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Saturday, February 17, 2007

シュタイナー教育

 一昨日、「シュタイナー教育を考える」という本を買ってきた。「シュタイナー」という言葉はよく見聞きしたのだが、全く理解していない。それで勉強がてら読んでみようかと思って買ってきた。まぁ、ブックオフで100円だったってこともあるが。そんなところへ、昨日の読売に以下の記事があった。あまりにシンクロしていて気持ち悪い。

千葉でシュタイナー教育…紹介者・子安さん開校へ : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 まだ本を読んでいないのでシュタイナー教育も子安氏の思いなどはわからないのだが、記事によると

 オーストリアの思想家ルドルフ・シュタイナー(1861~1925年)の理念に基づくシュタイナー教育は、小中高12年間の一貫教育で、子供の個性や成長に合わせ、“五感で学ぶ”ユニークな教育として知られる。
<略>
 担任はずっと同じ人が務める。算数や国語などは、時間割に配分するのでなく、その教科だけを毎日数週間続け、年間を通じて各教科を順番に学ぶ「エポック授業」という方式をとる。

ということらしい。

 いい感じに今の日本の教育動向に逆らっている。近頃は、殺伐とした事件やらなんやらが多く、現実的な教育理念が話されていたので、このように前向きな教育理念が話題になるのはよいことだ。買ってきた本もさっさと読んでしまおう。

Monday, October 23, 2006

アメリカの数学教育者の憂鬱

 米シンクタンク、ブルッキングズ研究所のブラウン教育政策センターが面白い研究結果を発表した。

CNN.co.jp : 米国の数学教育に警鐘、「楽しさ」と成績は別物と - USA

 上の記事によると、生徒の自信と成績が一致していないことを示すデータも得られたという。そして、その原因に、
研究をまとめた同センターのトム・ラブレス氏は「成績の良い国は総じて、生徒への要求水準が高いようだ」との見方を示す。「だから生徒は数学を楽しんでいないし、自信もないと答える傾向があるのではないか」
と、述べている。

 成績としては、アメリカの数学教育の努力が報われていないと結んでいる。しかし、次の一言にちょっと惹かれた。
一方、全米数学教師協議会(NCTM)のフランシス・フェンネル会長は「楽しさも自信も重要な要素。これらが欠けていたら競争力はつかない。数学に自信のない生徒が、将来数学を専攻しようと思うはずもない」と反論する。
 これは、意外に重要でないかしら。私の周りに数学科の人間が少ないからそう思うのかも。日本でも理数離れが深刻な問題として、多々取り上げられている。そして、その解決方法はアメリカの教育方針と重なっている部分が大きいように思える。

 おそらく、アメリカは教育格差が大きいのではないかと思う。そうすると、成績が抜群の生徒も多かろうが、悪い生徒も多かろう。となると、平均は下がってしまうのではないだろうか?アメリカの教育方針は、この底辺層の底上げだと思う。これがうまく機能していないから、憂鬱なのだろうか。それとも、純粋に結果に憂鬱なのだろうか。

Friday, July 21, 2006

フィンランドのカルタ

 フィンランド教育への関心は日に日に高まっているように感じる。教育ルネサンスでフィンランドの国語教育、フィンランドメソッド(記事中では読解メソッドと読んでいる、混乱するので統一してもらいたい)を日本で行っている学校が紹介されていた。それは京都にある。

小中一貫(7) 視覚で養う読解・思考力 : 教育ルネサンス : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 記事にも書いてあるように京都は挑戦的な教育改革を実行している。教育改革のデパートとはよく言ったものだ。私の印象も同じである。品川よりも京都のほうが意欲的に思う。

 さてさて、フィンランドの国語教育でよく出てくる言葉がある。それがタイトルにもつけた「カルタ」だ。日本のカルタとはチト違う。日本的に言うとマインドマップだ。Googleさんでイメージ検索すればマインドマップを見ることができます。

 フィンランドメソッドは国際学習到達度調査(PISA)の読解力テストで連続1位を獲得していることから考えると成果があるといえる。私自身も自己啓発のひとつとして書籍を読んでもいる。学校教育にも用いたいと思っているし、そのアイディアも考えある。フィンランドメソッドが効果的な学習方法であることは広く知られているのに、小中一貫の特集でとりあげられていることに「なぜ?」と私は思うのだ。

 ひとつ、私が思うに、今までの制度が縦の関係で全くつながっていなかったと暗に知らしめたいのではないか。具体的に、ここがダメなんだということは一言で言えないが、語学は継続しなけりゃ意味がないことを知らしめたいのだと思う。英語ばかりでなく、日本語においてもだ。

 そして、もうひとつ思ったことに「モノ分かりの悪い先生」でなければいけないのではないだろうか。いくら授業で論理的な考え方について学習しても、それを活用する場所がなければ定着しないというのは英語と同じだと思う。子どもたちの言葉を汲み取って、言いたいことを理解する姿勢は必要だと思うが、「いつ」「だれが」「どこで」などと子どもたちの言葉が足りなければ「モノ分かりの悪い先生」になる必要もあるであろう。先生ばかりでなく家庭でも「モノ分かりの悪い親」を演じることも必要なんだろう。

Wednesday, April 12, 2006

EPGY - Education Program for Gifted Youth

 Stanford Universityが開発したエリート養成プログラムらしい。4/11付、読売新聞・朝刊の教育欄にあった。恥かしながら、EPGYの存在をはじめて知った。

Education Program for Gifted Youth

 記事ではインターナショナルスクールに通う姉妹と不登校児向けの適応指導教室に通う児童が取り上げられている。インターナショナルスクールに通う姉妹の方は、よくある話のひとつだが、適応指導教室に通う児童の話はなかなか聞かない。

 彼は学習能力が高い。すでに、高校レベルの数学をこのEPGYで学んでいるらしい。年長で英検準2級に合格、その頃、すでに数学は中3レベルの力があったという。親御さんの意向から公立小学校を選んだが、学校から「教えるための準備ができていない」と告げられたそうな。この「…ができていない」というのも、いかにも学校らしい答え方だと思った。
「あっ、じゃぁ、2学期には間に合いますか?」
と言いたくなる返事だ。
「あっ、いや、そうじゃないんです…」
という答えが返ってくるのは間違いないけど…。その後、適応指導教室に通うようになり、EPGYをはじめたそうな。

 確かに学校では、進度の遅い児童のための補習はあっても、進度の速い児童の飛び級などは想定されていない。私立は分からないが、飛び級にも年齢制限があったと記憶している。それはともかく、この記事中にある教師の言葉にいささかショックである。
「それはまだ習っていないから使ってはいけない」
この話は、そう遠い過去の話でないだろう。よくて1~2年、わるくて3年前くらいの話だろう。未だに、こんな発言を平気でする教師がいるのかと残念に思う。

 「できる子は放っておいてもできる」というのは度々耳にする。この記事では、コレに釘を打っている。そろそろ、機会平等を考えてもいいのではないかしら。私が小学生のときに、彼ほどのできる人ではないが冷遇されていた。なにひとつ変わっていない。

Thursday, December 15, 2005

「公文式」インドで大繁盛

asahi.comの記事より

以下、引用
「公文式」インドで大繁盛 受験準備の子どもたち通う

2005年12月06日16時11分


 「数学に強い国」と言われるインドのニューデリーで、公文教育研究会(本社・大阪市)が今春開いた3教室に、所得上昇で月謝を払うゆとりができた親たちが子どもを熱心に通わせている。インド各地からの「塾を開かせて」という問い合わせが計400件近くあり、2年後には70教室まで増やす方針という。

 市南部の住宅街の教室では算数と英語の2教科を教え、1教科週2回の月謝が900ルピー(約2500円)。インドの物価水準では高いが、「お受験」準備の幼児から中学生までが通う。

 都市部では中・高所得層の子どもの多くは私立校に通い、厳しい進級試験がある。親の教育熱も高まり、暗算教室や中国式ソロバン塾もにぎわっている。

 公文の進出先はインドで44カ国・地域目。現地法人の小林裕幸社長は「ゼロを発見したとされるインドで算数を教えるのは大変かと思ったが、海外在住者からの口コミによる知名度があった」と話す。
 記事にもあるように、私のインドに対する印象として「ゼロを発見した国」というものがあった。それだけ、数学に対してはプライドもあるだろうと考えている。インドに限らないが、掛け算も日本のように9×9までではなく、99×99と2桁の掛け算まで暗記すると聞いている。その中で、公文式が流行るのには訳があるのではないだろうか?

 「ゼロを発見した国」だからこそ、既成概念にとらわれず、公文式に限らず、算盤など算数・数学に対して貪欲なのかもしれない。良いモノは取り入れて、自分たちの物とする強かさを感じる。

Thursday, November 17, 2005

なぜフィンランドの子どもたちは「学力」が高いか

 こんなタイトルの本の宣伝が新聞にあった。

Amazon.co.jp: なぜフィンランドの子どもたちは「学力」が高いか

 先日、フィンランドの教育について記事を書いたが気持ちが悪いくらいタイムリーだと、ひとりで思っていた。

 まだ、読んでいないのでなんとも言えないのですが… とりあえず、覚書程度に… レビューするだけの内容であればしたいと思います。まずは、私自身、フィンランド教育に対しての知識や見識がないのでお勉強したいと思います。西洋かぶれなどと言われぬよう、自分なりに咀嚼してモノにしたいと思います。

Monday, November 14, 2005

教員の社会的地位が高いフィンランド

 私もフィンランドの教育は注視しているので目に止まった記事でした。タイトルの「教員の社会的地位が高い」ってのは、今の日本にとっては耳が痛い言葉だと思います。いつから、日本の教員の社会的地位は低くなってしまったのでしょう。

MSN-Mainichi INTERACTIVE 学力とは何か

 この記事にあった話からひとつ。教員になるためのハードルが高いのがひとつの要因ではないだろうか。教育実習が1年ってのは、日本では考えられませんよね?日本では3~4週間でしょ?途中でリタイアする学生もいるっては分かりますね。それだけ、教員になるには厳しい教育を受けなければならないということ。そして、学力だけではなく、この教育実習の間で適正を判断していること。日本は適正は面接と検査。正直申しますと、教員になりたいと考えている今の私にとっては、後者、つまり、日本でよかったなと思ってしまう。とにかく、免許だけはゲットできると。

 でも、こんな考えだからつまづくのかもしれない。フィンランドの教員は、厳しい訓練を受けて、幾重ものふるいにかけられ残ったエリート。そう考えれば、親にはっきりとモノを言えるってのも分かります。今は、正直、教員よりも親のほうが高学歴だったりします。特に私学を断念せざるを得ない子どもの親だったりすると、きっと、先生ははっきりモノを言えないのでしょう。恨めしいキモチがあるから。いつの間にか、教員の社会的地位が低くなってしまったのです。

 「学力なら塾」という調査結果もあることから、公教育は何をすればよいのか見えてくるはずです。そして、公教育だからやらなければいけないことも見えてくるはずです。これを明確にしなければ、現場の先生はいつまでたっても社会的地位の低いまま、いち公務員として罵声を浴びせられるでしょう。

 フィンランドに限らず、北欧は、日本とよく似た経済背景があると、私は考えています。それらを、恥ずかしがらず参考にし、日本の風土に合うよう取込めば、と考えています。難しいですけれどもね……