田村理 『僕らの憲法学―「使い方」教えます』

攻防をするためのルール
憲法とは何か?
まず、
憲法と法律の違いがわからない。
なぜ同じものがふたつもあるのか
不思議でいた。
学校を出たての私の答えは
「守らなければならないもの」
であった。
すごくぼやけている。
「誰が?」を明確に示せない。
「とにかく大切なものなのだ」
というあやふやさで支えられている。
社会に興味のない学生だった。
こういう学生は結構いると思う。
目次
- 序 たくさん憲法について学んでも、肝心なことは教わっていない!
- 第1章 憲法の楽しみ方教えます!―「緊迫した攻防」のルール
- 1. 憲法とは何か―立憲主義という原理
- 2. 日本国憲法の立憲主義―国民は憲法を守る義務を負わない!
- 3. 国民と公権力が「マッチ」するためのルール
- 4. 憲法改正最大の論点―国家と国民の関係
- 第2章 国家が敵になるとき―目の前で痴漢が捕まったら
- 1. 『それでもボクはやってない』を観よう!
- 2. 公権力の危険性はこうして現れる
- 3. それでも必要な公権力―被害者の立場で
- 4. 「緊迫した攻防」のルール
- 5. なぜ「緊迫した攻防」ができないか
- 第3章 憲法の使い方―国民ができること・すべきこと
- 1. 立憲主義は何のために生まれてきたのか
- 2. 立憲主義の第一の砦―立法権を核とした民主主義
- 3. 立憲主義の第二の砦―違憲審査制
- 第4章 憲法の人間像―僕たちはどうあるべきか
- 1. 震災に学ぶ
- 2. 正義の味方の育て方
- 3. 「ものすごく強い」人間を前提に
- 終章 九条改正を考えよう!―一八歳、国民投票に向けて
- あとがき
- もっと学びたい人への読書案内
- 日本国憲法 全文
こんな私が憲法の基本的な
概念を理解したことばが
本書にも引用されていた。
宮台真司氏のことばである。
ただ、憲法が「国民から国家への命令」であるという基本的理解すらない無知な政治家ばかりという現状では、私はいずれの憲法改正にも反対です。改憲は十年早い。
憲法は、国家への国民の意思を書いた「覚書」です。戦後日本に、この憲法でいいという「憲法感情」はあっても、国家をどう操縦するかという「憲法意思」が乏しい。だから何が書かれていても空文化してしまう。
意思なき国民が大半になれば、憲法は紙切れ同然。大事なのは、憲法に何が書かれているかではなく、国民が何を意思するのか。
私はこの記事よりも前に別の場所で
同様な発言を聞き、目からウロコが落ちた。
具体的にはどういうことだろう。
『それでもボクはやっていない』を
教材に三者の視点から考察・説明する。
冤罪被害者の主人公、被害者の女の子、
そして第三者の視点。
話はすっ飛ぶが、
このようなレビューをする習慣がある人が
どれだけいるだろうか?
学校で身につけさせるべき
プライオリティの高い態度であると思う。
しかし、すっ飛ばされてしまい、
感想を述べる場に変わってしまう。
先生が喜びそうな感想を述べる場に。
話が逸れたが、
『それでもボクはやっていない』の
考察を読むと、とても切ない、
やりきれない非力さを感じる。
しかも、三つ巴の非力さである。
青臭いことはいくらでもいえる。
しかし、国民が
「憲法とは国家と国民が緊迫した
攻防をするためのルール」
を理解することが何よりも優先されることだ。
話はそれからだ。
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