Saturday, March 31, 2007

カリスマ受験講師の「考える力」をつける本

 国語や現代文を勉強するモチベーションを与える本だ。

Amazon.co.jp: カリスマ受験講師の「考える力」をつける本―記憶力・読解力から論理力まで、最大の効果を生む勉強法!

 これを読むと、国語や現代文を学ぶ姿勢が変わるだろう。私も学生時分に読んでいれば、変わっていたかもしれない。学生は、国語や現代文を学ぶ意味を色々と考える。短編や小説を授業で読んで、作者が何を思っているのかなど、どうでもいいことだと信じている。少なくとも私はそうだった。

 テストでは、課題文をろくに読まずに解答していた。それでも、意外に点数がとれてしまうことが不思議だ。が、なんとなく理屈はわかっていた。この本では、その「なんとなくわかった理屈」がづらづらと書かれている。正直な話、私は国語の授業で国語の勉強をしていたことがない。体力補給の睡眠、もしくは数学か英語の内職に当てていた。そして、当時の私はマンガも読まない、活字嫌いだった。そんな私が偶然にも体得していた「理屈」がどこから来たのか考えた。おそらく数学だ。

 私の数学は山あり谷ありだ。その谷の部分で気が付いたのだと結論付けた。その谷の部分とは証明問題だ。「この三角形が相似である理由を述べよ」とかいうヤツだ。私の数学暗黒時代だったのだが、その時に四苦八苦したのがよかったのではないかと思う。

 過去を振り返っても仕方がないが、その時、横断的・串刺し的な思考に気が付けば、もしくは、誰かがそんなヒントを与えてくれればと思い返してしまった。本当にデキル人ってのは、自分でそれに気が付くのだろう、きっと……

Wednesday, March 21, 2007

脳にいどむ言語学

 一読して「ほぉ~」と腑に落ちるものは多くない。もちろん、そういった類の本でもない。

Amazon.co.jp: 脳にいどむ言語学

 大学の講義で参考文献によく挙げられているみたいだ。それくらい解りやすく書かれている。にもかかわらず、腑に落ちない、正確には感銘を受けないのはアプローチを説明しているからだ。基本的に、実験方法と評価方法を説明する本である。それはそれで有意義な内容なのであるが、第1章でことばのしくみとして生成文法の説明をしているので、脳と生成文法の関係に私の興味は向いてしまった。読み進めると、このことが本書の役割でないことがわかる。他の書籍を探すしかないのだが、参考文献が記されていないのが残念だ。

 今までの言語学は心理学とは密接であったが、生物学とは一線をひいていた。本書にも指摘があるが、今後は脳科学を軸として言語研究が盛んになるであろう。言語学の知識は評価や実験方法を設定するのに必要な基礎学問であることを如実に感じた。

Tuesday, March 20, 2007

教育戦争

 『ガイアの夜明け』で教育…… 見ないわけにはいかない。

「「公立」vs「私立」~教育再生の最前線では~」 : 日経スペシャル ガイアの夜明け

 昨今の教育改革に絡めたものではなく、現在の学校事情をまとめたもので目新しいことはない。しかし、品川区の中学校が結構な時間を割いて放送されていたのがよかった。アウトラインは以下。
  1. “黒船”ワタミの学校再建術
  2. スーパー公立を目指せ!
  3. 学校が選ばれる日
 郁文館夢学園の改革はまさに企業改革だ。どのような内容のことをやっているのか知らなかったが、教員にコスト感覚を養わせるための「50%プロジェクト」は興味深い。これは、私立だからできることではあるが、教員の異動がない私立だからそこ必要だと感じた。番組内の教員の発言を聞くとそれは確信となった。しかし、公立にもこの意識はとても欠けていると思う。最近、事務出身の校長が注目を集めているのも、コスト感覚の欠如と関連しているだろう。もうひとつ、なかなか刺激的な言葉ではあるが、深いと思った。

「教えることに専念することは、理想ではない」

 これは深い。素直に聞くと「なにを!?」と思いたくなるが、教えることができて当たり前というニュアンスがある。その上で経営センスとコスト感覚を求めるもので、ハードルの高い要求だ。大村はまの2歩先を行っている。かなりゲンナリする言葉だが一理ある。あと教員を評価する「360度評価」というのが取上げられていたが、さらっと流れてしまった。評価者が校長、同僚教員、生徒、保護者と四面楚歌の状態の評価であるが、重み付けがどうなっているのか謎なのでなんとも言えない。

 スーパー公立として取上げられていたのは九段中等教育学校だ。ここはすごい。なんせ、予算が他の公立校の10倍あるらしい。それゆえに、いろいろなことができている。習熟度別少数教育などはお金がないとまずできない。そして、授業時間の確保のために、土曜補講を早稲田アカデミーに委託している。これもお金がないとできない。このブログでさえも九段中学を検索して辿りついた人が多かった。謎が解けた。やっぱり、教育にはお金がかかる。

 で、最後は品川区の東海中学校。品川はいち早く学校選択性を施行した。その弊害というか、影響という感じで放送されていた。しかし、このお陰で、教員はかなり自由に授業ができるようになったのだなぁと改めて感じた。正直なところ、その他、大部分の学校はこの東海中のような状態だろう。東海中でも学力向上ということで教師間のレビューを行い、授業の質を高める努力をしている。番組では2年目の先生が取上げられていたが、問題となることは、どこでも、誰でも一緒なんだなぁと実感した。公立ならではの悩みだとは思うのだが、先に述べたように、かなり自由度の高い授業を行うことができるので、うまく切り抜けていたように見受けられた。

 校長が変われば学校は変わるという言葉がある。この番組を見ると、それは真なのだなぁと思う。九段の校長は「なりふりかまわず」という姿勢。一方、東海中の校長は理想と現実のジレンマに揺れながら。この差が一般教員に与える影響は大きい。

Monday, March 19, 2007

工学部でも国語が必須

 非常に興味深い。工学部でも国語が必須入試科目となるようだ。

09年度入試から京大が工学部を国語必須に / 教育ニュース - 教育情報サイト eduon!

 工学部の国語必須化だけでなく、経済学部の数学系の問題を必須とすることにした。経済学部は数学必須である。なぜ、数学が入試問題で必須でないのか不思議。他大学はどうなのか、調べていないのでわからないが、社会系との選択科目だったのかしら。

 受験生には負担増だと思う。なので、英語は入試科目から除外してもいいのではないでしょうか?

西本清一副学長・工学研究科長はこの決定に関して理系の総合力の必要性に国語の力が不可欠・分離融合で心材を育成すると発表し、関西の主要な大学で2次試験に国語を課している初の例となる。
経済学部では論理的表現力をみる論文入試のほかに数学的な思考をみる理系型入試を設けた。

 改革の理由が上記のようなので、英語はまったく必要ないのではないでしょうか。むしろ、英語の勉強に時間をとられてしまうので、足枷になっているという意識はあるはずだ。如何でしょうか、京大さん?

そんなに多くのことを求めちゃいけない

 先日、教育再生会議から夏休み・春休みの1週間の短縮と1日7コマの授業実施が提案された。どこからか、「過労死する子どもが出てくる」と冷やかしがあったが、思わずうまいと唸ってしまった。今回の提言もすごい。

教育再生会議:学年ごとの「到達目標」設定方針-教育:MSN毎日インタラクティブ

 ほんとうに「アンチゆとり教育」なのだなぁと感心する。徹底している。「ゆるぎないものひとつ」って感じだ。

 というか、今までも到達目標はあったでしょう?ってのが一般的な反応かと思うのだが如何なのでしょうか?現状の教育システムが全く見えなくなってきてしまった。

現在は学習指導要領で学年ごとの「指導する内容」が示されているだけ

 ほう、そうなのか。勘違いしていた。でも、現場レベルでは今回の再生会議の提言と同じ認識だから、「補講の義務化」というのがポイントなのだろう。それでも落第や留年やらという話はさすがにでてきていない。

 しかし、これは難しいと思う。漢字はいざ知らず、算数は積み重ねの学問で、基礎は後々の数学へ大きな影響を与える。これは間違いないと思うが、意外に、自力で何とかできてしまう場合もある。これは教え方云々ということにつながるのかもしれないが……

 そして、個人的には以下が気になる。

国語、算数(数学)、理科、社会、英語(外国語)の5教科を「基本的教科」として重視する姿勢を鮮明にし、増加分の授業を優先的に振り向けるよう求める。

 英語(外国語)は「基本的教科」から外していただけませんでしょうか?

英語表現をみがく〈動詞編〉

 1991年発行の古い本であるが、そのコアは今も廃れていない。

Amazon.co.jp: 英語表現をみがく〈動詞編〉

 Basic EnglishやPlain Englishの存在を知り、その影響で本書を手にした。ただ、それらについて書かれているモノではないのであしからず。しかし、それらの影響を多分に受けている本である。

 「基本動詞の重要さ」は至極まっとうなことだ。しかし当時、学生であった私にはその重要性を問われていたという実感はゼロだ。

 例えばpostponeという単語がある。句動詞ではput offである。おそらくペアで覚えさせられたと思うが、私はpostponeしか記憶にない。なぜか?自分にとって理解しやすいほうで覚えた。それだけ。なぜ理解しやすかったのか?それは訳語と英単語が1対1の関係であったからだろう。put offを英辞郎で検索してみたが、句動詞の訳例は11例ある。単純に考えると日本語に訳す場合に11の選択肢があることになる。それならば同じことを1語で表現できるpostponeを覚えた方が合理的である。間違う確率も減る。これは本書にも指摘されていることであり、おおよそ万人に当てはまるのではないかと思う。

 「英語でしゃべらナイト」で鳥越俊太郎氏が「getだけで結構、書けるもんだ」と発言していたことを思い出した。結構どころかそれだけで事足りてしまう。後は「大人英語」かどうかという問題だけだ。しかし、私たちは外国人で、新聞記者ではない。新聞記者で思い出したが、伊藤サム氏によると新人記者の研修には中学校の英語の教科書を使うようだ。理由は伊藤サム氏のサイトを見るとよく分かる。

 さて、基本動詞を運用するためには前置詞、副詞、そして名詞の語彙数が重要になってくる。続編に『英語表現をみがく〈名詞編〉』があるが、個人的には興味を惹かれなかった。〈動詞編〉とのつながりが全くなく別の読み物である。作者は意識して独立させたとしているが、それが残念でならない。

Thursday, March 15, 2007

図書館では「超音波」カテゴリ

 公立図書館に足を運んだ。数学関係の本を探しにだ。

 いろいろ物色していると懐かしさがこみ上げてくる。電磁気や量子力学の本なぞを見ると倍増である。シュレーディンガー方程式の書籍をパラパラ見て、本棚に戻す時に気がついた。

 「超音波」のカテゴリに『水からの伝言』でおなじみの江本勝氏の本がストックされていた。確か4~5冊あったと思う。まぁ、置いてあるということは貸し出されていないということなだが、「単行本」か「写真・風景」へ移し変えた方がよろしいのでは?と思う。

 確か、図書館で書籍を購入する場合には、そこにいる司書が精査すると聞いたが…… 得て不得手があるのは当然ではあるが、あまり機能していないようだ。

 それならば、同じカテゴリに『水はなんにも知らないよ』を置いてもらいたいものだ。『「超」勉強法』と同じカテゴリに『「超」勉強法 「超」批判』を並べる図書館だ。できないことはないでしょ。

基礎学力をつける英語の授業

 この手の本はいくつあっても邪魔にならない。斎藤栄二氏の本は初読だったのだが本棚に加えたい。

Amazon.co.jp: 基礎学力をつける英語の授業

 内容は実践的で、明日にでも使えるモノばかり。もちろん自分のモノにするためには時間が必要ではあるが、それは必要最低限の努力だと思う。評価については別書を見てもらいたいとあったので、そちらも必読だ。

 さて、本書の内容とまったく関係ないことなのだが、ふと思ったことがある。田尻氏がなぜ関西大学へ移ったのかがなんとなく理解できた。斎藤氏も関西大学に籍を置いているが、本書を読むと斎藤氏が掲げる英語教育に対する力点と田尻氏のそれが合致していると個人的に思い、田尻氏の移籍に合点した。

 教員にも成果主義が課せられる時代になった。確かに悪いことではないが、成果主義には「育てる、教育する」という観念が薄い。即戦力を求める風潮も、成果主義のコアに通じる。田尻氏の移籍はその反旗のようにも受取れる。

Friday, March 09, 2007

灘中の数学学習法

 灘にかぎらず中高一貫校のメリットが感じられる。

Amazon.co.jp: 灘中の数学学習法

 私は中高一貫校のメリットを2つ感じた。

 ひとつは、6年間という長い時間軸でカリキュラムが組めることである。数学に関して、私自身が感ずることのひとつに、中学と高校での密度差が大きすぎるということがある。正直なところ、中学の数学は簡単すぎる。基礎理解は土台固めで大切なのは重々承知しているが、それでも時間をかけすぎていると思う。それにひきかえ高校では、少し窮屈すぎやしないか。高校1年はまだいいとして、2年は窮屈すぎる気がする。私は学生時代も、そして今でも、そう感じている。

 実際、灘ではかなり弾力的に組み替えている。本書では、中学の内容は1年で終わらせると書いてある。「一貫校ならそうするだろうなぁ。ましてや私立だし」というのが正直な気持ちだ。個人的には英語もこうしたほうがよいと考えている。文法等はチャっチャっと終わらせて、翻訳ないし聞き取りなどに時間を費やした方が効率がいいと考えている。

 もうひとつは、目的を絞ることができることである。私の経験からではあるが、公立の場合はとにかくノルマを全て終わらせることが第一命題と感じる。だから、大抵は3年の授業内容がアタマに残っている人が多いと思う。私の場合なら微積分と確率統計。灘の数学は幾何に力点を置いているようだ。公立では幾何は高校2年でしたっけ?しかもそれっきりだったと思う。灘が理数系に強いというのは幾何に力点を置いているからのように感じる。微積分なども重要ではあるが、物理の基礎は幾何学であると私は思う。

 授業で取り扱う課題に文章問題が多いというのはあるが、内容自体には奇抜なモノはない。なので私は中高一貫校のメリットらしきモノに目がいってしまった。生徒にトライアンドエラーを求める学校というのも興味深い。教師目線で考えると、教材研究に使える時間は多そうだとか、部活の顧問としないんだろうなぁとか、評価はどうしているのだろうとか考えてしまう。学校の運営システムやマネージメントにも興味がいく。結果としては灘のよい宣伝本です、といったところか。

Wednesday, March 07, 2007

日本人には自然の音が意味ある「言葉」

 『素敵な宇宙船地球号』というテレビ番組がある。環境問題に関わる話題を取上げている番組なのだが、3/4に放送された『「日本ふしぎ“音”紀行」~脳と自然の調べの秘密~』は興味深かった。

素敵な宇宙船地球号

 すずむしやコオロギなどの泣き声を私たちは大抵、心地よいものだと感じる。しかし、外国人にはノイズにしか聞こえない。なぜか?それには言葉の音体系に原因があるという。

 ほうほう。だから日本語には擬音が豊富なのかもしれない、と密かに思った。

Tuesday, March 06, 2007

教員の「英語力」 orzってか?

 正直なところ資格とかには興味がないのでスルーしていたがちょっと一言。

中学教員の英語力、「英検準1級」以上は4人に1人 : NIKKEI NET

 「英語教師がこんなのでいいのか!」と言っているのでしょう。「別にいいんじゃないですか?」と思う。なんだったら、教員資格に英検準1級以上とか「TOEIC」900点以上とかを条件に加えればいい。

 しかし、国語教師はあまり資格に関しては言われない。日本人を対象とした「日本語検定」があるのかどうか知らないけれど……

一方、中学3年生で英検3級以上の英語力があるのは全体の33.7%、高校3年生で英検準2級以上なのは27.8%だった。

 今は英検準2級ってのもあるんですね?1級はとんでもない難しさというのを聞いているので「準」を設けたのは知っていたが……

Thursday, March 01, 2007

教えることの復権

 本書を読んで、萎縮とともに安堵を感じた。矛盾するようだが、率直な感想だ。

Amazon.co.jp: 教えることの復権

 萎縮を感じたのは、「大村はまにはなれない」ということだ。大村氏のように試行錯誤しながら教師として生活する余裕も時間もない。彼女のような人生は到底送れないということだ。絶望的な差である。

 安堵は、結局、指導書を示せばよいという現在の教師の最低ラインがあるので、日々の雑用さえ無難にこなせれば先生として生活できるということか。

 しかし、大村氏の発する言葉は強力だ。教師としての覚悟は尋常ではない。私は以下のところにグッときた。

「生徒に静かにしなさいって言わなければならないようなら、教師として敗北宣言をしたようなものだ」p.93

 私も学会発表やプレゼンで、惹きつける内容やことばを考えるときに、覚悟を感じた。綿密に調べた、裏もとれている、同僚の評価も上々だ、でも、発話する際にはその責任に押しつぶされそうになる。大村氏がこれの連続だったのだろうと思うと、大村国語教室の生徒が、ここでは苅谷夏子氏が「国語の先生を目指そうとは思わなかった」という気持ちがよく分かる。胃に穴が開きすぎて、胃がなくなってしまうだろう。

 最近、先生の権威という話を聞く機会が多い。「教師は聖職者たるべきだ」というモノだ。子どもをコントロールするための前提条件として持ち出されたモノだと認識している。私はコレに強い違和感を感じている。大村氏や「直観でわかる数学」の著者の畑村洋太郎氏、個人的には「日本人の英語」の著者であるMark Petersen氏のように職業教師として「教えること」に尽力している人を振返ってみると、「教師は聖職者たるべきだ」なんてコトはどうでもいいと改めて感じる。