Monday, October 29, 2007

学校とテスト

 本書を読み、「うんうん」と思うか、「そんな無責任な」と思うか。

Amazon.co.jp: 学校とテスト (朝日選書 (90))

 著者の森毅氏は現在、京大の名誉教授らしい。一時期、テレビにもよく出演していたので知っている人もおおかろう。のほほんとしていて、同じ数学者でも藤原正彦氏や秋山仁氏などとは正反対というのが、私の印象だ。

 本書は1977年発行、30年前になる。それでも論じられていることは現在にも通用することである。学力論争、大学入試、教科書問題、指導要領、科学教育、学校と塾、評価、などなど、過去の問題は今の問題でもある。そして、「あなたの言っていること、分かりますよ」という感想なので、問題点も同じなのだろう。まぁ、30年で、何度か問題点が入れ替わったのかもしれないが、現在は30年前と変わらない。

Saturday, October 27, 2007

NHK教育 「シリーズ・世界はこうしていじめと闘う」

 本日、23時50分よりNHK教育で「シリーズ・世界はこうしていじめと闘う」というドキュメンタリーが放送されるようです。

BS世界のドキュメンタリー

 BSでは「青い目、茶色い目」も放送されるようですね。今回は、カナダとアメリカ、韓国の事例のようです。私は、アメリカのやつを見たことがあります。考えさせられました。

 本日は、フジでも『たけしの日本教育白書』が放送されており、教育週間かなんかなのでしょうか?

Friday, October 26, 2007

学校や教育委員会は「平均より上、下」でなぜ一喜一憂するのか?

 今春に行われた学力テストの結果が公表された。各メディアは「知識はあるが、応用力がない」と報じており、「学力に問題がある」と結んでいる。「はて、学力ってどんな『ちから』だっけ?」と、また悩んでしまう。確か、「学力」が問題として表に現われたときは、「分数のできない大学生」や「円周率は3です」といった知識不足であったと思う。これらを「学力」問題とするならば、「知識はあるが、応用力がない」は「学力」問題の改善であり、喜ばしい結果でないか。

 さて、今日はそんなことではなく、各教委、学校の反応が気になったので書きたい。

全国テスト…学力差、笑顔と落胆 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 記事にこうある。
 全国学力テストで、公立学校のデータを集計した都道府県別の平均正答率が公表された。好成績を喜んだり、予想外の苦戦に落胆を隠さなかったりと、各自治体の表情は様々。

 ここでいう「平均正答率」というのは、満点に近ければ近いほど「よい」とされるものだろう。個人としてはここで「ん?」であるがそれはいい。ということで、好成績で喜んでいる自治体は満点に近い、100%に近い正答率だったはずであり、落胆している自治体は100%から離れているはずである。
 一方、平均正答率が全国平均を下回った自治体の表情は厳しかった。

 ここで「おや?」である。自治体の「平均正答率」が全国平均を下回った自治体の表情が厳しいとはなぜ?全国平均に何の価値があるのだろう?この場合なら、都道府県別で1番の「平均正答率」を基準にし、厳しいなというのであれば、まぁ、分からないでもない。しかし、全国平均と比べて落胆している意味が全く理解できない。私がとっている新聞の地方欄でも「全国平均を上回る」という見出しがあった。何を勘違いしているのやら。

【主張】全国学力テスト 競争封ぜず学力の向上を - MSN産経ニュース

 このような「主張」もあるのだが、メディアの報じ方や学校・教育委員会の喜哀を見ていると「序列」したいのだなと思わざるを得ない。この際、メディアはどうでもいい。現場、学校や教育委員会が勘違いしなければいい。

 「平均正答率」が上で記した基準で用いられているとすれば、満点が合格ラインなのだろう。ということは、どの自治体も平均では合格ラインに達していないことになる。「本当かよ?」と思うかもしれない。もちろん「本当かよ?」である。だから、平均正答率が判断基準に使われていることが「なぞ」なのだ。

 というか、平均は粒をそろえることに価値があるので、平均に近いことに一番価値がある。だから、平均点60点だとすると、30点も90点も平均を乱す厄介者のはずである。「平均正答率」を物差しに使いたいのなら、前もって基準となるべき点数を提示するべきである。そして、これでよい結果を得るためには、下位の強化が一番手っ取り早い。フィンランドはこれで世界から注目される点数を獲得することができた。

 今回、よい結果を得られた自治体はよい結果の得られていない自治体へ文句を言ってもいいはずだ。なぜなら、平均を下げている要因である。お節介をしてもよい。そして、よい結果を得られていない自治体は、プライドがあるならば、よい結果を得た自治体の技を盗むくらい結果に拘ってもよいのではないか。それが平均より下で落胆している自治体がとるべきプライドある行動でないか。

 今回の学力テストは何を「はかる」のが目的なのか?各設問には必ず「はかり」たい項目がある。それを現場は知っているのだろうか?別に知らなくても問題はないが、余計な時間がかかる。今回の受験者は小6、中3である。テスト結果の活用もままならない。

Wednesday, October 10, 2007

ハートで感じる英文法―NHK3か月トピック英会話

 『新感覚☆わかる使える英文法』終了に伴い、大西泰斗氏とPaul Chris McVay氏が復活というので、読んでみた。

Amazon.co.jp: ハートで感じる英文法―NHK3か月トピック英会話 (語学シリーズ)

 本書を除くと、彼らの著書は2冊読んでいる。『みるみる身につく!イメージ英語革命』(講談社プラスアルファ文庫、2005年)と『英文法をこわす―感覚による再構築』(NHKブックス、2003年)である。

 前者は単語をメインに、後者は文法をメインにと考えていい。本書に書いてあることは、これら2冊にも書いてあり、目新しいことはない。それを分かっていたので、今の今まで、彼らの出世作でもある本書を読まずにいた。にもかかわらず、私は本書を読んで「なるほどな」と思った。

 本書はイラストが素晴らしい。私が読んだ2冊は、特徴的なイラストを使っている。正直なところ、「あのイラストに落ち着いたのはなぜ?」と思っていた。本書は、私の不満を払拭してくれていた。書籍に使われるイラストが違うだけで、印象が変わるというのは珍しいことではない。しかし、同一作者がイラストを変えるというのは珍しいと思う。

 この類の本は、イラストがものをいう。好き嫌いにより、会計に運ばれるか、本棚に戻させるか、決まる。これは選ぶ側にとっては不幸なことだ。内容に関わらず、外面だけで好き嫌いを決めかねない。誤った判断により、有益な情報を自ら拒絶することになる。売り手としても同じだろう。

Wednesday, October 03, 2007

コミュニケーション技術―実用的文章の書き方

 「コミュニケーション」ということばから、何を想像しますか?私は思い込みによる勘違いで、本書を敬遠していました。とんでもない過ちだった。これはスゴ本。

Amazon.co.jp: コミュニケーション技術―実用的文章の書き方 (中公新書)

 私は本書を知っていた。ブックオフで100円の棚に陳列してあったのをいくどとなく見ては、スルーしていた。「コミュニケーション」ということばを敬遠していた。だから、本書を手にすることなくいた。

 偶然、Amazonで本書のレビューを読んだ。そこには、「実用文書」、「文を書くとき」、「悪文」、「論理的な文章」と、ライティングに関することばが並んでいた。過ちに気がついた。「コミュニケーション」=「会話」と決め付けていた。

 本書は、日本テクニカルコミュニケーション協会(JATEC)の会長、篠田義明氏による、実用的文章の書き方の解説書である。1986年初版と決して新しくないが、内容は現在の教育問題にもなっている、言語運用の核である。この手の他の書籍には、『外国語を身につけるための日本語レッスン』(白水社、三森ゆりか)がある。読者対象が異なるだけだ。

 篠田氏はミシガン大学でEnglish Technical Communicationを学んでいる。欧米の大学では作文の授業があることは既に日本でも知られている(と思う)。本書にあるような訓練を受けている人からすると、日本人が何気なく書く文章を「意味不明」と言われても、「ごめんなさい」と言うよりない。三森氏の本では、小学校でも同様の授業が行われているとある。「大変申し訳ございません」だ。

 英語の参考書に「パラグラフ・ライティング」やら「パラグラフ・リーディング」やら多数あるが、本書ひとつでこれらをカバーできるのではないかと思う。そして、本書に書いてあることが自分のモノになれば、整理術にもなるだろう。