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Friday, February 06, 2009

田村理 『僕らの憲法学―「使い方」教えます』

Amazon.co.jp: 僕らの憲法学―「使い方」教えます (ちくまプリマー新書): 田村 理: 本憲法とは国家と国民が緊迫した
攻防をするためのルール

憲法とは何か?
まず、
憲法と法律の違いがわからない。
なぜ同じものがふたつもあるのか
不思議でいた。
学校を出たての私の答えは
「守らなければならないもの」
であった。

すごくぼやけている。
「誰が?」を明確に示せない。
「とにかく大切なものなのだ」
というあやふやさで支えられている。
社会に興味のない学生だった。
こういう学生は結構いると思う。

目次
序 たくさん憲法について学んでも、肝心なことは教わっていない!
第1章 憲法の楽しみ方教えます!―「緊迫した攻防」のルール
1. 憲法とは何か―立憲主義という原理
2. 日本国憲法の立憲主義―国民は憲法を守る義務を負わない!
3. 国民と公権力が「マッチ」するためのルール
4. 憲法改正最大の論点―国家と国民の関係
第2章 国家が敵になるとき―目の前で痴漢が捕まったら
1. 『それでもボクはやってない』を観よう!
2. 公権力の危険性はこうして現れる
3. それでも必要な公権力―被害者の立場で
4. 「緊迫した攻防」のルール
5. なぜ「緊迫した攻防」ができないか
第3章 憲法の使い方―国民ができること・すべきこと
1. 立憲主義は何のために生まれてきたのか
2. 立憲主義の第一の砦―立法権を核とした民主主義
3. 立憲主義の第二の砦―違憲審査制
第4章 憲法の人間像―僕たちはどうあるべきか
1. 震災に学ぶ
2. 正義の味方の育て方
3. 「ものすごく強い」人間を前提に
終章 九条改正を考えよう!―一八歳、国民投票に向けて
あとがき
もっと学びたい人への読書案内
日本国憲法 全文

こんな私が憲法の基本的な
概念を理解したことばが
本書にも引用されていた。
宮台真司氏のことばである。

東京新聞:社会学者 宮台真司さん 国家操縦の『憲法意思』大事:試される憲法(TOKYO Web)

 ただ、憲法が「国民から国家への命令」であるという基本的理解すらない無知な政治家ばかりという現状では、私はいずれの憲法改正にも反対です。改憲は十年早い。

 憲法は、国家への国民の意思を書いた「覚書」です。戦後日本に、この憲法でいいという「憲法感情」はあっても、国家をどう操縦するかという「憲法意思」が乏しい。だから何が書かれていても空文化してしまう。

 意思なき国民が大半になれば、憲法は紙切れ同然。大事なのは、憲法に何が書かれているかではなく、国民が何を意思するのか。


私はこの記事よりも前に別の場所で
同様な発言を聞き、目からウロコが落ちた。

具体的にはどういうことだろう。

『それでもボクはやっていない』を
教材に三者の視点から考察・説明する。
冤罪被害者の主人公、被害者の女の子、
そして第三者の視点。

話はすっ飛ぶが、
このようなレビューをする習慣がある人が
どれだけいるだろうか?
学校で身につけさせるべき
プライオリティの高い態度であると思う。
しかし、すっ飛ばされてしまい、
感想を述べる場に変わってしまう。
先生が喜びそうな感想を述べる場に。

話が逸れたが、
『それでもボクはやっていない』の
考察を読むと、とても切ない、
やりきれない非力さを感じる。
しかも、三つ巴の非力さである。

青臭いことはいくらでもいえる。
しかし、国民が
「憲法とは国家と国民が緊迫した
攻防をするためのルール」
を理解することが何よりも優先されることだ。
話はそれからだ。

Wednesday, August 06, 2008

野矢茂樹 『無限論の教室』

Amazon.co.jp: 無限論の教室 (講談社現代新書): 野矢 茂樹: 本 この甘酸っぱい感じはなんだろう。私はなぜか「タッチ」を思い出していた。哲学の本から受ける印象と、青春マンガから受ける印象が同じなのはイヤハヤ……

 本書は、タイトルどおり「無限」に関する哲学の本である。無限と無限論に差があるのかどうなのか知らないが、とにかく無限について書かれている。なので、哲学といっても数学であるといってよい、と私は思う。まぁ、こんなことをいえばグーで殴られるだろう。でも、理解へ到達する順番として私はそう思うことにした。そうしたら意外とスッキリした。しかし、このスッキリ感が理解につながっているかどうかはあやしい。

 本書が無限論にかんして、どれほど優れた解説書かどうかわからない。電磁波や四次元はイメージしにくいが、数式としてはしっかりと記述できる、そういうギャップに等しいと思うからである。なにが「そういうキャップ」に等しいのか?私が読んだ他の本での無限の説明だ。このようなギャップを伴っていた。しかし、本書はしっかりと無限を捉えることができる、と私は思っている。優れた解説書かどうかわからないのは、比較することができないからだ。これは私の不勉強に他ならない。

 優れた解説書かどうかわからなくても、良い本に出会ったというのはわかる。和尚さんとタカムラさんといっしょにイスに座って講義を受けているというのではなく、もうすこし離れた、大学院生がその講義に聞き耳をたてている、そんな距離感を味わった。私はそんな距離感がすごく好きだ。ときどき読み返すだろうなぁ、この本は。

Sunday, April 20, 2008

養老孟司 『養老孟司が語る「わかる」ということ』

Amazon.co.jp: 養老孟司が語る「わかる」ということ (新潮CD講演): 養老 孟司: 本 2003年7月21日に行われた、第15回愛知サマーセミナーの講演「だから戦争やテロが起きるのだ」の講演 CD である。1200円という値段が高いか安いかは個々の判断によるが、私は安いと思う。新書が700円前後で買えることを考えると、もう少し何とかできなかったのかなぁと思わなくはない。まぁ、レコード会社ではないので CD などの音楽媒体になると色々と大変なのだろう。養老孟司氏の一連の書籍を70分でなめることもできるのでコストパフォーマンスは高いと思う。

 独特のやや早口なしゃべり、ときどき何をいっているのか分からないこともある。内容ではなく、滑舌の問題である。私は人より聞き返す頻度が高いと、何度か注意されたこともあるので、私の問題なのかもしれない。

Friday, December 28, 2007

内井惣七 『パズルとパラドックス』

 Lewis Carrollが数学者であることを知ったのは数年前である。

Amazon.co.jp: パズルとパラドックス

 ナンセンス本として『アリス』は有名らしい。私はナンセンスが何なのかよく分からない。「くだらない冗談」というくらいの意味だろうか。なぜ「くだらない」のか?冗談の意味が分からないからだろう。冗談の意味は何か?ことばや文化とされているような気がする。「外国人と笑いのツボが違う」という言い方を聞く。本書は「いやいや、それらを差し引いても面白いですよ」という。差し引いて残るもの、論理だ。

 本書は論理の本である。論理パズルであるが、論理でよいだろう。これらの違いがよく分からない。読み進めるとゲーデルの不完全性定理にたどりつく。不完全性定理に耐えられるだけの下ごしらえもしてあると思う。

 本書で残念なところは、関西弁?大阪弁?で書かれていることである。『アリス』と論理を絡めた、この手の本はいくつか確認しているのであるが、縦書きではなかったと思う。縦書きが本書を手にした理由に含まれている。しかし、横書き以上に関西弁がストレスになった。

Tuesday, December 25, 2007

橋爪大三郎 『はじめての構造主義』

 「はしがき」に

ちょっと進んだ高校生、いや、かなりおませな中学生の皆さんにも読んでいただけるように、書いてみました。(pp.3)

とあるように読みやすい。

Amazon.co.jp: はじめての構造主義 (講談社現代新書)

 「読みやすければよいのか」といわれると閉口してしまうが、「はじめて」という冠をつけているのであれば、とにかく読んでもらわなければはじまらない。本書は目的を果たしている。

Saturday, December 01, 2007

冷泉彰彦 『「関係の空気」 「場の空気」』

 日本語から「空気」を読み解くというスタイルに驚いた。驚いたは大げさかもしれない。私にとっては新しい視点だ。

Amazon.co.jp: 「関係の空気」 「場の空気」 (講談社現代新書)

 「空気」が日本語によるというのは信じられない。少し前の私ならそう思った。そう思わないのには、前提知識がある。

名前をつけるとは、どういうことか。ものを「切る」ことである。…なぜなら、「頭」という名前をつければ、「頭でないところ」ができてしまう。「頭」と「頭でないところ」の境は、どこか。(養老孟司 『解剖学教室へようこそ』 pp.59 ちくま文庫)

 これは、はっとした。

 英語を日本語のように理解できるようになる。そう信じて勉強していた、学生時代。しかし、思うようにいかない。しばらく英語と距離をとっていたが、またトライしようとしたときも同じような気持ちであった。

 養老氏のことばを知った後では、考え方が違う。ことばで区切ることは日本語も英語も違わない。しかし、日本語と英語で包括される意味が違う。だから、外国語がむずかしい。認知言語学の基本的な考えもこれに準じるのではないかと推測している。

 さて話を戻す。

 本書のタイトルにもある「関係」と「場」というキーワードが出てくる。「プライベート」と「パブリック」という意味で使われている。この視点は興味深い。英語でも「プライベート」と「パブリック」の差はあるが、語レベルになると私には見えにくい。日本語は、はっきりしている。「プライベート」と「パブリック」の切り替えに問題があるといっている。

 私は前に敬語はいらないと書いたことがある。特に会議、議論の際のことを念頭においている。活発な議論の妨げになると思っているからだ。上の人はため口で議論しているのに、下の人は敬語を使って議論しなければいけない。出来の悪い、八百長のようだ。そう非難してきた。

 本書では違うという。というか、「です、ます」調を基本形式とすることを提案している。全く、正反対のことを述べているのに、ひどく納得した。「です、ます」調は敬語でも丁寧語でもない。日本語の基本スタイルだといっている。これにひどく同調した。求めたいことは同じである。

Tuesday, November 20, 2007

加賀野井秀一 『20世紀言語学入門―現代思想の原点』

 言語学版『生物と無生物のあいだ』である。

Amazon.co.jp: 20世紀言語学入門―現代思想の原点 (講談社現代新書)

 比較言語学から「ことば」の本質へと変遷してきた言語学史をコンパクトにまとめてある。それが20世紀の言語学である。「まとめてある」などと上目線で述べたが、そう信じる。私は専門家ではない。

 出発点はソシュールである。ソシュールの功績は大きいと改めて知る。しかし、ソシュールの疑問は、現代まで綿々と受け継がれていると知ることができる。

 先日、紹介したCayraでまとめてみた。

 Amazonのレビューで「詰め込みすぎだ」という指摘があった。私としては、言語学の歴史の概観を掴むのが本書の目的だと思う。なので、詰め込みすぎという反応はピンとこない。もちろん、私は言語学の流れに詳しくない。詰め込みすぎなのかどうなのか、その判別ができないのも事実である。

 しかし、樹形図として書いてみて「詰め込み過ぎかも…」と思えるようになった。正直なところまとめきれているのか、全く自身がない。特に構造主義の件になると複雑度は増す。構造主義については勉強したい分野のひとつである。

 物足りないのは記号論の件だ。記号論はチョムスキーへの布石となり、現在の認知言語学の土台だと、本書を読んで感じた。ここは大きな転換点だ。

 少し、Cayraについて気になったことを書く。

 生成されたマップはFreeMindに比べると色彩豊か。手書きのマインドマップの雰囲気を味わえる。しかし、PCへの負荷が大きい。私のように低スペックのPCをいまだに利用している人間にとってはストレスになる。ノードの配列は基本、オートである。それが煩わしく感じることが多い。自由度を阻害している。

Monday, September 03, 2007

死の壁

 「死」についての本。しかし、「死とは何か」という本ではない。

Amazon.co.jp: 死の壁 (新潮新書)

 養老孟司氏の『人間科学』(筑摩書房、2002年)を読みたかったのだが、置いてなかったので、本書を手にした。本書は「『人間科学』をやさしくしたもの」という。

 子どもの自殺が騒がれたころ、「学校教育でなんとかせないかん」という議論もされていた。はて、どうしたらいいのだろうかと考えたことがある。

 私が結論として出したモノは、「親族、または故人を好いている人が、本気で悲しむ姿を隠さずに見せるということに尽きる」ということだ。これに勝るモノはないと考えた。

 スキットをしたり、ビデオを見せたりなどは効果は期待できない。しかし、口演などでは空気を感じることはできるだろう。思春期の子どもたちの心にどれだけ残るのかは計算できないが、コトの重大さは伝わるのではないかと……

 本書に「死体には3つの定義がある」とある。一人称の死体、二人称の死体、三人称の死体。

 一人称の死体は、自分の死体だ。これはよく分からない。おそらく存在しないのだろうと本書にある。二人称の死体は、親族・近親者の死体であり、一般に言われる「死」とはこれに結びつくと思う。三人称の死体は、本書の表現を使うと「今日の交通事故死 1名」の「1名」である。顔の見えない死体だ。学校で教えることができるのは三人称の死体に関わる死だ。この物差しは秀逸だと思った。

 何事も学校教育に取り込まれると、自分とは遠い存在になってしまうと、私は思っていた。これは感覚としてそう思うだけなので、うまくことばにできるとは思っていなかった。しかし、このような物差しを設定すればなんとかなりそうだと感心した。

 本書には、エリートの話もある。このエリートは藤原正彦氏のいうエリートと同義である。私は、他にどのような意味としてエリートという言葉が使われているのか知らないので、Wikipediaで調べてみた。

エリート - Wikipedia

 見なかったことにしよう。本書のことばだと、

エリートというのは、否が応でも常に加害しうる立場にいるのです。(pp.137)


 「第八章」にあるのですが、氏らしいことばでまとめられている。今の私には、ここで考えなければならないことが多すぎる。

 脱線した。

 本書と『バカの壁』(新潮新書、2003年)は、『人間科学』をやさしくしたものらしい。『バカの壁』ってどんなだったかなぁと思い出してみようとしても、思い出せない。読書に慣れていないときに読んだ本なのだが、読書も慣れがあるのだと改めて感じた。何事も運動だ。

Saturday, August 04, 2007

縦糸横糸

 河合隼雄氏の訃報を受けて、本書と『無意識の構造』(中央公論新社 1977年)を手にした。

Amazon.co.jp: 縦糸横糸 (新潮文庫)

 数ある著書の中で本書を手にした理由は、よく分からない。なんとなく、ふと、手が伸びたのだ。動機は不明であるが、本書を手にしてよかったと思っている。

 本書は毎日新聞での月一コラムのまとめである。なので、必然的に時直の時事問題に対して言及する形となっている。しかし、古びた感はなく、問題の本質をとらえていると考えるのが妥当だと思う。

 養老孟司氏と同様に、明確に、「ああせい、こうせい」というのがないのが特徴である。そして、ある出来事に対して、「こういう見方もありますよ」という具合に、私にとっては新しい視点を作ってくれる。メディアの受け売りでしか知らないようなことは目からウロコ状態になること間違いなしだ。1996年から2003年までのコラムをまとめたものなので、冷静に見ることもできる。違う解釈を得るには時間も必要だ。そういう意味でも丁度よい時間だ。

 本書を読んでいて、ほとんど唯一といっていいが、赤線を引いた箇所がある。

深層心理学は他人のことをとやかく言うためではなく、自分を知るために、時にそれがいかに苦痛であっても、役立ててゆくためにできてきたものである。(pp.184)


 なんとなく、この一言が河合隼雄氏を表した言葉なのでないかと思った。そして、私の心理学に対する偏見や誤解が氷解したような気がした。本書の解説は茂木健一郎氏が「中心を外さないこと」というタイトルで書いている。彼も同じところを引用していた。すーっと染み込む言葉となった。

Sunday, July 22, 2007

今週読んだ、その他本たち

 大相撲が終わると少し寂しくなる。

 琴光喜は、優勝は逃したが、何年越しなのだろうか、大関昇進を確定的にした。おじさん(といっても30代前半であるが)大関だ。来場所も強い琴光喜を見せてもらいたい。しかし、相撲はスポーツなのだが、やっぱり武道でもあるなぁと、最近、つくづく感じる。

 がっつり組んだ熱戦がやはり気持ちを刺激する。古典的な四つのがっつりした相撲がいい。安馬や豊真将が最近のお気に入りだ。見ていて清々しい。

 しかし、今日は暑い。とろけそうだ。先週はかなり心地よい気温だったので、何事もスムースだった。寝るのも最高に気持ちよかった。今日から寝苦しい夜が続きそうだ。私のキライな季節だ……orz

 さて、今週読んだ、その他本たち。


Amazon.co.jp: 反社会学の不埒な研究報告

 あいかわらず面白いなぁ、パオロは。個人的には「新作落語『長屋武士道』」が好き。だいぶ考えさせられた。タイムリーというか、なんというか、本日、以下のようなブログ記事が目に付いた。

今日行く審議会@はてな - こうしたレトリックに嵌らないこと

 元記事はこれから読むつもりだ……、多分ね……

 さて、筆者のHPでAmazonのレビューにつっこみが入れられている。

『反社会学の不埒な研究報告』正誤表

 こういうのは、読者に非常に有益だ。しかし、Amazonにレビューや感想を書くのは、私としてはおこがましいと思ってしまって、遠慮というか、敬遠してしまう。正直、あそこにさらすのは怖い。

茂木健一郎 クオリア日記: 情報倫理

 上記のブログでAmazonのレビューから、ネットの匿名性について述べられている。タイムリーが続く。


Amazon.co.jp: 心理学から学習をみなおす

 先日、『勉強法が変わる本』を読んだが、それの元となっているのが本書だ。とりあえず読んでみたが、前書を同じ内容なので、『勉強法が変わる本』を読むほうが経済的だ。まぁ、本書は100頁そこそこなので、短時間で読むのならこちらのほうがよいかも。まっ、時間の問題ではないが……


Amazon.co.jp: 英語攻略の「天敵」―動名詞・不定詞・分詞の再征服

 いわゆる「準動詞」にポイントを絞ってまとめたモノである。学校英語教育に沿った書き方をされているので、理解の足しにはなるだろう。

 準動詞は確かに、英語攻略の壁だと思う。先日、『英文法ゲーム104』を読んだときに感化されたのはこの部分だった。こいつをチャンクとして考えられれば、英語を読むのがずっと楽になるし、会話の際もずっと楽になる。

 しかし、本書はタイポが多い。なので、他の文法書とにらめっこしながら読むことになった。考え方に賛同できるだけに、もったいなと感じざるを得ない。と同時に、自分も気をつけなければいけないと再認識した。やはり単純ミスを頻発していては信頼は得られないと……

Thursday, July 19, 2007

知に働けば蔵が建つ

 「リベンジ、内田樹」という意気込みで手に取りました。

Amazon.co.jp: 知に働けば蔵が建つ

 内田樹氏のブログは今年に入ってから購読をはじめた。もっとはやく購読していればよかったと後悔した。しかし、いい時代になった。クオリティの高い文章を氏の体調がよければ毎日読むことができるし、なにか大きな問題があると有識者のリアクションをすぐ見れる。

 氏の著書は2冊目であるが、1冊目は途中棄権。「むむ、危険だ」という類のモノではなく、1ページ、1ページが重い鉛のようページをめくるのが困難だったためだ。ある程度のバックグラウンドがないとまったく面白くない。何を言っているのかさっぱりだった。

 本書はブログが基になっているだけに、エッセイやコラムのようで非常に読み易い。が、そんな中でも「あとで読む」というのが1つや2つある。「おわりに」で氏はこう言っている。

例えば、本書収録のテクストの中では、ニーチェとオルテガの大衆 = 貴族論を祖述した「貴族と大衆」という長文がたいへんわかりにくい内容のことを扱っている。読み返してみて、書いた本人が「え? 何が言いたいわけ? どうつながるの?」と同じ段落を二度三度読み直さないと意味がわからないというところさえあった。(pp.299)


 よく分かってらっしゃる。しかし、「あとで読む」とラベル付けしたところは面白い箇所でもあると、私は思っている。すんなり私の中に入ってこないということは新しいことか、相反する考えということ。そういうのが面白い。特に政治に関するところは、半分以上が新しいことだったのだが、「あとで読む」とラベル付けするのではなく、リアルタイムでガンガン指が進む。

 とりわけ印象に残っているのは教育に関する部分なのだが、「危機管理の陥穽」のまとめの部分が同じ思いだった。

すべてのリスクを教師はマネージすべきだというなら、「授業以外には何もやらない」というのが教師たちが取りうるいちばん確実で誠実な対応であろう。(pp.262)


 私が思っていたのは危機管理に関することではないが、学校の守備範囲を狭めるというのは通じるものがある。

 本書にはいくつかの書評がある。『希望格差社会』は読もうと思っていて、読めていないのだが、苅谷剛彦氏の『階層化日本と教育危機』というのは知らなかったので読んでみたい。

Monday, July 09, 2007

脳と魂

 本のタイトルは無視していい。「脳」は養老氏で「魂」は玄侑氏のことだ。ちょっと仰々しすぎる。-1ポイントです。

Amazon.co.jp: 脳と魂

 養老氏がどのようなヒトと対談しているのか、すべて把握しているわけではないが、とても筋を追い易かった。対談相手の玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)氏は鬼のような博識で、養老氏の言葉を噛み砕いてくれる。普通は逆なのかもしれないが(笑)。氏の対談としてはつっかかるところが少なく、私としては珍しくスムーズに読むことができた。今まで私が読んだ氏の対談はこれがなかったのかもしれない。その場では、氏と対談相手は相互理解ができているが、第三者がそのすべてを把握できるわけではない。

 私は仏教にかぎらず、宗教というものに対しての知識はゼロだと胸を張って言える。だからかもしれないが、今まで考えていたことがほとんど仏教という分野に吸収され、置換されていくのは、チト悲しかった。「知らぬが仏」とはこのことかもしれない。

 高齢化社会になり、親の介護を誰がやるのかが問題となったときに、私は、今と逆に女側の家に男が入ればいいんじゃねと思っていた。これならば、嫁姑問題もなかろうしと。

玄侑 平安時代は妻問い婚ですよね。あれはいい制度ですよねえ。嫁姑問題もないし。安田徳太郎っていう人が『人間の歴史』(全八巻 光文社)の中で書いておられましたけど、基本的に人間社会は、最初は母権制だった。(pp.66)


 ふっ、平安時代かよ。ほんと悲しくなる。

 本書には江戸時代の生活やら制度やらが出てくるが、最近、個人的に江戸時代ってなんなんだろうと思っていたので、興味をもって読んだ。「第三章 世間と個人」は少なからずショックだ。これは、いつの時代でも社会問題なのだなぁと、改めて思った。

Tuesday, July 03, 2007

反社会学講座

 ちくま文庫より補講付き文庫版が7月10日に発売されるようです。まだの方はこちらを読むのがいいかもしれない。

Amazon.co.jp: 反社会学講座

 『つっこみ力』を読み、興味がわいて読んでみましたが、パオロ・マッツァリーノ氏の話術は天才だ。内容云々より、読み易さに興味を惹かれる。この能力にかなり憧れる。もちろん、内容もイイ。

 内容に関しては、タイトルに偽りなく、社会学を疑おうというもの。最近は陳腐なことばに成り下がってしまった感はあるが、2007年現在でも本書の内容は十分に耐えられる。というか、必須事項になった感がある。

 今現在、年金が今度の参院選のテーマになっている(と、メディアでは聞く)が、年金問題なんて、年金受給対象者をそうでないモノが支えるというふうに定義を変えれば済む問題だと思っている。年金受給者は一律で年金がもらえる、というふうに。積み立てた年数で受給額を決めるから、損得勘定が働く。今現在でも、集めたお金で賄っているのだから、素直にそう言えばいいじゃん。余計なお金がプールされなければ、それを使うこともできないし、一石二鳥じゃないか。

 本書によると、このような方法を賦課方式というらしい(pp.284)。「なんだ、そういう考えがあるんじゃん」と安心したが、そんな議論はどこからも聞こえてこない。これはちょっと怖いことかもしれない。

 本書では社会学をこう定義している

社会学者の個人的な偏見をヘリクツで理論化したもの、それが社会学です(pp.16)

 この理論化は「●●理論」のような使われ方で、公理の意味はないですね。一方、Wikipediaでは

社会学(しゃかいがく)とは、社会現象の実態や、現象の起こるメカニズムを解明するための学問である。社会的な文脈における、人間、及びその集団や、人と人との関係、さらには、より大規模な社会の構造を研究する学問ということができる。あるいは、思想史的に言えば、「同時代(史)を把握する認識・コンセプト」を作り出そうとする学問である。

社会学 - Wikipedia

 うん、大差ないですね。

 しかし、一番ピンときたのは

理系の学生に、なぜ文系でなく理系を志望したの、と質問すると、しばしば以下のような答が返ってきます。「国語の先生は気分によって正解が変わるから信用できない」。社会学がまさにこれです。(pp.14)


 まじですか?こんなこと書かれちゃぁ、社会学を全否定してしまいますよ……。国語の先生も大変だ。

 筆者HP
スタンダード 反社会学講座

Wednesday, June 27, 2007

つっこみ力

 「メディア・リテラシー」って知ってますか?『週刊こどもニュース』なぞでも取上げられているので知っていますよね。

Amazon.co.jp: つっこみ力 ちくま新書 645

 チョイ前に、CFでなんとかリテラシーとか連呼していた、あの「リテラシー」です。かくいう私も、なんとなくわかったつもりで使っている、使ってはいないなぁ、なんとなく認知しているのですが、「情報を疑った目で見る」ってことです。

 本書ではそれを「つっこみ力」と定義し、社会学・統計学に厳しい目を向けましょうという口演の書籍版です。

 率直な感想は面白い。これだけ、面白おかしくモノゴトを語れるというだけで、憧憬のまなざしを送ってしまいそうだ。勉強というものに見出せない部分だと思う。というか、勉強からは意識的に排除されているかもしれない。

 本書は学者からは非難されているでしょうね。ネットで検索するとそういうのもチラホラ見かけることができる。まぁ、それが、本書のいう「つっこみ力」でもあると思う。データの解釈は、極端に言ってしまえば、「個々人」に依っている。

 こちらから見たらAでも、あちらから見たらBってのはいくらでもある。憲法のように、いくらでも解釈のしようがあるという事実が、現在の「メディア・リテラシー」を支えている。

 このように、AともBとも解釈できるものは、まず、整合性を考えるといいのでないか。

 ひとつのデータとなにかしらの背景があって、解釈が生まれる。AとBに対するふたつのなにかしらの背景が、データに対して関係性や親和性が高いのか、――これは数値がむずかしいと思うが、あえて――考えるだけでも、おかしいなというのが見えてくる可能性はあると思う。まぁ、数学でいう検算みたいなことだ。

 学問としてはどうか知らんが、個人が生活していくのに都合いい解釈というのは必要だと思う。それに結びつけるための「つっこみ力」、悪くない。

Tuesday, June 19, 2007

逆説論理学

 前書『詭弁論理学』同様、モノの見かたの態度を養う本である。

Amazon.co.jp: 逆説論理学

 本書『逆説論理学』の方が、数学的態度というものが前面に出ている。それは逆説をメインに書いているからだろう。逆説とは「あちらを立てればこちらが立たぬ」状態のこと。論理の破綻である。詳しくは以下を……

パラドックス - Wikipedia

 「たばこの再生術」や「カリーのパラドックス」は学生実験の暇つぶしとして遊んでいたなぁと思い出した。どこで手に入れたのか知らんが、この手の問題を毎時間持ってくる友達がいたので楽しみにしていた。当時は単純に謎解きとして楽しんでいた。

 私は、「ゼノンのパラドックス」がいまいち理解できなかった。が、本書を読むと解せる。高校の時、2次関数のグラフで「なんだ、そりゃ」と毒づいたのを思い出したが、今回は素直に「うまい」と思える。付録の「マイナスかけるマイナスはなぜプラスになるか」を読むと、これまた「うまい!」と唸ってしまう。

 むずかしいことを考えず、気楽に読める本だ。しかし、「新編・天国への道」だけは、少しイラっとした……。心が穏やかな時に読むことをお薦めする。

Wednesday, June 06, 2007

はじめてのラテン語

 私はラテン語を学問として学んだことがない。欧州の友達と話をしていると、「ラテン語やっていたからね。」という台詞を幾度となく聞く。意味が分からない。なので、考えた。

Amazon.co.jp: はじめてのラテン語

 私は英語の勉強をする以前は、ラテン語がヨーロッパの言語の祖先だと思っていた。時間の経過とともに、各国で土着し、方言と化して独立した言語になったと。きっと、こう思っているのは、私だけではないと思う。だから、ラテン語を勉強すれば、ヨーロッパの言語を習得する際にアドバンテージになる、と納得していた。

 もちろん、上に書いたことは間違っている。しかし、この知識でヨーロッパの人間と話をしていてもかみ合ってしまうので困ったものだ。まぁ、日本語における漢語と同じようなものだ。ミトコンドリアのよう、なくてはならないモノとして母体に組み込まれているとは、よく形容したもんだ。

 本書は、ラテン語そのものの入門書だ。それだけに、敷居は高いように思える。まぁ、ざっと眺めるだけでも面白い。ちなみに、Wikipediaのラテン語の項は本書を参考に書かれている。本書は、竹内薫氏の『「ネイチャー」を英語で読みこなす』の巻末にリストアップされていたので読んだ。英語にどう結びつくのか、まだ分からない。

Wednesday, May 30, 2007

外国語としての日本語

 国語教育と日本語教育の差を見てみると、ネイティブだけではダメという理由がよくわかる。

Amazon.co.jp: 外国語としての日本語―その教え方・学び方

 まず、本書はエッセイ的なおもしろさがある。「外国人のニホン語、言いまつがい」集という側面もあるので「ある、ある」などと笑える。まぁ、私のわらいのツボなのだろう。

 さてさて、本書の核は、「私たちが自然と体得した日本語ルールを、体系化するとどのようなものになるのか」というものだ。自分が、体系的に日本語のルールを教えることができるかどうか、ということを考えると、そうとうの訓練を受けていないと無理だとわかるだろう。

 無味乾燥な文法の持つ力を実感できる本だ。

Saturday, May 19, 2007

考えることの科学

 タイトルが漠然としていて何の本だか分かりにくいが、推論を認知心理学の側からのぞいたものだ。

Amazon.co.jp: 考えることの科学―推論の認知心理学への招待

 よくよく著者を見てみると市川伸一氏ではないか。市川氏というと、私には『英語を子どもに教えるな』などの英語教育に関する著書が真っ先に思い浮かぶが、本職の認知心理学の本は読んだことがない。

 4枚カード問題や三囚人問題が載っていたので手にした。論理の本かと思っていたら、なにやら方向性が違う。心理学的なアプローチで話が進むので面白い。メインは確率・統計の世界に関する推論に関するもので、直感と確率・統計論による乖離を認知心理学で説明している。

Wednesday, May 16, 2007

英語の歴史

 英語史を勉強している時に読みたいなぁと思っていたのだが、なかなか手に入らずに読めなかった。先日、ブックオフで売られていたので手にした。

Amazon.co.jp: 英語の歴史

 テキストのごとく、音声、語彙などの項目で話が進められるので英語史のイベントの概要を掴むのによい。通教のレポートやカモシュウにも使えるような内容であるので読んで損はない。

 時系列で見たい場合には少々厳しいものがあるが、それは巻末の年表で補っているのだろう。トリビア的な書き方になっているのが新書らしいが英語史の副読本としてよいのではないだろうか。

 新書で英語史というと渡部昇一氏の『講談・英語の歴史』がある。こちらは読んでいないのだが、Amazonのレビューを読むと、こちらのほうがアカデミックな内容のようだ。

Tuesday, April 17, 2007

入門!論理学

 いやはや、頭がチリチリする内容の本なのだが、読み易さにおどろく。

Amazon.co.jp: 入門!論理学

 これを読んで思い出しのが論理数学だ。「ド・モルガン?聞いたことあるなぁ……」というくらいサビ付いていたが、読んでいるうちに、当時の悶々としていた気持ちだけが蘇ってきた。

 なにに悶々としていたのかというと、本書のコアでもある命題論理そのものだ。命題論理を解くための道具は、それほど修得が困難というわけではない。本書にもあるが、一つひとつは当たり前すぎてありがたみが全くナイ。しかし、問題を解くとしっくりこない。

 それは、しくっりこなかった解が正解であったり、自信満々の解が不正解だったことが多々あったからだ。畳み掛けるようにしっくりこなかった。本書を読んでいても、しっくりこない部分が散見されたが、その度に「おお、そうだ、余計なことは考えちゃイカン」と己に言い聞かせていた。

 論理力の第一歩は、語外の解釈を捨てることだ。わかっちゃいるが、いざというときにはテンでダメだ。文章だと、どうしても引きずられてしまう。まぁ、行間を読んだり、コトバの裏を読む、国語教育を受けてきた賜物だと思う。ある意味、成功でしょう。

 本書は数式がないことを売りにしているようだが、個人的には数式も載せてもらいたかった。解説主体の話だと、具体のなかにいきなり抽象表現が出現して混乱する。それに、数式だと全体をパッと把握できるので、本書のような話し言葉の説明ならば、理解の手助けになると感じた。

 図書館から借りてきが、おそらく購入する。久しぶりのじっくりと読みたい本だった。