Tuesday, December 13, 2005

京都学習塾小6女児殺害事件

 広島・栃木の小1女児殺害事件に引き続き、どうしようもない事件が起きてしまった。広島・栃木のそれとは毛色が違うが、我々のように教員を志すモノにとっては胸が痛む事件だ。

 通教生、特に教職課程を履修している生徒は塾講師をしている方が非常に多い。色々と思うことがあるのではなかろうか。本事件の犯人であるアルバイト塾講師は教職課程を履修していたようだ。おそらく、何年後かには教職履修のあり方そのものに手を入れなければならないといったことが議論の中核になるであろう。それでは遅いのだが行政のやることはいつもゴテゴテだから諦めるしかない。

 さて、今回の事件はなにが問題なのだろう?アルバイト塾講師の資質か?塾の体制か?

 アルバイト塾講師について、いくつか問題点が指摘されている。起伏が激しい性格といった印象は文面から受取れないが、人により見せる顔が違うといった印象は受けた。要は感情のコントロールが未成熟なのではないだろうかと思う。思い通りにことが運ばないと精神的にやられてしまうタイプの人間だと感じた。

 生徒と同僚講師の印象に差があることにも注目したい。塾講師をしているのではなく、近所のお兄さん的存在で振舞っていたような感じがしてならない。そうでなければ、「殺さなければ生きていけない」などと思うだろうか?それほどまでに、この塾に固執する必要があるのだろうか?と私は考えてしまう。つまり、アルバイト塾講師はここにいることが生きがいになっていたのだと思う。この場所を完璧に自分の城にしたいと思ったのではないだろうか。しかし、そのために、しかも塾の教室で殺害してしまうことは理解できない。どう考えても飛躍しすぎである。

 塾の管理体制も問われているようだ。塾も企業なのだから危機管理はやらなければいけない。しかも、子どもをお客様としているのだから、その責任は重い。保護者の中には、安全のために塾に通わせるケースもあるみたいだ。これらの保護者の思いを塾は分かっていると思う。そして、塾も外からの攻撃にはそれなりの対策を練っていただろう。まさか、講師がとは私も考えていない。このような考えは冗長になって、管理体制からは確実に除外されるだろう。それが企業でもある。

 今回の事件で一番疑問に思うことは、アルバイト塾講師と被害者はうまくいっていないと誰もが理解していたのにも関わらず、なぜ処置をしなかったのかだ。これは塾側の責任だ。塾が何をするところなのか、少し履き違えていたのではないかと思ってならない。

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