Thursday, April 06, 2006

小学校英語教育は「ゆとり教育」がいい

 ここ2,3日、TVや新聞なんかでよく目にするようになった。中教審が審議内容のまとめを発表したからだ。先ほどNHKの23:30からのニュースで批評があり、その中でひとつ興味深い言葉があった。
「中学生より、小学生のほうが生き生きと授業に関わってくれる」
 これは沖縄で小学生に英語を教えた中学の教諭が取材の際に発した言葉らしい。キャスターの解釈では「中学生は英語学習のモチベーションが低い」とあった。これは結構、重要な言葉ではないだろうか。

 基本的に、小学校の英語は教科でない。児童にとっては遊び感覚であるという大前提がある。つまり、教科としての英語がつまらないという、単純明快な事実があるということでないだろうか。教科としての英語がつまらないということは、授業内容がつまらないのかどうかは分からない。ただ単に、椅子に座って一斉教授を受けることに抵抗があるのかもしれない。私は、これが一番の原因だと思っている。

 もちろん、このようなことが「しつけ」につながり、これも教育の一環だという意見があるだろうが、「しつけ」と「教育」を同時進行できるものとは思っていない。「しつけ」が整った人間の上に「教育」するというのが理想だ。そうしないと「自由」に教えることもできないからだ。だから、同時進行できるわけもない。と、考えている。

 小学校英語教育では、おそらくRPG形式が主だろう。そこには机もなく、教科書もなく、椅子にも座らなくてもよい。英語が面白いかどうかは二の次で、その環境が楽しいのではないかと思う。だから、英語の時間には積極的に参加しているように「みえる」のではないかと考える。

 環境が学習態度を変えるというのは広く知られていると思う。フリースクールなどがその典型だろう。塾もそうか。

 それと、先生の態度差も児童は感じているのではないだろうか。小学校英語は教科でないので成績をつけない。成績をつけないということは評価のためのチェックがない。つまり、必ず覚えなければいけないといったノルマがない。教科となると教員は最低限、これだけは「全員」に理解させなければならないといった、使命がある。このある種の「殺気」がないのが小学校英語の特徴でないか。児童もここら辺は理解しているはずで、そのおかげで失敗も恐れず、勇敢になれるのではないかと思う。

 そんで、この効果を求めたのが「ゆとり教育」のコアだった。今、歪曲された「ゆとり教育」は淘汰されようとしている。歪曲された「ゆとり教育」でも各学期で中間と期末テストがあり、到達レベルを評価された。別に内容を薄くすることはなかったのだ。そもそも、そのようなことは現状を容易にイメージできたはずなのに…

 話が逸れたが、小学校で英語の時間に積極的に参加しているのは教科でないからである。つまり、小学校英語教育が必須となり、ましてや教科となると、結果としては今までと変わりがないといった悲惨な状況になると考える。

 ぐんま国際アカデミーは英語イマージョンで有名だが、今日のニュースで入学式の様子が放送されていた。なかなか流暢な英語を児童たちは話す。おそらく低学年では教科として英語を行っていないはずだ(確認したわけでない)。これはある種の英語の「ゆとり教育」の成功例ではないだろうかと、私は思う。

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