Wednesday, November 28, 2007

文高理低

 理科離れと言われるようになってから何年経っただろう。

asahi.com: 小中学生理科、考える力身につかず 国立教育研究所調査 - サイエンス
理科実験身につかず 文科省調査 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 asahi.comの方には、電球とインゲン豆の問題が、YOMIURI ONLINEの方には食塩水と同じくインゲン豆の問題が掲載されている。

 電球に関する問いの答えは、「それでいいの?」と思わないでもない。というか、そんなの習ったかなぁと、思っている。やったのだろう。すっかり、忘れている。これはどういう文脈の中で教わっているのだろうか?興味ある。なんせ、忘れてしまっているので……

 食塩水の問題も、正常な反応だと思うのだが。質量保存の法則なんて立派な名前があるくらいだ。元来、「食塩がなくなったのだから軽くなる」と考えるのが一般的だったのだろう。だから、仰々しく名前をつけた。軽くなるという認識がスタート地点である。この認識がないと意味がないように思える。

 対象が小中学生なのだが、30代、40代の人に同じ問題を出して比較してほしい。よっぽどひどい結果が出るんじゃないだろうか。

Wednesday, November 21, 2007

教室での自然な英語コミュニケーション活動

 前にも同じことを書いたかもしれないが書く。

Eブックシリーズ情報/日本アイアール:研究会の運営―「英語展望」No. 115 の記事から - livedoor Blog(ブログ)

 リンクしたエントリにあるように、教室内での英語コミュニケーション活動は難しい。なので、視点を変えてみた。

私が前回のブログで述べたように、教室内の英語のコミュニケーション活動は、とても“自然な状況”でなされているとは言えない。中・高の英語教員はALT とはさまざまな話題について英語で話す機会があるであろうが、それをそのまま教室に持ち込むことは無理な場合が多い。

 ならば、生徒とALTとで、「望ましい英語教育」なるものを議論させてはどうだろう。

 本末転倒かもしれないが、まず、自分の身にかかわることを議論することになる。このような主観的テーマというのはやる気が起こるのではないかと推測する。

 それとテーマがはっきりした議論は、日常会話よりやりやすいのではないかというのは私の持論である。日常会話になると、文化論になりがちである。これを質問するは失礼、これをするのは失礼。英語以外が主眼になりがちのような気がしている。

 そして、学校教育としては定石の「明確な答え」がないというのが肝だ。最近、この類の思考法が問題らしい。
子どもたちは「能動的な勉強」「グループでする勉強」が苦手?[Pick UP 教育データ]【Benesse(ベネッセ)教育情報サイト】

 英語教員とALTが英語で話す機会があるというのは、テレビ等で知っている。それは小学校英語教育に関するモノが多かった。なので、小学校の先生ということになる。その際にこんな言葉があった。記憶なので、一語一句ままではないが、こんな感じであった。

 いやぁ、英語の勉強になりますね。

Tuesday, November 20, 2007

加賀野井秀一 『20世紀言語学入門―現代思想の原点』

 言語学版『生物と無生物のあいだ』である。

Amazon.co.jp: 20世紀言語学入門―現代思想の原点 (講談社現代新書)

 比較言語学から「ことば」の本質へと変遷してきた言語学史をコンパクトにまとめてある。それが20世紀の言語学である。「まとめてある」などと上目線で述べたが、そう信じる。私は専門家ではない。

 出発点はソシュールである。ソシュールの功績は大きいと改めて知る。しかし、ソシュールの疑問は、現代まで綿々と受け継がれていると知ることができる。

 先日、紹介したCayraでまとめてみた。

 Amazonのレビューで「詰め込みすぎだ」という指摘があった。私としては、言語学の歴史の概観を掴むのが本書の目的だと思う。なので、詰め込みすぎという反応はピンとこない。もちろん、私は言語学の流れに詳しくない。詰め込みすぎなのかどうなのか、その判別ができないのも事実である。

 しかし、樹形図として書いてみて「詰め込み過ぎかも…」と思えるようになった。正直なところまとめきれているのか、全く自身がない。特に構造主義の件になると複雑度は増す。構造主義については勉強したい分野のひとつである。

 物足りないのは記号論の件だ。記号論はチョムスキーへの布石となり、現在の認知言語学の土台だと、本書を読んで感じた。ここは大きな転換点だ。

 少し、Cayraについて気になったことを書く。

 生成されたマップはFreeMindに比べると色彩豊か。手書きのマインドマップの雰囲気を味わえる。しかし、PCへの負荷が大きい。私のように低スペックのPCをいまだに利用している人間にとってはストレスになる。ノードの配列は基本、オートである。それが煩わしく感じることが多い。自由度を阻害している。

Thursday, November 15, 2007

松井孝典 / 南伸坊 『「科学的」って何だ!』

 愉快痛快であるが、同時に、夢のない大人と映ってしまう。

Amazon.co.jp: 「科学的」って何だ! (ちくまプリマー新書 66)

 「ちくまプリマー」なので、中高生向けの書籍である。中高生向けの書籍は、ざっくりと概要を掴むのに最適である。なので、岩波ジュニア新書、ちくまプリマー新書は注視している。大人でも躊躇することなく手に取れと、自分に言い聞かせている。

 さて、本書は『「科学的」って何だ!』というタイトルと、松井孝典氏ということを考慮すれば、「宇宙に関することかしら?」と思うのが自然だ。しかし、内容は「メディア・リテラシー」と「情報リテラシー」である。Amazonのレビューを見ていると、ここら辺の食い違いが低評価のひとつと考えられる。実際、私もがっかりした。

 気をとり直して読んでみる。基本、愉快痛快である。しかし、読者ターゲットである中高生にはどうだろうか?と思うふしがある。自分の経験のみを頼りにした推測である。

 私が小中学生のころ、テレビではオカルトやら心霊現象やら超能力やら宇宙人やら無法地帯であった。毎週のように、これらのどれかが特番で放送されていたように思う。そのような番組では、たいてい、科学者と称する人が何人かゲストでいる。反論者として、もしくは、科学敗北のピエロとして。

 私はここで、まんまとテレビの術中に陥る。科学者はなんて夢のない連中なのだ。これらの現象がそう簡単に科学で理解できるのか。いや、できないんじゃないの。じゃぁ、不思議な方を信じちゃうよ。ほとんど生理的な反感・嫌悪である。理論もクソもあったものではない。

 本書には「科学者はなんて夢のない連中なのだ」と思わせる部分が多いと、私は感じる。そこに、もうひとりの著者、南伸坊氏はつっこみを入れるのであるが、突き放されてしまう。ディスコミュニケーションである。私が小中学生のころ、テレビを見ながら感じていたのと同じ感覚が本書に残っている。

 さてさて、残念がっていても仕方がない。本書では教育、特に科学教育に問題提起をしている。それが本書のコアである。

 日本に科学者という肩書きを持った人がどれほどいるか知らない。リタイアした科学者は義務教育課程へ天下りしてくれないだろうかと思う。子どもたちばかりへの影響ではなく、先生への影響も大きいはずである。そして、科学の授業で「読書会」も考えられてよいはずである。実験も確かに面白い。米村でんじろう氏などは、科学への門を開くのが役割だと考えていると、私は思う。その門をくぐった人への手助けとして「読書会」ほど必要不可欠なことはないと、ふと、考えた。

 古典物理は、子ども時代の「遊び」や生活そのものが読書会の役割をしている。しかし、高校でやる磁気学はチト日常から遠く、「遊び」や生活からイメージするのが難しい。物理を綴る数学に至っては、中学から抽象的な概念が入ってくる。幾何は大切な分野であるが、これも、微分・積分ほど直感的ではないというのが、私の経験である。

 サイエンス・カフェは学者間のブレインストーミングという性質が強いように、私には感じる。しかし、本来は学者と一般人のコミュニケーションの場である。それを教育現場へ持ち込んでもよいのではないか。私はこれを、リタイアした科学者がタクトを振るう「読書会」とした。如何なもんか?

Sunday, November 11, 2007

入力した英語を読み上げ、かつ、mp3へ - vozMe

 百式さん経由で知った、このサービスは利用価値がある。

入力したテキストをすぐにMP3でダウンロード可能にする『vozMe』 | 100SHIKI.COM

 入力した英文テキストを読み上げてくれるサービスである。パッとおもいつくのでは、Yahoo! Japanが提供している「英語学習 http://stepup.yahoo.co.jp/english/」の「英文を聴こう http://stepup.yahoo.co.jp/english/listening/」が思い浮かぶ。音声データとしは同程度のモノを提供してくれる。

vozMe

 vozMeは、その音声データをmp3でダウンロードすることができる。これに利用価値があると思う。

 現在、中学校の英語の教科書にはCDなどの音声データが添付されていない。このサービスを使えば手軽に音声データを入手することができる。入力の際に、英文をタイプすることにもなるので、一石二鳥だと思ってしまう。

見た目がイイ感じのマインドマップツール - Cayra

 PCでマインドマップというと、私は、FreeMindを愛用というほどではないが、利用している。

 FreeMindは、喩えるなら、テキストエディタである。派手な装飾はないにしろ、マインドマップを作成するために考えられた操作性は、えんぴつで書くそれと同じようなレスポンスを可能とする。しかし、テキストエディタであるので、作成されたマインドマップの見た目はシンプルそのもの。私は、物足りなさを感じていた。

Cayra - 新感覚のマインドマップツールで頭を整理 (Buzzy Dizzy Biz)

 ここで紹介されているCayraは、作成されたマインドマップの見た目がすこぶるよい。まぁ、私の嗜好ではあるが。とりあえず、試してみた。

Make it clear! | Cayra

 まず、気になるのは日本語が使えるかどうかだったのだが、問題なさそうだ。「なさそうだ」というのは、新規作成で日本語でつらつら書いて表示されたというだけの確認で、実用的な確認法ではないからだ。

 ひとつ「おっ」と思ったのが、FreeMindのデータを読み込めること。なので、FreeMindのデータを読み込んでみた。所望の出力結果ではなかった(これが、不具合なのか、FreeMindで保存したときの状態の問題なのかわからない)。

 もう少し、いじってみたい。

Saturday, November 10, 2007

生物と無生物のあいだ

 ようやく読み終えた。綺麗な文章だ。

Amazon.co.jp: 生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)

 分子生物学の近代史、だと思う。背景の人間関係がドラマタッチで描かれており、絵が頭に浮かぶ。外国人作家の科学書は、おおむね、本書のような文体である。私は、実は、このような文体は好みではない。

 好みではないが、『内部の内部は外部である』のくだりは、その表現力を妬む。これの表現が福岡氏のオリジナルなのかどうか、それは知りかねるが、綺麗な文章だと感じた。

 読了するのに時間がかかった。何冊、別の本を読んだのか、もう覚えていない。チビチビ読み進めた。しかし、読み終えると生物学への興味が沸いているのに気がつく。高校の生物のレファ本として最適なのではないだろうか。