Wednesday, April 30, 2008

茂木健一郎出前授業

 以前、茂木健一郎氏が中学校で授業をしたということを聞いた。「授業をした」ということだけを聞いていたので、どんな内容の授業をしたのだろうと興味あった。

 クオリア日記のほうでも「授業をした」ということにだけ触れて、韓国へ行ってしまったので、どういう内容かお目にかかれないのかと思っていた。

asahi.com:脳を活かす勉強法 意欲引き出し「癖に」 - 頭がよくなる!? - 小中学校 - 教育

 「できることをやっても脳は喜ばない。無理そうなことをクリアすると、ドーパミンが大量に分泌され、『癖になる』」

 子どもたちに脳の働きについて説明する茂木健一郎氏=東京都杉並区の中瀬中学校、山谷勉撮影  テレビでおなじみの脳科学者、茂木健一郎さん(45)が18日、都内区立中学校の教壇に立った。脳をフル活用し、学習意欲を引き出す勉強法を教える出前授業だ。

 まずは「自己批評」から。自らの弱点を書き出し、全員の前で発表する。「なるべく具体的に。エピソードも交えて」と茂木さん。

 男子生徒は「僕は集中力がありません。この間も、テスト前なのに2時間も机でぼーっとしていました」。「逆にどんな時に集中できる?」と問われると、「いま折り紙にはまっています」。

 「そう。重要なヒントがあったよ。好きなことには集中できて時間を忘れてしまうね。脳はこの『フロー状態』が大好き」。ここからは「茂木先生」の独演場。いわく、計画を立てる必要はない。集中を妨げる雑念を感じる前に、思い立ったら即勉強、1分でも没入する。この回路さえできれば、後は体が勝手に反応する……。

 ほほーっ、と生徒たち。「メタ認知」「強化回路」などの用語にも、興味をそがれた様子はない。

 今回の授業は、以前から中学生への語りかけを希望していた茂木さんがPHP研究所と区に相談し実現した。「自分を振り返っても一番難しい年代。受験勉強は知的探求と矛盾しないし、『学習』はどの分野でも一生続けられることをつかんで欲しかった」

 見学した父母代表の唐沢弘子さん(48)は「小さくても成功体験と自発性が大切なんですね」。2年生の村上稜君(13)は「この勉強法で今年中に英語で100点を取ります」と宣言した。

●実践的助言、本でも

 茂木さんが昨年末に出版した「脳を活(い)かす勉強法」(PHP研究所)は45万部を超えた。「全力を尽くせば乗り越えられそうなギリギリの課題、壁を見つける。それは自分にしかできない」「他人との比較はデメリット」「時間を徐々に短くし、脳に負荷をかけて」など、今回の授業でも出た実践的な助言が詰まっている。自らも中学生の父親である茂木さんは「同様の授業を今後も継続的に開催したい」という。問い合わせは同研究所文芸出版部(03・3239・6256)へ。

 どうやら PHP 研究所とのコラボ企画らしい。杉並区もいろいろがんばっているなぁと感心する。

 で、なにをしたのかというと「自己批評」らしい。記事には「まずは……」とあるが、これしか書かれていない。「まずは……」ときたら「自己批評」以外の「ほかは……」を期待する。Web 版は短く編集でもされているのか?

追記
 PHP 研究所のホームページにもちょっと載っていた。

インフォメーション | 書籍 | PHP研究所

茂木健一郎先生の特別授業が開催されました!

 4/18(金)『脳を活かす勉強法』が45万部突破し好調の、茂木健一郎先生が杉並区立中瀬中学校で特別授業を行いました。

 最初の授業は5時限目。2年生の1クラスを対象に「自己批評プログラム」と題し、自分の欠点をみんなの前で発表するというユニークなもの。

 当日は教育委員会の方々や取材陣などが大勢詰めかけ教室は鈴なり状態。

 最初は生徒さんによる“自分の欠点”の発表でしたが、途中からなぜか担任の先生へのダメ出しに!

 茂木先生の「人生は自分の気づいていない欠点を見つけていくこと、自分を受け入れることでよりよい人間になれる。」という熱いメッセージに生徒のみなさんも一生懸命耳を傾けていました。

 6時限目は2年生全体と保護者の方を対象に体育館で行われました。

 ここでも茂木節が広い館内に響き渡りました。生徒の皆さんも積極的に発言され、授業は大いに盛り上がりました。

 気さくな先生の人柄に生徒のみなさんもみるみる打ち解けた様子で、終業後も茂木先生の周りに自然と生徒さんの輪ができるという、心熱くも微笑ましい授業となりました。

金谷憲 『忙しい人の多読トレーニング・メニュー』

Amazon.co.jp: 忙しい人の多読トレーニング・メニュー: 金谷 憲: 本 多読ということばも英語学習法として認知されてきたと思う。英語学習のことばとしての多読を簡単に説明すると、やさしい英語の本を多量に読むということになる。

 やさしい本とは?多量ってどのくらい?

 直感的に、やさしい本というと「内容のやさしい」本だと考えがちだ。間違いではないが、多読に関しては「簡単な単語で書かれた本」ということだ。簡単な単語とはなにかというと、その単語を知っているかどうか。いたってシンプルである。結果、内容がやさしくなることもあろうが、内容的にはむずかしくても簡単な単語で書かれた本はやさしい部類に入る。

 「やさしい」はもうひとつレベルがある。それが内容だ。上ではむずかしい内容でもやさしい単語で書かれていれば「やさしい」本としたが、本書では、

 どんなに難しい本でも、寝転がって読もうと思えば読めないわけではありませんが、本来、机に向かって背筋を伸ばし、精神を集中して読まなければ頭に入ってこない、というような本はやめておきましょう。(pp.16)

 量について、有名どころでは100万語などの具体的な語数がある。もしくは、ベーパーバックの高さが 30cm とか 40cm とか、高さで計ることもある。本書にはこうある。

ページ数より、冊数で勝負しよう。(pp.22)

 本書は「トレーニング・メニュー」である。多読をトレーニングにするためのメニューが書かれている。レベルアップの仕方はあまり見ない。

 あまり書くとネタバレになるので、ひとつだけ書く。読みのスピードアップ。それが最初の課題だ。

Friday, April 25, 2008

もう珍しくもなんともない「教師塾」

 滋賀県の神埼市教育委員会が「教師塾」を開始するという。教育委員会による教師塾がこれで何校になったのか、把握できていないが、オーダーメイドの教職員育成の流れが主流になりそうだ。

教師塾:指導力アップへ 神埼市教委が始める /佐賀 - 毎日jp(毎日新聞)

同市は県が昨年度から始めた「学校支援・振興プロジェクト」の対象地区の一つで、今年度は講演や教師同士の意見交換、授業指導案や教材の作り方などの研修などを行う。

 おや、これを読むと、横浜市や杉並区が行っているような教員志望の学生であったり、社会人を教育するのではなく、すでに教員として働いている「現役」の教員が対象のようだ。

 教育委員会がやる教師塾であるのならば、これが正道だろうと、私なんかは思ってしまう。しかし、塾が増えた。近く、齋藤孝氏と梅田望夫氏による『私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる』という本がちくま新書から発売される。塾もブームになるのか?

 ちょっとここいらで、行政による教師塾があるのかまとめてみる。

東京都教職員研修センター - 東京教師養成塾 平成16年4月
杉並師範館 HOME 平成18年4月
京都教師塾 平成18年9月
よこはま教師塾トップページ 平成18年9月

 もっとありそうだが、Google さんで「教師塾」を検索すると約124,000件ヒットする。やってられん。

Web[はるか★プラス] : 最新 教育課題データバンク : 「教師の力量向上」:動向 3ページ

東京都東大和市教委は授業力向上と共に学校経営に参画するリーダー育成のための「師範研修やまと『リーダー育成研修』」などが今年度より始まっている。

 引用文の今年度とは平成19年度のことである。

新潟市教委は13年以上の教職経験者ですぐれた教師力を持ち、市の研究・研修に貢献できる教員を養成する「マイスター養成塾」を2007年度より実施予定。

 なんだかよく分からないが、とにかく、地方行政は何かしらの手は打ってあるということでよろしいか?もう、地方行政による教師塾は珍しいものでもなんでもないというレベルになっているのかしら?

「すべての生徒の偏差値を上げます」

 学力テストが行われ、あいかわらず「学力」にまつわるはなしが多い。教育産業界、地方行政、教育行政、産業界など、多方面からアイディアが出されては、だらりと流されていく。そんな中で、京都府は革新的な教育改革を行い、先導していると私の目には映っている。

京都府教委 学力向上の妙案に予算 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

京都府教育委員会が、学力の向上策を府立高校から募り、優秀な提案をした高校だけに予算をつける「学力向上企画コンペ」に取り組んでいる。学校間の競争を通じ、新たな指導法の開発や全体のレベルアップを目指そうという試みだ。

 効果のありそうな案を、一校だけの特権としてしまわぬよい試みと思う。学力向上のアプローチは、それだけで金になる、金のなる木だ。公教育としては本末転倒になりかねない、経済原理をつぶそうという試みだろうと考える。

 それに閉じた空間での思索というのは、どうしてもアナがある。このような試みでは、評価する側も「なぁなぁ」ではない。閉じた空間では「あたりまえ」のことでも説明が求められることもあろう。主観と客観にする作業、自分の主観を相手の主観に昇華させる術は、現在の学力テストなどでも求められるスキルである。

 しかし、この読売の記事の中でどうしても気になることがある。

「毎朝、20分間学習を続け、すべての生徒の偏差値を上げます」

 いったい、どのようにして「すべての生徒」の「偏差値」を上げるのだろうか?近年の偏差値の求め方は、昔の偏差値の求め方と変わったのか?

学力偏差値 - Wikipedia

偏差値60以上(あるいは40以下)は、全体の15.866%いる。
偏差値70以上(あるいは30以下)は、全体の2.275%いる。
偏差値80以上(あるいは20以下)は、全体の0.13499%いる。


 それと、偏差値が学力値という認識がまだあるのか?この発言が誰によるものか記事にはない。「学力の向上策を府立高校から募り……」とあることから、教諭もしくは校長・副校長、とにかく、教職員によるものだろう。現場の人間がこのような認識なのは悲しい。それとも、記事を書いた記者が咀嚼した結果の表現か?私には判断がつかぬ。

 どこで、聞いたのか忘れてしまったが、こんな会話があったという。ある中年たちが飲み屋でしていた会話らしい。

 「オレ、偏差値低いから」

 学校を卒業して20年くらい経つだろう。いまだにその当時の偏差値を彼らは保持し続けているらしい。まぁ、思い出話だったのだろう。

Thursday, April 24, 2008

「2年連続1位は難しいかも知れませんが、それなりの自信はあります」

 賛否あるが、2回目の全国学力テストが行われた。前回の学力テストで好成績を修めた秋田県教育委員会の委員へのインタビューが掲載されていた。これを読んで愕然とした。

全国学力テストに232万人、秋田「連続1位」に自信 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

「2年連続1位は難しいかも知れませんが、それなりの自信はあります」

 昨年10月に公表された前回のテスト結果で、小学6年の国語と算数がトップになるなど好成績をあげた秋田県。県教委の佐々木孝雄副主幹は胸を張った。

 なぜここで、「いやぁ、別に1位だとか2位だとかには、我々は興味ありません」などと気の利いたひとことが言えないのだろうか。これではまるで「1位にこそ価値がある」、「平均より上であることに価値がある」という序列精神丸出しの発言ではないか。

 学力テストは、入試などの選抜試験ではない。なので、偏差値で考えると低い偏差値でも一向に構わない。偏差値が低いということは、正規分布の中央にかたまりが密集している状態である。学力テストはこれでも一向に構わない。

 せっかく、前回の学力テストで「たまたま」1位を獲得し、そのために、わざわざ取材させてくださいと秋田県に人が集まる。前回の学力テストの後、序列化を懸念する声があった。それを払拭できるのは、前回、よい成績を修めて注目を浴びている秋田県である。

 ここで、大阪府や沖縄県が「いや、順位は関係ありません」などといっても説得力がない。よい成績を修めた秋田県だからこそ、アピールできる絶好の機会だったのだ。やはり、「たまたま」1位だったのだろうかと勘ぐりたくなる。

いっち、に、いっち、に

 以下の記事を見ていたら思い出した。

ランドセル用の新型防犯ブザーベルトが売り上げ好調 - Ameba News [アメーバニュース]

防犯ブザーはランドセルの側面に吊り下げたり首に掛けたりして使用するが、ランドセルの側面ではとっさに手が届きにくい。首に掛けていると何かに引っかけてしまったり、首を絞められる危険性を懸念する声が多かった。

 今は小学生、全員がもっているといっても言い過ぎではないと思う。ちょこちょこ歩く低学年の子どもたちはもちろん、ランドセルを背負っているのが罰ゲームではないかと思うような大人びた高学年でも例外ではないだろう。

 ある晴れた日、すこし遅い昼食のためにコンビニへいった。小学校低学年の下校時とかぶってしまった。「あれ、こんなにはやく帰れたっけ?」などと、思い出しても思い出せない記憶と格闘することもなく、ぼけっと歩く。

 私のころは、集団登校をしていたが、集団下校ではなかった。現在は、集団下校らしい。蛍光緑のジャンパーを着た、地元の有志の方であろうか、その人が集団の先頭を率いて歩いている。集団の尾には先生らしき人が目を光らせている。

 蛍光緑のジャンパーを着た有志の方にとっては、集団の構成員は孫の世代になるであろう。とても和気藹々としながら、どちらも楽しそうに家路についているようにみえる。

 子どもに団体行動をとらせるのがどれだけ難しいか?年の功か、蛍光緑のジャンパーを着た有志の方はうまい具合に団体行動を子ども達にとらせていた。

 「はい、いっち、に、いっち、に、……」

 子どもたちが答える。

 「ビー、ビッ、ビー、ビッ、……」

 リンク先の商品と同じようなランドセルの肩紐(?)のあたりについているであろう防犯ブザーの音である。

 ずっこけそうになったが、まぁ、平和な証拠だろう。

 このあたりでは、きっと、小学生が携帯している防犯ブザーが鳴っても、蛍光緑のジャンパーを着た有志の人たちと、和気藹々、楽しげに家路に着く子どもたちの笑顔が思い浮かぶのだろう。

Tuesday, April 22, 2008

"ULTRA Treasure"に期待大!!

 B'z が20周年イベントとしてベストを出す。その名も『B'z The Best "ULTRA Pleasure"』とのこと。

:: B'z 20th Anniversary Special Web Site ::

 収録曲はリンク先を見てもらうとして、お決まりのごとく、もちろん Treasure もある。今回の Treasure もファンによる投票形式で収録曲が決まるあれであるが、全部選べる。全部である。

 なにを言っているのか?

 Treasure にリクエスト可能な曲はあらかじめリストで決められているのだが、『DEVIL』と US iTunes で配信された『Ai No Bakudan』『Home』『Dangan』『Ultra Soul』『Brighter Day』も含まれている。おおぉ。これはすごい。『Dangan』は猛烈に聴きたい。

 どうやら、Maroon 5 の『This Love』をカバーしたものは入っていないようだ。これは残念。まぁ、B'z の楽曲ではないから当然か……

 一番下にあり、気づかれない可能性大なのでここに記す。まぁ、こんなことしても結局、前回の Treasure と同様、シングル曲が大半を占めるのだろうと諦めモードでもある。

 しかし、3曲か。少なくない?前回は、はがきでの投票であったが、今回は Web で投票ができるようだ。一人1回なのでしょうか?あっ、書いてありますね、1回ですね。失礼しました。

Sunday, April 20, 2008

養老孟司 『養老孟司が語る「わかる」ということ』

Amazon.co.jp: 養老孟司が語る「わかる」ということ (新潮CD講演): 養老 孟司: 本 2003年7月21日に行われた、第15回愛知サマーセミナーの講演「だから戦争やテロが起きるのだ」の講演 CD である。1200円という値段が高いか安いかは個々の判断によるが、私は安いと思う。新書が700円前後で買えることを考えると、もう少し何とかできなかったのかなぁと思わなくはない。まぁ、レコード会社ではないので CD などの音楽媒体になると色々と大変なのだろう。養老孟司氏の一連の書籍を70分でなめることもできるのでコストパフォーマンスは高いと思う。

 独特のやや早口なしゃべり、ときどき何をいっているのか分からないこともある。内容ではなく、滑舌の問題である。私は人より聞き返す頻度が高いと、何度か注意されたこともあるので、私の問題なのかもしれない。

Saturday, April 19, 2008

「そりゃ鬱にもなるわなぁ」という出来事

 この記事を見たときは背筋が冷えた。

自習時間の児童のけが「担任は無過失」…最高裁が2審判決破棄 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 千葉市の小学校で2002年5月、3年生の男児が振り回した上着が目に当たって女児がけがをした事故を巡り、女児と両親が同市に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決が18日、最高裁第2小法廷であった。

 中川了滋裁判長は「担任教師に過失があったとはいえない」と述べ、市に約90万円の賠償を命じた2審・東京高裁判決を破棄し、原告の請求を棄却した。

 原告敗訴が確定した。

 判決は、事故が起きたのが朝の自習時間帯で、担任教師が別の児童と話していたことや、男児がふだんは乱暴ではなかったことから、「担任教師には、男児の行動を止める注意義務はなかった」と述べた。

 1審・千葉地裁は原告側の請求を棄却したが、2審は「担任教師は事故を未然に防ぐべきだったのに指導監督を尽くさなかった」として、請求を認めていた。(2008年4月18日20時03分 読売新聞)


 この出来事は以下の記事で知る。

担任はスーパーマンではない - 元検弁護士のつぶやき

例によって事実関係の詳細は不明ですが、言葉を選ばずに言いますと、法律馬鹿の高裁判断を最高裁が是正した、という感じなんですが。

 個人的感情としてはこのコメントに全力で賛成である。

 まず、背筋が冷たくなったのは、怪我した女児の両親が裁判に踏み切ったことである。加害の対象を教諭の過失に求めた。法に訴えるのであれば、怪我をさせた男児とその両親になると思うのだが、訴えやすいところからなのかどうなのか。

 女児の怪我の程度は分からない。顔の怪我だし、傷が残るとなれば「これはヒドイ」となるのは理解できる。まぁ、怪我の程度でこの大きさを決定することが前時代的な発想なのかもしれないが……

 このようなくだらない裁判が多いような気がする。中学の頃、社会の時間にこんなはなしを聞いた。アメリカで濡れた猫を電子レンジで乾かそうとし、実行した。猫は死んでしまったが、これをトリセツに「猫を入れてはいけない」と書いていなかった。ゆえに、メーカが悪いとし、裁判を起こした。原告が勝ったらしい。さすが訴訟大国アメリカと笑い話であったのだが、今は笑い話ではなくなってしまった。

教室での事故、担任教諭の過失否定:最高裁:きょういくブログ

判断が難しい問題だとはいえますが、裁判で事実認定された事実関係に基づけば、学校で起こった事故という意味ではそれなりの道義的問題はあるのかもしれませんが、教諭の過失というには酷ではないかと感じます。それ以上に、被害児童側が裁判にまで踏み切らざるを得なかった過程について何があったのだろうか、初期対応でよほどこじれたのだろうか・それとも同種事件への問題提起の意味を込めた訴訟だったのだろうかということが気になります。

 このように感じる人が大半であってほしいと願う。

Friday, April 18, 2008

なんという雨風

 ガタンガタン、ゴウゴウ、ザザァー。夜が白む前、ふとんの中で聞こえてきた音。

 うっすらと汗ばむ日もあれば、今日のように肌寒い日もある。この時期の服装はほんとうに難しい。冬物はしっかり押入れの中だ。

 なんという雨風だろう。傘なんぞ役に立たぬ。

 なにやら茂木健一郎氏が杉並の中学校で一日先生をしたらしい。明日のクオリア日記に書かれるかもしれない。何を話したのか興味ある。

 水泳のオリンピック代表選考会が NHK で放送されている。民放の過剰な演出とくらべると淡々としているが、これくらいが丁度いい。選考は一発勝負、かつタイムが基準をクリアしていないと優勝しても代表にはなれない。なかには、日本記録を大きく上回るタイムが設定されている種目もある。潔いというかなんというか。マラソンもこの方法がいいのではないかと思う。柔道もよく分からない。重付けの比率が多すぎる。

 窓をたたく雨はなくなったが、風はより一層強い。桜はもうだめだろう。まだ、梅雨のようなジトォとした空気でないのが救いか。部屋の中は意外と乾いている。

ジャン=クロード マリオン 『はじめての発声法―基礎を学ぶポイント30』

Amazon.co.jp: はじめての発声法―基礎を学ぶポイント30(ヴォカリーズ・エクササイズ付): ジャン=クロード マリオン,美山 節子: 本 英語発音に役立つかもと思い、ヴォーカル・トレーニングや発声に関する本を読んでいる。本書もそのひとつ。

 本書は、フランス人のジャン=クロード・マリオン氏による発声教本である。中高生向けに書かれているようなので、ほんとうの基礎ということになると考えられる。中学生であれば、男子は声変わりの最中であり、通常は喉に負担のかかること、例えば大声を出すなどの行為は避けねばならない。その中学生に対して行われる練習が喉に負担をかけるはずがない。ということは、喉を痛めない声の出し方なのか、それとも、声を出すということは、一体どういうことなのかと気づかせるためのものではないかと考える。

 本書を選んだ理由は、「あくび」について書かれていること。

 どのように口を開けば、最高のコンディションで声が出せるでしょうか?

 それを説明するには、さっそく“あくびのテクニック”の練習に取りかかるべきです。あくびは声を出すためのあらゆる好条件を、至極容易にそろえてくれます。すべての発声の筋肉が完璧な状態になるからです。(pp.63)

 日本人の歌手、特に J-POP の歌手の話し声と歌声のギャップは知っているだろう。日本人と違い、欧米人の歌声は話し言葉の延長である。そのための最高のコンディションを提供してくれるのが「あくび」であると言っている。ヒントがあるかもしれない。

 生理学的観点からあくびを分析している。7点挙げられているが、その7点をふまえて

どんな場合でも、舌は喉の方に引っ込んではいけません。そのことさえ注意すれば、あくびは、発声のために、完璧で理想的な条件をそろえています。(pp.63)

 舌の位置にさえ注意すればいいらしい。あくびを誘発する練習の仕方も載っている。

下顎をしっかり下げます。そうすると口が大きく開きます。
横隔膜を下げるのを止めて少しだけ息を吸います。サイヴァネティック回路(この場合は、目、大脳皮質、軟口蓋の連動作用)によって、軟口蓋や口蓋垂を下げたり上げたりします。私たちの日常の行動、たとえば歩く、話す、書く、読む、走る……などは、まず願望、欲求、意志によって始まります。脳はその意志を記録し、神経に指令を出します。神経はその指令に対応する筋肉を機能させ、それに肉体が従って反応するのです。このようにして自動性は生まれます。(pp.65)

 なんだかよく分からないが、とにかく、意識してのどちんこを上げて、鼻腔を塞げといっている。おそろしく鼻声になりそうだ。

 どれだけ役に立つかは未知数だ。

Tuesday, April 15, 2008

福島英 『ヴォーカルの学び方―あなたも欧米人のような声が出せる』

 副題が「あなたも欧米人のような声が出せる」とあるので読んでみた。

Amazon.co.jp: ヴォーカルの学び方―あなたも欧米人のような声が出せる (ON BOOKS)

 まったく関係ないが、私はカラオケが好きだ。特別うまいわけではない。ただ人より高い声がでる。結構チヤホヤされる。悪い気分じゃない。

 しかし、声が薄っぺらい。体つきやなんやらのせいだと思っていた。どうやら違うらしい。たしかに、プロの歌手にはマッチョな人もいればキャシャな人もいる。

 声の出し方に違いがあるらしい。日本人と外国人をくらべれば分かりやすい。全然ちがう。人種の差かとも思っていたが、どうやら違うらしい。最近、気がついた。

 本書は、欧米人と日本人の声の出し方の違いを書いている。参考文献を見ると、靜哲人氏の『カタカナでやさしくできるリスニング』(研究社出版 1997)とある。こちらをあたる方が正解なのかもしれない。しかし、本書は音楽と絡めて話が進むので、私には分かりやすい。

 いくつか確かめたいことがある。

 英語母語話者の声は低いのか?特に米語の男性。英語教材などに収録されている声を聴くと愕然とする。私の耳には「ビリビリ」と響く。ウーハーを積んだ車から漏れてくる音とも振動ともとれる、あの感じである。私はいまだに苦手だ。

 私の声は、本当は深くて太いのですが、日本人には低く聞こえます。というのも、日本では男性も女性も、子供のような浅い声で話しているからです(このことは、後述するように、日本人が音色より高低で音を捉えることや「声の敬語」的使い方に関係しています)。
 欧米人が日本人のまねをするときは、「オ、ハ、ヨ、ゴザイマス」などカン高くした口先でつくった声で、ブツ切れにとても不自然にやります。ということは、彼らは、日頃、こういう不自然なところで話さないということです。(pp.71)

 どうやら私は、一般的な日本人のようである。声の質を高低で判断しており、深さや太さでは判断できていないようだ。前に、マーティがこんな指摘をしていた。

理解できない! YUKIや大塚愛は米国だったら“オンナの敵”…だって恋のライバルだから - 日経トレンディネット

 まずは声質です。こんなに高い音程なのに、叫ぶように歌っているわけではなくって、甘えているように歌う超いやしの声じゃん。この独特の声質は、たぶん洋楽には存在しません。童謡にすらありません。

 この声を僕が日本語で表現するとしたら、「リスみたいな声」になります。日本人には、結構伝わるんじゃないでしょうか。でもアメリカ人には絶対に無理。だって「リスみたいな声」のボーカリストを聴いたことがないし、「リスみたいな声」という言葉はありえないから。

 だいたい同じことを言っている。「高音なのに叫ぶように歌ってない」というのは本書にもある。

 もうひとつ気になっているのはリズムについて。英語教材のいくつかに「英語は3拍子」とか「英語は3ビート」とかある。「3」は共通なのだが、「拍子」と「ビート」が違う。私は「拍子」も「ビート」も詳しく知らない。あやふやな理解でしかなかった。特に「ビート」が分からない。ドラムのリズム・パターン程度の理解だ。もしくは、ギターリフの「ズガズガ、ズガズガ」が8分で刻むというくらい(「ズ」がダウン・ピッキングで「ガ」がアップ・ピッキングという具体)。私のもうひとつの「拍子」と「ビート」の理解は、拍子記号の分母と分子の関係である。分母が「ビート」で分子が「拍子」という具合である。本書ではこれらの違いをこう示している。

 まず、pp.219 に「拍(音節)」とある。そして、

 俳句は、五・七・五で数えます。<中略>欧米人は、六・八・六か八・八・八でとります。彼らの耳には、強迫のない8ビートに聞こえるのです。(pp.112)

 ということは「拍=ビート」、すなわち「音節=ビート」ということができる。拍子については音楽的なことしか書かれていない。シャッフルやボサノバ、ワルツの3拍子という具合である。

 このことから類推する。「英語は3拍子」は、SVO や SVC のことを言っているのではないか。簡単な単語は1音節のものが多い。たとえば、I love you. はすべて1音節の単語である。拍子とは拍をまとめたものである。上に書いたが、拍は音節である。ゆえに、 I love you. というフレーズを3拍子と表現できる。「英語は3ビート」もおそらく同じであろう。

 洋楽にはウラノリの楽曲が多い。これはリズム感の差だと聞いたことがある。本書にはそれを、日本人はダウンビート、欧米人はアフタービートとしている。欧米人には救急車のサイレンがポピーに聞こえる(pp.161)とあるが、これは前に聞いたことがある。思い出した。

 いくつか分からないところもある。等時性のところだ。物理のときに、習った記憶があるが、どうも違うらしい。

See also
ブレスボイストレーニング・メソッド[参考]

Saturday, April 12, 2008

リチャード P. ファインマン 『ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉〈下〉』

Amazon.co.jp: ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫): リチャード P. ファインマン,Richard P. Feynman,大貫 昌子: 本Amazon.co.jp: ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫): リチャード P. ファインマン,Richard P. Feynman,大貫 昌子: 本 タイトルから推測して、「ファインマン、そんなやり方今まで聞いたこともないぞ!冗談だろう?」とか「ファインマン、冗談だろう?そんな無茶はやめてあきらめろよ……」などというやりとりでの「ご冗談でしょう、ファインマンさん」かと思っていた。が、違うらしい。

 私は本を読んで、声を出して笑うことは少ない。もちろん、喜怒哀楽を失ってはいない。しかし、身体反応として出ることが極端に少ない。本書は「ショートショート」と同様の面白みがあると、私は思う。「ショートショート」を読んでいるときは、「うまいなぁ」とか「いいアイディアだ」などと、作者の才能に感心して唸ってしまう。だから、面白さを表現する笑いが身体表現として出ない。時には嫉妬してしまうくらいだ。

 が、本書はファインマンさんが主人公である。実在の人物で、科学者で、ノーベル賞受賞者で、とにかく「アタマのいい偉い人」というラベル付けの人なのだが、やっていることは、かたやドリフのコントのようである。ベッドでゴロゴロしながら読んだのだが、脳から余分な空気がプシューと抜けていくように、私の声帯からも笑い声がもれる。

 読後に残っているのは爽快感。ほとんど、それのみといってもよい。一応、教育に絡めた箇所で付箋をつけている。それは、ブラジルと日本の物理教育、科学教育に対するもの。暗記のみが学問課程で重要視され、実際にそれを使う際に全く役に立たないといった類のもので、現在の教育問題に主流そのものだ。もうひとつ、心理学や精神科を嫌っている。私も似たようなスタンスなので興味をそそられる。

 こんなに豊かな人生をおくっている人間がいる。環境がよかったのか?話しのほとんどは第二次世界大戦中とその後の混沌として時代だ。時代背景などの条件は、当てにならない。ファインマンさんは優等生ではあるが、挫折もしている。受験社会の日本ではよくわかるのではないだろうか?成績十分でも定員の関係で第一志望の大学へは通えず、大学院も希望とは違う。しかし、MIT のことを愛しており、プリンストンのことも愛している。所属していたキャルテクも愛している。私たちの中にも似たような経験をしている人は多いのではないかと思う。

 Going My Way と原文に書いてあるのかどうか、私は知らないが、まさしく、これを貫いている強い人だと分かる。このことはたびたび本書にも出てくるが、『困ります、ファインマンさん』のアーリーンとのはなしが詳しい。

 こんな話を聞いたことがある。困難な環境を変えるにはどうすればよいのか?それにはふたつある。現実を変えるか自分を変えるか。現実を変えるとは困難な環境そのものを変えること。これにはコストがかかる。もしかすると社会制度かもしれない。そんな悠長なことはしていられない。それならば、自分を変えることがコストも安く、手っ取り早い。しかし、ファインマンさんについて考えるとしっくりこない。

 「感化力」ということばがある。

茂木健一郎 プロフェッショナル日記: 感化力

欠点や弱点もまた、同じことではないか。
劣っているところ、欠落していることを自分の
中に抱えて隠してしまうのではなく、
 むしろさらけ出すことで
 そこにある種の磁場が生じて、補助して
あげようという人々が現れる。

 本書から読み取れる、ファインマンさんの言動・しぐさは茂木健一郎氏のいう「感化力」になる。ファインマンさんの言動は、新入生や新入社員に求められる態度なのではないかとも思った。

 古い友達が、ちかく転勤になるようだ。送別会を開くとなると、重い決断のひとつなのかもしれないと考えている。本人に直接聞いたわけでないので憶測だが、新しい生活環境、職場環境のことを考えると、そんなこと大なり小なりなのかもしれない。もし、本書を読んでいなければ選別として贈りたい。

Monday, April 07, 2008

Roald Dahl 『Charlie and the ChocolateFactory』

Amazon.co.jp: チョコレート工場の秘密 - Charlie and the ChocolateFactory【講談社英語文庫】: ロアルド ダール,Roald Dahl,Quentin Blake,クウェンティン ブレイク: 本 しばらく、本棚の肥やしとなっていた。偶然、日本語訳を見つけて「そういえば、読んでいないなぁ」と思ったのがきっかけ。日本語訳はなんだかんだで読んでいない。

 本書を知るきっかけは、Johnny Depp の『チャーリーとチョコレート工場』だ。もちろん、映画は……見ていない。予備知識ゼロで読みはじめた。

 本書は児童書である。Amazon の年齢対象の項には「9 - 12歳」とある。小学校高学年にあたる。英語レベルは、手元にある本によると「TOEIC レベル 400点~」とある。まぁ、TOEIC レベル400点がどの程度のモノなのか、私は知らないのでなんともいえない。Wikipedia によると TOEIC 400点は D ランク(220点~465点)で評価は

国際コミュニケーション英語能力テスト - Wikipedia

通常会話で最低限のコミュニケーションができる。

とある。

 TOEIC のオフィシャルサイトから引用らしいのだが、引用先のページが削除されているので、現在は不明瞭である。が、本書が発行された2005年では、TOEIC はリニューアル前(リニューアルは2006年5月)である。

 さて内容であるが、Mr. Willy Wonka が人気あるのだろう。Johnny Depp が演じた影響もあるだろうが、奇想天外、はちゃめちゃ、不思議の国の人という感じがビシビシ伝わってくる。がしかし、個人的には Grandpa Joe が好きである。なんせ

He threw up his arms and yelled "Yippeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee!" And at the same time, his long bony body rose up out of the bed and his bowl of soup went flyng into the face of Grandma Josephine, and in one fantastic leap, this old fellow of ninety-six and a half, who hadn't been out of bed these last twenty years, jumped on to the floor and started doing a dance of victory in his pajamas. (pp.61)

 7ページ目の挿絵のおじいちゃんからは想像できない、62ページの挿絵がかなりツボった。"Yippeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee!" である。いったい、いくつ "e" があるのだ。かなりかわいい。私がおじいちゃん好きになるのには伏せんがある。7話に「Grandpa Joe Takes a Gamble」というのがある。明らかに Charlie より興奮している。

 Oompa-Loompa もよい味をだしている。皮肉たっぷりの詩でフェードアウトするさまはいやらしい。しかし、これが救いのような気もする。個人的に、ここの英語が苦しかった。途中何かを掴んだのであるが、今ひとつぼやけている。宿題だ。

 本書は挿絵もいい。Quentin Blake という人の仕事らしい。ホームページはすばらしいイラストが多くある。

Quentin Blake Official Website

 さて英語であるが、よいリズムである。噛むことなく読めると、最上級の喜びがある。逆につっかかると、気持ちよいリズムがあるのではないかと発音を調べ、アクセントを調べ、などなどやりたい衝動に駆られる。これは使えると思った。そうしたら案の定、同じように思っている人がいた。齋藤孝氏の『話上手 聞き上手』(ちくまプリマー新書)の「音読で抑揚を学ぶ」にて絶賛されている。ここで、オーディオ・ブックがあることを知る。

 私もオーディオ・ブックを手に入れようと気持ちが揺らぐ。が、ここで少し気に入らない。オーディオ・ブックの方が DVD より高額なのである。高額であるといっても 3000円くらいなのだが、DVD は 1500円である。ちょっと、悩む。映画も見ていないので、両方購入してもいいのだが、なんか納得いかない。

Saturday, April 05, 2008

バット・コミュニケーション

 快晴。昼間の自転車は、ほんとに気持ちがよい。

 役所へ行く。細かいことはコンシェルジュに聞けばいいと思っていた。大失敗。小さい頃に訪れたきりなので、何がどこにあるのやらトンと見当がつかぬ。駐輪場すらどこにあるのか分からない。不安だった。

 ロビーに入る。とても、豪勢なロビーだ。「豪華な庁舎をもつ行政府は、なんたらかんたら」ということばがアタマに響く。申し訳なさげに、インフォメーションセンターらしきものが、少し歩いたところにある。

 ウソを言ってはいけない。もしくは、不確実な情報を自信満々に言ってはいけない。もちろん、コンシェルジュは「正しい、正確な、客観的な情報だ」と、信じて疑わないのだろう。「それについては、こちらに書いてあるように、うんぬん」といわれても、「おたくは文章が読めないのですか」と言いたいところをグッと我慢し、これはまずい「ありがとう」と伝え引き下がる。悪気がなければいいのかというと、許されるのは子どもに限る。バット・コミュニケーションだ。

 久しぶりに自転車乗りの手信号を見た。「あっ、手信号だ」と思ったが混乱した。その人は、左手をまっすぐ伸ばした。確か手信号には3つの意味があったと思い出した。

 右折、左折、停止。この3つだったと思う。今日見た、手信号は私の記憶の中では「停止」だった。混乱したのは、次の動作。スピードを緩めることなく私側に、former からすれば左折してきた。ディスコミュニケーションだ。

 マニュアルは発信者にとっては、とても便利なモノだ。私もその恩恵を多分に受けている。しかし、一方通行になりやすいということをアタマの片隅においておかなければいけない。共通理解されていることは、私たちが思っているより少ない。バット・コミュニケーションとディスコミュニケーションは違う。ディスコミュニケーションは共通理解の欠如だが、バット・コミュニケーションは個々人によりそうだ。

Thursday, April 03, 2008

齋藤孝 『齋藤孝の相手を伸ばす!教え力』

Amazon.co.jp: 「齋藤孝の相手を伸ばす!教え力」: 斎藤 孝: 本 先日、塾講師の教え方の本について書いた。確かに見習わなければならないところが多い。しかし、学問として教師教育に携わっている人たちはダメなのか?というわけで、読んでみた。

 著者は齋藤孝氏、メジャーどころである。国語の先生というイメージが強いが、「はじめに」でもふれているように、氏の専門は「教育者教育」である。安河内哲也氏とは対極である。教師の力量低下に関して、コアな部分を担ってきた先生はどう思っているのか?

 まず、本書がどのような位置づけなのか、「はじめに」に以下の記述がある。

以前、『教師=身体という技術』(世織書房)という本を書きましたが、これは専門書であり、教職以外の方にとっては距離が遠く、説明しきれない部分がありました。そこで、一般の方向けに、「教える」という行為を解説してみたいと考え、この本を執筆することにしたのです。(pp.5)

 専門書ではないが、内容は同レベルであると考えよさそうである。このようなことを書くからには、以前書いた書籍の内容を、一般の人に近い形にしたと考えるのが素直だと思ったからである。

 学問として「教育者教育」を研究している大学教授と塾講師で地道に培ってきた教え方は、どのように違うのか?当然であるが、同じである。違うところを探すほうがむずかしい。強いてあげるならば、学習環境に生徒の身体を考慮しているかどうかがあげられる。

 安河内氏は、自分の努力によるんだという、徹底した自己批判を貫いているように思える。場の雰囲気を和ませるのは、己の話術、雰囲気、所作などなど、自分が変わることで相手の過度な緊張を解くと読める。

 齋藤氏は、それプラス、生徒の身体を考慮している。これも氏の専門のひとつである。呼吸法や四股は有名かもしれない。このような記述がある。

学ぶ側の構えというのは、空間的、時間的にかなり制約されるものです。(pp.170)

同じように、教室内が寒すぎたら暖める、熱ければ窓を開けて冷やす。基本は、酸素量に気をつけるということです。(pp.170)

 安河内氏にとっては、あまりにも当たり前すぎて書かなかったのかもしれない。予備校の設備がどのようなものか、私は知らない。公立の小中よりはマシだとは思うが。安河内氏は、メンタル部分についてよく書かれており、齋藤氏はフィジカル部分についてもよく書かれている。私が、見つけた違いはこの部分である。

 3色ボールペン風にいうなれば、本書は緑が多かった。そういえば、本書には3色ボールペンが一言も出ていない。

Wednesday, April 02, 2008

攣る

 むずかしい字を書くのだなぁ。「攣」は、遠めで見るとサソリに見える。「吊った」のではないので、漢字にしたかった。今朝、首をつった。

 うわさには聞いていたが、痛い。とてつもなく痛い。いたるところをよくつる友達がいたので、知識はあった。その友達は、足はおろか、首、背中、手などなど、いたるところをつる。見ていて、ゲラゲラ笑っていたのだが、ごめんなさい。

安河内哲也 『できる人の教え方』

 公立教員の力量が問題視されている。最近では、「教え方」を塾講師に学べといわれている。

NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 : 「大人の学び」を科学する: 早稲田アカデミー・教師力養成塾に行ってきた!

 というので、読んでみた。

Amazon.co.jp: できる人の教え方: 安河内 哲也: 本 著者の安河内哲也氏は東進ハイスクールの講師である。しかも、「カリスマ」である。確か、『AERA English』にコラムかなにかを書いていたと思う(不正確な記憶です。間違っていたらごめんなさい)が、それで予備校の英語講師なのだなぁということは知っていた。東進ハイスクールがどんなところだかは知らない。氏の著書ははじめて読む。なので、詳しいことは Wikipedia にまかせる。

安河内哲也 - Wikipedia

 エピローグの「『モグリ教師』の私を育ててくれた人々」にこんな記述がある。

 学生時代は教える仕事で忙しく、「教育心理」も「教育原理」も中途半端にしかきいていませんでした。大学4年生のころは予備校が忙しく休みがとれず、教育実習にも行けず、教員免許すらもっていません。(pp.222)

 さて、内容は氏の我流の教え方である。我流と聞いてどう思うだろう。「なんだ」と思うか、「ふむふむ」と思うか。上記引用の発言でますます「なんだ」と思う方もあるかもしれない。

 はなしは変わるが、重松清氏の発言は興味深い。重松氏は教育に関する著書が多い。そのためか、「教員免許も持っていないの」云々との反応が多いらしい。しかし、重松氏は教員免許をもっている。それを告げるとおとなしくなるらしい。

 なにが言いたいか?教員免許が「なんぼのもんじゃい」ということである。だから、専門家にはもっと発言してもらいたい。最近では、苅谷剛彦氏や尾木直樹氏などが、ポピュラーでメジャーな専門家になりつつある。もっともっと発言してもらいたいのだ、私は。

 なぜか?教育分野の研究はフィールドワークだからだ。

 政治や外交に関することなどの街角インタビューなどをニュースで見ていて感じることがある。「なんで、みんながみんな、政治家や官僚みたいな目線で意見するのだろう」と。「もっと、身近な出来事でいいじゃないか。それをメタな知見にするのが政治家の仕事だろう」と思ってしまう。教育についても同じである。教育分野の研究はフィールドワークである。そのことを、私たちは理解しなければならない。

 さて、内容であるが、そんなにスゴイことが書いてあるわけではない。おおよその人が、教える際に考えるであろうことが書かれている。ということで、「初心忘るべからず チェックリスト」のような扱いがよろしいと思う。なかでも、面白いものをいくつか

ある実験によると、講師が「この生徒たちの能力は高い」と思い込んで講義をした場合に、実際の受講生たちの能力よりもよい成果が表れたそうです。(pp.118)

 プラシーボ効果かしら?どのような実験なのか、出典が明記されていないので分からない。まぁ、経験則から「あるだろう」とは言えそう。「感化力」と関係がありそう。

 配布資料をマジックに喩えて

だからこそ、配布資料には、その日に教える「大事なこと」は書かないで、穴埋め形式にしておくのが鉄則です。(pp.107)

 確かに、これなら生徒を講義に集中させられるとともに、資料が捨てられることもない。そしてこれには、

単語や熟語の意味を調べるであるとか、英文をダラダラと和訳してノートに書くといった行為は、一見、勉強のようにみえなすが、これは「勉強」ではありません。「作業」です。(pp.107)

という、氏の考えに則っている。

 以下は、予備校講師の方がシビアな問題かもしれない。

人に教えるという行為は、規模の大小を問わず、ボロクソに言われ、ノイジー・マイノリティーの餌食になるのです。(pp.162)

 これで、自殺した新任教師がいた。本書にある「70% の満足度がとれれば、100% みたいなものだ」(pp.160)ということばは、学校にはない。教師ひとり一人が、肌身離さず持ち歩いていなければならないことばなのかもしれない。

 筆者のスゴイところは、これを実践していることだ。で、教員が予備校講師の学ぶことといえば、「勉強すること」に集約されそうな気がする。予備校講師は、とにかく勉強しているようだ。本書を読むと、それだけで、気持ち悪くなりそうなくらい勉強している。公立の教師と比較して、タイムスケジュール、シーズンスケジュールがどうなっているのか興味深い。昨日(4月1日)の『プロフェッショナル 仕事の流儀』にとりあげられていた中村勇吾氏のシーズンスケジュールは教師向けだと感じた。

Tuesday, April 01, 2008

よくよく考えれば、そうでしょう。

 4月1日である。エイプリルフールである。ちょっと、おもしろい記事をみつけた。

エイプリルフールで嘘をついていいのは、午前中だけって知ってましたか? | | とりあえず、やってみる! | あすなろBLOG

 で、調べてみた。

April Fools' Day - Wikipedia, the free encyclopedia

Traditionally, in some countries, the jokes only last until noon. If you play a trick on someone after this time you are the April Fool.[1] Elsewhere, for example in France, the jokes may last all day.

 ほうほう。フランスでは all day らしい。フランスらしいといえば、フランスらしい。で、Wikipedia のこの部分の出典はこちら。

KIDPROJ MCC: April Fools Day // April Fools Day - Several countries

 で、About Us によると

Its free educational programs motivate learning by helping teachers relate local curriculum guidelines to students' personal interests and goals.

 ということ。このサイトは結構、使えるかもしれない。

 まぁ、よくよく考えれば、朝一に会った際に「一発、かます」のが普通だろう。英国の新聞では、どれがエイプリルフールなのか、みんなが一生懸命になって探すらしい。それくら、クソまじめに書いてあるらしい。以下のリンクは去年のエイプリルフール記事について。

イギリスの新聞社による毎年恒例のエイプリル・フール記事:イギリス経済・最新ニュースについての情報です!

 日本の新聞にもあるのだろうか?エイプリルフールでなくとも、ときどき、本気なのかジョークなのか、エイプリルフールのイギリスの新聞なみに頭を悩ます記事は読めるが……