Saturday, June 30, 2007

今週読んだ、その他の本たち

 今週、読んだ本たち。将棋に関わる本、というか、羽生善治氏に関わる本を集中して選んだ。ちなみに、私は将棋が全くできない。詰め将棋なら楽しめるのだが、実践になると序盤がどうしていいか全く分からない。


Amazon.co.jp: 「勝負脳」を鍛える

 将棋の谷川浩司氏とヤクルトの古田敦也氏の対談本。これを読んでいて、谷川氏と羽生氏の関係が「イチローと桑田」の関係とかぶった。


Amazon.co.jp: 簡単に、単純に考える

 羽生善治氏の対談本。対談相手は、スポーツジャーナリストの二宮清純氏、ラグビーの平尾誠二氏、ロボット工学博士の金出武雄氏。平尾氏と羽生氏が10年来の知り合いだとは、意外だった。ちなみに、谷川氏も平尾氏とは親交があるようだ。というか、なぜ二宮氏と平尾氏を対談相手に選んだのか、この人選のセンスはなにによるものなのか。個人的には金出氏との対談が興味深い。


Amazon.co.jp: 羽生 21世紀の将棋

 文庫化にあたり、知ることになった本。茂木健一郎氏が解説を書いているというのが読む動機。その後、梅田望夫氏が自身のブログでレビューを書かれている。
My Life Between Silicon Valley and Japan - 「羽生」(保坂和志著、光文社知恵の森文庫)
 「読まなければいけない」という気持ちに変わった。羽生氏の型破りな型がこれでもかってくらいに書き連ねられている。「おなかいっぱい」な感じになるのだが、それだけ、型破りなのだということが分かる。そう、「形無し」なのではなく「型破り」なのだ。

「形を持つ人が、形を破るのが型破り。形がないのに破れば形無し。」

Jun Seita's Web: 「型破り」と「形無し」


Amazon.co.jp: 羽生善治 挑戦する勇気

 口演の書籍化。「将棋と私」的な内容だが、羽生氏の魅力が伝わる。子ども向けの口演、という雰囲気を受ける。が、バカにできない。出版は2002年なのだが、氏の最近の発言と並べてもズレがない。裏を返せば、ぶれようがないほどの羽生哲学のコアを、氏は常に話していると考えられる。羽生入門としてはいいと思う。


Amazon.co.jp: ロジカルな将棋入門

 なぜ、Amazonでは洋書扱いなのかは不明。著者は、『詭弁論理学』や『逆説論理学』の野崎昭弘氏。本書のプロフィールによると氏は将棋4段らしい。ん?4段ってプロだよなぁと思った。詳しいことは分からないが将棋もスゴイようだ。そんな数学者が書いた将棋入門だ。私は将棋入門の類がどのような体裁なのか知らない。なにしろ、はじめて将棋入門なるタイトルの本を読んだ。将棋の歴史から、ルールの説明、ゲーム進行、などなど。個人的には『6 将棋と数学』が興味深い。

Friday, June 29, 2007

TIMEを読むための10のステップ

 PVを稼ぐブログタイトルとしては秀作のひとつだろう。しかし、これは書籍名であり、私のオリジナルではない。

Amazon.co.jp: TIMEを読むための10のステップ

 本書の表紙に、「ユニークな10の方法で『タイム』が読める!」とあるが、実際は、半分くらいだろうか。その10のステップは以下
STEP1 いつもカバンに『タイム』を2冊
STEP2 コンピューターを活用して
STEP3 『タイム』を読むのは何のため?
STEP4 単語を覚えるにはコツがある
STEP5 カンマとダッシュを意識しよう
STEP6 準動詞をマークせよ
STEP7 文に名詞・形容詞・副詞の働きをさせるもの
STEP8 言い換えを見抜こう
STEP9 『タイム』に挑戦!
STEP10 これからの勉強法

 STEP1~3は『タイム』は見栄で読むんじゃないよということを言っている。ごもっともであります。発行が1999年ということもあり、コンピュータの利用を勧めているが、今は当たり前だろう。時代を感じる。

 『タイム』を読むために必要なスキルとなると、STEP4~8だ。

 STEP4は、外国語を学ぶ際の永遠の課題ともいうべき、ボキャブラリに関すること。特効薬がない。本書にもあるが、基本は1分野ずつカバーしていくしかないと思う。その分野の専門用語は日本語でも同じだと思うので、きっちりと理解するのが、もしかすると、特効薬なのかもしれない。

 その他、副詞について言及があるのだが、確かに難しいと思う。
副詞は普通、意味を知らなければ、無視して読んでいっても文全体の意味は大づかみにならわかるのですが、文修飾副詞は書き手の判断を表しているだけに、記事を正確に読もうと思ったら決しておろそかにできないのです。(pp. 52)
 まったくその通りです。副詞はしつこく、しつこくやったほうがよい。

 STEP5は句読法である。あまり、学校では習う機会がないのではないだろうか?コロン、セミコロンなども書いてあると親切かなぁと思う。

 STEP6~7は文法事項です。文の骨組みを理解するのに重要なことなので、受験英語を思いだしましょうということだ。
受験勉強で精読の練習(英文読解)はしてきたはずですから、『タイム』をよめるようになりたい、というこの本の読者のみなさんは、「多読」を基本にしてください。(pp.4)
 この1文に集約されてしまう気がしないでもないが、受験英語を非難している暇があったら、それを実際に使ってみいってことだ。しかし、精読から多読への移行は精神的に負担が大きい。じっくり、自分を納得させながらやるといい。スポーツと同じで繰り返しやることで、体に馴染んでくる。

14歳の子を持つ親たちへ

 内田樹氏と名越康文氏の対談本である。おふたりとも「ことば」にすることに長けているの勉強になる。

Amazon.co.jp: 14歳の子を持つ親たちへ

 まずタイトルなのだが、いまいちピンとこない。座りが悪いというか、手が伸びにくいというか。「14歳」というラベルは、教育本の類では常套手段のように使われるキーワードなのだが、それゆえに、陳腐に感じてしまう。なぜこんなありきたりなタイトルなのだろうと、もったいないように思えた。しかし、どんなタイトルがいいかというと、これまた閉口してしまう。本書を読むとこのタイトルへ集約していくのだ。私が持っていた「14歳」というラベル付けの意味が変わった。

 目次から気になった部分を抜き出す。

 「第2章 病気なのは親の方?」は、全体を通して興味深い。「ディベートは最悪の教育法」などは「ぬぅっ!?」となってしまった。「『期待しない』ことの大切さ」は禿同である。対子どものこの本における核だと思う。

 「第3章 二極化する文化資本」の「『オバサンの真実』、明かします!」にある「名越理論(pp.88)」は怖い(笑)。

 「第5章 教養とは『何を知らないか』を知ること」の「集団が同質化している」は体感として理解できる。しかし、体感ができるが故に、ふたりの対話を読むと怖くなってしまう。正直なところ、同質化することが子どものためと思っているふしが私にはある。しかし、ふたりの反応は全くの逆であった。orzだったが、読むと納得してしまう。もう少し考えなければいけないと思った。

 「第6章 義務教育は十三歳までに?」は思わず唸った。私が知る限りではあるのだが、シュタイナー教育にはこの考えがある。シュタイナー教育の場合は年齢で考えていない(私の記憶では……)が、根本的な考えは一緒だろう。付け加えておくが、私はシュタイナー教育を勉強したことはない。以前、読んだ本でこの部分が強烈に記憶に残っているだけである。まぁ、年齢で考えるほうが、事務的には便利であるから、なくなることはないだろうと思う。

 こころと体の相違による違和感は多くの人が感じたことがあると思うが、だからこそ、大人は「子どもが分からない」ということを恐怖と感じるのだろうと思う。この時期の人間は見た目が子どもであるが、子どもにラベル付けされる意味を逸脱した属性を持つので厄介だと、私はこの本から、そう受取った。

 本書を読んでいると「なるほど、そうか」と思うことが多い。しかし、それとは逆に「まぁ、いいか」と思えることも必要なのかなぁと思う。

Thursday, June 28, 2007

箸は右手で持つもの

 脊髄反射で、嫌悪感を感じてしまうが、なぜこんな発言をするのかに興味がある。

J-CAST テレビウォッチ : 国分太一くん、箸は右手で持とうよ

 私は一瞬、右と左が分からないときがある。笑い話だが、教習所でも何度か間違えてよく怒られた。「箸持つほうだよ~」とか注意を受ける度に、私の中で右と左という概念が壊れる。

 おそらく、筆者も左利きなのだろう。そうでなければ、躾というキーワードはなかなかでにくいと思う。こっぴどくやられたのだろうと、私は想像する。

 まぁ、右左に関わらず、国分太一氏は箸の持ち方がきたない。きたないというのも抽象的であるが、私の考える正統派な箸の持ち方からは外れている。特に、左利きの人は脇を閉じていないと不恰好にみえると思っている。これはおもいっきり主観です。

 ここでは、箸の持ち方云々というのではなく、なぜ、このような発言をするのかに興味があったのである。考えるに、自分と世間との関わり、自分と世間との乖離などを危惧しているがために、世間との確認のための発言と、私は解釈した。まぁ、どうでもいい発言ということだ。
左手は ケツを拭く手だ 箸持つな

 コレに関しては私自身、整合性がとれているので無問題か(笑)

黒船よ、何度でも寄っとくれ

 『英語でしゃべらナイト』のはなしである。

 リニューアルしてから、トンっと遠のいてしまった。初回こそ期待して観ていたが、「こりゃ、守備範囲外だ」と、私にっては改悪だ(。 ̄x ̄。) ブーッ!

 唯一の楽しみは「黒船」だ。これは定期的にやってほしい。切に願う……(;人;)

 特に今回はMartyがインタビューのホストをやっているし、オランダでロケまでしているし……

 はなしは変わるが、最近、NHKは民放に毒されてきたような感がある。まぁ、今までが硬すぎたのだが、余計な――私が感じる、過剰な演出とかね――ことばかり目につくようになった。ギコチナク、カタク、ギャグを作るってのもおつなもんだと思うのだがのう。

 今日、NHKのお昼のインタビュー番組で金田一秀穂氏が出ていたそうな。観たかったなぁ……。今、氏が出演している『知るを楽しむ』という番組は面白い。以前、畑村洋太郎氏の再放送を思わず、全部、見てしまった。もっと、大々的に告知してもらいたい。

Wednesday, June 27, 2007

マッチ棒パズル

 面白そうだ。

マッチ棒くん

 ん、むずいなぁ……orz

つっこみ力

 「メディア・リテラシー」って知ってますか?『週刊こどもニュース』なぞでも取上げられているので知っていますよね。

Amazon.co.jp: つっこみ力 ちくま新書 645

 チョイ前に、CFでなんとかリテラシーとか連呼していた、あの「リテラシー」です。かくいう私も、なんとなくわかったつもりで使っている、使ってはいないなぁ、なんとなく認知しているのですが、「情報を疑った目で見る」ってことです。

 本書ではそれを「つっこみ力」と定義し、社会学・統計学に厳しい目を向けましょうという口演の書籍版です。

 率直な感想は面白い。これだけ、面白おかしくモノゴトを語れるというだけで、憧憬のまなざしを送ってしまいそうだ。勉強というものに見出せない部分だと思う。というか、勉強からは意識的に排除されているかもしれない。

 本書は学者からは非難されているでしょうね。ネットで検索するとそういうのもチラホラ見かけることができる。まぁ、それが、本書のいう「つっこみ力」でもあると思う。データの解釈は、極端に言ってしまえば、「個々人」に依っている。

 こちらから見たらAでも、あちらから見たらBってのはいくらでもある。憲法のように、いくらでも解釈のしようがあるという事実が、現在の「メディア・リテラシー」を支えている。

 このように、AともBとも解釈できるものは、まず、整合性を考えるといいのでないか。

 ひとつのデータとなにかしらの背景があって、解釈が生まれる。AとBに対するふたつのなにかしらの背景が、データに対して関係性や親和性が高いのか、――これは数値がむずかしいと思うが、あえて――考えるだけでも、おかしいなというのが見えてくる可能性はあると思う。まぁ、数学でいう検算みたいなことだ。

 学問としてはどうか知らんが、個人が生活していくのに都合いい解釈というのは必要だと思う。それに結びつけるための「つっこみ力」、悪くない。

Sunday, June 24, 2007

こういうのを学校教材としたら顰蹙モノだろうか

 なかなか、おもしろそうな映画である。

映画『選挙』

 TBSの『サンデーモーニング』という番組で知ったのだが、興味深い。

 放送では、外国人向けとあった。インタビューを受けていたのも外国人。その反応が「名前の連呼だけで、意味がない」という、ごもっともという反応だった。

 英語の字幕があって、なんとなく分かったつもりになっているコトが客観的に言葉になると、意味の含有量が低いのが分かると、コメンテーターが言っていた。

 見てみたい気もするが……、だ。

教育実習費、私の場合

 教育実習費に関する記事があったので、ひとこと。

教育実習費:謝金「何に使うの?」 相場1万~2万円、あいまいさに不信-教育:MSN毎日インタラクティブ
教育実習費:学生が学校側に謝金 全国各地で慣例化-今日の話題:MSN毎日インタラクティブ

 私が実習に行った時は、確か、大学側へ¥35,000を払ったと思う。領収書が行方不明なので、記憶で書いている。そして、実習終了後、確か、¥15,000が戻ってきた。おそらく、この¥15,000が受入校への「謝金」だったのだと思う。私の地域、もしくは受入校では「謝金」の受取りは行っていないようだと、後日、他の実習生と話した。

 というか、「謝金」が存在するということを、私は、実習へ行ってから知った。他の実習生から聞いた。実習費としか聞いていなかったので、給食費などをそこから宛がうのかと考えていた。

 まぁ、大学側が費用を必要とするのは理解できる。しかし、受入校が諸経費としてでも必要とするのは解せない。なぜなら、実習生の受入れは、義務だと思っているからだ。

 実習生の受入れは1年前から確定している。予算についてもある程度、考慮されているはずだと思っているが、確かめたわけではない。後で、聞いてみたい。

 その他、実習生が必要とする教材のコピー代や消耗品の諸経費は実習生が負担すべきだと記事にあったが、何考えているのだろうか?公立の教諭はコピー代や消耗品を給料から天引きされているのか?それだったら、解せるが……

 とりあえず、お金に関することに対象を狭めるならば、「その程度の社会感覚」だと諦めてもいいと思う。その程度なのだ、と……

Saturday, June 23, 2007

ガクモンの壁

 『ガクモンの壁』か、うまく形容したと思うが、語呂などを抜きにし表すならば、『ガクモン“間”の壁』だと思う。しかし、養老先生って左利きだったのか。ちょっと近親感。

Amazon.co.jp: 養老孟司 ガクモンの壁

 もともとは『学問の格闘』という名で出版されたようだ。こちらの方がピンとくると、個人的には思う。『バカの壁』にあやかり過ぎだ。そんなマイナス評価があったので、なかなか手が伸びなかったのだが、読んで正解だった。やっぱり、タイトルって重要ですよ。出版社のみなさん。

 本書は「人間」を、違う角度から覗く、とてもスケール大きい内容だ。考古学、人類学、生物学、心理学、医学、それぞれの「人間」の見方の一例を示しているのが面白い。「学問の格闘」というのも納得。文系・理系というラベル付けがあほらしくなると思う。私は、早いうちに文型・理系というラベルを剥がしてしまったので、これの肯定になるのかもしれない。そういった、贔屓目はある。

 ホストの養老孟司氏と対談相手の若手研究者とでは、なかなか、活発な話し合いができないのではないかと思われるかもしれない。しかし、私見ではあるが、挑発的な質問も飛び、研究内容の危険性や、養老氏のパーソナリティに触れる話題もあり、サイエンス・カフェではこのような会話が行われているのかなぁなどと想像して読んだ。

 しかし、まぁ、いつもながら、養老氏の対談本はときどき筋を追えないときがある。いつになったら、リアルタイムで筋を追えるのやら……

Friday, June 22, 2007

ICHIRO vs. KUWATA

 日本ではオールスターでしか対戦がないらしい。

YouTube - イチロー 対 桑田真澄

 3球目のチェンジアップかしら?あれは、いいね。しかし、アナウンサーさん。あなた、興奮しすぎです。解説者は冷静すぎ(笑)誰かしら?NHKだから与田か?

メジャーリーグで覚えた僕の英語勉強法

 元メジャーリーガーの英語学習録。

Amazon.co.jp: メジャーリーグで覚えた僕の英語勉強法

 長谷川氏のモチベーションの高さに、まず、驚く。アメリカで野球をしたいという以上に、アメリカで生活をしたいという思いが強かったようだ。そのために、言葉は必要不可欠だ。とにかく、やらねば。この内発動機は強力だ。

 そんな氏の英語勉強法であるが、特段、変わっているということはない。しかし、社会人には有益な情報だと思う。もちろん、学生にも伝わる部分はあると思うが、学校教育との整合性を考えるとむずかしいように思う。

 氏の考える英語勉強法の核は、「トライ・アンド・エラー」だと本書からは受取れる。

 しかし、氏の場合、エラーの閾値が高い。まず、エラーと判断する基準はネイティブに通じなかったというのあると思うが、それ以上に、自分自身が納得しなかった場合のエラー基準が非常に高い。これはなかなか真似できない。ましてや、学校などでは、外的要因からエラーの閾値を高めなければならなくなるので、かえって足枷となりそうだ。しかし、これが先生の力量ということになるだろう。困難な商売だ。

 ひとつ「おっ」と思ったのがある。発音に関することだ。

 氏の子どもがpre-schoolに通っていたらしいが、そこに授業見学にいったときの話がある。フォニックスの授業を見たのだろう。ここで、次のようなことがpp.149に書いてある。
具体的に「G」は、母音と重なった時、こんな読み方ができる。
● gaの場合
  • game のように「ゲイ」と発音するもの
  • gather のように「ギャ」と発音するもの

 私の記憶だが、フォニックスでは game の発音を教える場合、ga を「ゲイ」とは教えないと思う。

 まず、単体の発音、g なら「グッ」、a なら「ア」と教えていく。そして、単語になったときに「グアンメ」などと発音させておいて、――最後の e は発音しません。そして、 e がある場合は、直前の母音はアルファベット読みになります――などと教えて、「グッ、エイ、ム」。素早く発音して「ゲーム」などと教えるはずだ。

 私はこれに違和感を持っている。

 アクセントは母音にくるのだから、本書の指摘のように「日本語と同じように『子音 + 母音』で考えていいのではないだろうか?」と。しかし、そのような本を見たことがない――「母音 + 子音」でアクセントを探す方法は知っている。まぁ、音声学はまともに勉強したことはないが――ので、既存のモノを理解しようとした。これは、私の勘違いかもしれないが……

Tuesday, June 19, 2007

モンスターペアレントの生みの親

 読んでいて、「これネタだろ」と思ってしまったが、そうではないらしい。

親の理不尽な要求、抗議に学校苦慮…読売調査 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 いろいろと既に言われていることだが、このような要求をきっかけに相互理解を深めていくことがもっとも建設的だというのに賛同する。

 しかし、このような「モンスターペアレント」と呼ばれる親たちを教育したのは誰だろうと考えたくなる。

 モンスターペアレントは、教育を公立で受けたかもしれないし、私立で受けたかもしれない、ましてや、海外で教育を受けたのかもしれない。しかし、それでも、「自分で自分の首を絞めているなぁ」と思う人がいてくれればいいなぁと思う。

 自虐的過ぎるだろうか?

逆説論理学

 前書『詭弁論理学』同様、モノの見かたの態度を養う本である。

Amazon.co.jp: 逆説論理学

 本書『逆説論理学』の方が、数学的態度というものが前面に出ている。それは逆説をメインに書いているからだろう。逆説とは「あちらを立てればこちらが立たぬ」状態のこと。論理の破綻である。詳しくは以下を……

パラドックス - Wikipedia

 「たばこの再生術」や「カリーのパラドックス」は学生実験の暇つぶしとして遊んでいたなぁと思い出した。どこで手に入れたのか知らんが、この手の問題を毎時間持ってくる友達がいたので楽しみにしていた。当時は単純に謎解きとして楽しんでいた。

 私は、「ゼノンのパラドックス」がいまいち理解できなかった。が、本書を読むと解せる。高校の時、2次関数のグラフで「なんだ、そりゃ」と毒づいたのを思い出したが、今回は素直に「うまい」と思える。付録の「マイナスかけるマイナスはなぜプラスになるか」を読むと、これまた「うまい!」と唸ってしまう。

 むずかしいことを考えず、気楽に読める本だ。しかし、「新編・天国への道」だけは、少しイラっとした……。心が穏やかな時に読むことをお薦めする。

Sunday, June 17, 2007

ブログ方針変更

 ブログ方針を変更します。

 これまで通教生の冠をつけておりましたが、通教関係の記事は他のブログへ移行します。新しいURLはhttp://2kyo.blogspot.com/です。必要な記事は移行済みです。こちらの記事は徐々に整理していきます。

 それで、このブログは読書録と教育系のニュース批評をメインにしたいと思います。読書録は、英語、数学、科学、教育をメインにと考えています。

 ブログタイトルは『迷える子羊ちゃん』にします。

 夏目漱石の『三四郎』のキーワードであるストレイシープとB'zのアルバム『Survive』に収録されている『Do me』の歌詞から、surviveとstray sheepの関係にビビッときたので『迷える子羊ちゃん』というタイトルに決めました。

 よろしくお願いいたします。

Saturday, June 16, 2007

受験基礎力をつける本

 灘にかぎらず私立って、やっぱり工夫しているんだなぁとつくづく思う。

Amazon.co.jp: 和田式合格のストラテジー〈5〉受験基礎力をつける本―“基礎固め参考書”の徹底攻略術

 世間では、和田秀樹氏の受験に関する著書は「和田本」と呼ばれているようだ。氏の著書の特徴は、勉強方法や参考書の使い方であるようで、これもその例外ではない。

 特に、参考書の使い方はよい。本書は英語がメインのようだが、学習者のレベル別に参考書を提示してくれているので、参考になる。自分で新しいモノを作ったりしないで、既存のものを活用しましょうという、学校の先生目線でかなり熟考されていると思う。私は本書にある参考書を使ったことがないのですが……、こういう人間には重宝です。

 かつて、『灘中の数学学習法』(日本放送出版協会)というのを読んだとき、灘中では、「中学の内容は、1年半で終わらせる」というのを強烈に覚えていた。他教科ではどうなのだろうと思っていた。本書には英語でも、やはり、「中学の内容は、1年半で終わらせる」と書いてある。素晴らしい。

 しかし、この差は一体なんなのだろう?

 確かに、灘の生徒は受験を受けて入学しているのでモチベーションが高い。なので、ちょいと壁が高くともついてこれる。と、考えるのが普通か。中高一貫校ってのも要因か。

 私は、公立でも同じように、1年くらいでチャチャと終わらせて、2年かけてトライ・アンド・エラーを繰り返すというのがいいと思うのだが……。本書にもあったが、「後戻りする勇気」というのが公立ではやりにくいと思う。時間的余裕がないし、試すだけの知識のたくわえもない。

 もっともネックになっているのが、学生の評価の仕方だと、個人的には思っているのだが……

Wednesday, June 13, 2007

(゜ロ゜;)ハヤッ!!

 KUBICAが退院したらしい。

クビサ、自分の運転で退院 - F1-Live.com

 あれだけのクラッシュを見た後だと信じられない。マシンがすごいのか、KUBICAがすごいのか、しかし、ほんとうに軽症だったようだ。

クビサは、医師から退院の許可を受けると、自らの運転で病院を後にしている。

 笑い話じゃないのよね……

 確かに、安全設計等でクラッシュ時は派手にパーツが飛び散り、見た目効果は倍増。もちろん、衝撃分散の設計である。熱くない花火みたいなかんじかしら、見た目に関して言えば……

 しかし、壁に衝突というよりは、なんだか塔(?)のようなところにぶつかっていったようにも見えた。しかも、モロに。いろいろな惨事があって研究されているのだろうとは思うが、これほどとは。BMW恐るべしデス。

Saturday, June 09, 2007

トンデモ科学の世界

 キャピキャピの竹内・茂木本である。

Amazon.co.jp: トンデモ科学の世界

 おそらく竹内・茂木本の処女本だろうと思う。95年発行という時代を感じさせる内容もチラホラあって懐かしい。タイトルからは、ニセ科学をふたりで検証ってな感じに、現在のふたりを知っているのであれば感じるだろうが、チョット違う。

 竹内パートは、科学が○×で白黒はっきり区別することが困難であり、グレーゾーンのオンパレードだという。ときには、黒が白に変わったり、白が黒に変わったりと紆余曲折して成り立ってきたモノだということを述べている。科学哲学者の視点だ。竹内氏の『仮説力』のコアがすでにある。

 茂木パートも「クオリア」について、わかり易く書いてあったように思う。まぁ、それまでに腑に落ちない箇所が多々あり、自分なりに咀嚼していたので、その結果、わかり易く感じたのかもしれない。「クオリア」が心脳問題のコアというところから述べているので理解し易かったのかもしれない。

 これを読了後、「分からなくても、いつか、分かるもんだなぁ」と妙に物思いにふけった。学校教育がエレメントのみを取り出したために実感が伴わない、だから分かり難いんだ、という批判を私は知っている。効率を求める学校教育では難しいことかもしれないが、疑問をもつことこそが、型をつくったり、種になったりするのだと改めて思った。

 しかし、大槻教授って、懐かしすぎる……

Friday, June 08, 2007

日本人はなぜ英語ができないか

 これ、なんて『国家の品格』?

Amazon.co.jp: 日本人はなぜ英語ができないか

 Amazonでよい評価だったので読んでみた。まぁ、はじめの2,3のレビューだけをみて「よい」と判断したのだが……

 本書の筋は2本立てで、「外国語を学ぶ目的」と「日本人の外国語に対するスタンス」で論じている。

 「外国語を学ぶ目的」は、斎藤兆史氏と同軸だ。外国語を学ぶ目的は、日本を外国へ発信すること、これこそが真の国際人だというモノよりはトーンは低いが……。よって、学習内容も日本人の生活に沿ったものをチョイスせよと本書では述べている。言いたいことが言えないというのも、発信するための訓練を受けていないからなのであって、けっして学習を怠慢にしていたからではないのである。

 「日本人の外国語に対するスタンス」では、脈々と築かれた英語に対する文化と、それによってできた既得権益を強烈に批判している。私も基本的には賛成だ。学問、教養としての英語とは別にして、「英語が必要な目的」を現実に沿って変えていかなければいけないという姿勢は当然だ。

 しかし、これを論ずる際に肝として採用している鈴木氏の文化論は、ヒヤヒヤする。「II章 - 二 外国語学習の様々なあり方」辺りから読んでいて不安になり、Googleさんに聞いてみたが、この部分に疑問符を投げかけている書評が多い。私は、話半分で読むようにした。なぜなら基本的に、氏の提案する英語教育改革案――「国際理解はやめよう」、「内容に一貫性を」、「外国語教育の多様化」など――に賛成だからだ。少し、間引いて読まなければ危険かなと判断した。そして、ここら辺から徐々に、『国家の品格』と重なりだした。

 まぁ、案の定というかなんというか、「あとがき」で藤原正彦氏の文章に共感した旨を示していた。本書も『国家の英語』などと仰々しいタイトルをつければ、もっと多くの人に読んでもらえ、ブレイクしたのではないか。本書がどれだけの人に読まれているか分からないが、鈴木氏の英語教育改革案に目を向けてもらいたい。そこから議論が起こるに違いない。

Wednesday, June 06, 2007

はじめてのラテン語

 私はラテン語を学問として学んだことがない。欧州の友達と話をしていると、「ラテン語やっていたからね。」という台詞を幾度となく聞く。意味が分からない。なので、考えた。

Amazon.co.jp: はじめてのラテン語

 私は英語の勉強をする以前は、ラテン語がヨーロッパの言語の祖先だと思っていた。時間の経過とともに、各国で土着し、方言と化して独立した言語になったと。きっと、こう思っているのは、私だけではないと思う。だから、ラテン語を勉強すれば、ヨーロッパの言語を習得する際にアドバンテージになる、と納得していた。

 もちろん、上に書いたことは間違っている。しかし、この知識でヨーロッパの人間と話をしていてもかみ合ってしまうので困ったものだ。まぁ、日本語における漢語と同じようなものだ。ミトコンドリアのよう、なくてはならないモノとして母体に組み込まれているとは、よく形容したもんだ。

 本書は、ラテン語そのものの入門書だ。それだけに、敷居は高いように思える。まぁ、ざっと眺めるだけでも面白い。ちなみに、Wikipediaのラテン語の項は本書を参考に書かれている。本書は、竹内薫氏の『「ネイチャー」を英語で読みこなす』の巻末にリストアップされていたので読んだ。英語にどう結びつくのか、まだ分からない。

Tuesday, June 05, 2007

坊っちゃん

 あれ?こんなにおもしろかったっけ?

Amazon.co.jp: 坊っちゃん

 はじめて読んだのは、小学校高学年時分に課された読書感想文だったと記憶にある。家には母親が学生時分に読んでいた岩波文庫版があったので、これを読んだ記憶もある。しかし、漢字だらけで、ひとつも筋を追うことができずに徒労した。そして確か、放り投げた。感想文がどうなったのかは記憶にあらず……

 それ以来、文学作品は毛嫌いしていたが、最近になってから英語版でメジャーな作品を読むようになってから日本語版も読むようになった。

 今回も、とりあえずメジャーどころと考えて、一度は断念した岩波文庫版を読んでみた。漢字はあいかわらず難しいが、ぐいぐい物語に引き込まれる。こんなにおもしろかったのかと、おおいに落胆した。10代は全く本を読まなかったので、たのしみが多分に残っていると嬉しくなった。と、自己弁護してみる。

 しかし、イヤなヤツが多い小説だ。読んでいて、すっきりしないのは私だけだろうか。坊っちゃんも坊っちゃんで、融通が利かなさ過ぎる。確かに、竹を割ったような性格設定は小説の基本だが、現代の複雑な心理描写が主体の小説やマンガを読んでいると、イライラしてしまう。きっと、学生時分にやさしい言葉で書かれている少年文庫などで読んでも同じコトを感じただろうなぁ。

 しっくりこないのが妙にリアルで、腰が据わらない感覚は現実を直視させる。祭りの後の静けさと、私は『坊っちゃん』を形容するが、これがたまらなくリアルなのだ。

Saturday, June 02, 2007

理科系のための英文作法

 先日、『理科系の英語』では、読んでいないと書いたが、ブックオフにいたので連れて帰ってきた。「理科系」の冠のついたモノが多いがご勘弁を。

Amazon.co.jp: 理科系のための英文作法―文章をなめらかにつなぐ四つの法則

 英語にかぎらず、日本語でも、まとまった文章をつくろうとするとぎこちないことがある。ぎこちないと感じるのも、流暢だと感じるのも、ネイティブの感覚による。ネイティブと同じ感覚を身につけるには、外国人は多くの例文に触れ、肌身で感じることができるようにならなければいけない。しかし、筆者はこれを、「精神論に下駄を預けてしまっている。[pp.4]」と痛烈に非難している。

 では、なにを武器に文章をなめらかにしていくのか?本書では、「談話文法」とよばれるモノを頼りに、客観的指針を示している。私は、「談話文法」なんぞはじめて聞いた。また、ひとつ勉強せねばいけないコトが増えた。間違いを恐れずいうと、コンピュータに解析させても一義の意味が引き出せる文章といったところか。

 コンピュータに解析させても一義の意味が引き出せる文章をつくるために、本書は、仮説として条件定義を示している。「道標としての接続詞と副詞」、「文の階層構造」、「古い情報の引き継ぎ」、「視点」である。これらの仮説は、奇抜なモノではない。おそらく、ほとんどの人が学校の授業や予備校などで聞いたことがあると思う。他の書籍でも同じことが書いてある。読む際には意識している箇所であろう。しかし、実際に書く作業に入ると、しどろもどろしてしまうコトなのだろう。

 本書を学生時代に読みたかった。チト後悔している。「おわりに」に書いてあるように、中学や高校での授業の中心は本書のような内容であることが望ましいと思う。激しく同意である。

Friday, June 01, 2007

悲しいとき

 悲しいとき
 ガス(管?)工事の現場で、作業員のおっさんがタバコをふかしていたとき

 いや、驚いた。