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Wednesday, September 05, 2007

朝青龍問題、波及か?中学で武道必修化へ

 タイムリーなだけに「朝青龍問題に釣られてか?」と考えてしまう。

中学で武道必修化へ 中教審体育部会 「伝統文化」重視で|学校教育|教育・福祉|Sankei WEB

 子どもの体力低下を懸念して学校体育に力を入れる、と先に報道された学習指導要領改正にあったが、こう来たか。言いたいことはなんとなく分かる。相撲の新弟子検査にはじめて受験者が0人という報道が7月にあったしね。

 しかし、これが意外であった。

男子の武道は4年度まで必修だったが、女子について必修化するのは戦後初めて。


 4年度って平成4年度ですよね?だとすると、私は武道必修だったはずであるが、まったく記憶にない。はて、なぜだろう?忘れたい記憶なのかしら。

 もうひとつ危険な発言がある。

文科省によると、武道の必修化は「触れてみて良さがはじめて分かる」(企画・体育課)という狙いが強い。


 まぁ、なんというオカルトでしょう。学校現場では、これは禁じ手のはずである。だから、体罰が禁止された。「言語力」を鍛えたいと教育改革を模索している大締めが言うことばではない。

 しかし、剣道や柔道を必修にするなら、古武術でも必修にすればいいのに。こちらの方が、日本文化としては古いだろうし、実際にも役に立つ、一石二鳥でしょう。 

Friday, May 05, 2006

教員は人事権で縛られている

 現在、教員の人事を決めるのは都道府県と政令指定都市である。今回、政令指定都市ではないが、それと同程度の市町村には人事権を譲渡しましょうという話らしい。

小中教員の人事権、36中核市に移譲へ : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 文部科学省は2日、都道府県と政令市が持つ、公立小中学校の教職員の採用や懲戒処分などに関する人事権を、新たに中核市にも移譲する方針を固めた。

 市町村側に、人事権がないため地域の実情に応じた教職員の配置ができないとの不満が出ていたことに対応するものだ。地方教育行政法改正案など関連法案を遅くても来年の通常国会に提出し、2008年度からの施行を目指す方針だ。

 中核市は人口30万人以上で面積100平方キロ・メートル以上か、人口50万人以上が要件。現在、旭川、秋田、横須賀、金沢、浜松、東大阪、倉敷、鹿児島市など計36市ある。

 現行の公立小中学校の教職員の採用や異動、処分は、政令市については市が独自に行えるが、中核市と一般市町村については、都道府県が行っている。人事権を持たない中核市と一般市町村からは、「教諭の関心は(人事権を持つ)都道府県教委の方にあり、市町村の指導に従わない」などの声が上がっていた。

 中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)も、05年10月に当面、中核市をはじめとする一定の自治体に人事権を移譲するように答申していた。

 文科省の方針は、この答申に沿ったもので、一般市町村への人事権移譲は、財政基盤が脆弱(ぜいじゃく)な自治体が多いため見送る。ただ、中核市には県庁所在地などが多く、政令市に加え中核市も教員を独自採用することになれば、優秀な教員が政令市、中核市以外に回ってこなくなるとの懸念が一般市町村側にはある。

 今回の法改正では都道府県や中核市などに教職員の人事全般に関して一般市町村と連携する協議会の設置を義務づけることを検討している。

(2006年5月3日 読売新聞)
 教員としては異動範囲が狭まる(?)ので朗報なのかしら。まぁ、これはいいとして、次の一文が気になった。
人事権を持たない中核市と一般市町村からは、「教諭の関心は(人事権を持つ)都道府県教委の方にあり、市町村の指導に従わない」などの声が上がっていた。
 これは本当なのか?確かに一般企業で考えると、市町村の指示・指導は部レベルで、都道府県の指示・指導は事業部レベルの指示という感覚なのだろうか。それならば、分からないでもない。しかし、市町村の指導に従わないのが、どのような指導に従わないか分からないのでなんとも言えないが…… でも、トップダウンならば都道府県の指示・指導は市町村を経由して各学校・教員へ届くのではなかろうか。ということは、普通に考えれば、市町村の指示・指導は都道府県の了承を得てから発せられるはずじゃなかろうか?市町村の指示・指導は間接的には都道府県の指示・指導のはず…… なんじゃなかろうか…… どうも、合点いかない。

Monday, May 01, 2006

小学校の英語必修化 - 問題は教員

 「小学生が優先的に学ぶモノはなにか?」といった論調で、様々な意見がある小学校の英語必修化。しかし、問題は教える側にあるという内容の記事。

産経Web【教育を考える】
■小学校の英語必修化 教員確保も大きな課題 自治体、育成に動く

 中央教育審議会の外国語専門部会報告を受け、小学校での英語教育が本格実施へと動き出した。英語必修化に対しては「国語力や基礎学力を付けるのが先なのでは」といった否定的な意見もあるが、そもそも英語を教えることができる教員を確保できるかも大きな課題の一つと指摘される。各自治体は近い将来を見据え、研修や手引書を作成するなどして教員育成に乗り出している。(石田貴子)

≪研修は不可欠≫

 英語教育に熱心なことで知られる東京都文京区立誠之小。英語活動を担当する主任の三浦邦子教諭は、英語必修化への課題を「まずは教員研修」と話す。

 同校の場合、英語活動は三年生以上が年間三十五時間、一、二年生が十八時間。外国人の外国語指導助手(ALT)が約半分の時間を担当するが、それ以外は担任教員が行っている。

 三浦教諭は「研修の場を持たないとどう指導していいのか分からないし、教員が自信を持ち楽しく教えないとそれが児童に影響してしまう」と教員研修の重要性を強調する。

 同校では指導方法などについて年六、七回の研修を行うほか、新しく赴任してきた教員にはこれとは別に数度の研修を行っている。しかし、それでも「個人的に学校外でも勉強する人も多い。時間がない中、本当に苦労している」という。

 文部科学省によると、全国二万二千二百三十二公立小のうち、平成十七年度に英語活動を行った学校は93・6%。実施校は年々増加傾向だが、活動は九割以上が「学級担任」が担当している。小学校教員には英語の免許が必要なく、専門部会の報告でも「指導者、教材などの条件整備は不可欠」と指摘されている。

≪大学など協力≫

 こうした指摘を受け、英語必修化へ向けて教員育成に取り組む自治体も出始めた。

 荒川区は数年前から区が独自に作成した英語教育の指針に従い、年間八回の教員研修を実施。授業の進め方や教え方のノウハウを学ばせるほか、実際の授業ではALTのほかに大学講師や長期海外滞在者など英語教育に詳しい専門アドバイザーを派遣して教員をサポートさせている。

 区教委は「担任指導が中心となるので、教員育成は重要視している」とする。今後は授業運営のテクニックなどに加え、「話す」「聞く」など基本的な英語力をもっと身につけてもらうためにさらに研修に力を注ぐ考えだ。

 小平市でも津田塾大の協力を得て昨年から教材開発や指導方法について教員が学ぶ場を設けたほか、文京区も今年度から外部に委託した教員研修を義務付けた。

≪手引書を作成≫

 東京以外でも福岡市が三月、教員用の英語教育の手引書を作成した。手引書は約百十ページにわたり、授業の流れや年間計画、教材開発などを網羅。昨年、同市で英語教育を進めている百四十校のうちの十八校が公開授業を行ったところ、授業の進め方や内容について学校ごとのバラつきが目立ったことから手引書作成を決めた。

 同市教委は平成十五年ごろから国の動きに合わせて英語教育への支援を展開しており、「急では(教員育成が)間に合わない。今年度も、資料配布や研修を重ねたい」と話している。

                  ◇ 【用語解説】小学校の英語必修化

 中央教育審議会の外国語専門部会が3月、小学5年生から英語を必修化すべきだとの報告書をまとめた。授業時間数は5、6年生に週1回、年間で35時間程度。正規の教科のように成績評価はせずに、「総合的な学習の時間」で指導を行うよう提言している。文部科学省は今年度中にも学習指導要領を改訂して英語必修化を盛り込む方針で、早ければ4、5年後からスタートする。
 ごもっともなな内容で、何をどのように教えるのか、そこら辺はこれからの大きな課題。「ALTを導入して…云々」とあるが、ALTの質の問題はかなり深刻。そうなると、日本人が教えるしかない。そうなると教育がどうしても必要となる。要は教育行政のあり方が問われている問題だ。

 私立や一貫校などで最近、英語教育が盛んに行われているような報道がされているが、そんなことはなく、前から行っている。一貫校は創立までに、かなりの時間があるので綿密なプランを練る時間や適切な教員を採用する時間があった。つまり、ぱっとでのことではなく、綿密なプランが存在し、選ばれた教員により、時間をかけて授業計画を作っているはずなのである。そのような、綿密なプランのもと組まれた計画と対抗しなければならない公立小学校の英語必修化に追われる、行政と教員は……と思う。

Tuesday, March 28, 2006

小学校高学年で平均週1回の英語教育を提言

 中教審により、小学校高学年での英語教育が実施されることが事実上明確になった。まだ「教科」としてはいかがなものかと議論される。縦の連携として「高学年は、中学校との円滑な接続を図る観点から、年間35時間(週1回)程度で共通の教育内容を設定することを検討する必要がある」(asahi.com)と提言がある。これは当然のことなのだが、あくまで「中学英語は現行のままで」という方針だ。これには首を捻らないといけないと思う。

 義務教育で実質5年、英語の時間が確保されるのだ。中学英語はかなり窮屈でタイトな時間配分だという印象を受ける。そして、今までの経験からも「脱落者」が多いので、これを撲滅させるための工夫を考えるよい材料が提供されたと思う。私自身、脱落者が多い理由としては復習の時間の不足と考えている。要は次から次へやるべきことが津波のように襲ってくる状態で、うまく波に乗れた人にしか制限時間内にゴールにたどり着けないような、過酷なレース。失敗したら確実にリタイヤという厳しい状況だ。

 これを書きながらふと思ったことがある。本当に「小さいうちから国語教育をしなければならないか」ということだ。日本語だけを考えたときに、帰国子女が日本で義務教育を受けた子どもと比べて劣っているのかと考えた場合、一概にそうとは言えないなと思った。もちろん戻ってきた年齢にも依存している。ひとり私がよい例だと考えている人に「劇団ひとり」がいる。

 彼は幼少期に英語圏で生活をしていた。確か5年くらいだと記憶している。その後、帰国し、小中の義務教育を受け、高校へ進学している。彼は最近、小説を書いた。それがえらい評判で賞をとってもおかしくないと評価されている。この評価は芸能人が書いたものだからというわけではない。つまり日本語においては人より秀でたものを持っているといっても言い過ぎではないと思う。もちろん、構想力やら他の文章の才、帰国後の彼の努力は加味せねばならないが。

 そして、彼の英語力はいかがなものかというと、自称だが、日常会話程度ということらしい。つまり、英語圏で生活していたときに身につけた英語を持続していると考えられる。私は「日常会話」というのは日本人が日本で英語の勉強をするにあたりかなりレベルの高いことだと考えている。正直、学会などで話す英語の方がよっぽど簡単だと思っている。これは結構多くの人から聞いたり、本で書いてあったりすることである。つまり、帰国する時期が早ければ難しいと考えられている日常会話のスキルを持続しながらも、日本語においても人並み以上のものを獲得できる猶予もある。

 サンプルが「劇団ひとり」しかいなので説得力はゼロだが、一つの可能性を考えることができる。それは、小学校を4~5年間にし、そこをインターナショナルスクールのようにすることだ。国語や音楽などは日本語OKだが、その他のことは全て外国語で行うのである。中学も4~5年とし、今度は英語の時間以外、日本語で行う。

 まぁ、現実味はゼロだが、そんなことを考えてみた。中教審が掲げる「グローバルに活躍するための英語」は、未だに幅を持った受取り方ができる。弾力化が進む中でこのような考えがないこともない。ましてや「コレが正解」というものもないはずなのである。

Friday, February 10, 2006

「国数理」小中で授業増 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 「ゆとり教育」とは、「教える内容を減らす」のではなく、「目標到達時期を大目に見ること」と、私は理解している。このような「ゆとり教育」の方針は捨てるべきではない。その中で「学力」と呼ばれるものを高めていくべきと考える。

「国数理」小中で授業増 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 文部科学相の諮問機関、中央教育審議会の教育課程部会は8日、小・中学校で「国語」と「算数・数学」、「理科」の授業時間増を求める審議経過報告書案をまとめた。近く、最終決定する。

 ◆学力低下食い止め

 一昨年12月に公表された国際学力調査結果で、日本の子どもたちの学力低下が判明したことを受けた措置。文部科学省は今後、学習指導要領の見直しに反映させる方針で、「ゆとり教育」の転換は「国語」と「理数」重視で進みそうだ。

 報告書案は、国語を「すべての教科の基本」、理数教育を「科学技術の土台」と位置付け、いずれも「充実を図ることが必要」と指摘。そのため「授業時間数についても具体的に検討する必要がある」と、時間増を求めた。

 さらに、国語では、子どもが古典や名作に触れ、日本の言語文化に親しんだり、自分の考えを用紙1枚程度に表現する力を身につけさせたりすることが不可欠と指摘。理数教育では、小数や分数の意味、エネルギーの概念などを実生活と関連付けて理解させることが重要と訴えた。

 同部会では今後、「ゆとり教育」を象徴する「総合的な学習の時間」の削減や小学校への英語教育導入の是非なども議論する予定で、国語と理数の時間増については、他教科との兼ね合いを踏まえて調整する方針だ。

(2006年2月9日 読売新聞)
 国語力は全ての土台となる力だ。それは間違いない。数学も理科も英語も、全ての土台は国語力だと強く信じている。このようなことを考えると、小学校へ英語教育の導入は疑問符が付くのではないだろうか?「総合的な学習の時間」も結局、なんだったんだという印象でしかない。

 教育は何を目指しているのか?今一度、考えた方がいいと思う。

Tuesday, December 06, 2005

教員免許の更新制導入など提言 中央教育審議会中間報告

asahi.comの記事より

以下、引用
教員免許の更新制導入など提言 中央教育審議会中間報告


 中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)は5日、教員養成をめぐって今後の教員免許のあり方に関する中間報告をまとめた。大きな柱として、教員免許更新制の導入と、教員養成のための専門職大学院「教職大学院」の創設を提言した。更新制については、当初の論議では現職教員に適用しないとしていたが、「さらに検討が必要」と含みを持たせた。

 子供とうまく接することができず、きちんと授業ができない指導力不足教員が年々増加するなど、教師への信頼回復が課題となっていることを背景に審議が進められてきた。

 中間報告は、教員免許については有効期限を10年に区切り、所定の講習を受けないと更新されない制度にすることが適当だとしている。講習は、更新期限の1~2年前に、計20~30時間程度の受講を義務づける方向だ。

 現職教員については、現行法のもとで免許を取った者に適用することは難しいとの見方が強まっていたが、保護者らの要望を踏まえ、法制度上の可能性を探る。

 また、児童へのわいせつ行為などが原因で分限免職処分を受けた者が教壇に戻ることがないよう、免許状の取り上げについても検討すべきだとした。

 一方、免許状を授与する仕組みについても改革を提言した。

 まず、大学の教職課程については「教員として必要な資質能力を確実に身につけさせる」ことが必要と指摘。実践的な力を習得させるため、演習を中心とした「教職実践演習」を必修科目として新設すべきだとした。

 また、教職大学院については、学部の卒業生のほか、学校での中核的な役割を担えるよう現職教員も受け入れて高度な専門性を身につけてもらうことにする。修了者に対しては専修免許状を与える方向だ。
 今回は免許の更新制度がメインとのこと。相変わらず、現職への対応姿勢は弱い。

 文中にも「きちんと授業ができない指導力不足教員が年々増加する」とあるのだから、現職へ適用しなければ意味ないのではないでしょうか?前にもこれに触れたが改めて言いたい、「現職へ適用しなくてどうする!」

 これから起こりそうなことへの予防策ではなく、現に起きている問題に対しての改革のはずだ。現場の教員も理解しているだろう。それを法的上などと言っていていいのだろうか?

 現教員に投げられている問題、そして、その人たちを教育したであろう教員への問題のはずだ。問題は長く、そして重い。そこら辺を分かっているのだろうか?現職を野放しにしたらこのような教員が増えるだけじゃないだろうか?まず変わらなければいけないのは誰なのか、再確認していただきたい。

 すこし厳しい言葉だが、これでも伝わらないと思うと情けなくなってくる。現場からも「それでは問題の先送りだ。私たちにも適用しろ!」ってな声はあがらないものか…

 そして、児童わいせつの話があったが、これはやらなければならないだろう。情けない話だが… 最近の広島県や栃木県の児童殺傷事件を見ていると根本的な問題は違うところにあると思うが、抑止力にはなるだろう。学校も通学路も危険がいっぱいなのだなぁ、今の小学生は……

Friday, November 25, 2005

盲・ろう・養護学校を一元化=障害児教育で答申案-中教審

11月21日の時事通信の記事。以下、引用
盲・ろう・養護学校を一元化=障害児教育で答申案-中教審

 今後の障害児教育について検討していた中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の特別委員会は21日、盲・ろう・養護学校制度の一元化などを盛り込んだ答申案をまとめた。これを受け、文部科学省は次期通常国会に学校教育法などの改正案を提出したい考え。
 答申案は(1)盲・ろう・養護学校制度を「特別支援学校」(仮称)に一元化(2)小中学校で学習障害(LD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)を抱える子どもへの個別指導機会の増加(3)障害児教育に対応した教員免許制度の改革-などが柱。 
(時事通信) - 11月21日21時1分更新
 障害児教育というのは特殊学校のみならずの問題だと考えています。将来的には、公立学校でも障害児を受け入れなければならないときがくると考えています。

 LDやADHDなどが養護学校の範囲かと問われたら、ほとんどの人が「No」だと思います。しかし、私は「Yes」だと考えています。これからは盲・ろう・養護の区別、特に養護の区別が難しくなるので一元化しようとしているように感じる。

 教員免許制度の改革も盛り込まれているようですが必要だと思います。と、同時に保護者や子どもたちへの教育も行うべきでしょう。そのような方向性でなければ、うまく機能しないように思えます。これからは、一緒の空間・時間を共有させることが求められてくるのではないでしょうか?そのために、特殊学校以外の教員にも教育が必要で、これから教員になろうとしている人たちへの制度の改革は納得がいく。

 社会へ出れば障害を持った人たちと仕事をする機会が必ずあります。特にホワイトカラーでは、その割合が高いです。そして、これからはほとんどがホワイトカラーの仕事となるでしょう。私の世代は、全く隔離されていました。社会へ出るまで接触がありませんでした。互いにうまく混ざり合うことができずに、歯がゆい思いをしたことがあります。

 これは私の経験です。効率よく仕事を進めるためのグループには、「和」が求められます。これを作るためには、コミュニケーションがとれなければなりません。外国人相手ならは外国語を習うでしょう。それと同じように聾だったら、手話といったことがなされていません。コミュニケーションにイライラするようになる。「和」を保つために関わりを減らす。こうなってしまってはいけません。

 イライラしないためにも、家庭教育・学校教育共に次のステップに進むときなのかもしれません。

Monday, November 21, 2005

指導要領に「部活」復活? 中学現場「明確にして」

共同通信の記事。以下引用
指導要領に「部活」復活? 中学現場「明確にして」

 次期学習指導要領の改定をめぐり、中学の部活動の扱いに関心が高まっている。2002年実施の現行指導要領で「特別活動」の項目から削除され“中ぶらりん”の状態になっているためだ。現場には「位置付けを明確にしてほしい」と、指導要領への「復活」を求める声も出ている。
 「部活動は教員にとってボランティア。指導要領に明記し条件整備を」。7日の中教審教育課程部会で全日本中学校長会の大橋久芳会長が訴えた。委員からは「再び明記すれば教員の重荷にならないか」との質問も出たが「現状でも十分重荷だ」と大橋会長は答えた。
中学時代、最も打ち込んだことに「部活動」を挙げる生徒は少なくない。都内の中学校長は「放課後に教員の違う面に触れることが教育に厚みを加えている」と話す。
 しかし、多くの教員は教科指導で忙しい中、顧問を引き受けているのが実情。土日に出勤しても手当は千―二千円程度で、振り替え休日を取ることもままならない。
 部活動は「特別活動」に包括されていると認識していました。勉強不足ヾ(_ _。)

 ってか、おかしいな。この間、「特別活動の研究」のスクで部活動もやったような記憶がおぼろげながらあるのですけれど。実質、特別活動の領域で行っているってことだったのかしら。

Thursday, November 17, 2005

教員免許更新制 中間報告

 「現職に検討必要」と大きな見出し。厳しいことをいうようだが、この教員免許更新制が必要になった根本原因は現職なのではないでしょうか?なので、現職に適用されなければ、問題は最低でも40年先送りですよね?って思っているのですが。しかも、新人の教育は現職が行われるでしょうから、堂々巡りのスパイラルなのではないでしょうか?

教員免許更新制 現職に「検討必要」 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
教員免許更新制 現職に「検討必要」

 文部科学相の諮問機関・中央教育審議会の部会は16日、今後の教員養成や免許制度に関する中間報告をまとめた。

 教員免許更新制を現職教員に適用するかどうかについて、「さらに検討が必要」と含みを持たせた点が特徴で、大学の教職課程に新たな必修科目「教職実践演習」(仮称)を設けることも盛り込んだ。部会は中間報告への国民の意見を募り、年明けにも答申をまとめる方針。

 ◆中教審中間報告、見送りの方針修正

 教員免許更新制は昨年10月、中山前文科相が中教審に導入を諮問した。中教審は当初、現職教員を対象にすることは「不利益変更になる」として、見送る方向で議論を進めてきた。しかし、最近は教師の資質が厳しく問われ、メンバーからも「保護者や国民の期待に応えるには、現職教員にも実効ある取り組みが不可欠」などの意見が出たため、中間報告では「現職教員を含む免許保有者への適用が可能かどうか、法制度上や実施上の課題などをさらに検討する必要がある」として、結論を先送りした。

 また、免許の有効期限は10年を基本とし、最初の更新を5年後とするか、10年後とするか、さらに検討することにした。
 「不利益変更になる」として当初は現職に対して配慮していたが、なぜ「不利益」になるのか全く理解できない。「不利益になる」と考えていることが、既に問題だと思っている。確かに、今までの流れから考えればかなり大きな変更となり精神的にも厳しい状況への変革だというのは理解できる。しかし、これが不利益かといわれれば疑問だ。

 教員としては喜ぶべき制度だと思ってもよいと思っている。「学校の常識は、世間の非常識」などと不名誉なことが一般的になっている。この更新制度を利用し、子ども達を社会人として教育する立場にある教員の常識を、世間と整合をとる機会としても非常に重要なのではないだろうか。そのためには、更新の年に「なにをするのか」というのが重要だ。一体、何をするのか今回の記事には書かれていなかったが興味がある。整体師的な役割をもったモノになってほしいと、個人的には思う。

 最近思うことは、免許のありかたより、学校と保護者との柔軟なネットワークの構築が必要なのではと思う。大抵の意見は学校や国の機関から出るものではなく、保護者だ。保護者の意見が学校へうまく反映できない、現場が保護者の声を汲み取れないのが、意見や不満の根本原因だと考える。柔軟なネットワークを作ることで、小さなコミュニティを作ることができるのではないだろうか。風通しのよさは、何事においてもうまくいく要因になる。基本的なことに対しての配慮が、公教育には足りない気がしてならない。