Sunday, July 22, 2007

マスターズ甲子園

 先日、NHK「にっぽんの現場」という番組でマスターズ甲子園というモノをとりあげていた。不覚にもジーンときた。

NHK にっぽんの現場

 マスターズ甲子園というものをはじめて聞いたが、2004年からはじまったらしい。今年は開催日が父の日という、なかなか粋な計らいだと思った。よくよく調べると苦肉の策だったようだが、いいほうへ転がったなぁと感心した。

 あまりエスカレートせず、あのときのメンバーで甲子園で野球ができるということに喜びを感じられるような大会運営をお願いしたい。お祭り「が」いいと思う。非日常を味わえるのは大人の特権だと、いいように考える。

マスターズ甲子園

Saturday, July 21, 2007

いやでも物理が面白くなる

 読者対象が明記されていなので、万人向けの書籍だと思うのだが、高校生ならば1年生が対象であろう。感化されて志村史夫本、3冊目。

Amazon.co.jp: いやでも物理が面白くなる―交通信号「止まれ」はなぜどこの国でも赤なのか?

 本書の「まえがき」にこうある。

学校の試験の点数を高めようとするような本ではない。また、「受験」に即効性があるような本にも思えない。(pp.5)


 筆者が書いているのだから間違いないだろう。しかし、物理を考えるうえで大切なスタンスを学習前に知っておくことは、結果として試験の点数を高める効力はあると思う。

 物理とは、おもいっきり単純にいうと「こう考えれば、辻褄が合う」ということだ。

 「こう考える」というのは定理であったり、定義だったりで、「辻褄が合う」というのは数式で表せるということ。

 「こう考える」というのは見た目とのギャップがあると甚だ難しい。基本的に物理は世紀の大発見の積み重ねである。むずかしくて当然だと楽観的に考えてもいいと思う。しかし、見方をちょっと変えると世紀の大発見も凡人に理解できる範囲に変わることが面白いじゃないか。

 宇宙空間では常に落下している。

 上の言葉を聞いた時、まったくピンとこなかった。どこでどのように聞いたのか忘れてしまった。ピンとこなくとも「辻褄が合う」のである。解せなかった、まったくもって解せなかった。そのような対象に波・光・電磁波があるが、それが丁寧に書かれている。

 本書のサブタイトルに「交通信号『止まれ』は なぜどこの国でも赤なのか?」とある。夕日でも見ながら考えてみよう。

Friday, July 20, 2007

「これはスゴイ」そして、「これはヒドイ」

 いやはや、なんと言っていいのやら

「73人合格」実は受験生1人、大阪の私立高が実績水増し : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 ひとりの学生が73の受験をこなしたってのがスゴイ。ダブルヘッダとかあったのかしら?

 06年度、同校は4私大の合格者数を延べ144人と公表しているが、半数以上はこの生徒が1人で積み上げたものだった。


 まぁ、「延べ」と書いているので、ウソではない。しかし、あまりにもマンガチックで笑ってしまう。予備校などの実績にも注意しましょう。

 というか、合格者数にどういう価値があるのか全く分からない。誰か教えてくれ。

読売教育賞

 アンテナにひっかかっていたコトがNTVのニュースで放送されたらしい。

思索の木蔭:英語で教える小学校 - livedoor Blog(ブログ)

 先日(7月19日)の読売新聞・朝刊の「くらし・教育」欄に読売教育賞を受賞した試みが取上げられている。福岡県大野城市立大野南小学校の上原明子教諭による「学校生活のあらゆる場面で英語を使う環境をつくる小学校学級担任の試み」というモノだ。行われていることはイマージョン教育だ。

イマージョン・プログラム - Wikipedia

 「公立校もここまできたか……」というのが、正直な感想だ。

 私は新聞記事でしか、この試みを知らないので、どのくらい英語を使っているのか想像しにくい。記事を読む限りでは、国語まで英語でやっていると書いてある。国語までとなると、さすがにやりすぎかなぁと思っていたのだが、そこら辺が、「野心的」と評価を受けたのだろうか?まぁ、違うだろう。公立校で、これだけやっているというのが評価の対象だろう。まぁ、英語特区のひとつなのかもしれないが……

 これは学校教育プラスアルファだ。

 私は小学校英語教育の義務化に反対だ。しかし、小学校で英語教育を行うことには賛成している。賛成というか、プラスアルファの部分なのでなにも問題ないというスタンスだ。私は、最近、こう考えるようにしている。

Thursday, July 19, 2007

知に働けば蔵が建つ

 「リベンジ、内田樹」という意気込みで手に取りました。

Amazon.co.jp: 知に働けば蔵が建つ

 内田樹氏のブログは今年に入ってから購読をはじめた。もっとはやく購読していればよかったと後悔した。しかし、いい時代になった。クオリティの高い文章を氏の体調がよければ毎日読むことができるし、なにか大きな問題があると有識者のリアクションをすぐ見れる。

 氏の著書は2冊目であるが、1冊目は途中棄権。「むむ、危険だ」という類のモノではなく、1ページ、1ページが重い鉛のようページをめくるのが困難だったためだ。ある程度のバックグラウンドがないとまったく面白くない。何を言っているのかさっぱりだった。

 本書はブログが基になっているだけに、エッセイやコラムのようで非常に読み易い。が、そんな中でも「あとで読む」というのが1つや2つある。「おわりに」で氏はこう言っている。

例えば、本書収録のテクストの中では、ニーチェとオルテガの大衆 = 貴族論を祖述した「貴族と大衆」という長文がたいへんわかりにくい内容のことを扱っている。読み返してみて、書いた本人が「え? 何が言いたいわけ? どうつながるの?」と同じ段落を二度三度読み直さないと意味がわからないというところさえあった。(pp.299)


 よく分かってらっしゃる。しかし、「あとで読む」とラベル付けしたところは面白い箇所でもあると、私は思っている。すんなり私の中に入ってこないということは新しいことか、相反する考えということ。そういうのが面白い。特に政治に関するところは、半分以上が新しいことだったのだが、「あとで読む」とラベル付けするのではなく、リアルタイムでガンガン指が進む。

 とりわけ印象に残っているのは教育に関する部分なのだが、「危機管理の陥穽」のまとめの部分が同じ思いだった。

すべてのリスクを教師はマネージすべきだというなら、「授業以外には何もやらない」というのが教師たちが取りうるいちばん確実で誠実な対応であろう。(pp.262)


 私が思っていたのは危機管理に関することではないが、学校の守備範囲を狭めるというのは通じるものがある。

 本書にはいくつかの書評がある。『希望格差社会』は読もうと思っていて、読めていないのだが、苅谷剛彦氏の『階層化日本と教育危機』というのは知らなかったので読んでみたい。

Tuesday, July 17, 2007

勉強法が変わる本―心理学からのアドバイス

 「脳科学でも証明!」などと書かれた本より胡散臭さはないが、「心理学からのアドバイス」という一言が、もしかしたら、読者を遠のかせてしまっているのかもしれない。

Amazon.co.jp: 勉強法が変わる本―心理学からのアドバイス (岩波ジュニア新書)

 2000年発刊の市川伸一氏による勉強法本。高校生向けの本らしいのだが、中学生でも、大学生でも、学校の先生でも、お父さん・お母さんでも読んでみることをお薦めする。

この本を読んだ読者は、勉強法のハウツー本に振り回されないで、それらをうまく利用できるようになってもらえると思う。(pp.vii)


 私がお父さん・お母さんに勧めるのはこの点。本書を読み、どのように感じるかは、個々人により様々だと思う。もちろん、様々で問題ない。しかし、教育、もしくは学校教育に対して、一貫した何かを家庭と学校、そして社会と共有できればいいなと思った。

 偉そうなことを書いているが、「一貫した何か」が何なのか自分でもクリアではない。

 本書では心理学の王道であろう、「記憶」と「理解」、「考えること」について説明されている。主な教科は数学と国語だ。これは、「学問は抽象から具体へ、具体から抽象へ」ということが理解し易いためだと思われる。

Sunday, July 15, 2007

ブラック・ユーモア

 以下のポエムが高評価らしい。

現代っ子にぴったり? 「雨ニモアテズ」宮沢賢治の故郷で発表|愛媛|地方|Sankei WEB

 記事によると、これを書いたのは「どこかの校長」らしいが、発表したのは小児科の医師のようだ。日頃、子どもたちに数多く接していて「校長、グッジョブ!!」ってことで学会で発表したらしい。

 雨ニモアテズ 風ニモアテズ

 雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ

 ブヨブヨノ体ニ タクサン着コミ

 意欲モナク 体力モナク

 イツモブツブツ 不満ヲイッテイル

 毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ 遊バズ

 朝カラ アクビヲシ  集会ガアレバ 貧血ヲオコシ

 アラユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ

 作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ

 リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ

 東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ

 西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ

 南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ

 北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ

 日照リノトキハ 冷房ヲツケ

 ミンナニ 勉強勉強トイワレ

 叱ラレモセズ コワイモノモシラズ

 コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ


 しかし、この「どこかの校長」、ノリノリである。まさに「北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ」のごとく、「どこかの校長」に当事者意識のかけらもない。「いや、校長、あんたも『コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ』のひとりだよ。」っていう、つっこみはなかったのか?というか、このパロディは、「どこかの校長」がノリツッコミをして、はじめて成立するギャグだと思うのだが、私の感覚はおかしいだろうか?

アメニモマケズ - Wikisource

 宮沢賢治のオリジナルを見れば、こいつも十分に当時を皮肉っているのが分かる。先日読んだ『脳と魂』という本に興味深い指摘があった。それは差別問題に関わることだ。本文ままではないが要約すると以下のようなことだ(うろ覚えなので、後日修正するかも)。

江戸では身分制度でエタ・非人を設けた。しかし、それなりの生活保障を江戸城では行ってた。しかし、田舎の大名が真に受けて、忠実にその制度を適用した。それで、差別が生まれた。幕府に気に入られようとする大名のエゴにより、差別問題が生まれた。


 このパロディにも、これを感じずることを禁じえない。差別が生まれるということではなく、勘違い・真に受けた・エゴの部分である。もちろん、私も批判する文章を書いているので、気をつけなければいけないのだが、それを守れているかどうか分からない。

 内輪で盛り上がるための「ネタ」であるなら、まぁ、いい素材だ。しかし、この詩にはユーモアがない。

世相と人柄を皮肉ったユーモアは「ブラック・ユーモア」と呼ばれる。穏やかなユーモアと比べて不愉快に感じる人間が多い一方で、その刺激を楽しむ人もいる。

ユーモア - Wikipedia


 「ブラック・ユーモア」なんて言葉自体、忘れていた。

 さて「どこかの校長」を批判してきたが、この「どこかの校長」の存在が怪しい。

 Googleで調べた限りの初出は、作者不詳として2000年の産経新聞に載せられたとあった。

00カルチャー

 私は直感的に小学校の校長だと思ってしまったのだが、作者が「どこかの校長」というのは今回の産経の記事しかない。新聞社のブラック・ユーモアとするか、小児科医の医師のブラック・ユーモアとするか、「どこかの校長」のブラック・ユーモアとするか、むずかしい選択だ。

Saturday, July 14, 2007

今週読んだ本たち

 今週はあまり本を読まなかった。週末は台風の影響で家にいることが多いだろうから、今日は頑張って図書館へ行った。何を血迷ったか、いつのもクセで歩いて行ってしまったのでやや雨に濡れたが、歩かないと気持ちが悪い。そういえば、今日が誕生日の友達が多い。おめでとう。


Amazon.co.jp: こわくない物理学―物質・宇宙・生命

 『アインシュタイン丸かじり』を読んで志村氏のスタンスに共感を得たので読んでみた。「はじめて物語」的な語り口がいい。中学生や高校生では、少し、戸惑うかもしれない。もちろん、理解できるとは思うが、全員ではないだろう。物理好きが補助線を引きく手助けをしながら読むと、効果は倍増だと思う。良書。


Amazon.co.jp: 「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書 61)

 面白そうだなぁと思って読んだが、正直なところ、「ババ引いたなぁ……」と思った。しかし、読むスタンスを変えると良書になった。道徳の教材として使えそう。


Amazon.co.jp: わが友 本田宗一郎

 私の好きな人物のひとり、井深大。彼の晩年の書。盟友、本田宗一郎氏の死を受けた回想録。井深氏の考えは、やっぱり好きだ。晩年は本書でも触れているが、今で言う「トンデモ」の世界に踏み込みすぎて焼が回って(この使い方は正しい?)しまったという評価が多い。それでも彼らの理念は根をしっかりとおろしているような気がする。それには、彼らをサポートした人物の功労が大きいのは、大いに頷ける。


Amazon.co.jp: 迷いと決断

 『わが友 本田宗一郎』の読後に読んだ。SONYは盛田昭夫によってSONYになったのだと、改めて感じる。そのDNAを現代に適応させようと努力した出井氏の回廊録。面白い、非常に面白い。私はSONY大好き人間なので、ほんとうに面白い。

 私は、「出井はSONYを壊した人間」だと思っていた。まぁ、半分はあっていると思うが、半分は間違いだ。「SONYを壊した」と思った理由は、「QUALIA」と「ビジュアルの劣化」、「多角経営」だ。

 「QUALIA」に関しては、コンセプトは大賛成なのだが、作られるモノがどうにもこうにも意味あるものに見えない。100万円もするブラウン管テレビや、なんだかよく分からないCDトレイのプレイヤー、20万~30万くらいする超高級ヘッドホン。ディジタルの時代にアナログの価値観を捨てられずに、なんとかSONYブランドで立て直していこうという安直なプランにしか、当時の私の目には映らなかった。もちろん、消費者と経営者の視点差はあるだろう。

 「ビジュアルの劣化」はデザインが長持ちしないということに起因する。特にVAIOなんかを見ていると感じるのだが、こんなの誰も買わないよというデザインが平気で「斬新」などと市場に出てくる。デザインの価値観なんてのは、ひとそれぞれで、後から流行がついてくる場合も確かにある。にしても、VAIOの場合は、デザインのクオリティが低いのが多いと私は思うことを禁じえなかった。それに比べたら、ソニータイマーなんて可愛いものだ。というか、私はこれを信じていない。なぜなら、私が使っているVAIOはすでに5年目だからだ。「経営の多角化」は本書に詳しい。

魔女の宅急便

 『魔女の宅急便』はジブリ作品の中で、一番、好きな作品かもしれない。一番というのはなかなか定義しにくい。『ラピュタ』や『ナウシカ』ももちろん好きだが、これらの好きと同じベクトルではない。それでも、ジブリの作品からひとつ選べとなったら、これをあげるだろう。

 私のまわりでは、私の思いと反して人気がない。地味なのだろうと思うのだが、特段、理由を探したわけではない。まぁ、ちょっとズレた感覚かなぁとは、ずっと思っている。先日、『ラピュタ』が放送された時には、ネット界隈では盛り上がっていたが、今回はおそらくないだろう。まぁ、それでもいい。それがいい。

 私が最初に『魔女の宅急便』を見たのは、中学生の頃だ。その時から好きなのだが、なかなか表現しにくかった。今でも表現しにくいのだが、強いて言うなら一目惚れと同列だと自分では思う。それこそ、「好きなんだから、ショーがない」だ。それでは能がないので、理由を考えた。2つある。

 ひとつは、なんてことない、ユーミンの音楽だ。

 コレは強烈だ。私はユーミンを聞いたことがない。家族もなので、積極的に聞く機会は皆無だ。はじめて聞いたのがこの映画の中だ。これまでは、『ルージュの伝言』がお気に入りだった。跳ねるような2拍子で、乾いた感じの音楽が大好きだ。しかし、今日、久しぶりに『魔女の宅急便』を見て耳を突いたのは『やさしさに包まれたなら』だった。この楽曲たちが、どういった経緯で映画の挿入歌になったかは知らない。しかし、『やさしさに包まれたなら』はこの映画の核心をついている楽曲だと、今日、はじめて意識した。

 もうひとつは、自然との対峙だ。

 コントロールできない自然、子どもでいられないこと、大人になること、それゆえの儚さ、優しい言葉、分かるとは体感すること、など、今のはやりの言葉でいうなれば「14歳」を表現していることが、ズンときたのだと思う。ジジの言葉が分からなくなったキキの気持ちが意外と伝わってくるのは、そのためだと思っている。そして、これらのことが、『やさしさに包まれたなら』にギュっと詰まっていると、私は思う。これは私の解釈なので、異論はたんまりあるだろうとは思うがご勘弁を。

 しかし、こういうことを書くと副産物がある。はじめてネットで『魔女の宅急便』を調べたが、原作があることをはじめて知った。読んでみようかと思う。

Wednesday, July 11, 2007

INSIDE THE PRAK HOMERUN

 実はリアルタイムでNHK BSの放送を見ていました。

 なんとなく、「やってくれそうだ」という第6感がありました。もしかすると、ホームラン打つかもなんて思っていたのですが、誰も証言してくれる人はおりません。そんなのはただの自己満足なので、どうでもいい。

 しかし、まぁ、ランニングホームランとは、驚いた。Ken Griffey Jr.のあの守備は仕方がないと解説の長谷川は申しておりました。確かに、あの打球だとクッションボールの方向は間違っていないと思う。

 解説陣も言っていたが、あまりに余裕過ぎたのでありがたみがない。クロスプレーになればイチローの足のだから、という意見には賛成。

YouTube - 2007 ALL-STAR GAME-1ST EVER INSIDE THE PARK HOMERUN

 このYouTubeの動画が一番面白かったので貼っておく。もしかしたら、地元のテレビ局の映像かもしれない。

 いいもの見せてもらいました。多謝多謝。