Saturday, January 12, 2008

苅谷剛彦 / 西研 『考えあう技術』

 教育を哲学する。本書はディープだ。

Amazon.co.jp: 考えあう技術 (ちくま新書)

 教育を哲学するというと、ロックとかコメニウスとかマンとかフレーベルとかデューイとかを浮かぶ人もいるだろう。本棚に置いていない教科書を引きずり出し、目次に書かれている人名の一部をあげてみた。これらの思想家を知らないと本書を理解できないということはない。もちろん、名前くらいはでてくる。でも、名前がでてくるくらいだ。

 本書のタイトルは『考えあう技術』である。このタイトルだけだと自己啓発の本と思われてもしかたない。苅谷剛彦氏と西研氏の対談を通じて、本書のキーワードでもある「追体験」ができる。目次には「練習問題」と題したページもある。実際に自己啓発の本だ。苅谷氏の著書は一貫して「考える」である。苅谷氏の場合、考えるための材料が「教育」なのだ。

 さて本書の「あとがき」にあるように内容の抽象度は高い。

私自身にとって今回の対話では、学校の現状や今進む教育改革の具体的な問題点の議論は、意識的に遠ざけた。哲学的な思考に寄り添うことで、一度抽象度を上げた議論を詰めたほうが、教育の意義や学ぶ意味を再構築するうえで有効だと考えたからである。(pp.269)

 抽象度が高いことをメタレベルが高いというらしい。私は「メタ」ということばを普段使わないので、この理解で正しいのか判断できない。まぁ、よしとしよう。

 本書がどれくらい抽象度が高いかというと、民主主義から話がはじまる。民主主義から、それを支える市民。その市民に民主主義から与えられる自由。その自由をささえるルール。自由と対立する徳目主義。自由と個人。などなど、この考えは言及されれば「当然のこと」と思うのだが、私はトンと忘れてしまっていた。多くの人は忘れてしまっているのではないだろうか。暗黙の共有部分のはずだ。この大前提が悩ましい部分だといっているが、それを解決できるであろう手法がキーワードの「追体験」だ。これは授業でやってみたい。

 本書を読んで、イギリスでの市民教育が新聞で特集されたのを思い出した。
イングランド報告(2) 「市民育成」高評価生む : 教育ルネサンス : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
イングランド報告(9) 「市民とは」教え方手探り : 教育ルネサンス : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
 この手はまだロールモデルがありそうだ。

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