福澤一吉 『議論のレッスン 』
論理学の本かと思って読んでみたが、ディベートの本だった。
Amazon.co.jp: 議論のレッスン (生活人新書)
私はディベートには興味がない。興味はないのだが、身につけたいスキルと思う。なぜ、身につけたいスキルなのかは、本書pp.32の「大学教員には議論スキルがあるか」に書かれていることに問題意識を感じており、どうにかできないものかと思っているからだ。そこにはこのように書かれている。
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私はディベートには興味がない。興味はないのだが、身につけたいスキルと思う。なぜ、身につけたいスキルなのかは、本書pp.32の「大学教員には議論スキルがあるか」に書かれていることに問題意識を感じており、どうにかできないものかと思っているからだ。そこにはこのように書かれている。
講義のときに質問して、「なんだその質問は。もっとまともなことを考えてから質問しろ」などと教員にいわれたら、あなたはどうしますか。怯んでしまいますか。それとも毅然としてそういわれたこと自体に反論するでしょうか。(pp.32)
日本では「質問の内容いかんにかかわらず、質問すること自体がその人に対する批判である」といった図式がまだあるのかもしれません。(pp.33)
私にとっては十分満足な問題提起である。
本書では議論にはルールがあると示している。トゥールミンの議論モデルというらしい。このトゥールミンの議論モデルのみを扱っている。あれやこれや欲張っていないのですっきりしていて読みやすい。
「おわりにかえて」にもあるように「論理」を扱っていない。ちょっと待て。ディベートは論理性を競い合う競技なのではないか?その議論モデルなのだから、「論理」を扱っているのではないだろうか?こう考えるのは自然だと思う。私たちは、小学校のときに作文の書き方で「起承転結」というのを教わる。本書で扱っているトゥールミンの議論モデルはこれと同列である。スタイルであり、「論理」ではない。
続編があるようだ。そちらで「論理」を扱っているのだろう。期待したい。
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