Tuesday, May 23, 2006

ゼロトレランス

 ゼロトレランス(Zero Tolerance)に関する記事があった。

生徒指導厳格化:「信頼関係損ないかねぬ」…校長ら懐疑的-教育:MSN毎日インタラクティブ

 高校では停学や退学などの懲戒処分ができるが、小中学校ではできない。現在では高校でもこれらの懲戒処分が「思う存分できるか」といったら、おそらくNoだろう。最近の教育現場では敬遠されがちなことだと思う。

 このようなゼロトレランスが必要な背景もある。しかし、これを一律、横並びで行う必要は全くない。このような「厳しさ」も認めるということにはできないだろうか。そうすると基準の問題が出てくるが、学校や先生単位ではなく、児童・生徒単位で判断することができると思う。ゼロトレランスを発動するに当たり、かなり臨床実験を行ってデータや傾向等々取れているはずだ。

 記事にコメントを寄せているふたりの著名人の意見も正反対の意見なのだが、それぞれ一理あり、問題の難しさを呈していると思う。個人的意見だが、校則の信憑性というか妥当性というのも、そろそろ考えてもいいのではないかと思う。

 例えば、小中学校では授業中に飲食できない。というか、その類のものを学校に持ち込むこともできないのが原則だろう。しかし、大学や職場になれば、ドリンクはおろか、ちょっとしたおかしを傍らに置いていても文句は言われない。むしろ、作業効率があがればなんでもありという職場もあろう。

 休み時間に関しても、先生は次の授業への接続と考えて休む時間ではないと言う。そうではなく、きちんと休むための時間を確保する必要があるのではないか。私が学生の頃は、2時間目と3時間目の休みが15分か20分くらいあったが、若干長いと常々思っていた。それならば、均等に10分にしてもらいたいなと思っていた。自分が望むときに休みが取れないのだからそれくらは融通利かせてもいいと思う。私の会社では月に5%の自己管理時間というのがある。厳密に5%を計っているわけではないが、自分の好きなときに休憩を取ることが認められている。自分のペースというものが作業効率に大きく関わると、会社側も認めた結果と思う。学校の一斉教授では難しいが……

 私としては、逆に全く自由にしてしまうのもアリだと思っている。そこには時間割もない。校則もない。先生も率先して教えることはしない。教えを乞いにきたものだけに教える。まぁ、このように自発的に動ける人に育てることが義務教育の核なのだが、「枯渇感を呷る教育」ってのも必要だと思っている。

 少し話がずれてしまったが、ゼロトレランスに関しては現行の学校運営をする上では必要だと思う。しかし、ケースバイケースで児童・生徒単位で考えて行うべきだ。やってしまったコト単位で考えるべきでない。それより、ゼロトレランスの話をする前に、現行の学校運営を考えるべきなのでは思う。

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