Monday, July 24, 2006

何を守り、何を失うか。その現実味の希薄さ。

 教員の不祥事に対して何かを書くということにバカバカしくなり、最近、不祥事が起こってもスルーしていたが何も変わらぬ現状と企業不祥事における「何を守り、何を失うのか」という単純な損得勘定における隔たりをより一層強く感じるようになったので、書きたい。

asahi.com: 下着盗の教諭を匿名発表 「被害者の意向」とウソ - 教育
 千葉市教委が、市立小学校教諭が下着を盗んだとして処分を発表した際、「被害者の意向」といううその説明を基に、教諭の氏名などを伏せていたことがわかった。市教委の懲戒処分の公表基準では実名での発表に当たる事例で、実際には被害者は教諭の実名公表を繰り返し求めていたのに、市教委が「被害者の意向」を捏造(ねつぞう)していた。
 市教委は何を守りたかったのだろうか?罪を犯した教諭か?そんなことをしても、市教委になんのプラスにもならないことは誰の目から見ても明白だと思うのだが、組織というのはナゾが多い。その結果、被害を受けるのはその他大勢の千葉市の教員であり、全国の教員である。先生と呼ばれる全ての人が、今回の市教委の下した判断と同じ考えを持っていると思われるのだ。甚だ迷惑なこった。

 さんざん言っているが、誰が問題を起こしていて、その問題を解決するためにはどうすればよいのかということを本気で考えているのだろうか。今現在、教員に対して世間の風当たりは強い。これから教員になる人は、この不祥事を起こした教員よりも厳しい教職課程が待っている。教員免許更新制に対しても当初は、現職には対応しないとしていた。しかし、現実は間違いなく現職に対して、全ての世間の逆風が向けられている。それがなぜ、問題を連発する現職が守られ、次に入ってくる、入ってこようとしている人たちにその尻拭いをさせるのか、お上の考えることはナゾだらけだ。新任の先生は現場では彼らから教育を受けるのだ。これを忘れてはならない。

 先の教育基本法改定では、一応、現職にも免許更新制については適応されるが、機能するかどうかはナゾだ。おそらく、機能しないであろう。今日のこの記事を見る限りでは……

Friday, July 21, 2006

フィンランドのカルタ

 フィンランド教育への関心は日に日に高まっているように感じる。教育ルネサンスでフィンランドの国語教育、フィンランドメソッド(記事中では読解メソッドと読んでいる、混乱するので統一してもらいたい)を日本で行っている学校が紹介されていた。それは京都にある。

小中一貫(7) 視覚で養う読解・思考力 : 教育ルネサンス : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 記事にも書いてあるように京都は挑戦的な教育改革を実行している。教育改革のデパートとはよく言ったものだ。私の印象も同じである。品川よりも京都のほうが意欲的に思う。

 さてさて、フィンランドの国語教育でよく出てくる言葉がある。それがタイトルにもつけた「カルタ」だ。日本のカルタとはチト違う。日本的に言うとマインドマップだ。Googleさんでイメージ検索すればマインドマップを見ることができます。

 フィンランドメソッドは国際学習到達度調査(PISA)の読解力テストで連続1位を獲得していることから考えると成果があるといえる。私自身も自己啓発のひとつとして書籍を読んでもいる。学校教育にも用いたいと思っているし、そのアイディアも考えある。フィンランドメソッドが効果的な学習方法であることは広く知られているのに、小中一貫の特集でとりあげられていることに「なぜ?」と私は思うのだ。

 ひとつ、私が思うに、今までの制度が縦の関係で全くつながっていなかったと暗に知らしめたいのではないか。具体的に、ここがダメなんだということは一言で言えないが、語学は継続しなけりゃ意味がないことを知らしめたいのだと思う。英語ばかりでなく、日本語においてもだ。

 そして、もうひとつ思ったことに「モノ分かりの悪い先生」でなければいけないのではないだろうか。いくら授業で論理的な考え方について学習しても、それを活用する場所がなければ定着しないというのは英語と同じだと思う。子どもたちの言葉を汲み取って、言いたいことを理解する姿勢は必要だと思うが、「いつ」「だれが」「どこで」などと子どもたちの言葉が足りなければ「モノ分かりの悪い先生」になる必要もあるであろう。先生ばかりでなく家庭でも「モノ分かりの悪い親」を演じることも必要なんだろう。

Friday, July 14, 2006

英語でお稽古

 英語でそろばんやピアノを習う小学生が増えている。塾やスポーツで忙しい子どもたちにとっては「一石二鳥」。小学校の英語必修化の動きもあり、習い事の世界も敏感に変わってきている。
 らしい。個人的には「いいな」と思う。

asahi.com: 習い事「一石二鳥」流 英語使いそろばん・柔術・ピアノ - 教育

 英語が話せるようになるかどうかといわれたら、本人の頑張り次第と言わざるを得ないが、インプットとアウトプットの場が増えるという点ではよいと思う。中学の2年間をこのようなアウトプットの場に使えればずっと変わるような気がしている。

 しかし、今の子どもは大変だ。
 ベネッセコーポレーションが02年に首都圏の小中学生を持つ母親約6000人に聞いたところ、英会話を習ったことがある子は27.4%。一方、これまで経験した塾と習い事は「5個以上」が40%だった。
 教育費が大変で子どもを産まないって選択も分からんでもないし、最近の子どもの犯罪も理解できなくもない。そんなことはさておき。きっと、家では遊びまくっているんだろうなぁ。勉強する場所とそうでない場所を分けないと精神的に参ってしまうだろうし、でも、英語に関して言えば自習というか自発的な勉強が必要条件であるので、場所を区別してしまうと伸びが鈍るので挫折しやすくなる危険性もあると思う。あまりにもボーダーを明確に引いてしまうのも問題だ。

 でも、子どものこの言葉は重要ではないだろうか。
 英会話教室に通っていたが、間違うと直されるのが嫌でやめた。「柔術では英語を間違っても大丈夫」
 学校などで教わった後には「なんでこう言わなきゃいけないの?」と多々思っていた。「こうでもいいんじゃない?」と思っていたが、それが正しくてもテストでは間違いになる。授業中の発言でも「それでもいいけど、こう言ってね」と訂正される。でも、記事のような場であったら、意思伝達の手段としての英語のはずだから、「この構文で言ってね」なんてことは絶対にないはずだ。間違っても意思伝達できればよい。教わった後も「そう言うのか」と前向きに捉えられるような気がする。確証はないけれど(若干の経験則はある)。

Wednesday, July 12, 2006

椅子のない教室

 バランスボールを椅子代わりにしたところ、生徒の集中力がアップしたという記事がasahi.comにあった。バランスボールを椅子代わりにすることに関し、私はとくに目新しさもなにもないが、このような小さな出来事にまで目が届くということに喜びを感じる。と同時に、情報過多の具合も危惧したい。

asahi.com: 「バランスボール」で集中力アップ 学習塾が活用 - 教育

 自分のほかのブログで、「会社の席、居心地いい?」という記事を書いた。その中で言及しているとおり、海外の教育現場ではすでに実行していることである。科学的根拠は分からないが、このasahi.comの記事と海外の教育現場での例を受けると、集中力アップは確かなようである。

 asahi.comの記事の学習塾がどのような経緯で椅子の代わりにバランスボールを導入したのかとても興味がある。海外では既に椅子代わりにバランスボールを使っていることを知っていて、かつ成果があることを知って導入したのか、それとも、「これいいんじゃない」という感覚ではじめたのか。

 感覚的な理由ではじめたのなら私も同意できることだ。私もはじめてバランスボールを椅子代わりにした教室を見て、直感的に「いいなぁ」と思った一人だからだ。基本的に、落ち着きのない子どもだったので、じっとしているのが窮屈でたまらなかった。集中できないことはなかったが、そこにたどり着くまで時間が必要だった。そわそわし、ああでもない、こうでもないと自分のポジションを探していた。眠る前に、寝やすい姿勢を探すのに似ている。落ち着けば後は体が反応してくれるので、なんだかんだで終わりまでいい感じで集中できる。絵を描くときなんかが特にそうであった。

 最近思うことに、エネルギーの発散が足りないことに集中力が関係しているのではないかということがある。じっとしていられないのは動きたいからだと思う。基本的に、動くことが足りないというのは、ほとんどの人が感じていることではないだろうか。歩くことで記憶力が高まるという話を聞いたことがある。歩くことで脳に血液が巡りやすくなり記憶力増大につながるそうだ。つまり、ジッとしていると脳に血液が行かないってことではないだろうか。俗にいう「貧乏ゆすり」なんてのも禁断症状のひとつなのかなと思う。日本では、下品な行為としてとがめられるけれども、気が済むまでやらせるべきでないだろうか。

 エネルギーの発散が足りない現代に、無理にジッとさせることがはたしてよいことなのかどうか、学校教育の根本にまで忍び込む必要があるのではないだろうか。そういったことを投げかけてくれる記事だと思う。

Tuesday, July 11, 2006

教材マーケット - Teachers Pay Teachers.com

 百式さんトコにあった興味深いサイトです。同じようなこと考えていました。とりあえず、我が市にはないようです。他のところはどうなのでしょうか?

百式 - 教材マーケット (Teachers Pay Teachers.com)

 この類のことってのはかなり重要だと思います。今年頭から「団塊世代大量退職」など言われていますが、その技術やノウハウを伝えることが今までの流れや制度上では、円滑に行えていないといわれています。それとともに、すべてが各先生の頭の中にあるってのもモッタイナイことだと思います。

 本屋に行けば、名前のある人によるこの類の書籍は山ほどありますが、「痒いところに手が届く」ものは少ないですよね。「帯に短し襷に長し」ってこともありえます。Webを利用することで、DB管理が進むのが最大のメリットだと思います。ただ、残念なのは現場の先生は形にしないんですよね、積極的には。Webないし、電子媒体での管理となると尚更です。もったいない、モッタイナイ。

Sunday, July 09, 2006

爆笑問題×東大

 昨日のNHK教育テレビのETV特集で、東京大学教養学部の駒場キャンパスでの、新入生歓迎シンポジウムが放送されていた。再放送で、かつ拡大版らしいが、私はオリジナルを見ていなかったのでその違いはよく分からない。でも、面白かった。

 基本、爆笑問題・太田氏を軸に話が進められているように感じたが、双方のプチ哲学を聞くことができ擦り合わせにはよい。いい言葉が多かったが、いい言葉ってのは得てして現実味が薄いものだとも思った。その中で、太田氏の言葉、これは立川談志氏の言葉になるのだが、「伝わらないのは、己の技術不足」ってのは耳が痛い言葉だ。

 「知の技法」という東大教養学部文系の必修科目のサブ・テキストがある。ブックオフなんかでは100円コーナーにあるのではないだろうか?読み物としても面白い。

 教養ってなんだろうと自分なりに考えてみた。教養ってのは、結局、結果なんだろうと思う。結果が積もり積もって、淘汰されて、現在に残っているものが教養なのだろう。各業界で、平たく言うと「おばあちゃんの知恵袋」的なことがあるだろう。それが、個人に蓄積されたのが教養人なのではないか。この番組を見て、そう感じた。YouTubeにアップされないかしら。

Thursday, July 06, 2006

ラテン語のニュースを配信

 なんて知的なジョークなんでしょう。

フィンランドがEU加盟国向けにラテン語のニュースを配信 | エキサイトニュース
新しくEU(欧州連合)の議長国となったフィンランドが、ヨーロッパの人々に古代にまでさかのぼるルーツを意識させるために、ラテン語でニュースを配信し始めた。
日本語はいまだに起源が特定されていないようなので、この類のジョークはできそうにありませんね。

Sunday, July 02, 2006

JSTバーチャル科学館|惑星の旅

 科学館やNHKの科学特番を楽しみにしている人には、この類のサイトは興味深い。自分も楽しんだ。

JSTバーチャル科学館|惑星の旅