Monday, September 03, 2007

死の壁

 「死」についての本。しかし、「死とは何か」という本ではない。

Amazon.co.jp: 死の壁 (新潮新書)

 養老孟司氏の『人間科学』(筑摩書房、2002年)を読みたかったのだが、置いてなかったので、本書を手にした。本書は「『人間科学』をやさしくしたもの」という。

 子どもの自殺が騒がれたころ、「学校教育でなんとかせないかん」という議論もされていた。はて、どうしたらいいのだろうかと考えたことがある。

 私が結論として出したモノは、「親族、または故人を好いている人が、本気で悲しむ姿を隠さずに見せるということに尽きる」ということだ。これに勝るモノはないと考えた。

 スキットをしたり、ビデオを見せたりなどは効果は期待できない。しかし、口演などでは空気を感じることはできるだろう。思春期の子どもたちの心にどれだけ残るのかは計算できないが、コトの重大さは伝わるのではないかと……

 本書に「死体には3つの定義がある」とある。一人称の死体、二人称の死体、三人称の死体。

 一人称の死体は、自分の死体だ。これはよく分からない。おそらく存在しないのだろうと本書にある。二人称の死体は、親族・近親者の死体であり、一般に言われる「死」とはこれに結びつくと思う。三人称の死体は、本書の表現を使うと「今日の交通事故死 1名」の「1名」である。顔の見えない死体だ。学校で教えることができるのは三人称の死体に関わる死だ。この物差しは秀逸だと思った。

 何事も学校教育に取り込まれると、自分とは遠い存在になってしまうと、私は思っていた。これは感覚としてそう思うだけなので、うまくことばにできるとは思っていなかった。しかし、このような物差しを設定すればなんとかなりそうだと感心した。

 本書には、エリートの話もある。このエリートは藤原正彦氏のいうエリートと同義である。私は、他にどのような意味としてエリートという言葉が使われているのか知らないので、Wikipediaで調べてみた。

エリート - Wikipedia

 見なかったことにしよう。本書のことばだと、

エリートというのは、否が応でも常に加害しうる立場にいるのです。(pp.137)


 「第八章」にあるのですが、氏らしいことばでまとめられている。今の私には、ここで考えなければならないことが多すぎる。

 脱線した。

 本書と『バカの壁』(新潮新書、2003年)は、『人間科学』をやさしくしたものらしい。『バカの壁』ってどんなだったかなぁと思い出してみようとしても、思い出せない。読書に慣れていないときに読んだ本なのだが、読書も慣れがあるのだと改めて感じた。何事も運動だ。

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