Saturday, May 31, 2008

ミヒャエル・エンデ 『モモ』

Amazon.co.jp: モモ (岩波少年文庫(127)): ミヒャエル・エンデ, 大島 かおり: 本 10年ぶりに読み返してもやっぱり面白いすごい本だ、といいたいところであるが、初読である。読んでよかった。少しヴォリュームがあるなぁと思っていたが、児童書だから読みやすいだろうと楽観視していた。正解である。児童書の特徴なのかどうか、ひらがなと漢字のバランスが私の好み(?)ではないが、読みやすい。なによりも「一気に読みたい」、そんな気にさせる内容である。

 本を読んでいて、「怖い」という感覚が襲ってくるのは、私にとって珍しい。本書は読んでいて怖かった。読み終わっても、やはり怖い。なぜ怖いのか?フィクションであり、ファンタジーでありながら生々しい現実感を感じるからだ。これらの感覚は万人に共通らしい。

 たいてい「大人が読む本」というラベル付けである。もちろん、私もそう思う。が、エンデはなぜこのテーマで児童書を書いたのだろうか?読了後、このノートを書いている際に感じたはてなである。

 大人が読む本であれば、大人向けに書けばいいと思ってしまう。そういう児童書は少なくない。子どもも大人も楽しめる本が、本としてのひとつのゴールである。どこで見聞きしたのか忘れてしまったが、そんな記憶がある。

 本書は児童書である。子どもが読むことを前提にされている。子どもが読む本というのは大抵大人が選ぶ。ということは、大人が「これはよい」と思った本が子どものもとへ運ばれる。

 当時のヨーロッパが本書のような社会状況であったのかどうか、私には分からない。なので、日本に限ってみる。本書にある社会状況に向かって日本社会が作られてきたように感じる。時間を盗まれた人たちは、上辺だけの個人主義を全うしている人に似ている。モモが昔集まっていた子どもたちに会う場面は、私が子どものころに感じた「田舎と都会の関係」に似ている。この描写は気持ち悪かった。私の子ども時代は本書の単行本が発行されてから10年も20年も後のことである。

 児童書を選ぶのは大人である。現在の親の世代、もしくはその親、祖父母の世代は、本書を「これはよい」と思うだろうか?「江戸っ子も3代目から」ということばがある。

江戸っ子とは - はてなダイアリー

これは「粋」と言う東京文化が一代では理解できず、

  1. 祖父の代で江戸に入り「粋」を学ぶ
  2. 親は祖父から「粋さ」を受け継ぎ本当の意味で「粋」を理解する
  3. そして、ようやく3代目で「粋」な親の背中を見て育った子供が江戸っ子として認められる
のである。


 3代続けば少々無理なことでも「あたり前」のこととして定着する。こういう解釈もありだと思っている。本書の現在の売れ行きを私は知らない。もし、本書が絶版にでもなろうものなら、私は精神病棟で余生を過ごすことを選ぼう。

 「忙しい」の「忙」は心が亡くなると読める。ネットで調べてみたらこんなのがあった。

「忙」は他のものに心を奪われるので「わすれさせられる→それほどいそがしい」です。


 私はこの解釈が好きである。ドイツ語も同じような語の成り立ちなのかどうか、私には分からない。Business は、busy + ness という語の成り立ちらしい。busy にどのようなニュアンスがあるのか?やることがたくさんある状態とだけある。改めてみると、「忙」はうまいこと考えたなぁと感心しっぱなしである。

Monday, May 19, 2008

理系英語、文系英語という幻想

 明治以来、日本に必要な英語力というのは今日でいう理系英語であったと、私は思う。その理系英語が『英語教育2008年6月号』で「チャレンジ!理系英語」として特集が組まれた。大修館のホームページより

スーパーサイエンスハイスクール(SSH)や大学で行われている「理系」分野に特化した英語授業。論理構成、文章・語彙の特色など、文系にも役立つ理系英語のエッセンスを探る。


 今までに何回「理系英語」が『英語教育』で特集されたのか知らないが、やや乗り遅れの感がするのは私だけでしょうか?

 とりあえず、立ち読みしてきたので、ざっくり覚えていることだけ。

  1. 理系英語は英語学習の役に立つ
  2. JACET8000と理系英語の語彙
  3. 理系学部の英語教師の立場


 1. は、論理と Concise、Clear、Correct という 3C について。学校教育としては高校2年から3年くらいの内容であろう。

 2. は、専門用語について。知らない単語は分からないという当たり前のことと、多義語について。普段使われている単語も専門の文脈の中では意味が変わるということ。

 3. は、英語教員が理科系に詳しくないこと。待遇の問題にもかかわるかと。

 私が認知している問題とそれほど乖離していない。ということは10年以上停滞しているということだろう。理科離れ問題のおかげで少しは改善するか。

 理系英語というが、本来そんなものはない。日本でいう理系英語とは、平たくいうと「学問をするための英語」と同義だろう。これは、英語母語話者でも生まれながらに備わっている能力ではない。Grade 12 からハイスクールくらいにやる言語教育の賜物であろう。

Sunday, May 18, 2008

口呼吸 英語の L で 鼻呼吸

 快適な天候である。昼間は暖かく、朝夕は涼しい。まったくもって理想的だ。突然の雨は、少々痛いが、まぁ仕方ない。

 先週の月曜くらいから口呼吸を意識している。自己への戒めのためにもメモメモ。

口呼吸の人:アルファルファモザイク

 私も思いっきり口呼吸の人である。

 小さい頃から鼻炎持ちであった、というのが自己判断であるが、卵が先か鶏が先かの問題ではっきりしない。症状を自覚したのは鼻炎が先なので、鼻炎のせいにしている。

53 病弱名無しさん :2006/06/13(火) 01:29:40 ID:BkpFOebB
普段口呼吸の人って持久走大丈夫だよね?
呼吸が浅いからな酸素が十分にいかずに
常に高地トレーニング状態だったのかな??


 昔、入院したときに血中酸素量を測ったことがある。単位はパーセント。正常範囲が何パーセントか忘れてしまったが、私は異常に低い数値らしく、医者や看護士が「大変だ、大変だ」と言っていた記憶がある。おかげで退院が延びた。「もう少しですね」ということばが2週間くらい続いたと思う。結局、正常範囲に入ることなく退院した。普段の値が分からなかったためにこんなことになった。そんなことを思い出した。

 口呼吸を認知するきっかけは朝の口の乾きである。どうにかならんものかと加湿器を試すも効果はあまり感じられず。部屋の乾燥が原因ではないらしいことを知る。じゃ、なんだ?呼吸らしい。それから口呼吸ということばを知る。

 おしゃぶりや濡れマスクは聞いたことがある。試していない。マスクは苦しい。濡れマスクなんて窒息しそうである。おしゃぶりは……抵抗がある。

39 病弱名無しさん :2006/06/04(日) 22:10:57 ID:MPQpbvsb
口呼吸を長年続けていると歯並びにも影響するんだよな。
俺も20年以上口呼吸を続けていたせいで、下あごが上あごよりも前に出てしまい、
上の歯よりも下の歯が前に出てしまう。
これは舌の先が本来上あごにつかなければならないのが、長年下あごについてしまっていたため、
舌の弾力で下あごが前に押し出されてしまったから。


 なに?舌は上あごについていなければいけないのか!確証はないが、これを試すことにした。とにかく意識して舌先から腹の間の部分を硬口蓋につけるようにした。英語の発音でいうと、L の状態である。

 目覚めの口の渇きは改善されているようには感じないが、他の部分で改善がみられた。

 2年位前から手と指の肌荒れ、爪の荒れが目立つようになる。肌荒れは「もしかして水虫か?」とも思い、皮膚科へ行く。水虫ではなかった。肌を保湿する成分の分泌が弱いと診断される。ステロイド系の塗り薬を処方される。これも抵抗があった。

 夜に入念にケアをすることにしている。そのときに気がつく。「あれ、手が白い。」テンションがあがる。

 翌夜になっても戻っていない。改善している(少々、早合点か?)。テンションは高めでも昨夜と比べれば、まだ冷静である。爪が目に入る。「あれ?滑らかになっている!」テンションがあがる。爪はかなり弱っていた。

 爪を切ると必ずトゲができる。爪やすりで磨いてもトゲができる。そして、爪の表面がウロコのようになっていた。ウロコは最近できた。それが、消えかけている。爪には筋もある。縦に入るあれである。これは10年位前からある。これも改善されるか?

 鼻炎の人は口腔内上部が乾いていると、幼少期に通っていた耳鼻科で聞いた。そのころは、鼻炎がよくなれば乾きがなくなると考えていたが、今は乾きをなくすことで鼻炎も緩和されるのではないかと考えている。しばらくは様子見をし、定点観測を続けたい。

海外勤務には TOEIC で800点が必要―らしい

 海外勤務には TOEIC で何点必要か?答えにくい質問である。「750~800点くらいあれば、なんとかなるんでないかしら」くらいの答えしかできないし、聞いたことがない。TOEIC を運営する国際ビジネスコミュニケーション協会が海外勤務経験者を対象にアンケートを実施したらしい。

海外勤務にはTOEICで800点が必要――研究グループが提言 - @IT

 ここでおもしろい結果がある。

「日本人が国際交渉を第一線で行うのに必要な英語力」を得るために必要だと思うTOEICの得点を聞いたところ、母数7294人のうちの20%が「900点以上」が必要と回答した。「750点以上」が必要だと考えている人は全体の90%。全体的に、自身が実際に取得している点数では、実践的に必要なレベルに到達していないと考えられていることが分かった。これを受けて寺内氏は、「日本人が国際交渉を第一線で行うには、最低でも、TOEIC換算で800点は必要である」と提言した。


 ざっくり丸めると「TOEIC で何点とっていようが、現状では満足でない」ととれる。当たり前といえば、当たり前の結果である。英語を日本語に変えても結果はさほど変わらないのではないだろうか?

 そしてこれを受けて最低ラインが800点らしい。750点以上を求める人が9割と書いてあるのに50点上乗せされている。なぜ800点なのかの理由がない。発表はあったのかもしれないが、ここには書かれていない。

 で、調査結果を受けて今後の英語教育はどうあるべきかのところがすごい。

調査結果を受けて小池氏は、中国や韓国、台湾の状況と比較し、「到達目標を考えると、日本でも小学1年生から段階的に英語教育を行う必要がある」と提唱。また、上記3カ国に比べて、英語の学習指導要領に記載されている「英語教育への姿勢」が日本は弱いと指摘し、国の政策レベルで考える必要があると強調した。


 この発言がこれらの文章からどうやったら出てくるのか分からない。到達目標とはなにか?TOEIC 800点のことか?

森達也 『いのちの食べかた』

Amazon.co.jp: いのちの食べかた (よりみちパン!セ): 森 達也: 本 理論社の「よりみちパン!セ」シリーズの1冊。この「よりみちパン!セ」シリーズは興味深いモノが多い。「パン!セ」とはどういう意味なのだろう。いまだに謎であるが、深く考えることではない。

 私は食育というものがどういった教育なのか知らないが、本書は食育の本ではない。私の知る限りではヨーロッパの国語教育に近いと感じた。

 本書は一貫して「知ること」への開眼を読者に求めている。

 本当かどうか知らないが、魚の切り身が川、海を泳いでいる絵を描いた幼稚園児がいたとか、いないとか。どのくらい年をさかのぼればよいのか分からないが、スーパーで売られているパック詰めのお肉を見て、牛や豚がどのようにパック詰めの商品になるのか考えていたものが、パック詰めから牛や豚を想像するようになった。逆問題とでもいっておこう。逆問題のほうが理解しやすいということは、社会システムが自然になったということだ。

 自然を考えるのは難しい。あたりまえを考えるのは難しい。

 あたりまえを大人は教えてくれない。公理だからだ。教えようがない。社会システムは時間が経つとたいていが公理へ昇格する。公理へ昇格するとたいてい思考停止に陥る。思考停止については昨今の報道を見ているとよく分かる。ガソリンの暫定税率問題はよい例である。中国の国内報道を疑問視する報道もいい例だ。

 思考停止にならぬようにするのには「知ること」が必要である。「知ること」とはどういうことだろうか?時間軸を逆行することかもしれないし、ある事象とある事象を線でつなぐことかもしれない。

 「行間を読む」ということばがある。それなら知っている。作者の気持ちや思い、本当に言いたいことだろう。そんなものではない。行間とは論理の飛躍のことである。論理の飛躍のない文章は、アナロジーの回文である。

 「知ること」とは論理の飛躍に「ひっかかる」ことだ。このことが、ヨーロッパの国語教育に近いと感じた理由である。

 「知ること」はスリリングである。自分が変わるからである。知ったあとの自分と知る前の自分は、同じ自分ではない。そして、不可逆である。知る前の自分には戻れない。「忘れるではないか」というかもしれない。確かに忘れる。しかし、見える風景は知った後の風景に他ならない。

Saturday, May 17, 2008

俗説を 根拠に4割 「期待せず」

 あれれ

小学校での英語教育、保護者の4割「期待せず」 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 少し前に、小学校英語教育に関する反応についてこう書いた。

小学校英語の授業内容が発表されたあたりで、賛成派から「これなんか違くない?」という声が聞けるかと思った。しかし、まったく聞かない。賛成派もいろいろ考慮していたのだと感心する。


 どうやら私の耳に届いていなかっただけらしい。

7割の保護者は英語活動が効果をあげる条件として「英語専門の教員の配置」を求めており、小学英語の実施が近づく中、保護者の多くが教師の指導力に不安を抱いている現状が浮き彫りになった。


 「専門教員の配置」が英語活動の効果を上げる条件ならば、中学・高校で成果が上がらないのはなぜか?成果が上がらない理由が本当に年齢だけなのか?

 その他の条件は以下。

「小学校にふさわしい指導法」が67%、「外国人ネイティブの配置」は58%だった。


 「小学校にふさわしい指導法」とはどんな指導法なのだろうか?私も知りたい。ネイティブ志向もあいかわらずだ。

 このアンケート結果を見ると、現在の中学校や高校での英語の授業を小学校で行ってほしいと思えてならない。それとともに早期教育に対する期待度の高さが目につく。語学に関しては根強い。

Monday, May 12, 2008

最終学歴

 最終学歴ということば。何気なしに使っていた。例えば、こういう場合はどうなるのだろう?

 A 大学 a 学部を卒業する。学士である。その後、A 大学大学院 a 研究科へ。博士前期課程、もしくは修士である。何年か後、B 大学 b 学部のへ編入する。学士を得る。

 この場合の「最終学歴」は?

 私は、最後に卒業した B 大学で得た学士が「最終学歴」になると思っている。どこでどのように調べればよいのか分からないが Wikipedia にはこうある。

学歴 - Wikipedia

その人が学んだ学校のうち最上位の学校の経歴を最終学歴(さいしゅうがくれき)といい、一般的に「学歴」と言うと「最終学歴」のことを指すことが多い。


 ということは、上のたとえでは、A 大学大学院の修士号が最終学歴ということでよろしいか?

Sunday, May 11, 2008

本日、家の中は温暖化

 GW 中に冬用のふとんをしまった。ひっぱりだそうかと思ったが、めんどくさいのでやめた。後悔している。全国的な寒さなのでしょうか?とにかく寒い。家の中は、冬と同じ環境になっている。

 読みたい雑誌が図書館にあることを知る。ブックオフで探していたが、なかなか棚に並ばない。とにかく読めることが分かっただけでも、精神衛生上よろしい。しかし、積読リストがたまっている。最近思ったことだが、本は読みたいときに読みたいモノを読むのが精神衛生上よろしい。このタイミングを逃すと、ほとんど読まれることがない……というのが、私の場合である。これは改善の余地あり。

 A6 ノートを買う。あの本の影響だ。まだ実践していない。分類で整理するのがむずかしいことは、ブログのラベルだったり、はてブのラベルなどが、いつも「なにか違う」と思っているので知っている。試してみる。

 相撲がはじまった。夏場所というらしい。高見盛は負けてしまった。相手は新鋭の豪栄道。上位に波乱がある。朝青龍が負ける。まぁ、はじまったばかりである。SUPRE AGURI の F1 撤退は残念な知らせであった。

Friday, May 09, 2008

一斉授業から共同学習・ゼミへ

 教室改革の例である。

asahi.com:机はコの字、チョークなし教壇なし 進む「教室革命」 - 社会

机は普段からコの字形に並べ、教壇はない。教室と廊下を隔てる壁はなく、背の低い棚で仕切る。黒板は電子化し、チョークは見あたらない。小中学校の教室では、そんな変革が静かに進んでいる。

 これを見ると「どこの合衆国ですか?」という感じである。特に、教壇がないというのは。しかし、廊下と教室を隔てる壁がないというのは思い切ったことをした。

 私が知る最近の傾向は、教室が空になるとき、例えば、音楽とか体育のときは必ず教室の扉に鍵をかけるよう指示し、実行させる。下校後ももちろん施錠をする。これは学校内の窃盗防止のための処置である。悲しいかな。

 他に茨城県かどこかでも同じようなレイアウトを見たことがある。モデル校なのかもしれない。そこでは教室のほかにもチャイムを鳴らさないなどとの試みをしていたと記憶している。学校の常識を、もう一度、見直そうという思いを感じる。

 現在の教室の形は、一斉教授を効率よく行うための「発明」である。明治の教室がどのような形態だったか、私は知らないが、江戸の寺子屋は現在の教室のようではない。日本の教育はイギリスやドイツがお手本になっている。おそらく受け売りだと思う。視点は教師の利便性にある。

佐藤教授は「一斉授業から共同学習・ゼミへ、この15年で世界的な教室革命が起こっている」と話す。

 このことばは上に書いたような歴史的経緯を物語るものであろうと、私は考える。

 設備についても言及がある。黒板だ。その昔、e-Japan という政策があった。今も継続しているのかどうか知らないが、学校においてはまったく蚊帳の外である。PC がそうだろう。教職員は個人的に PC を使うようになったがインフラはまったくなっていない。だから、情報の持ち出しや紛失がでる。もちろん、イントラネットで共有してもセキュリティの面で万全の策がとれるとはいえない。

一方、黒板は「電子黒板」の普及が進む。1台10万円以上にもかかわらず、全国の公立小中に07年3月時点で約8千台ある。

 普通の黒板はいくらするのだろう?

高知新聞ニュース■5月9日は「黒板の日」 県内唯一の業者奮闘■

黒板の値段は、幅3・6メートル、高さ1・2メートルの一般的なサイズで約25万円だが、これは業界が定めた目安の値段で「実際の売値はもっと低い」と中山さん。

 google で「黒板の値段」で検索し、1ページ目の情報だけなので心許ないが、まぁ、10万円は下らないだろう。それとももっと安いのだろうか?電子黒板が10万円で「高いよ」というニュアンスの文体であるので、もっと安いのかもしれない。

 電子黒板の利点を考える。意外とない。私が真剣に考えていないだけかもしれない。思いつくことといえば、授業にかかわることでなく、情報の共有というポイントだけだ。

赤堀侃司・東京工業大教授(情報教育)は「うまく使えば子どもの興味を引き、集中力を持続させられる」と話す。

 これなんか、次世代 DVD やビデオゲームと同じ理屈である。「ソフトしだい」ということだ。

Sunday, May 04, 2008

数学教育へ一石か

 個人的にショッキングな記事である。

薬のことなら薬事日報ウェブサイト - 【ヘルスハイライト】身近な具体例の利用は数学学習の助けにならない

生徒が数学を学ぶときに、「現実世界」の具体的な例を用いることは有用でないことが米オハイオ州立大学の研究によって示され、米科学誌「Science」4月25日号で報告された。具体例を用いて数学的概念を学んだ大学生は新しい状況にその知識を応用することができなかったのに対し、抽象的な例で同じ概念を学んだ学生は、異なる状況に応用できることが多いことがわかったという。

 なんとまぁ。かなり意外である。この認識は、教育界では暗黙知の部類に入るらしい。記事でもふれられている。

この論文の著者の一人、同大学認知科学センター教授のVladimir Sloutsky氏は「この知見は、教育界で長い間信じられてきたことに疑問を投げかけるもの。具体例の利用が有効であるとの信念は深く浸透しており、これまで疑問視されることも、検証されることもなかった」と述べている。

 まず、注意するポイントは「算数」でなく「数学」である。が、記事を読んでいるとどうも違うらしい。

よく出題される文章題としては、2つの列車が別の町を互いに向かい合って出発し、異なる速度で走るといったものがあるが、

 これは数学か?一次方程式で考えるほうが確かにはやいが、日本では小学校4年か5年くらいの算数の領域でないか。

 英語で算数は arithmetic と書くこともあるが、calculation が妥当だと思う。上記引用のよくある文章題は、考え方は数学であろう。ということは、日本の理数教育がずれているのか?まぁ、こんなことはどうでもよい。

 抽象的概念を異なる状況に応用することができるかどうかということは、心理学の講義でやった記憶がある。どのような実験だったか、実験名や誰が行ったかということがすっぽり抜けている。

 まぁ、日本では分かりやすいが神である。そのためには具体であるほうが、近づきやすい。

See also
身近な具体例の利用は数学学習の助けにならない - ミカ教授の特別支援教育情報

科学館へ

 本日は快晴。連休も終盤である。私ははやりの観光地など行かないので、世間の動きはよくわからない。U ターンラッシュがはじまったと聞かないので明日がピークか。

 このような国民的イベントである大型連休には、どこもかしこも期間限定でなにかしらやっている。科学館も例外ではないだろう。明日はこどもの日でもある。

 物理年を知っていた人がどれくらいいただろう?今年ではない。2005年であった。

世界物理年 - Wikipedia

世界物理年は、国際純粋・応用物理学連合(IUPAP)が制定した年。European Physical Society (ヨーロッパ物理学会)の提案を受けて、アルベルト・アインシュタインによる一連の大いなる科学的発展の年、1905年の100年後にあたる2005年を世界物理年として宣言している。

 まぁ、私もサクッと流してしまったのだが、残念なことをしたと後悔した。告知もしていただろう。物理に片足を突っ込んだ私でも(?)知らないのだから、英文学をやっている人はもっと知らないだろう。

 行楽地もよいが、科学館もよい。親御さんはつまらないかもしれないが、子どももそうとはかぎらない。まぁ、その逆もまた真なり。とりあえず、こんなサイトがある。

日本の科学館めぐり

 独立行政法人 科学技術振興機構というところが管理している。公立・民営問わず全国の科学館の情報が網羅されている。有益である。

全国こどもスポットガイド

 こちらのサイトは学研が運営している。科学館のみならず、歴史博物館や工場見学、動物園、水族館などをカバーしている。

 まぁ、こんなので理科離れがどうのこうのというのはナンセンスである。楽しければいい。親御さんは子どもを連れて行き、「さぁ、遊んで来い」というだけでよい。楽できること請け合いである。

Saturday, May 03, 2008

小学校英語教育での中間管理職の悩み

 小学校英語教育が2011年度から必修化になる。今現在は移行期間であり、各自治体、各学校単位で試行錯誤の連続であろう。そんな試行錯誤のなかでの現場レポート。

小学英語 多難な必修化…自治体 授業時間確保に差 : 教育 子供 トピックス : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 関西地方の報道である。関西といえば、教育改革に熱心な京都が思い出される。しかし、それに反し、大阪の苦悶のようすも知られている。本記事でも比較対照されている。が、問題はそこではない。

 まず小学校英語って何をするのか?記事のノートにこうある。

英語の必修化

 小学5、6年生を対象に年各35コマの授業を行う。英語のコミュニケーションに慣れるのが目的で、「話す・聞く」に重点を置き、「読み・書き」は行わない。中学校の英語とは異なり、「教科」ではなく、成績評価はしない。文科省が作成した教材「英語ノート」(試作版)には、2年間で285の単語と、50の表現が盛り込まれている。

 ポイントは対象学年が高学年の5、6年生。授業時間は各学年35コマということ。そして、ここではふれられていないが本文中に、

文科省は、35コマのうち3分の1程度にALTが補助に付くのが望ましいとの基準を示している

 ALT は35コマ中おおよそ12コマの授業に帯同しなければいけない。ポイントはこの3点であろう。

 本記事で指摘したいことは、おそらく予算のことだと思う。予算となると中間管理職ならではの悩みどころだ。

学習指導要領の改定に伴い、2011年度に必修化される英語教育で、自治体間で取り組みの差が広がり始めている。3年後の実施に向け、教員を指導方法に慣れさせようと、新指導要領に合わせて小学校5、6年生で年35コマ(1コマ45分)の授業を行う地域がある一方、人件費を理由に必要な外国語指導助手(ALT)を確保できず、数コマにとどまっている地域も多い。中には、在住外国人らを臨時講師に雇ってしのぐ自治体も。今後、3年間で英語教育への取り組みの差は、さらに開く可能性もあり、専門家らは教育現場での早急な対策を訴える。

 これを読むと、まず、新学習指導要領に対応すべく、文科省が求める ALT を確保しつつ、年35コマの授業を行っている地域がある。一方、ALT を雇えず年35コマを下回る回数しか授業ができない地域があるといっている。ALT を雇えずとも年35コマをカバーすることはできると思うのだが、そこらへんがいまひとつ掴めない。

 もともと悩みのタネであった、「誰が教えるのか?」という問題だ。上で述べたように ALT の帯同は各学年約12コマである。ALT 1年雇うのに必要な経費は、一人頭、おおよそ300万円だと大阪市の事例からわかる。

大阪市では、今年度の小学校のALT人件費は約2000万円。7人を雇用するのが精いっぱいで、299の全小学校の6年生だけにしか授業ができず、しかも年6コマ。5年生の授業は、中学校のALTを派遣してやりくりするが、昨年度の実施率は全校の約30%。市教委は「もっと必要なのはわかっているが、増員できず頭が痛い」と嘆く。

 ここでは、ALT を補助にいれた授業が年6コマということだろう。文科省が求める数値の半分である。かつ、6年生のみとなるとまた半分になる。文科省が求める数値の 1/4 の達成率になる予定である。

 中学専門の ALT を応急手当で宛がっても、ALT が補助にはいった授業を行った学校は 30% に止まる。比べられる数値データがひとつもないので、何がなんだかよくわからない。6年生と同じ条件で、年6コマの授業を行ったということでいいのか?年6コマの授業を、全小学校299校の 30% である、約90校できたでよろしいか?予算がないので困っているというのであれば、きちんと書いたほうがよい。

 小学校英語の授業内容が発表されたあたりで、賛成派から「これなんか違くない?」という声が聞けるかと思った。しかし、まったく聞かない。賛成派もいろいろ考慮していたのだと感心する。

Thursday, May 01, 2008

ブーメラン実験の映像公開

 手違いで宇宙からの映像公開がかなわなかった、ブーメラン実験の映像が JAXA から公開された。

「土井宇宙飛行士が軌道上で撮影したブーメランの映像」 ビデオライブラリ - 宇宙ステーション・きぼう広報・情報センター - JAXA

 土井さんの解説もある。思っていたより、きれいな映像であることに驚いた。

 実験を提案した栂井さんは、地上と同じセッティングでは、ブーメランはらせんを描き上昇すると予想していた。実験後のコメントでも、「地上と同じセッティング」にポイントをしぼってコメントしていたと記憶している。

 この映像から、そのポイントがクリアされているのかどうか、ぜひとも知りたいものだ。

追記
asahi.com: 宇宙のブーメラン、動画はこちらで 宇宙開発機構が公開 - サイエンス

ブーメランの飛行力学を研究する西山豊・大阪経済大教授は「空気さえあれば、重力とは関係なくブーメランが元の位置に戻ることを証明するものだ」と評価。

 重力に関係ないというのは、事前からいわれていた。

see also
ブーメラン実験
続・ブーメラン実験