Thursday, March 01, 2007

教えることの復権

 本書を読んで、萎縮とともに安堵を感じた。矛盾するようだが、率直な感想だ。

Amazon.co.jp: 教えることの復権

 萎縮を感じたのは、「大村はまにはなれない」ということだ。大村氏のように試行錯誤しながら教師として生活する余裕も時間もない。彼女のような人生は到底送れないということだ。絶望的な差である。

 安堵は、結局、指導書を示せばよいという現在の教師の最低ラインがあるので、日々の雑用さえ無難にこなせれば先生として生活できるということか。

 しかし、大村氏の発する言葉は強力だ。教師としての覚悟は尋常ではない。私は以下のところにグッときた。

「生徒に静かにしなさいって言わなければならないようなら、教師として敗北宣言をしたようなものだ」p.93

 私も学会発表やプレゼンで、惹きつける内容やことばを考えるときに、覚悟を感じた。綿密に調べた、裏もとれている、同僚の評価も上々だ、でも、発話する際にはその責任に押しつぶされそうになる。大村氏がこれの連続だったのだろうと思うと、大村国語教室の生徒が、ここでは苅谷夏子氏が「国語の先生を目指そうとは思わなかった」という気持ちがよく分かる。胃に穴が開きすぎて、胃がなくなってしまうだろう。

 最近、先生の権威という話を聞く機会が多い。「教師は聖職者たるべきだ」というモノだ。子どもをコントロールするための前提条件として持ち出されたモノだと認識している。私はコレに強い違和感を感じている。大村氏や「直観でわかる数学」の著者の畑村洋太郎氏、個人的には「日本人の英語」の著者であるMark Petersen氏のように職業教師として「教えること」に尽力している人を振返ってみると、「教師は聖職者たるべきだ」なんてコトはどうでもいいと改めて感じる。

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