「すべての生徒の偏差値を上げます」
京都府教委 学力向上の妙案に予算 : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
京都府教育委員会が、学力の向上策を府立高校から募り、優秀な提案をした高校だけに予算をつける「学力向上企画コンペ」に取り組んでいる。学校間の競争を通じ、新たな指導法の開発や全体のレベルアップを目指そうという試みだ。
効果のありそうな案を、一校だけの特権としてしまわぬよい試みと思う。学力向上のアプローチは、それだけで金になる、金のなる木だ。公教育としては本末転倒になりかねない、経済原理をつぶそうという試みだろうと考える。
それに閉じた空間での思索というのは、どうしてもアナがある。このような試みでは、評価する側も「なぁなぁ」ではない。閉じた空間では「あたりまえ」のことでも説明が求められることもあろう。主観と客観にする作業、自分の主観を相手の主観に昇華させる術は、現在の学力テストなどでも求められるスキルである。
しかし、この読売の記事の中でどうしても気になることがある。
「毎朝、20分間学習を続け、すべての生徒の偏差値を上げます」
いったい、どのようにして「すべての生徒」の「偏差値」を上げるのだろうか?近年の偏差値の求め方は、昔の偏差値の求め方と変わったのか?
学力偏差値 - Wikipedia
偏差値60以上(あるいは40以下)は、全体の15.866%いる。
偏差値70以上(あるいは30以下)は、全体の2.275%いる。
偏差値80以上(あるいは20以下)は、全体の0.13499%いる。
それと、偏差値が学力値という認識がまだあるのか?この発言が誰によるものか記事にはない。「学力の向上策を府立高校から募り……」とあることから、教諭もしくは校長・副校長、とにかく、教職員によるものだろう。現場の人間がこのような認識なのは悲しい。それとも、記事を書いた記者が咀嚼した結果の表現か?私には判断がつかぬ。
どこで、聞いたのか忘れてしまったが、こんな会話があったという。ある中年たちが飲み屋でしていた会話らしい。
「オレ、偏差値低いから」
学校を卒業して20年くらい経つだろう。いまだにその当時の偏差値を彼らは保持し続けているらしい。まぁ、思い出話だったのだろう。
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