Saturday, August 04, 2007

経団連の考える「今後の教育のあり方」

 興味深い記事があった。日本経団連の東富士夏季フォーラムにて教育について話があったようだ。

「今後の教育のあり方」-第6回東富士夏季フォーラム<第1日>第1セッション

 第1部で、教育再生会議の池田守男氏による「社会総がかりでの教育再生に向けて(初等中等教育を中心に)」というタイトルの口演があったようだ。

 教育再生会議がどれだけの実行力を持っているのか、未だに不明瞭であるが、なかなか突拍子もないことを議論しているなぁというのが、私の感想である。

 教育の現場に「ガバナンス」の概念がないとあるが、ここでの「ガバナンス」とはどういう意味だろうか?真っ先に思いつくのは旧来の公務員体質のガバナンスはあろうにと、食いつきたくなるが、違うのだろう。この記事に書いてあるような「ガバナンス」が機能したとなると、かなり、殺伐とした空気になりそうな予感がする。成果主義下の企業のように。

 学習者第一とは、要は、成績が良くなるということに価値を置いている。成績に、テストの点数に評価のものさしが設定されたものだと認識する。そのために教員は努力せい、ということなのだろうけど、教員の研修や教育が完了した後でも、成績が上がらない生徒がいる場合、それは生徒の責任となるのだろう。「ああすれば、こうなる」という考えのもと、かなり無謀な世界観じゃないだろうか?

 「ゆとり教育」が「ゆるみ教育」になっているという指摘は同意する。ならば、「ゆるみ教育」を「ゆとり教育」に是正して、はじめて「ゆとり教育」の評価ができるのではないだろうか?「ゆとり教育」だって、唐突にはじまったわけではない。国立大学の付属小中なので、臨床実験が行われているはずだ。そこで、合格点が得られたからこそ、全国に広まったのではないのか?なぜ、国立大学の付属小中が入試制なのか?それは、度重なる方針転換に翻弄されぬ生徒を選別しているためである。

 よくよく見るとかなりフラットな会議だ。言いたいことを言いまくっている感じである。企業としては、優秀な社員が欲しい。チームワークが円滑にできるなど、人間関係に関する要求が教育内容に包括されている。なので、個性とか秀でた才能などの発言はない。それは第2部でもあるように、大学の仕事なのだろう。

 唯一、救いとなるような発言はこれ。

子どもに害となる刺激を抑制するのは企業の責任でもある。


 が、初等中等教育は労働奴隷養成所と化しそうである。

see also
さよならマルクス (内田樹の研究室)

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