Friday, October 26, 2007

学校や教育委員会は「平均より上、下」でなぜ一喜一憂するのか?

 今春に行われた学力テストの結果が公表された。各メディアは「知識はあるが、応用力がない」と報じており、「学力に問題がある」と結んでいる。「はて、学力ってどんな『ちから』だっけ?」と、また悩んでしまう。確か、「学力」が問題として表に現われたときは、「分数のできない大学生」や「円周率は3です」といった知識不足であったと思う。これらを「学力」問題とするならば、「知識はあるが、応用力がない」は「学力」問題の改善であり、喜ばしい結果でないか。

 さて、今日はそんなことではなく、各教委、学校の反応が気になったので書きたい。

全国テスト…学力差、笑顔と落胆 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 記事にこうある。
 全国学力テストで、公立学校のデータを集計した都道府県別の平均正答率が公表された。好成績を喜んだり、予想外の苦戦に落胆を隠さなかったりと、各自治体の表情は様々。

 ここでいう「平均正答率」というのは、満点に近ければ近いほど「よい」とされるものだろう。個人としてはここで「ん?」であるがそれはいい。ということで、好成績で喜んでいる自治体は満点に近い、100%に近い正答率だったはずであり、落胆している自治体は100%から離れているはずである。
 一方、平均正答率が全国平均を下回った自治体の表情は厳しかった。

 ここで「おや?」である。自治体の「平均正答率」が全国平均を下回った自治体の表情が厳しいとはなぜ?全国平均に何の価値があるのだろう?この場合なら、都道府県別で1番の「平均正答率」を基準にし、厳しいなというのであれば、まぁ、分からないでもない。しかし、全国平均と比べて落胆している意味が全く理解できない。私がとっている新聞の地方欄でも「全国平均を上回る」という見出しがあった。何を勘違いしているのやら。

【主張】全国学力テスト 競争封ぜず学力の向上を - MSN産経ニュース

 このような「主張」もあるのだが、メディアの報じ方や学校・教育委員会の喜哀を見ていると「序列」したいのだなと思わざるを得ない。この際、メディアはどうでもいい。現場、学校や教育委員会が勘違いしなければいい。

 「平均正答率」が上で記した基準で用いられているとすれば、満点が合格ラインなのだろう。ということは、どの自治体も平均では合格ラインに達していないことになる。「本当かよ?」と思うかもしれない。もちろん「本当かよ?」である。だから、平均正答率が判断基準に使われていることが「なぞ」なのだ。

 というか、平均は粒をそろえることに価値があるので、平均に近いことに一番価値がある。だから、平均点60点だとすると、30点も90点も平均を乱す厄介者のはずである。「平均正答率」を物差しに使いたいのなら、前もって基準となるべき点数を提示するべきである。そして、これでよい結果を得るためには、下位の強化が一番手っ取り早い。フィンランドはこれで世界から注目される点数を獲得することができた。

 今回、よい結果を得られた自治体はよい結果の得られていない自治体へ文句を言ってもいいはずだ。なぜなら、平均を下げている要因である。お節介をしてもよい。そして、よい結果を得られていない自治体は、プライドがあるならば、よい結果を得た自治体の技を盗むくらい結果に拘ってもよいのではないか。それが平均より下で落胆している自治体がとるべきプライドある行動でないか。

 今回の学力テストは何を「はかる」のが目的なのか?各設問には必ず「はかり」たい項目がある。それを現場は知っているのだろうか?別に知らなくても問題はないが、余計な時間がかかる。今回の受験者は小6、中3である。テスト結果の活用もままならない。

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