Sunday, March 09, 2008

人生の歩き方 野村克也

 野村克也というと、仏頂面の野球監督というイメージしかない。そんな私でも『野村ノート』(小学館、2005年)は読んだ。ID 野球といわれる氏の野球哲学が詰め込まれた良書である。興味はある。

NHK知るを楽しむ 人生の歩き方 野村克也 逆転の発想

 たしか、リアルタイムでは第 3 回を偶然見たと思う。「しまった!」と思ったが、ときすでに遅しだった。運良く、再放送を土曜日(3月9日)にまとめて観ることができた。過去に畑村洋太郎氏の回にも、再放送にはお世話になった。まとめて観ることができるのは、精神衛生上もよろし。

 さて、放送内容だが、これが興味深い。

 氏のプロフィールを見ると、「南海ホークスにテスト入団」とある。テスト入団である。そのテストでの逸話がいい。野村氏は肩が弱いらしい。遠投が苦手だったようだ。1投目、赤旗があがる。失敗だ。野村氏、あせる。線審をしているコーチが近づき、耳打ちする。「オーバーせえ」2投目、白旗があがる。5m から 10m くらいオーバーしたらしい。

 放送を見ていると、この入団の仕方にはランク付けの意味があるようだ。基本はドラフトなんだろう。これは、即戦力の補強というものだと考えた。テスト入団は、裏方の募集という意味があるようだ。テスト入団は、野村氏の場合はキャッチャーだが、ブルペン捕手というポジションらしい。レギュラーをとることはほとんどないといった文脈だ。しかし、その後45歳まで現役。現役引退を決めたエピソードも興味深い。

 絶好の機会がまわってきた。試合も終盤。負けている試合で満塁。バッター野村。ネクストサークルでバットを振る野村に対し、監督が声をかける。野村は「なんかヒントでもくれるんやろうか」と思ったそうだ。監督はピンチヒッターをコールする。憮然とする野村。ベンチに退き。代わりのバッターが失敗することを切に願う。失敗。野村は心のなかで喜んだそうな。家へ帰り、冷静になって考える。「味方が試合に勝つために最善と考える策を講じてがんばっている。それを…、オレは何を考えているんだ。」

 自分の評価は他人にされることで成立する。

 そして、解説者から監督へ。万年 B クラスのヤクルトを優勝、常勝球団へ。後に、阪神の監督へ。ここで、また薀蓄あることば。

 ヤクルトの成功を引っさげ、阪神からのオファーを野村は受ける。ヤクルトでの経験をプリントし球団関係者、選手へ配る。とても、合理的だと思うのだが、これが失敗する。野村時代の阪神はあいもかわらず最下位である。ヤクルトで成功したのに、なぜ阪神では効を成さなかったのか?野村氏は、「手を抜いた」といった。

 ヤクルト時代、監督になったばかりのとき、野村は名前も顔も知らない選手がいたと発言している。手探りだった。それゆえに、ゆっくりと試行錯誤しながら、自分のスタイルを確立する。そして、しつこく選手に伝える。人と人が対面し、時間を費やして、コミュニケーションする。時間がかかる。必ずしも、正解のない世界。選手としては納得するしかない。監督としては納得させるしかない。一見遠回りのようであるが、これが一番の近道だと私は考えている。体力のいる仕事だ。忍耐力もいる。阪神での失敗は、ともて興味深い一例だ。

 野村は「失敗」と書いて「せいちょう」と読ませる。楽天主義とはこういうことだろう。

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