Friday, February 01, 2008

福田誠治 『競争しても学力行き止まり イギリス教育の失敗とフィンランドの成功』

 タイトルにあるように、イギリス教育の失敗とフィンランド教育の成功を示した書籍である。本書のBGMは稲葉浩志の『THE RACE』(from 『Peace Of Mind』)がぴったり。

Amazon.co.jp: 競争しても学力行き止まり イギリス教育の失敗とフィンランドの成功 [朝日選書831] (朝日選書 831)

 なぜイギリスとフィンランドを比べているのか?安倍晋三前首相が教育再生を提言した際に、ロールモデルとしてイギリスの教育、特にサッチャーの教育改革を示したからだ。では、イギリスで行われた教育改革はどのような結果になったのだろうか?それを知らずして安倍前首相の教育改革指針は見えてこない。

 本書の構成は、イギリス教育の現在を教育改革の影響から考察。改革前の教育比較となる。興味深い。そして、フィンランド教育思想と比較をし、フィンランド教育の考察。前者をアングロサクソン・モデル、後者をフィンランド・モデルと本書ではしている。これらふたつのモデル考察を受け、日本の教育はどこに着陸するべきかと続く。

 本書を読んでいて、ひとつの補助線が思い浮かんだ。経済、そしてそのメタになるであろう欲望だ。

 アングロサクソン・モデルとフィンランド・モデルは経済より特徴づけられた。ご存知のようにイギリスの通貨はポンドだ。ユーロではない。ヨーロッパはイギリス対EUのような関係対立が成り立つ。その考察が第3章にある。

 そして全体としては、学力は欲望値になっていると感じた。1位を目指す。結構なことだと思う。しかし、1位は相対的な価値観でしかない。売り上げ1位と変わらない。シェア1位と変わらない。メタな意味では、1位とは他者より優れているということだ。他者が、強いていえば敗者がいてはじめて価値がある。学力もそれと一緒だ。

 イギリスが1988年に教育改革をはじめた。1988年教育改革法という。それ以前は、今日のフィンランドとそっくりだという。今現在、イギリスでは大学で昔の面影を持った教育を行っている。それがせめてもの救いなのかもしれない。しかし、義務教育課程では画一的な競争により教育の成果を評価している。世界はひとつの基準で評価される。経済であり、お金である。そしてこれは、青天井の欲望である。

 日本で低学力問題というのが2000年前後に起こった。分数のできない大学生など、理数系の学力低下批判が行われた。この批判をはじめたのが経済学者だという。(pp.192)私は不勉強で初耳であったが、補助線である経済・欲望というキーワードが強く光りだした。

 教育者は経済を学ばなければいけない。経済界の理屈は非常に強い。私たちは結局、働く人になるからだ。すべてが経済に還元されてしまう。しかし、フィンランド・モデルを手本とするならば、経済の論理と戦えるだけの経済の知識が必要になると思う。もっとも、私は経済に明るくない。私が持ち合わせる武器は熱力学第二法則くらいだ。地球温暖化も手伝って、なんとか戦えるモノになっているのではないだろうかと思う。フィンランドを見習うのは実際の政策ではなく、経済を丸め込んだ論理である。

 競争することで自力をつけるということに全く反対ではない。確かに効果はある。しかし、相手がいなくなったとき何を支えにすればよいのか?学校では教えることができるのだろうか?他者は教えることができるのか?新たな敵を見つけるか?社会に出れば、否応なしに競争に参加させられる。同じ青天井であれば、無知の知に価値をおきたい。イギリスにはこんなことばがある。

茂木健一郎 クオリア日記: 堀江社長にとって「世界は誰のものか」

オックスフォード大学を出た人間は、世界が自分のものだと考える。ケンブリッジ大学を出た人間は、世界が誰のものでもかまわないと考える。

 イギリスは多様性を認めていた。このことばは簡単にそのことを説明している。似たようなことばが本書にもちりばめられている。

 偶然にも昨日(1月31日)のクローズアップ現代はEUの教育だった。

クローズアップ現代 NHK

 Blair前首相の「Education, education, education」が象徴的に放送されていた。本書にも出てくる。

see also
平等社会フィンランドが育む未来型学力

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