Friday, June 29, 2007

14歳の子を持つ親たちへ

 内田樹氏と名越康文氏の対談本である。おふたりとも「ことば」にすることに長けているの勉強になる。

Amazon.co.jp: 14歳の子を持つ親たちへ

 まずタイトルなのだが、いまいちピンとこない。座りが悪いというか、手が伸びにくいというか。「14歳」というラベルは、教育本の類では常套手段のように使われるキーワードなのだが、それゆえに、陳腐に感じてしまう。なぜこんなありきたりなタイトルなのだろうと、もったいないように思えた。しかし、どんなタイトルがいいかというと、これまた閉口してしまう。本書を読むとこのタイトルへ集約していくのだ。私が持っていた「14歳」というラベル付けの意味が変わった。

 目次から気になった部分を抜き出す。

 「第2章 病気なのは親の方?」は、全体を通して興味深い。「ディベートは最悪の教育法」などは「ぬぅっ!?」となってしまった。「『期待しない』ことの大切さ」は禿同である。対子どものこの本における核だと思う。

 「第3章 二極化する文化資本」の「『オバサンの真実』、明かします!」にある「名越理論(pp.88)」は怖い(笑)。

 「第5章 教養とは『何を知らないか』を知ること」の「集団が同質化している」は体感として理解できる。しかし、体感ができるが故に、ふたりの対話を読むと怖くなってしまう。正直なところ、同質化することが子どものためと思っているふしが私にはある。しかし、ふたりの反応は全くの逆であった。orzだったが、読むと納得してしまう。もう少し考えなければいけないと思った。

 「第6章 義務教育は十三歳までに?」は思わず唸った。私が知る限りではあるのだが、シュタイナー教育にはこの考えがある。シュタイナー教育の場合は年齢で考えていない(私の記憶では……)が、根本的な考えは一緒だろう。付け加えておくが、私はシュタイナー教育を勉強したことはない。以前、読んだ本でこの部分が強烈に記憶に残っているだけである。まぁ、年齢で考えるほうが、事務的には便利であるから、なくなることはないだろうと思う。

 こころと体の相違による違和感は多くの人が感じたことがあると思うが、だからこそ、大人は「子どもが分からない」ということを恐怖と感じるのだろうと思う。この時期の人間は見た目が子どもであるが、子どもにラベル付けされる意味を逸脱した属性を持つので厄介だと、私はこの本から、そう受取った。

 本書を読んでいると「なるほど、そうか」と思うことが多い。しかし、それとは逆に「まぁ、いいか」と思えることも必要なのかなぁと思う。

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