Tuesday, September 18, 2007

平等社会フィンランドが育む未来型学力

 フィンランドセンター所長によるフィンランド教育レポート。

Amazon.co.jp: 平等社会フィンランドが育む未来型学力

 一時期、さんざん騒がれたが、最近トンと聞かなくなった。日本「的」な一過性ブームの一端をここでも垣間見た。

 本書は、OECDで行われているPISAで好成績を示した、フィンランドにおける「教育とはなにか」というのを記したモノである。教育史、教育改革のポイントなど参考になる箇所がありそうだと手にした。

 本書を読んで、フィンランドでは「教育でできること・できないこと」を見極めていると感じた。フィンランドにもいじめや不登校の問題があるはずだが、そのことに関しては記されていない。進路指導や部活動についても書かれていない。不登校に関しては少し書いてあるのだが、それも教育制度でなんとかしている。この大胆さが羨ましい。

 さて、「教育でできること」は「教育制度の制定」と「教員養成」だと受取れる。

 「学校制度の制定」は日本でいう文科省と同様、国が行う。しかし、日本と比べると縛りは厳しい。

一般的な国家目標と科目別、分野別の授業時間数および生徒指導時間数の割り当てについては、フィンランド政府が決定します。国家教育委員会は、教育課程基準を承認し、各教育の目標と内容を設定します。これをもとに、地方自治体などの学校設置者が地方カリキュラムを編成します。(pp.117)


 同じではないかと思うかもしれないが、フィンランドには日本のような内申評価というものがないのかもしれいない。

義務教育は、授業への出席を強制するものではないので、授業出席に相当する知識と技能を通学以外の方法(おもに仮定での学習。国家教育委員会が教える人の能力を監督している)で習得してもかまいません。(pp.116)


 日本とは違い、宗教や倫理が義務教育課程で必修科目とされているし、プレスクールが充実しているのであまり問題がないのかもしれない。

 教員養成に関しては非常に力を入れている印象を受ける。まず、教員には修士課程を要求している。日本でも教員を経験し、各教育委員会から許可をもらえれば大学院で学ぶことができるが、ほとんどは教育委員会や付属へ行ってしまうので、根本的に修士号を取得する意味が違うのではないかというのが、私の意見。

 教育実習も2段階になっており、評価も可か不可というすっきりしたもの。しかし、不可を出す前に、話し合いを持ち、追実習というので教員養成体系がしっかりしている。日本の場合、教育実習で不可であったら、確かアウトだったと思う(受入校を変えれば再実習OKだったか?)。切捨てではなく、育てるという姿勢が、教育界全般に漂っている。

 日本では「教えること」から「学ぶこと」、そしてまた、「教えること」へ教育姿勢が変化しようとしている。「教えること」を放棄するのはありえないことだが、「教わること」の必要性を理解するには「学ぶこと」で壁にぶつかる必要がある。

 「学ぶこと」には自主的・積極的に学習したいという視点があると思う。自主的に学ぶことに限界があると感じることで「教わること」の必要性を理解できるのではないか。日本でも「学生時代にもっと、勉強しておけばよかったなぁ」などというセリフを聞くことができる。不思議とこのフィードバックが学校教育にはないように、私の目には映る。

 かつては日本も海外からの視察の対応に忙しかった。それは、その当時の社会背景にマッチした教育成果を得られていたからである。今は、フィンランドの教育が社会背景にマッチした教育成果を得ることができている。ただそれだけの違いである。

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