Tuesday, March 28, 2006

小学校高学年で平均週1回の英語教育を提言

 中教審により、小学校高学年での英語教育が実施されることが事実上明確になった。まだ「教科」としてはいかがなものかと議論される。縦の連携として「高学年は、中学校との円滑な接続を図る観点から、年間35時間(週1回)程度で共通の教育内容を設定することを検討する必要がある」(asahi.com)と提言がある。これは当然のことなのだが、あくまで「中学英語は現行のままで」という方針だ。これには首を捻らないといけないと思う。

 義務教育で実質5年、英語の時間が確保されるのだ。中学英語はかなり窮屈でタイトな時間配分だという印象を受ける。そして、今までの経験からも「脱落者」が多いので、これを撲滅させるための工夫を考えるよい材料が提供されたと思う。私自身、脱落者が多い理由としては復習の時間の不足と考えている。要は次から次へやるべきことが津波のように襲ってくる状態で、うまく波に乗れた人にしか制限時間内にゴールにたどり着けないような、過酷なレース。失敗したら確実にリタイヤという厳しい状況だ。

 これを書きながらふと思ったことがある。本当に「小さいうちから国語教育をしなければならないか」ということだ。日本語だけを考えたときに、帰国子女が日本で義務教育を受けた子どもと比べて劣っているのかと考えた場合、一概にそうとは言えないなと思った。もちろん戻ってきた年齢にも依存している。ひとり私がよい例だと考えている人に「劇団ひとり」がいる。

 彼は幼少期に英語圏で生活をしていた。確か5年くらいだと記憶している。その後、帰国し、小中の義務教育を受け、高校へ進学している。彼は最近、小説を書いた。それがえらい評判で賞をとってもおかしくないと評価されている。この評価は芸能人が書いたものだからというわけではない。つまり日本語においては人より秀でたものを持っているといっても言い過ぎではないと思う。もちろん、構想力やら他の文章の才、帰国後の彼の努力は加味せねばならないが。

 そして、彼の英語力はいかがなものかというと、自称だが、日常会話程度ということらしい。つまり、英語圏で生活していたときに身につけた英語を持続していると考えられる。私は「日常会話」というのは日本人が日本で英語の勉強をするにあたりかなりレベルの高いことだと考えている。正直、学会などで話す英語の方がよっぽど簡単だと思っている。これは結構多くの人から聞いたり、本で書いてあったりすることである。つまり、帰国する時期が早ければ難しいと考えられている日常会話のスキルを持続しながらも、日本語においても人並み以上のものを獲得できる猶予もある。

 サンプルが「劇団ひとり」しかいなので説得力はゼロだが、一つの可能性を考えることができる。それは、小学校を4~5年間にし、そこをインターナショナルスクールのようにすることだ。国語や音楽などは日本語OKだが、その他のことは全て外国語で行うのである。中学も4~5年とし、今度は英語の時間以外、日本語で行う。

 まぁ、現実味はゼロだが、そんなことを考えてみた。中教審が掲げる「グローバルに活躍するための英語」は、未だに幅を持った受取り方ができる。弾力化が進む中でこのような考えがないこともない。ましてや「コレが正解」というものもないはずなのである。

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