Tuesday, November 20, 2007

加賀野井秀一 『20世紀言語学入門―現代思想の原点』

 言語学版『生物と無生物のあいだ』である。

Amazon.co.jp: 20世紀言語学入門―現代思想の原点 (講談社現代新書)

 比較言語学から「ことば」の本質へと変遷してきた言語学史をコンパクトにまとめてある。それが20世紀の言語学である。「まとめてある」などと上目線で述べたが、そう信じる。私は専門家ではない。

 出発点はソシュールである。ソシュールの功績は大きいと改めて知る。しかし、ソシュールの疑問は、現代まで綿々と受け継がれていると知ることができる。

 先日、紹介したCayraでまとめてみた。

 Amazonのレビューで「詰め込みすぎだ」という指摘があった。私としては、言語学の歴史の概観を掴むのが本書の目的だと思う。なので、詰め込みすぎという反応はピンとこない。もちろん、私は言語学の流れに詳しくない。詰め込みすぎなのかどうなのか、その判別ができないのも事実である。

 しかし、樹形図として書いてみて「詰め込み過ぎかも…」と思えるようになった。正直なところまとめきれているのか、全く自身がない。特に構造主義の件になると複雑度は増す。構造主義については勉強したい分野のひとつである。

 物足りないのは記号論の件だ。記号論はチョムスキーへの布石となり、現在の認知言語学の土台だと、本書を読んで感じた。ここは大きな転換点だ。

 少し、Cayraについて気になったことを書く。

 生成されたマップはFreeMindに比べると色彩豊か。手書きのマインドマップの雰囲気を味わえる。しかし、PCへの負荷が大きい。私のように低スペックのPCをいまだに利用している人間にとってはストレスになる。ノードの配列は基本、オートである。それが煩わしく感じることが多い。自由度を阻害している。

Thursday, November 15, 2007

松井孝典 / 南伸坊 『「科学的」って何だ!』

 愉快痛快であるが、同時に、夢のない大人と映ってしまう。

Amazon.co.jp: 「科学的」って何だ! (ちくまプリマー新書 66)

 「ちくまプリマー」なので、中高生向けの書籍である。中高生向けの書籍は、ざっくりと概要を掴むのに最適である。なので、岩波ジュニア新書、ちくまプリマー新書は注視している。大人でも躊躇することなく手に取れと、自分に言い聞かせている。

 さて、本書は『「科学的」って何だ!』というタイトルと、松井孝典氏ということを考慮すれば、「宇宙に関することかしら?」と思うのが自然だ。しかし、内容は「メディア・リテラシー」と「情報リテラシー」である。Amazonのレビューを見ていると、ここら辺の食い違いが低評価のひとつと考えられる。実際、私もがっかりした。

 気をとり直して読んでみる。基本、愉快痛快である。しかし、読者ターゲットである中高生にはどうだろうか?と思うふしがある。自分の経験のみを頼りにした推測である。

 私が小中学生のころ、テレビではオカルトやら心霊現象やら超能力やら宇宙人やら無法地帯であった。毎週のように、これらのどれかが特番で放送されていたように思う。そのような番組では、たいてい、科学者と称する人が何人かゲストでいる。反論者として、もしくは、科学敗北のピエロとして。

 私はここで、まんまとテレビの術中に陥る。科学者はなんて夢のない連中なのだ。これらの現象がそう簡単に科学で理解できるのか。いや、できないんじゃないの。じゃぁ、不思議な方を信じちゃうよ。ほとんど生理的な反感・嫌悪である。理論もクソもあったものではない。

 本書には「科学者はなんて夢のない連中なのだ」と思わせる部分が多いと、私は感じる。そこに、もうひとりの著者、南伸坊氏はつっこみを入れるのであるが、突き放されてしまう。ディスコミュニケーションである。私が小中学生のころ、テレビを見ながら感じていたのと同じ感覚が本書に残っている。

 さてさて、残念がっていても仕方がない。本書では教育、特に科学教育に問題提起をしている。それが本書のコアである。

 日本に科学者という肩書きを持った人がどれほどいるか知らない。リタイアした科学者は義務教育課程へ天下りしてくれないだろうかと思う。子どもたちばかりへの影響ではなく、先生への影響も大きいはずである。そして、科学の授業で「読書会」も考えられてよいはずである。実験も確かに面白い。米村でんじろう氏などは、科学への門を開くのが役割だと考えていると、私は思う。その門をくぐった人への手助けとして「読書会」ほど必要不可欠なことはないと、ふと、考えた。

 古典物理は、子ども時代の「遊び」や生活そのものが読書会の役割をしている。しかし、高校でやる磁気学はチト日常から遠く、「遊び」や生活からイメージするのが難しい。物理を綴る数学に至っては、中学から抽象的な概念が入ってくる。幾何は大切な分野であるが、これも、微分・積分ほど直感的ではないというのが、私の経験である。

 サイエンス・カフェは学者間のブレインストーミングという性質が強いように、私には感じる。しかし、本来は学者と一般人のコミュニケーションの場である。それを教育現場へ持ち込んでもよいのではないか。私はこれを、リタイアした科学者がタクトを振るう「読書会」とした。如何なもんか?

Sunday, November 11, 2007

入力した英語を読み上げ、かつ、mp3へ - vozMe

 百式さん経由で知った、このサービスは利用価値がある。

入力したテキストをすぐにMP3でダウンロード可能にする『vozMe』 | 100SHIKI.COM

 入力した英文テキストを読み上げてくれるサービスである。パッとおもいつくのでは、Yahoo! Japanが提供している「英語学習 http://stepup.yahoo.co.jp/english/」の「英文を聴こう http://stepup.yahoo.co.jp/english/listening/」が思い浮かぶ。音声データとしは同程度のモノを提供してくれる。

vozMe

 vozMeは、その音声データをmp3でダウンロードすることができる。これに利用価値があると思う。

 現在、中学校の英語の教科書にはCDなどの音声データが添付されていない。このサービスを使えば手軽に音声データを入手することができる。入力の際に、英文をタイプすることにもなるので、一石二鳥だと思ってしまう。

見た目がイイ感じのマインドマップツール - Cayra

 PCでマインドマップというと、私は、FreeMindを愛用というほどではないが、利用している。

 FreeMindは、喩えるなら、テキストエディタである。派手な装飾はないにしろ、マインドマップを作成するために考えられた操作性は、えんぴつで書くそれと同じようなレスポンスを可能とする。しかし、テキストエディタであるので、作成されたマインドマップの見た目はシンプルそのもの。私は、物足りなさを感じていた。

Cayra - 新感覚のマインドマップツールで頭を整理 (Buzzy Dizzy Biz)

 ここで紹介されているCayraは、作成されたマインドマップの見た目がすこぶるよい。まぁ、私の嗜好ではあるが。とりあえず、試してみた。

Make it clear! | Cayra

 まず、気になるのは日本語が使えるかどうかだったのだが、問題なさそうだ。「なさそうだ」というのは、新規作成で日本語でつらつら書いて表示されたというだけの確認で、実用的な確認法ではないからだ。

 ひとつ「おっ」と思ったのが、FreeMindのデータを読み込めること。なので、FreeMindのデータを読み込んでみた。所望の出力結果ではなかった(これが、不具合なのか、FreeMindで保存したときの状態の問題なのかわからない)。

 もう少し、いじってみたい。

Saturday, November 10, 2007

生物と無生物のあいだ

 ようやく読み終えた。綺麗な文章だ。

Amazon.co.jp: 生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)

 分子生物学の近代史、だと思う。背景の人間関係がドラマタッチで描かれており、絵が頭に浮かぶ。外国人作家の科学書は、おおむね、本書のような文体である。私は、実は、このような文体は好みではない。

 好みではないが、『内部の内部は外部である』のくだりは、その表現力を妬む。これの表現が福岡氏のオリジナルなのかどうか、それは知りかねるが、綺麗な文章だと感じた。

 読了するのに時間がかかった。何冊、別の本を読んだのか、もう覚えていない。チビチビ読み進めた。しかし、読み終えると生物学への興味が沸いているのに気がつく。高校の生物のレファ本として最適なのではないだろうか。

Monday, October 29, 2007

学校とテスト

 本書を読み、「うんうん」と思うか、「そんな無責任な」と思うか。

Amazon.co.jp: 学校とテスト (朝日選書 (90))

 著者の森毅氏は現在、京大の名誉教授らしい。一時期、テレビにもよく出演していたので知っている人もおおかろう。のほほんとしていて、同じ数学者でも藤原正彦氏や秋山仁氏などとは正反対というのが、私の印象だ。

 本書は1977年発行、30年前になる。それでも論じられていることは現在にも通用することである。学力論争、大学入試、教科書問題、指導要領、科学教育、学校と塾、評価、などなど、過去の問題は今の問題でもある。そして、「あなたの言っていること、分かりますよ」という感想なので、問題点も同じなのだろう。まぁ、30年で、何度か問題点が入れ替わったのかもしれないが、現在は30年前と変わらない。

Saturday, October 27, 2007

NHK教育 「シリーズ・世界はこうしていじめと闘う」

 本日、23時50分よりNHK教育で「シリーズ・世界はこうしていじめと闘う」というドキュメンタリーが放送されるようです。

BS世界のドキュメンタリー

 BSでは「青い目、茶色い目」も放送されるようですね。今回は、カナダとアメリカ、韓国の事例のようです。私は、アメリカのやつを見たことがあります。考えさせられました。

 本日は、フジでも『たけしの日本教育白書』が放送されており、教育週間かなんかなのでしょうか?

Friday, October 26, 2007

学校や教育委員会は「平均より上、下」でなぜ一喜一憂するのか?

 今春に行われた学力テストの結果が公表された。各メディアは「知識はあるが、応用力がない」と報じており、「学力に問題がある」と結んでいる。「はて、学力ってどんな『ちから』だっけ?」と、また悩んでしまう。確か、「学力」が問題として表に現われたときは、「分数のできない大学生」や「円周率は3です」といった知識不足であったと思う。これらを「学力」問題とするならば、「知識はあるが、応用力がない」は「学力」問題の改善であり、喜ばしい結果でないか。

 さて、今日はそんなことではなく、各教委、学校の反応が気になったので書きたい。

全国テスト…学力差、笑顔と落胆 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 記事にこうある。
 全国学力テストで、公立学校のデータを集計した都道府県別の平均正答率が公表された。好成績を喜んだり、予想外の苦戦に落胆を隠さなかったりと、各自治体の表情は様々。

 ここでいう「平均正答率」というのは、満点に近ければ近いほど「よい」とされるものだろう。個人としてはここで「ん?」であるがそれはいい。ということで、好成績で喜んでいる自治体は満点に近い、100%に近い正答率だったはずであり、落胆している自治体は100%から離れているはずである。
 一方、平均正答率が全国平均を下回った自治体の表情は厳しかった。

 ここで「おや?」である。自治体の「平均正答率」が全国平均を下回った自治体の表情が厳しいとはなぜ?全国平均に何の価値があるのだろう?この場合なら、都道府県別で1番の「平均正答率」を基準にし、厳しいなというのであれば、まぁ、分からないでもない。しかし、全国平均と比べて落胆している意味が全く理解できない。私がとっている新聞の地方欄でも「全国平均を上回る」という見出しがあった。何を勘違いしているのやら。

【主張】全国学力テスト 競争封ぜず学力の向上を - MSN産経ニュース

 このような「主張」もあるのだが、メディアの報じ方や学校・教育委員会の喜哀を見ていると「序列」したいのだなと思わざるを得ない。この際、メディアはどうでもいい。現場、学校や教育委員会が勘違いしなければいい。

 「平均正答率」が上で記した基準で用いられているとすれば、満点が合格ラインなのだろう。ということは、どの自治体も平均では合格ラインに達していないことになる。「本当かよ?」と思うかもしれない。もちろん「本当かよ?」である。だから、平均正答率が判断基準に使われていることが「なぞ」なのだ。

 というか、平均は粒をそろえることに価値があるので、平均に近いことに一番価値がある。だから、平均点60点だとすると、30点も90点も平均を乱す厄介者のはずである。「平均正答率」を物差しに使いたいのなら、前もって基準となるべき点数を提示するべきである。そして、これでよい結果を得るためには、下位の強化が一番手っ取り早い。フィンランドはこれで世界から注目される点数を獲得することができた。

 今回、よい結果を得られた自治体はよい結果の得られていない自治体へ文句を言ってもいいはずだ。なぜなら、平均を下げている要因である。お節介をしてもよい。そして、よい結果を得られていない自治体は、プライドがあるならば、よい結果を得た自治体の技を盗むくらい結果に拘ってもよいのではないか。それが平均より下で落胆している自治体がとるべきプライドある行動でないか。

 今回の学力テストは何を「はかる」のが目的なのか?各設問には必ず「はかり」たい項目がある。それを現場は知っているのだろうか?別に知らなくても問題はないが、余計な時間がかかる。今回の受験者は小6、中3である。テスト結果の活用もままならない。

Wednesday, October 10, 2007

ハートで感じる英文法―NHK3か月トピック英会話

 『新感覚☆わかる使える英文法』終了に伴い、大西泰斗氏とPaul Chris McVay氏が復活というので、読んでみた。

Amazon.co.jp: ハートで感じる英文法―NHK3か月トピック英会話 (語学シリーズ)

 本書を除くと、彼らの著書は2冊読んでいる。『みるみる身につく!イメージ英語革命』(講談社プラスアルファ文庫、2005年)と『英文法をこわす―感覚による再構築』(NHKブックス、2003年)である。

 前者は単語をメインに、後者は文法をメインにと考えていい。本書に書いてあることは、これら2冊にも書いてあり、目新しいことはない。それを分かっていたので、今の今まで、彼らの出世作でもある本書を読まずにいた。にもかかわらず、私は本書を読んで「なるほどな」と思った。

 本書はイラストが素晴らしい。私が読んだ2冊は、特徴的なイラストを使っている。正直なところ、「あのイラストに落ち着いたのはなぜ?」と思っていた。本書は、私の不満を払拭してくれていた。書籍に使われるイラストが違うだけで、印象が変わるというのは珍しいことではない。しかし、同一作者がイラストを変えるというのは珍しいと思う。

 この類の本は、イラストがものをいう。好き嫌いにより、会計に運ばれるか、本棚に戻させるか、決まる。これは選ぶ側にとっては不幸なことだ。内容に関わらず、外面だけで好き嫌いを決めかねない。誤った判断により、有益な情報を自ら拒絶することになる。売り手としても同じだろう。

Wednesday, October 03, 2007

コミュニケーション技術―実用的文章の書き方

 「コミュニケーション」ということばから、何を想像しますか?私は思い込みによる勘違いで、本書を敬遠していました。とんでもない過ちだった。これはスゴ本。

Amazon.co.jp: コミュニケーション技術―実用的文章の書き方 (中公新書)

 私は本書を知っていた。ブックオフで100円の棚に陳列してあったのをいくどとなく見ては、スルーしていた。「コミュニケーション」ということばを敬遠していた。だから、本書を手にすることなくいた。

 偶然、Amazonで本書のレビューを読んだ。そこには、「実用文書」、「文を書くとき」、「悪文」、「論理的な文章」と、ライティングに関することばが並んでいた。過ちに気がついた。「コミュニケーション」=「会話」と決め付けていた。

 本書は、日本テクニカルコミュニケーション協会(JATEC)の会長、篠田義明氏による、実用的文章の書き方の解説書である。1986年初版と決して新しくないが、内容は現在の教育問題にもなっている、言語運用の核である。この手の他の書籍には、『外国語を身につけるための日本語レッスン』(白水社、三森ゆりか)がある。読者対象が異なるだけだ。

 篠田氏はミシガン大学でEnglish Technical Communicationを学んでいる。欧米の大学では作文の授業があることは既に日本でも知られている(と思う)。本書にあるような訓練を受けている人からすると、日本人が何気なく書く文章を「意味不明」と言われても、「ごめんなさい」と言うよりない。三森氏の本では、小学校でも同様の授業が行われているとある。「大変申し訳ございません」だ。

 英語の参考書に「パラグラフ・ライティング」やら「パラグラフ・リーディング」やら多数あるが、本書ひとつでこれらをカバーできるのではないかと思う。そして、本書に書いてあることが自分のモノになれば、整理術にもなるだろう。