Monday, February 25, 2008

矢野健太郎 『数学のおくりもの』

 スキマ読書のために手にしたが、いつの間にやら読み干していた。

Amazon.co.jp: 数学のおくりもの

 1980年初版であるが、内容はベスト・オブ・ベストのようなもので、古くは昭和30年に書かれたものがある。しかし、内容に古さを感じない。それが数学のよいところだ。いや、実際は古い。がしかし、私の不勉強の賜物でみずみずしく感じられる。それでも、最近ネット界隈で数学ネタとしてとりあげられている問題が本書には多くとりあげられている。

 具体的にどのようなものがあるか。

らばQ : 日曜日にぴったり、簡単だけどなんで?となる図形で頭の体操
 本書では、64 = 65 とタイトルされている。

かけ算2.0 | IDEA*IDEA
 本書では、イタリアの掛け算とある。

MORI LOG ACADEMY: 詐欺の手口
 算数のパラドックの一例として。

 数字・数学の歴史、パラドックス、幾何学のはなし、エッセイとヴォリューム満点だ。個人的に「投射と切断」の透視法(遠近法)の箇所がうまくつかめていない。昔からここらへんがチト弱い。

 算数・数学で必ずといっていいほど話題になるのは「大工の数学」だ。本書にも例外なくある。が、いつ見ても感心する。曲尺の使い方などは、知らないと驚くに違いないと思う。私は驚いた。立方根の算出などははじめて知った。あと本書にはないが、枡の使い方なども面白い。

ガスコン研究所: ■数学基礎:職人たちの数学

 矢野健太郎は数学の啓蒙書も多く執筆しているらしい。それゆえか、算数のエッセイや説明に力をいれているようなぁと本書を読みながら考えた。学校教育は、今までの積み重ねをキレイに整理して体系を整えている。それゆえに、「なぜ、こんな意味のないことを勉強しなければならないのか?」と疑問を持ちやすいと、私は考えている。算数・数学を理解する近道は追体験だと思う。これは、理科科目も同様である。そればかりではなく、英語にも当てはまる。Chomsky ではないが、Interventions なのである。

Sunday, February 24, 2008

ハルのアラシ

 映画の借金取立てのような強い風が窓をたたく。春の嵐というらしい。春の嵐とは、春一番がふいた後の強い北風のことをいうらしい。天気予報士がいっていた。久しく記憶にないので覚書する。

 昨日は、少し無理して外出した。今日は無理。家でくつろぐ。図書館へ行きたかった。借りたいものがあった。予約が面倒なので、棚に並ぶのを待っていた。近所の図書館では、図書はインターネットで予約ができるが、視聴覚メディアになるとできない。なぜ?

 それと、『新感覚☆わかる使える英文法』の書籍が発売になった。『文法がわかれば英語はわかる!』というものらしい。同時に、『ハートで感じる英語塾 英語の5原則編』も同時リリース。昨日夜、知った。書店へ足を運ぼうと思っていたが、断念。二重の orz である。

 テンションが低いまま一日を過ごす。久しぶりにテレビにどっぷり。『笑っていいとも!増刊号』を見ていると甲野善紀氏が出演していた。

甲野善紀 - Wikipedia

 驚いた。内田樹氏のブログによく登場する、あの人である。武道が必修化となったが、剣道や柔道などより、古武術のほうがよいと私は前に書いた。今でも変わらん。少しでも認知があがればよいと思う。まぁ、認知云々ではなく、武道界のヒエラルキーをどうにかしないといけないのかもしれない。

 NHK では選挙のときみたいに臨時ニュースが多かった。大抵は鉄道の運行状況であった。まぁ、この状況でも京急はいつもどおりかなぁと妄想する。同じ時間帯に北海道で大渋滞のニュースを観る。強風であおられた雪が積もって、道を塞いだという。なんだそりゃ。まぁ、車だから暖はとれるだろうからと思っていたが、燃料がなくなるということで、大抵の車はエンジンを切っていたようだ。

 もうひとつ驚いたのは高波のニュースであった。私は高波ということばは知っていた。しかし、実際の高波の映像を見て、認識を変えた。確か、富山か石川だったと思う。ありゃ、洪水である。私はもう少し穏やかな、東映だか松竹だか知らないが、映画の前に表示される海のようすのような若干荒々しい海の波がしぶきとなって街を襲うくらいに思っていた。違う、洪水である。

 しばらく寒いらしい。風は穏やかになってほしいものだ。唯一の副産物は家の湿度が上がることか。

Tuesday, February 19, 2008

7人の特別講義プロジェクト&モーニング編集部 『ドラゴン桜公式副読本 16歳の教科書』

 16歳という思春期の本としては聞きなれない年齢がターゲットになっている。16歳と釘打っている理由は巻末資料に書かれている。

Amazon.co.jp: ドラゴン桜公式副読本 16歳の教科書~なぜ学び、なにを学ぶのか~

 ドラゴン桜公式副読本らしい。ドラゴン桜のコミックもドラマも見ていない私にとっては、本書で述べられていることがドラゴン桜の名物講師にそっているのかどうかなど二の次である。

 本書の講師は7人。国語は金田一秀穂氏、数学は2人、鍵本聡氏、高濱正伸氏、英語は大西泰斗氏、理科は竹内薫氏、社会は藤原和博氏、課外授業は石井裕之氏である。豪華な特別講義だ。一人ひとりの印象的なことばを引用したい。

 ます、金田一秀穂氏

美しさや情緒なんて、しょせんはご飯のふりかけみたいなもので、ベースとなるのは正確無比な文章なんですよ。(pp.24)

 先日読んだ、三森ゆりか氏の『外国語で発想するための日本語レッスン』と同じようなトレーニング法が書かれている。「絵をことばで書く」は正に同じ。もうひとつ、金田一先生のはなしで好きなのが「辞書を作ると仮定してください。『右』ということばをどう説明しますか?」というのがある。こういうの好きです、私。お気に入りの答えは、「この辞書の奇数ページ側です」という答え。「やられた!」と思った。

 数学は例外的に二人でして、その一人の鍵本聡氏。括弧つきで計算問題となっている。平たく言うと算数だろう。

 でも、数学で学ぶのは、「知識」じゃないんです。
 もっと根っこのところにある「数学的思考」、つまり、ものの考え方や論理の進め方などを学ぶのが、数学という学問なんですね。(pp.50)

もうひとりの数学担当、高濱正伸氏は図形問題担当となっている。

 そしてやる気のある状態、つまりたのしくてたまらないというシチュエーションの中で、どうやって補助線が浮かぶような状態をつくっていくか。
 これを突き詰めていくと、外遊びに尽きるように思うんですね。(pp.82)

 うまい具合に相互依存になった。当然といえば、当然だ。最近強く、思うのは高濱氏のことばの方で「遊び」を認めないといけない。学校は座学だけで成り立っていたのは、放っておいても遊んだからだ。バランスがとれていた。今は、体を使った遊びを学校へ取り組まないとバランスがとれないのではないかと考えている。

 英語の大西泰斗氏。

 それは英語で読書すること。難しい本を読めってことじゃないんだ。最初のうちは童話でもいいし、なんとかポッターとかでもいい。教科書以外の、「ネイティブがネイティブに向けて書いたもの」を読む習慣をつけてほしいんです。(pp.119)

 なにも言うことはあるまい。

 理科(物理)の竹内薫氏。

それから物理学の中には「間主観性」という考え方があるんですよね。(pp.149)

 ともて難しいことをいっていると思う。理科は客観を理解するところからはじまる。その行き着く先が間主観性である。「はて、なんだろう?」ということになるだろう。高校では相対性理論も量子力学もやらないから気がつく人は限られているだろう。ちなみに竹内氏は「化学はダメ(苦手)」といっている。

 社会の藤原和博氏。

 でも、実際に [よのなか] 科が導入されている学校は、まだまだ少ない。これを読んでいる読者の大半は、そういう授業を受けられる環境にないと思う。
 そこでどうすればいいかといったら、なにより大事なのは良質な「遊び」ですね。(pp.175)

 上の高濱氏と似たようなことをいっている。同じような主張がふたつ入っているのは心強い。しかも、片方は校長先生である。

 最後は、セラピストの石井裕之氏。

 自己暗示という言葉には、大きな誤解が潜んでいます。
 (略)
 これはなぜかというと、ほんとうに大丈夫だったら、わざわざ「大丈夫だ」なんて言わないんですね。本当に受かる人、合格間違いなしと確信を抱いている人は「オレは受かるんだ」なんて言わない。(pp.194)

 はぁ、納得。確かにそうだ。誤解していたが、私はあまり実践していない。

 自分の得意分野、「これなら負けない」というものをつくっていくコツは、「部分から攻める」ことです。(pp.208)

 これは最近、うまい比喩をみつけた。どこで見つけたかは失念してしまったがこんな感じであった。「山は、高くなるために裾野が広がったのではない。高くなったから裾野が広くなったのだ」

 ビートたけしがこのようなことを言っていた。

大学の教授なんかは若いやつにやらせないとダメ。逆に、小学校なんかはじいさん、ばあさんにやらせたほうがいいんじゃないと思うよ。

 これ、感覚的にいいなぁと思っていたのだが、つながった。

Monday, February 18, 2008

橋本治 『ハシモト式古典入門―これで古典がよくわかる』

 目からウロコが落ちる1冊だ。文庫版がちくま文庫から出版されているようだが、私が読んだのはごま書房の単行本版である。

Amazon.co.jp: ハシモト式古典入門―これで古典がよくわかる (ゴマブックス)

 なぜ古典を勉強するのか?学生時代の最大のなぞであった。なぞであったのだが、真剣に考えたことはない。当然、勉強もしない。全くしない。人生で、古典に触れた時間は学校の授業のみである。勉強していないので、参考書を読んだこともない。はじめての古典に関する本である。

 なぜ本書を手にしたのか?それは、ことばについて書かれていたからだ。日本語の歴史が本書の半分を占めている。これは本書にもきちんと書かれている。

実は私は、この本で「受験生用のわかりやすい文学史」を書きたかったんです。(pp.222)

 私は日本語の歴史に興味がある。なぜ興味があるのかは、私の経験による。

 上に述べたように、私は古典の勉強を華麗にスルーしてきた。そんな私に大学時代の友人が言った。「漢文って、中国語だろう」と。血の気が引いたのを覚えている。古典を軽視してきたことを悔やむと同時に、強い満足感があった。「あぁ、そうだったのか……」と。のちに、中国人の同僚と話をしたときも同じような満足感があった。彼は高校のときに日本へ来た。公立校で学んでいたという。その彼がいう。「日本語は簡単。国語は漢字を追っていれば意味はわかる。漢文は中国語でしょう。ひらがなはすごい。数学はまた別の言語だし、問題は漢字を見れば理解できる。英語は日本人と変わらないね」と。思い出しながら書いているが、「ひらがなはすごい」のところに無意識がひっかかっていたのだろう。後日、『その時、歴史は動いた』の「ひらがな改革」の回を楽しみながら見ていた。

 いちおう、古典に関する「ひっかかり」は持っていた。そんな私が偶然、本書を手にした。「橋本治」という名前はもちろん知っていた。しかし、認知したのはごく最近である。それまでの間、『こち亀』の作者だと思っていた愚か者である。パラパラめくってみるとこんな目次が並んでいる。

  • 外国語で日本語をやるしかなかった奈良時代
  • 「ひらがな」と「カタカナ」
  • 「ひらがな」の持つ意味
  • 「漢字+カタカナ」の書き下し文は、現代日本語のルーツである

「うわ、すごい本みつけた」と思ったのと同時に、「なんで今更……orz」という思いもあった。複雑だったが、好奇心が勝った。読んでよかった。

 古典とは全く関係ないが、本書を読み感じたことのひとつに「古典が出来た人は、外国語もできるようになるのではないか?」がある。なぜか?現在では使われていない文法ルールがある。その理解は外国語に通ずると思う。それに、単語が分かればある程度は文を理解できたり、読めるんだけれども意味が分からないなどの共通点もある。残念なことに学校教育では、みごとに国語と歴史に分断されている。

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ひらがな改革

Tuesday, February 12, 2008

Begin Japanology

 Peter Barakan がホストを務める NHKワールドTV の番組である。

Begin Japanology : NHKワールド

 定期的に視聴しているわけではない。深夜に、ときどき、テレビをつけるとやっているといった類の番組である。今回、はじめて放送日と放送時間を知ったほどである。

 内容は、番組タイトルのごとく「日本学」というだけあって幅広い。昨日は、おにぎりについてであったが、私は以前、錦鯉の回を見て驚いてしまった。錦鯉の養殖者が流暢な英語を話すのを見て驚いた。そんなに大きいマーケットだったのか……

 NHK は同じようなモノに「COOL JAPAN」という番組を放送している。私は見たことがないが、バラエティー色が強そうなので、「Begin Japanology」のほうが好みかもしれない。

Monday, February 04, 2008

林剛司 『英語は「多読」中心でうまくいく!』

 高専で多読をとりいれた授業を行っている著者による多読の啓蒙書である。

Amazon.co.jp: 英語は「多読」中心でうまくいく!

 本書は「なぜ多読なのか」ということを、作者の英語学習経験、実務で英語を使っている人の英語学習本、英語教育界の提言などをまとめ述べられている。これでもかというくらい多読の効果を連ねれば、十分だと私は思う。本書を読めば、多読をやらねばと思うのが正常だろう。しかし、学校英語が悪いと言っているのではない。注意が必要だ。

 学校英語も十分機能している。文法と訳読式の精読は短い時間で英語の骨格を教授する方法としては最適だ。プラス、多読を始める前の基礎工事としても欠かせない。「じゃあ、どうすればいいのか?」という質問の答えは大抵、どっちもである。対立するものではない。本書もこのことは慎重に扱っている。

 さて、本書は多読の啓蒙書である。なので、「多読ってどうやるの?」というのが少ない。全くないわけではない。「多読の授業ってどんなの?」というもの少ない。全くないわけではない。くわしくは Web で、ということになるのかな。

SSS英語学習法/多読+シャドウイング

 個人的に気になった参考文献

  • 金谷憲 『忙しい人の多読トレーニング・メニュー』(IBCパブリッシング、2005年)
  • 金谷憲 『英語授業改善のための処方箋―マクロに考えミクロに対処する』(大修館書店、2002年)
  • 酒井邦秀、神田みなみ 『教室で読む英語100万語―多読授業のすすめ』(大修館書店、2005年)
  • 竹内理 『より良い外国語学習法を求めて―外国語学習成功者の研究』(松柏社、2003年)

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英語は「やさしく、たくさん」―中学レベルから始める「英語脳」の育て方

Friday, February 01, 2008

福田誠治 『競争しても学力行き止まり イギリス教育の失敗とフィンランドの成功』

 タイトルにあるように、イギリス教育の失敗とフィンランド教育の成功を示した書籍である。本書のBGMは稲葉浩志の『THE RACE』(from 『Peace Of Mind』)がぴったり。

Amazon.co.jp: 競争しても学力行き止まり イギリス教育の失敗とフィンランドの成功 [朝日選書831] (朝日選書 831)

 なぜイギリスとフィンランドを比べているのか?安倍晋三前首相が教育再生を提言した際に、ロールモデルとしてイギリスの教育、特にサッチャーの教育改革を示したからだ。では、イギリスで行われた教育改革はどのような結果になったのだろうか?それを知らずして安倍前首相の教育改革指針は見えてこない。

 本書の構成は、イギリス教育の現在を教育改革の影響から考察。改革前の教育比較となる。興味深い。そして、フィンランド教育思想と比較をし、フィンランド教育の考察。前者をアングロサクソン・モデル、後者をフィンランド・モデルと本書ではしている。これらふたつのモデル考察を受け、日本の教育はどこに着陸するべきかと続く。

 本書を読んでいて、ひとつの補助線が思い浮かんだ。経済、そしてそのメタになるであろう欲望だ。

 アングロサクソン・モデルとフィンランド・モデルは経済より特徴づけられた。ご存知のようにイギリスの通貨はポンドだ。ユーロではない。ヨーロッパはイギリス対EUのような関係対立が成り立つ。その考察が第3章にある。

 そして全体としては、学力は欲望値になっていると感じた。1位を目指す。結構なことだと思う。しかし、1位は相対的な価値観でしかない。売り上げ1位と変わらない。シェア1位と変わらない。メタな意味では、1位とは他者より優れているということだ。他者が、強いていえば敗者がいてはじめて価値がある。学力もそれと一緒だ。

 イギリスが1988年に教育改革をはじめた。1988年教育改革法という。それ以前は、今日のフィンランドとそっくりだという。今現在、イギリスでは大学で昔の面影を持った教育を行っている。それがせめてもの救いなのかもしれない。しかし、義務教育課程では画一的な競争により教育の成果を評価している。世界はひとつの基準で評価される。経済であり、お金である。そしてこれは、青天井の欲望である。

 日本で低学力問題というのが2000年前後に起こった。分数のできない大学生など、理数系の学力低下批判が行われた。この批判をはじめたのが経済学者だという。(pp.192)私は不勉強で初耳であったが、補助線である経済・欲望というキーワードが強く光りだした。

 教育者は経済を学ばなければいけない。経済界の理屈は非常に強い。私たちは結局、働く人になるからだ。すべてが経済に還元されてしまう。しかし、フィンランド・モデルを手本とするならば、経済の論理と戦えるだけの経済の知識が必要になると思う。もっとも、私は経済に明るくない。私が持ち合わせる武器は熱力学第二法則くらいだ。地球温暖化も手伝って、なんとか戦えるモノになっているのではないだろうかと思う。フィンランドを見習うのは実際の政策ではなく、経済を丸め込んだ論理である。

 競争することで自力をつけるということに全く反対ではない。確かに効果はある。しかし、相手がいなくなったとき何を支えにすればよいのか?学校では教えることができるのだろうか?他者は教えることができるのか?新たな敵を見つけるか?社会に出れば、否応なしに競争に参加させられる。同じ青天井であれば、無知の知に価値をおきたい。イギリスにはこんなことばがある。

茂木健一郎 クオリア日記: 堀江社長にとって「世界は誰のものか」

オックスフォード大学を出た人間は、世界が自分のものだと考える。ケンブリッジ大学を出た人間は、世界が誰のものでもかまわないと考える。

 イギリスは多様性を認めていた。このことばは簡単にそのことを説明している。似たようなことばが本書にもちりばめられている。

 偶然にも昨日(1月31日)のクローズアップ現代はEUの教育だった。

クローズアップ現代 NHK

 Blair前首相の「Education, education, education」が象徴的に放送されていた。本書にも出てくる。

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平等社会フィンランドが育む未来型学力