Monday, March 31, 2008

ショートショート

 NHK で『星新一 ショートショート』なる新番組が放送されていた。今回は「約束」「不眠症」「ボッコちゃん」であった。

 なにやら BS かなにかで放送されたもののようだが、詳しいことは知らない。が、面白い映像であった。

 「約束」は、クレヨンしんちゃんのような絵だった。あくまで私の見立てである。「不眠症」は、ドラマ仕立て。ドクターはもっと善良な感じのほうが、私のイメージではあった。「ボッコちゃん」は、ポリゴン CG であった。淡々としていていい。雰囲気は壊してない、と思う。

 NHK 総合、毎週月曜 午後10時50分~11時、金曜 午後3時45分~3時55分(再)

 覚えておこう。

筆記体

 ほう……

asahi.com:中学校の英語 筆記体は日本独自のもの? - 教科SHOW - 小中学校 - 教育

森住教授は「海外では、草書体(筆記体)で普通の文章を書くのは日本人、と思っている人もいるほど日本独特のもの」と語る。

 確かに、英語圏の人たちが筆記体でメモっているの見たことない。で、見たことがあるといえば、記事でも指摘されているように署名のときだ。それとカードかなぁ。

 といいますか、彼/彼女らの書く文字は、楷書と草書をミックスしたようなものだと思っている。私も楷書と草書の区別からいうとめちゃくちゃである。

茂木健一郎 / 江村哲二 『音楽を「考える」』

 本書に、学校教育を嘆く件でこんなことばがある。少し長いが引用する。

江村 でも、翻って考えてみると、教育のやり方に問題はないかな。科学でも音楽でも、ほんとうの知的な喜びを覚えるような教育の場がない、というような……。
茂木 そうだね。小中学校の音楽教育がひどい。《ペルシアの市場にて》とか、《ペール・ギュント》とか、《ピーターと狼》とか、いわゆる「子ども向け」のクラッシックを聴かせている。どうして本物を聴かせないんだろうと思う。大人はああいう曲聴かないでしょう。
江村 日本人はすぐ「子ども向け」とか、「これは子ども対象」とか、言いたがる。これこそが世界に例を見ない日本特有の現象です。コンサートでも「子どものための……」とかあるけど、子どもって子どもだからこそ、スポンジのように吸収する豊かな感受性をもっていて、ものすごく純粋に聴いているものです。だからこそ本物のいいものをドーンと与えれば感動して帰る。(pp.132-133)

Amazon.co.jp: 音楽を「考える」 (ちくまプリマー新書 58): 茂木 健一郎,江村 哲二: 本 本書はちくまプリマー新書である。子ども向けだ。しかし、上記のこころの如く「そんなの関係ねぇ」と知的欲求を刺激する対談本である。興味深いはなしが多いが、学校教育に絡めた話に注目する。

 上の引用は、私の気持ちでもある。私の場合は、音楽ではなく、英語だった。授業の英文が幼稚でたまらなかったのを覚えている。授業のディスカッションの際に、私は英語教育にはなしを変えて上記引用のようなはなしをしたことがある。しかし、反応は芳しくなかった。ひとりだけ反応が返ってたが、その人に妙な連帯感・一体感を抱いた。ここにいる人たちとは何か違うなと壁を作ってしまった出来事でもあった。

 反応が芳しくないひとの意見では、子どもを学習者として扱っている。建設的な学習システムとしては仕方がないと。確かに、一理ある。が、それは教える側の意見だ。教える側はシステマティックな教授法が都合いい。これも、分かる。しかし、どちらの都合を優先すべきかと考えれば、学習者である子どもだろう。

 いきなりガツンと難しいのをぶつければ嫌いになってしまうでないかという意見がある。確かに悩ましい問題だ。できれば好きになってもらいたい。が、これも考え方を変えれば無関心よりはマシではないか。無責任だと思われるかもしれないが、他人の興味を自由自在にコントロールできると考えるよりはマシだと思っている。

 こんなことを考えていると親の役割が重要になってくる。

茂木 音楽教育は、ある時点ででき上がったやり方を何の反省もなく続けているのが問題のでしょうか。その結果、小さい頃にいい音楽に出会えるかどうかは、家庭環境によってものすごく差ができちゃってますよね。(pp.135)

 私も同じようなことをここで言及したことがある。

NHK「変わる教育どうする教育」をみて

私がこの番組でいちばん惹かれたのは中谷日出解説員であった。中谷解説員は「美術や図工」の普及提言をしている。激しく同意だ。なぜか?格差を考えたときに如実に違いが現れるのがこの分野でなかろうか?学習塾に通える、通えないということよりも違いが生まれやすい。家計に「芸術費」などを繰り込む家庭は少ないだろう。その時点で格差が発生している。

 同僚が結婚し子どもができたときに、それとなしに言ったことばがある。それは、「これから教育費がかさむなぁ。酒は飲めないね」ということだ。同僚はちょっと考えて「なんで、幼稚園に行かせるつもりはなして、公立へやるつもりだから、そんなにかからないでしょう?」といった。

 私は続けた。「だって、小さいときにいろいろと経験させるのに、それなりにかさむだろう?」と。そうしたら同僚は、「あぁ、それは考えているから大丈夫だ。それより体力が心配だ」と言い切った。

 軽くショックを受けたのを覚えている。私がある程度、含みをもたせて言ったことばに対して、同僚はすでに込みで考えていた。これを格差と捉えるのかどうか、難しいところではあるが、少なくとも私はこいつはスゴイと思い、見直した。

 教育に限って書いてきたが、音楽に関する記述もいい。ピタゴラス、K465、サウンドスケープ、一回性など興味深いはなしが多い。

Sunday, March 30, 2008

間違いやすいカタカナ語ランキング

 なにをもって正しいカタカナ語とするのか、個人的には興味ある。

間違いやすいカタカナ語ランキング - goo ランキング

 これを正誤表としてみると、私はそうとうイケテナイ。正しいものの方が少ない。そういえば、オーストリアの日本表記、オーストリーがランクインしていないが、どうなんでしょう。あきらめたのかなぁ?

オーストリア - Wikipedia

春の雨

 雨にはさまざまな呼び名がある。時雨、五月雨、夕立、秋雨などなど。おそらくもっとあるのだろうが、私にはこれが限界である。そのなかのひとつにタイトルにある「春の雨」というのがある。

 「春雨」とは区別されているようなのだ。

3月22日付 編集手帳 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

歳時記では、「春の雨」と「春雨」を区別している。「春の雨」は冬の名残の冷たい雨をも含み、「春雨」は春の後半にしっとり降る雨を指す。

 今日の雨は前者「春の雨」である。とても寒い。桜の時期はいつもこうだと記憶をたどる。

岡本浩一 『最強の英語上達法』

Amazon.co.jp: 最強の英語上達法 (PHP新書): 岡本 浩一: 本  コストパフォーマンスの高い一冊だ。著者は社会心理学者。専門はリスク心理学とある。どのような研究をしているのか、トンと見当もつかぬが、私は心理学者という認識である。

 心理学と学習というと、市川伸一氏を思い出す。認知心理学の研究成果を適用した良書がある。それの英語版であってほしいという思いで手にした。各種レビューでも悪い評価はない。

020号 「最強の英語上達法」 - 語学の虎の巻 [書評]英語・外国語学習法 - 語学の虎

 書評は上のリンクサイトが詳しい。私も同じような箇所に付箋やラインを引いている。重なるところもあるかもしれないが、興味深い箇所を書く。

 記憶に関することは、勉強本に書かれてることが多い。なので、よく知っていると思う。ここでは、外国語の記憶体系が興味深かった。

英語の場合、語彙についての知識は宣言型知識である。文法についての知識も宣言型知識である。(pp.76)

英語学習ということで考えると、母音や子音の正しい(英語らしい)発音の仕方を口唇や舌の動きとして理解し、スムーズにできるようになるプロセスは、手続き型知識の習得である。(pp.78)

 なにが興味深いのかというと、訳という視点がまったくないということである。宣言型知識とはそういう概念である。

 多くの人は、読んでいる英文すべてを和訳しているわけではないのだが、少し難しいところにくると、日本語に訳してみないと気が済まない習慣がついている。そこからいったん脱却することが大切である。
 そうして、どうしてもわかりにくいところは、構文を考えながらゆっくり何度も音読してみる。必要なら身振り手振りをいれて何度も音読してみる。(pp.97)

外国語をマスターしようという場合、もっとも大きな障害のひとつは、母国語である。このことをよく念頭においていただきたい。(pp.99)

 次に興味深いのは単語の覚え方だ。ここは丸々引用したいが要約する。筆者は、

英単語は、まず、丸暗記するのが正しいと考えている。(pp.104)

というスタンスだ。これは、文脈とともに単語の学習もしましょうというものに対するアンチテーゼである。わたしも、全面的にこれを指示する立場である。しかし、このことに触れている書籍が、私が読んだなかではなかった。筆者の理由は、

文の中で見て、用法やニュアンスを理解するという活動は、覚えるという活動とはまったく別の頭の使い方を必要とする。そのふたつを同時にすることは、心理学的には競合反応となり、どちらも中途半端になる。(pp.104)

 このことをはっきりと同じ文脈で言及している文章は少ない。

 発音に関することもガツンときた。

発音の習得には年月がかかる。いまのあなたの発音は決して完全ではない。けれどもそれを気にしないで、そのときどきの自分のベストの発音で声を出すことである。(pp.114)

 この理由も本書に書かれている。なかなかハードルが高い。

 本書は英語学習法に対する不安を軽減してくれる。必然的にモチベーションがあがる。今すぐにでもやらなければという気にさせてくれる。とりあえず、文法書と単語集、発音教本を揃え Let's go! という気持ちになる。

 本書は、新書としては分量が多く、250ページくらいある。しかし、読む側を考えて体裁されている。コラム集といった感じでとても読みやすいし、部分読みもしやすくなっている。今思うと、本書は新年度にふさわしい。

Saturday, March 29, 2008

赤毛のアン

 昨日(3月28日)、NHK 教育で『ようこそ!“赤毛のアン”の世界へ』という番組を再放送していた。2008年は『赤毛のアン』が出版されて100年らしい。そういえば、新潮社も改版をし、キャンペーンをしていたっけ。

赤毛のアン - Wikipedia

 私がはじめて読んだ小説は『赤毛のアン』である。高校のころに読んだ。新潮社のヤツは10巻あるらしいが、そのうちの2,3冊を読んだ記憶だけある。母親の御下がりで、当時、すでにボロボロであった。筋はほとんど覚えていなかったが、甘酸っぱい感じや穏やかな風景は覚えている。

 上記の Wikipedia のリンクに原書と原書の朗読がある。さっそく読み聞きしようと思う。NHK 語学講座では原書で親しむ Anne の世界というサブタイトルの新番組がはじまる。

赤毛のアンの国|ゴガクル NHK語学講座で学ぶあなたを応援します

 ジョークを理解するためには聖書やシェークスピアなどの英文学の知識がいる。ひとりで勉強するのはなかなか厳しい。松本侑子氏の訳本を読むのもよいかもしれない。

Monday, March 24, 2008

続・ブーメラン実験

 実験映像は後日、宇宙から送信されるとあったが orz なことに……

ブーメランの映像 送信できず : NHKニュース

国際宇宙ステーションに滞在中の土井隆雄さんが宇宙で投げたブーメランの映像は、NASA・アメリカ航空宇宙局に事前に申請されていなかったため、NASAの規定で地上に送信できないことがわかりました。宇宙航空研究開発機構は「規定に対する理解が不十分だった」と話し、対応を検討しています。

 地上に戻ったら、この実験映像を見ることは可能なのだろうか?まさかお蔵入りではなかろうなぁ!

 先日書いた、竹内薫氏がブーメラン実験に触れているコラムが Web でも読めるようだ。

【竹内薫の科学・時事放談】「きぼう」 日本人が参加する意味 (1/2ページ) - MSN産経ニュース
 

私も受けたい英語教育

 文部科学大臣表彰というものがある。いかにもありそうだなぁと思ってはいたが、詳しくない。現在でも詳しくない。

文部科学大臣 - Wikipedia

文部科学大臣表彰は、国の教育や文化、科学技術分野に貢献した団体・個人に授与・贈呈されるもので、文部省時代は文部大臣表彰といった。厳密には文部科学大臣表彰と文部科学大臣顕彰、文部科学大臣賞など様々な区別があるが、以下では文部科学省で定める賞の種類と概要について概説する。 主な文部科学大臣表彰として著名なのが芸術選奨文部大臣賞を前身とする芸術選奨文部科学大臣賞である。その他、科学技術賞、若手科学者賞、創意工夫功労者賞、創意工夫育成功労学校賞があり、毎年、各省庁、都道府県の推薦を経て授与・贈呈がなされている。

 で、2007年度の英語教育優良校の文部科学大臣表彰に岩手県一関市立一関中学校が選ばれたようだ。

英語力向上、数々の工夫 一関中に文科大臣表彰

 内容を読む。読んでいると悲しくなる。

学習法を具体的に示し、中高6年間を見据えた用語量を備えた独自教材の開発と活用

 私もこのブログで長い目で見た語学教育システムの必要性を述べてきた。実際にやっているところがある。このことを知らなかった。恥ずかしい。しかし、私が述べてきたのは中高一貫校の教育システムを絡めた話であった。公立校で実践している学校があるなら、よいロールモデルとなってくれそうだ。というか、ロールモデルとして聞く耳が持てるかというのは、教育者としてのプライドの見せ所だろう。

「レッツ ライト」と題し、海外の有名俳優らに英語でファンレターを送る取り組みでは、実際にダニエル・ラドクリフさんやオーランド・ブルームさんから返事が届いたことで、生徒がより英語に興味を持つようになったという。

 これなんかは、先生も楽しいだろう。Orlando Bloom から返事があったら、私はパニックしてしまいそうだ。

Friday, March 21, 2008

ブーメラン実験

 無重力空間でブーメランは戻るのか?戻るらしい。発案者の栂井氏はこう話していた。

無重力でもブーメランの軌跡は同じ…土井さんも「感激」 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

栂井さんは、ブーメランの翼を地上で投げる時と同じように調節すると、無重力ではらせんを描いて頭上方向に離れてしまうと予想していた。

 どのような力学でブーメランが戻ってくるのか、私は知らない。栂井氏は、翼の形状がポイントとし、地上と同じ形状であれば、無重力空間では戻ってこないと予測している。土井氏にこのポイントを指摘していたのかどうか報告が待たれるのではないか。

いまのところ、土井さんからは簡単な結果報告しか届いていないが、宇宙機構は、実験の詳細を撮影した映像が地上に届き次第、公表することにしている。

 映像を探していたのだが、まだ宇宙から届いていないらしい。はやく見たい。

 この実験を竹内薫氏がコラムで解説するらしい。

薫日記: 土井さんのブーメラン実験

実は、今週土曜の産経新聞の「竹内薫の科学時評」に物理学からの計算予測を書いたのだが、本日、検証されちゃったね(汗)

 これ Web でも読めるのだろうか?

佐伯智義 『英語の科学的学習法―文法的分析でマスターする』

Amazon.co.jp: 英語の科学的学習法―文法的分析でマスターする: 佐伯 智義: 本 文法的分析で英語をマスターするとサブタイトルにある。本書タイトルの英語表記は "A Guide to Grammatical Analysis" である。

 文法的解析とはなにか?

文法的分析は、品詞と単語の性質(数、性、人称など)、それに機能(文を構成する要素;主語、直接目的語、間接目的語、状況補語など)をチェックすることです。(pp.31)

 この説明を読むと、学校教育でも十分に、というかこれしかやってないではないかという気がしないでもない。しかし、筆者の見解は以下である。

文法は“文法の授業”のためだけのもので「テキストを読む時や英語を話す時に、文法を考慮する必要がない」という考えが一般的です。(pp.24)

 このように言われれば、「うん、そうかも」とも思える。しかし、私の知る限り、このことで学校教育を憂うことは無駄である。むしろ、生徒個人、親に向けたメッセージであるというならば納得である。学校教育で考えなければならないことは、評価方法であろう。

 さて、本書の英語学習における目標・到達点は文法の自動化である。

●英語マスターへの本書の提案
1.英語は品詞や語順が大事な言語であることを理解しよう
2.学校英語で作られた、英訳・和訳の神経回路を断ち切ろう
3.「文法的分析」で、頭の中に英語だけの神経回路を育てよう
4.ネイティブにように、無意識下での分析を体得して、英語の読み書きと会話をマスターしよう

 ネイティブは文法を知らないのではなく、意識せずとも文法規範に則った発話やらなんやらの言語活動を行う(4)。中学生が「なぜ国語を勉強するの?」と考えるのと同じであろう。同程度に英語の文法事項を脳に刷り込ませ、自動化することを目標としている。その訓練法として、文法的分析を推している(3)。まずは英語のグローバル・ルールを無から作り出さねばならない。そのためには、とにかく、ルールを意識しつづけることが第1のハードルになる(1)。教師としては生徒に意識させつづけることが課題となる。上の引用でもっとも神経を尖らせなければならないのは「2.学校英語で作られた、英訳・和訳の神経回路を断ち切ろう」ではないだろうか?

 英文を読んだとき、内容は頭に残るが、英文そのものが残らない。英語で会話しているときも、内容は頭に残るが、英文とその音声が残らない。これに悩んでいる人は多いと思う。これは和訳の弊害のひとつだと思う。なぜか?和訳をしないと理解したと思えないからである。そうなると、母語を介入しないダイレクト・メソッド系の教授法がよいのかという話になるが、ご存知のように DM は効率・能率がわるい。学校のような大人数へのレクチャーで短い時間に要点を伝える術としては敬遠されている。教わる側としても不安だし、母語を介入せず外国語を理解するという状態がいかなる状態か理解できないだろう。これをどうにか解消しようとがんばっているのが「多読」による教授だと、私は理解している。

Tuesday, March 18, 2008

伊藤悟 『東大卒・開成首席OBが明かした中高一貫校に行かなくても東大に合格する本―脱つめこみ勉強のススメ』

 中高一貫校の雄である開成について書かれているというので読んでみた。筆者が翻訳家として活動しているので英語教育にも触れられているので一石二鳥だとも思った。

Amazon.co.jp: 東大卒・開成首席OBが明かした中高一貫校に行かなくても東大に合格する本―脱つめこみ勉強のススメ: 伊藤 悟: 本 本書における開成の分析は、生徒間のピア・プレッシャーの賜物ということになる。ピア・プレッシャーについては以下参照。

解説委員室ブログ:NHKブログ | 視点・論点 | 視点・論点 「脳と個性」

 なぜか?まず、開成では受験に特化したカリキュラムではないという。授業は教師の裁量に任される。教師の力量と教師との相性により授業の善し悪しが決まるという。これは、どこでも同じだろう。驚いたのは、開成の生徒の多くは塾や予備校に通うということだった。もし、学校教育が受験に特化しているならば、塾や予備校には通わなくてもよいだろう。これは意外であった。「人のフリ見て我がフリ直せ」というポジティブなピア・プレッシャーが強い。ポジティブなピア・プレッシャーが開成の開成たるゆえんだろう。

 なぜポジティブなピア・プレッシャーが発生するのか?ふたつ示されている。ひとつは、ロールモデルが多いこと。これは、一貫校の強みである。縦のつながりが強いほど、ロールモデルの多様性が吉とでる。ふたつめは、学校内の競争のみならず、他校との競争がある。本書に示されていたのは、筑波大学付属高校とのボートレースであった。競争相手が外部にいることは重要だ、と個人的には思っていた。学内の競争は、編入組のことをいう。これが100人いるらしい。この数字が多いか少ないか、私の知るところではない。これがうまい具合にカンフル剤となるらしい。

 本書から受けた開成のイメージは、旧制中学だった。

 英語に関しては、中学英語で東大受験は十分だという。これが著者の英語教育のスタンスでもあるらしい。まぁ、文法事項のことである。これは同意。「英語で最初につまずくポイントは "like" 」というのが、私にはよく分からない。

Monday, March 17, 2008

タイヤって重要

 自転車のはなし。

 私の日ごろの足は自転車だ。といっても、速そうなヤツではない。普通の折り畳み自転車だ。昨年12月に虫ゴムがイカレタとき、自転車屋さんに「タイヤも交換したほうがいいよ。バーストするかも…」と忠告を受けていた。「バースト?ちょっと経験したいかも」と思っていたわけではないが、今の今まで放っておいた。乗ろうとしたら後輪がつぶれてた。結局、バーストは観れず、かつ最悪な朝となった。

 自転車屋さんへ持っていく。前後交換してもらおうと思ったが、自転車屋さんは「前輪はまだ大丈夫だよ」という。本当にそうだろうか?めんどくさいだけじゃないか?といぶかしく思ったが「パンクしたら、また、持ってきなさい」というので、「そうですか」と引き下がる。

 帰り道、聞いたことのない音が前輪から聞こえる。「プシュ、プシュ、プシューゥ」明らかに空気が抜ける音。ペダルが重くなる。久しぶりに「殴ったろか」と思った。

 まぁしかし、タイヤが違うとこんなにも乗りやすいのか。ペダルが軽い、軽い。ルンルン気分で遠回り。スピードもかなり出る(当社比)。が、自転車屋さんよ、前ブレーキの遊びが全くなくとても危険です。これが JAS かなにかのデフォなのでしょうか?

 中高とそれぞれ自転車通学で、往復 10Km と 20km の道を3年通っていた。それでも、タイヤ交換はしたことがない。それ以上に乗っているのか。

 昼間は暖かいが、夜はまだ冷える。この時期の服装はとてもめんどくさい。

どうなるソニエリ 「ドコモ向け携帯・定番機から撤退」の報を受けて

 ソニエリのドコモ撤退に関する情報が錯綜している。

ソニー・エリクソン、ドコモ向け携帯・定番機から撤退 : ニュース : ネット&デジタル : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 上記のリンクは今朝の記事である。10日にもソニエリがドコモから撤退という情報が流れた。ソニエリは10日付けの情報にはホームページ上で誤報であると流した。しかし、今回はまだ載っていない。

 読売の記事を読むと

ソニー・エリクソンが、NTTドコモ向け携帯電話端末の定番シリーズから撤退することが分かった。

とある。なぜこのような言い方をするのか?というか、90X、70X 以外のシリーズって何?というのが、私の率直な意見である。

 いまだに Premini II を使っている私としては、今後の 70X シリーズに期待していた。しかし、ソニエリの 70X シリーズはどうにも興味がわかない。au の W62S が私のアンテナにひっかかりそうなので、乗換えかなぁ……

 海外はどうか知らないが、なぜ、キャリアごとにメーカーは端末をつくるのか?

 SIM カードとかあるんだから、端末ひとつでキャリアの乗換えができればいいのにと思う。キャリアの経営戦略として端末があることは理解できるが、例えば、富士通や日立みたいにひとつのキャリアでがんばっている企業もある。逆にシャープのようにどのキャリアへも同じような端末を提供している企業もある。シャープはこの戦略でユーザ数を伸ばしたと、私は理解している。

 使う人にも、作っている人にもやさしいケータイ市場になってもらいたい。

Thursday, March 13, 2008

ケリー伊藤 『プレイン・イングリッシュのすすめ』

 もっと評価されてもよかったのではないかと思う。

Amazon.co.jp: プレイン・イングリッシュのすすめ

 まず、「プレイン・イングリッシュってなに?」という、素朴な疑問がある。筆者であるケリー伊藤氏のホームページから引用する。

pecs-プレインイングリッシュ-Plain Englishとは

それでは、プレイン・イングリッシュは何かと聞かれると、少々困るんですが、こうですという形はないんです。よく混同されるんですが、ベーシック・イングリッシュのように、動詞は何語しか使わないとか、そういう決まりはないんです。一言で言えば、英語を母国語としている人ならだれが聞いてもわかる英語ですね。日本の英語学習者に則して言えば、中学3年までで学んだ単語で十分です。専門的なことを言うときには、テクニカルタームを使うこともありますが、構文自体は難しい構文は使わないということになります。

 ということで、プレイン・イングリッシュは英語母語話者に対するやさしい英語ということになる。評価されてよいのではと考える理由はここにある。

 極論すると、プレイン・イングリッシュは我々の中学英語になる。テクニカルタームは名詞であるから、プレイン・イングリッシュ的であるためには動詞が重要になる。中学英語の動詞が難しいのは知られている。これは、経験から述べることができる。

 中学の単語は意味が何通りも考えられる。当時の私は、そう思っていた。ちょっと難しい単語を見ると、意味が一通りしかない。これなら間違えようがない。学習者とはこういうものである。リスニングも難しい単語のほうが聞き取りやすい。一石二鳥である。

 しかし、生の英語に触れると状況は一変する。新聞や雑誌、インターネット上ではプレイン・イングリッシュを意識した文章が多い。私のように、基本単語の理解度が学校英語の範疇で止まっていると情けなくて涙が出てくる状況に追い込まれる。北米の独立系ベンダーの調査をしていたときに愕然としたことが、昨日のようである。

 それではどうすればいいか?ケリー伊藤氏は、単語の基本概念(Core Meaning)を利用しようという。今ではなじみのあることばと化した感がある。なので、説明はしない。

 私は本書を読み、ひとつ分かったことがあった。それは、学生時代の教師やえらく英語、英語に限らず外国語が達者な人たちに英英辞書を使うように勧められたことが多々ある。

 学生時代は、「何いってるんだ、この人は」といぶかしく思っていた。「なぜですか?」という問いに、納得のいく回答が得られなかったからだ。おそらく、教師も同じようなことを教師に言われたのだろう。そして、その勉強法で英語を習得してきた。教師の教え方というものは、自分の受けた教育に影響される。これは、教科教授法の授業でいやというほど聞いた。ということは、私に英英辞書を使えと言った人たちの経験知なのだろう。今ならそう考える。古い人の書いた英語学習に関する書籍を見ていると必ず書いてあることであるが、ただ、「使え」としかない。というか、基本概念なら英和辞書にも書いてあるではないか。ただ、なんとなく心許ない感は否めない。

 さて、本書を読みたければ、ケリー伊藤氏のホームページを見るとよい。「すすめ」の心は、本書と同程度に読みとることができる。

Sunday, March 09, 2008

人生の歩き方 野村克也

 野村克也というと、仏頂面の野球監督というイメージしかない。そんな私でも『野村ノート』(小学館、2005年)は読んだ。ID 野球といわれる氏の野球哲学が詰め込まれた良書である。興味はある。

NHK知るを楽しむ 人生の歩き方 野村克也 逆転の発想

 たしか、リアルタイムでは第 3 回を偶然見たと思う。「しまった!」と思ったが、ときすでに遅しだった。運良く、再放送を土曜日(3月9日)にまとめて観ることができた。過去に畑村洋太郎氏の回にも、再放送にはお世話になった。まとめて観ることができるのは、精神衛生上もよろし。

 さて、放送内容だが、これが興味深い。

 氏のプロフィールを見ると、「南海ホークスにテスト入団」とある。テスト入団である。そのテストでの逸話がいい。野村氏は肩が弱いらしい。遠投が苦手だったようだ。1投目、赤旗があがる。失敗だ。野村氏、あせる。線審をしているコーチが近づき、耳打ちする。「オーバーせえ」2投目、白旗があがる。5m から 10m くらいオーバーしたらしい。

 放送を見ていると、この入団の仕方にはランク付けの意味があるようだ。基本はドラフトなんだろう。これは、即戦力の補強というものだと考えた。テスト入団は、裏方の募集という意味があるようだ。テスト入団は、野村氏の場合はキャッチャーだが、ブルペン捕手というポジションらしい。レギュラーをとることはほとんどないといった文脈だ。しかし、その後45歳まで現役。現役引退を決めたエピソードも興味深い。

 絶好の機会がまわってきた。試合も終盤。負けている試合で満塁。バッター野村。ネクストサークルでバットを振る野村に対し、監督が声をかける。野村は「なんかヒントでもくれるんやろうか」と思ったそうだ。監督はピンチヒッターをコールする。憮然とする野村。ベンチに退き。代わりのバッターが失敗することを切に願う。失敗。野村は心のなかで喜んだそうな。家へ帰り、冷静になって考える。「味方が試合に勝つために最善と考える策を講じてがんばっている。それを…、オレは何を考えているんだ。」

 自分の評価は他人にされることで成立する。

 そして、解説者から監督へ。万年 B クラスのヤクルトを優勝、常勝球団へ。後に、阪神の監督へ。ここで、また薀蓄あることば。

 ヤクルトの成功を引っさげ、阪神からのオファーを野村は受ける。ヤクルトでの経験をプリントし球団関係者、選手へ配る。とても、合理的だと思うのだが、これが失敗する。野村時代の阪神はあいもかわらず最下位である。ヤクルトで成功したのに、なぜ阪神では効を成さなかったのか?野村氏は、「手を抜いた」といった。

 ヤクルト時代、監督になったばかりのとき、野村は名前も顔も知らない選手がいたと発言している。手探りだった。それゆえに、ゆっくりと試行錯誤しながら、自分のスタイルを確立する。そして、しつこく選手に伝える。人と人が対面し、時間を費やして、コミュニケーションする。時間がかかる。必ずしも、正解のない世界。選手としては納得するしかない。監督としては納得させるしかない。一見遠回りのようであるが、これが一番の近道だと私は考えている。体力のいる仕事だ。忍耐力もいる。阪神での失敗は、ともて興味深い一例だ。

 野村は「失敗」と書いて「せいちょう」と読ませる。楽天主義とはこういうことだろう。

Sunday, March 02, 2008

田地野彰 『「創る英語」を楽しむ―「暗記英語」からの発想転換』

 あまり読まれていないようだが、もったいない。

Amazon.co.jp: 「創る英語」を楽しむ―「暗記英語」からの発想転換 (丸善ライブラリー)

 応用言語学者による、学校英語のブラッシュアップと学校英語教育への提言である。田尻悟郎氏の英語教育と似ているというのが、私の印象である。

 なにが似ているのか?それを書くとネタバレである。が、書く。「魔法の呪文」である。ふざけているのか?いや、ふざけていない。本書にそう書いてある。本書は「魔法の呪文」の実践編、論理編が丁寧に綴られている。私としては、その論理編が興味深い。

 「魔法の呪文」を用いた外国語学習は、ネイティブの母語習得法に沿っているという。「またそれか……」と、正直なところ思った。しかし、丸め込まれた。言葉が悪い。腑に落ちた。

 英語は固定語順言語である。大西泰斗氏が口をすっぱくして言っている、あれである。英語は、単語の並びに意味がある。ネイティブが自然と獲得する文法ルールである。先に述べた「魔法の呪文」はこの文法ルールだ。

 「大きなルール違反」(グローバル・エラー)にこだわる。学校教育では、このグローバル・エラーよりも「小さなルール違反」(ローカル・エラー)に興味が向きすぎであるといっている。ローカル・エラーとは、冠詞や三単現、不規則変換動詞のミスのこと。納得である。