教育は、授業への出席を強制するものではないので、授業出席に相当する知識と技能を通学以外の方法(おもに仮定での学習。国家教育委員会が教える人の能力を監督している)で習得してもかまいません。(pp.116)


 日本とは違い、宗教や倫理が義務教育課程で必修科目とされているし、プレスクールが充実しているのであまり問題がないのかもしれない。

 教員養成に関しては非常に力を入れている印象を受ける。まず、教員には修士課程を要求している。日本でも教員を経験し、各教育委員会から許可をもらえれば大学院で学ぶことができるが、ほとんどは教育委員会や付属へ行ってしまうので、根本的に修士号を取得する意味が違うのではないかというのが、私の意見。

 教育実習も2段階になっており、評価も可か不可というすっきりしたもの。しかし、不可を出す前に、話し合いを持ち、追実習というので教員養成体系がしっかりしている。日本の場合、教育実習で不可であったら、確かアウトだったと思う(受入校を変えれば再実習OKだったか?)。切捨てではなく、育てるという姿勢が、教育界全般に漂っている。

 日本では「教えること」から「学ぶこと」、そしてまた、「教えること」へ教育姿勢が変化しようとしている。「教えること」を放棄するのはありえないことだが、「教わること」の必要性を理解するには「学ぶこと」で壁にぶつかる必要がある。

 「学ぶこと」には自主的・積極的に学習したいという視点があると思う。自主的に学ぶことに限界があると感じることで「教わること」の必要性を理解できるのではないか。日本でも「学生時代にもっと、勉強しておけばよかったなぁ」などというセリフを聞くことができる。不思議とこのフィードバックが学校教育にはないように、私の目には映る。

 かつては日本も海外からの視察の対応に忙しかった。それは、その当時の社会背景にマッチした教育成果を得られていたからである。今は、フィンランドの教育が社会背景にマッチした教育成果を得ることができている。ただそれだけの違いである。

Saturday, September 15, 2007

物理法則対話

 仰々しいタイトルの通り、中身も仰々しい。

Amazon.co.jp: 物理法則対話

 科学史、物理史とでもいうのでしょうか。時間軸で物理法則の概念説明がされている。面白い中身なのだが、内容は決して簡単ではない。むしろ、コレだけの紙面にギッシリと詰込まれた内容を噛み砕くのは難しいのではないだろうか。

 一読して理解できないなら、何度でも読まなければいけない。精読が必要な箇所はほとんど教科書を変わらないように、私は感じる。しかし、物理法則のみの解説ではなく、その裏の思想や哲学を理解するのが本書の目的である。

 私は縦書きに読みにくさを感じるのだが、それは好みの問題。

Thursday, September 13, 2007

オリジナル曲かよ!

 世界陸上のときにCFで流れていたのを聴いて「かっこいいなぁ」と思っていたピアノ曲がある。

Honda | ブロードバンド動画 HDTV

 CF曲に集中していて、なんのCFなのかさっぱり分からなかった(これでいいのかHondaさん?)。クルマはまったく興味がないので、とりあえず、TOYOTAで検索したが違うらしい。私は、メーカはともかく、車種がさっぱりだ。知ることができてよかったが、オリジナル曲かいなぁ……orz

 稲本響氏というピアニストの作品らしい。あとで作品を聞いてみたい。ジャズっぽいのかしらと思っている。

 感じは『ピアノ・レッスン』で流れていたMichael Nymanの『The Heart Ask Pleasure First』のような暗い感じがとても好き。

 反響があれば、リリースするかもしれないので、とりあえず書いてみる。できれば楽譜が欲しい。こういうときに、耳コピできない自分がイヤになる。

Sunday, September 09, 2007

偏差値は子どもを救う

 ブログ(『森口朗公式ブログ』 http://d.hatena.ne.jp/moriguchiakira/)で氏のことを知った。調べてみたら著書が多くあったので読んでみた。

Amazon.co.jp: 偏差値は子どもを救う

 1999年とチト古い本であるが、「教育問題」は「評価」とリンクしているというスタンスは、私のスタンスとも同列である。評価というと忌々しい感じがするが、どのような基準で採点されているのか知る必要がある。こんなのはほとんどが勘違いが広まったせいである。

 本書に愛知県が健闘しているという記述がある。そういえば、犬山市も愛知県だったなぁ。なぜ愛知県の公教育が健闘しているのか、本書では「管理教育」だからとしてある。これは興味深い。

Wednesday, September 05, 2007

朝青龍問題、波及か?中学で武道必修化へ

 タイムリーなだけに「朝青龍問題に釣られてか?」と考えてしまう。

中学で武道必修化へ 中教審体育部会 「伝統文化」重視で|学校教育|教育・福祉|Sankei WEB

 子どもの体力低下を懸念して学校体育に力を入れる、と先に報道された学習指導要領改正にあったが、こう来たか。言いたいことはなんとなく分かる。相撲の新弟子検査にはじめて受験者が0人という報道が7月にあったしね。

 しかし、これが意外であった。

男子の武道は4年度まで必修だったが、女子について必修化するのは戦後初めて。


 4年度って平成4年度ですよね?だとすると、私は武道必修だったはずであるが、まったく記憶にない。はて、なぜだろう?忘れたい記憶なのかしら。

 もうひとつ危険な発言がある。

文科省によると、武道の必修化は「触れてみて良さがはじめて分かる」(企画・体育課)という狙いが強い。


 まぁ、なんというオカルトでしょう。学校現場では、これは禁じ手のはずである。だから、体罰が禁止された。「言語力」を鍛えたいと教育改革を模索している大締めが言うことばではない。

 しかし、剣道や柔道を必修にするなら、古武術でも必修にすればいいのに。こちらの方が、日本文化としては古いだろうし、実際にも役に立つ、一石二鳥でしょう。 

Tuesday, September 04, 2007

経験にたよらない

 NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』を見た。

 「継続する才能」とはいたるところで聞くことばになったが、本日の放送を見ていると言い返すことばが見当たらない。「プライド」ということも述べられていたが、誰かに言われないと意識できない感覚になってしまった。はっとした。

 先週の放送でもジンとすることばがあった。

 「経験にたよらない」

 これは重い。素直にそう感じた。「普通は頼るだろう」って、つっこみたくなるが、それは私の常識なのかもしれない。

Monday, September 03, 2007

死の壁

 「死」についての本。しかし、「死とは何か」という本ではない。

Amazon.co.jp: 死の壁 (新潮新書)

 養老孟司氏の『人間科学』(筑摩書房、2002年)を読みたかったのだが、置いてなかったので、本書を手にした。本書は「『人間科学』をやさしくしたもの」という。

 子どもの自殺が騒がれたころ、「学校教育でなんとかせないかん」という議論もされていた。はて、どうしたらいいのだろうかと考えたことがある。

 私が結論として出したモノは、「親族、または故人を好いている人が、本気で悲しむ姿を隠さずに見せるということに尽きる」ということだ。これに勝るモノはないと考えた。

 スキットをしたり、ビデオを見せたりなどは効果は期待できない。しかし、口演などでは空気を感じることはできるだろう。思春期の子どもたちの心にどれだけ残るのかは計算できないが、コトの重大さは伝わるのではないかと……

 本書に「死体には3つの定義がある」とある。一人称の死体、二人称の死体、三人称の死体。

 一人称の死体は、自分の死体だ。これはよく分からない。おそらく存在しないのだろうと本書にある。二人称の死体は、親族・近親者の死体であり、一般に言われる「死」とはこれに結びつくと思う。三人称の死体は、本書の表現を使うと「今日の交通事故死 1名」の「1名」である。顔の見えない死体だ。学校で教えることができるのは三人称の死体に関わる死だ。この物差しは秀逸だと思った。

 何事も学校教育に取り込まれると、自分とは遠い存在になってしまうと、私は思っていた。これは感覚としてそう思うだけなので、うまくことばにできるとは思っていなかった。しかし、このような物差しを設定すればなんとかなりそうだと感心した。

 本書には、エリートの話もある。このエリートは藤原正彦氏のいうエリートと同義である。私は、他にどのような意味としてエリートという言葉が使われているのか知らないので、Wikipediaで調べてみた。

エリート - Wikipedia

 見なかったことにしよう。本書のことばだと、

エリートというのは、否が応でも常に加害しうる立場にいるのです。(pp.137)


 「第八章」にあるのですが、氏らしいことばでまとめられている。今の私には、ここで考えなければならないことが多すぎる。

 脱線した。

 本書と『バカの壁』(新潮新書、2003年)は、『人間科学』をやさしくしたものらしい。『バカの壁』ってどんなだったかなぁと思い出してみようとしても、思い出せない。読書に慣れていないときに読んだ本なのだが、読書も慣れがあるのだと改めて感じた。何事も運動だ。