Wednesday, October 25, 2006

誰にでも新人のときがある

 非常にショッキングな内容の記事。これは教師の育成にも関することなので見過ごすことはできない。

保護者から批判『結婚、子育てしてないから』 『ストレスで教諭自殺』

 見出しが呷っているような気もするが、東京新聞の記事によると教員の自殺の原因である、精神疾患の引き金として以下のことが書かれている。
 教諭は着任後、連日授業の準備に追われ、一カ月の超過勤務時間は百時間を超えた。また、保護者からの連絡帳には指導への疑問や批判が繰り返し記され、「結婚や子育てをしていないので経験が乏しいのではないか」と人格を侵害するような内容もあったという。
 残業100時間/月というと、それほど異常な時間ではないと思ってしまう、私も私だが、堪えられない時間ではないと思う。残業の内容が問題だろう。もうひとつの「結婚や子育てをしていないので経験が乏しいのではないか」という批判が如何ともし難い。おそらく本人もこんなことは笑い飛ばしているであろう。こんなことで悩んでも仕方ない。

 問題は記事にも書いてあるように新人へのサポートの脆弱さだろう。
 同校は一学年一学級編成で、教諭は友人に「相談する人がいない」と漏らしていた。[中略]

 記者会見した代理人の川人博弁護士は「新任教諭への学校のサポート体制が脆弱(ぜいじゃく)だった。保護者にも新任教諭を育てる姿勢が必要だ」と指摘している。
 弁護士は保護者にも新人へのサポートを求めているがこれはお門違いだと思う。保護者にとってはそんなことは関係なく一律で先生だ。保護者に同一校内の教師による格差を認めさせることになる。ならば、先生を選ばせてくれとなるだろう。

 小学校ではひとりで国語、算数、理科、社会などなど授業をこなさなければいけない。就業時間中はほとんど教室にいて授業をしているはずだ。本当に厳しいと小学校の先生をしている友達が言っているのを聞いたことがある。ノウハウがあるはずなのだが、文書としてでなく、ほとんどが各教員の脳内ソースにある。これが文書としてあるだけでも、新人にはありがたいことだと思う。これがあれば、この教員の残業100時間/月の内容も、指導方法の改善などの発展的なものに費やすことができただろう。

 とにかく、教員はスタイルさえ確立してしまえばなんとなるものだ。これがいいのか、悪のかはさておき、基準となるスタイルがなければ発展も改善もないと思っている。誰にでも新人のときがあることを、一番よく知っているはずの学校で軽視されているのは如何なものか……

No comments: