Friday, December 26, 2008

高等学校学習指導要領改定案

高校の学習指導要領改定案が発表された。

高等学校学習指導要領、特別支援学校学習指導要領等改訂案関係資料

学習指導要領なので全教科に
改定案が提案されるはずだが、
外国語(以下、英語)だけが大きく扱われている。
それだけ学校の英語には期待があり、
不満があるのだろう。

改訂のポイントは2つ

高等学校学習指導要領改訂案のポイント

  • 高等学校で指導する標準的な単語数を1,300語から1,800語に増加(中学校、高等学校合わせて2,200語から3,000語に増加)
  • 授業は英語で指導することを基本


時間が経ったのでいろいろな意見が出てきた。
人気があるのは「授業は英語で指導することを基本」だ。
私も同感。

この文面からだと
「日本語は補助的に使うのが基本」
と読むことができよう。
だから、「おいおい…」となっている。

現場の意見として、
「すべて英語でやらなくてもいいんでしょ?
基本的にだし……」
というのがあったが、そうなのか?
それは誤読ではなかろうか?
たしかにこんな但し書きがある。

asahi.com(朝日新聞社):「高校英語、英語で教えるべし」学習指導要領の改訂案 - 社会

文科省は「難しい文法までは英語で教えなくてもよい」という


でもこれが、
「すべて英語でやらなくてもいいんでしょ?
基本的にだし……」
になるのは理解不能だ。
ゆとり教育もこのような齟齬で
わけわからぬ方向へ行ってしまったんだよな。

さて、オール・イングリッシュの授業は可能か?
条件は教師の力量とクラス規模だろう。

まずクラス規模から
ダンコーガイがいいこと言っている。

404 Blog Not Found:「英語の授業は英語」は可能か - 書評 - 外国語学習の科学

外国語で外国語を教えるときに、最も重要なのは、「クラスが十分に小さいこと」だと私は考えている。


クラスが大きいことは、ことあるごとに指摘されている。
(諸悪の根源になっているのではないだろうか?)
だから現在はチーム・ティーチングで
負担を分担している。
本来のチーム・ティーチングの姿なのかどうなのか
私はとても疑問である。

教師の力量は単純で、
「日本語で英語を教えることができるかどうか」
これに尽きるだろう。
まぁ、これをできないという人はさすがにいないだろう。
「単純にしゃべる内容がなければいけない」
ということだ。

ん、英語で教える意味があるのかどうか
怪しくなってきた。

英語で英語を教えようが、
日本語で英語を教えようが
教える内容に違いはないだろう。
違うのか?
違う。
翻訳がない。

翻訳がなくなると擬似的に授業時間が増える。
英語でやりとりをしているのだから、
今までの評価方法では、
生徒が英語を理解しているか測れない。
そうなると、新しい教授法が必要になる。
ということは、英語で教えるとなると
ほとんど学びなおさなければいけない。

教師の力量の問題は
学びなおし、おそらく研修の有無
にかかっている。

気ままに英語教育: 0185- 081225 高校英語授業 指導要領改訂

教師が英語を使うという点に関しては語研のオーラルインターラクションの手法や、ジグソーリーディン グ、ディブリーフィングの手法を知っていれば英語で授業を行うことは難しくはありません。


オーラルインタラクションは授業の導入で頻繁に使う。
ジグソーリーディングははじめて聞いたが、

2003年度 第1号

ジグソー・リーディングとはジグソー・パズルのように「自己完結したテクストを断片に分割し、それを学習者に適切な順序に復元させる(de Berkely-Wykes(1993))」という単純な方法である。


ディブリーフィングも聞き覚えのないことばだったが、

気ままに英語教育: Debriefing  ディブリーフィング

Debriefingとは,もともと下士官が上官に戦場の現状を「手短に」説明したことに由来するそうです。これは教育目的にも取り入れられ,とくにESLでも使われるようになったそうです。


うん、勉強になりました。

しかし、こうなると日本の言語教育
そのものが危ういと思えてならない。

404 Blog Not Found:名文より明快文 - 書評 - 非論理的な人のための論理的文章の書き方入門

しかし学校では読文は教えても、作文は教えない。作文そのものは授業にあるのだけど、ただ文を一定量以上書き連ねることばかりが求められ、どれだけ的確に伝わるかという、文章で最も重要な作法は教えてくれない。


上のジグソー・リーディングやディブリーフィングをみていると
日本語運用能力においても、
同じ問題を抱えているではないか。

「当然」という意見から「無茶だ」という意見まで幅広い。
そのなかでも多いのは、大学入試との絡みだ。

勉強するモチベーションとして、
入試の存在は大きい。
これを手放すのは惜しい。
私ならそう考える。

しかし、入試から外したほうがよい
というのが私の考えである。
なので、テストはやるが外国語のクラス編成の
材料程度に考えたら如何だろうか?

「入試科目に英語がなくても
英語の勉強をするか?」
だれか調べてくれないかなぁ?
そんなに低い数字は出ないと思っているのだが…

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