Sunday, July 15, 2007

ブラック・ユーモア

 以下のポエムが高評価らしい。

現代っ子にぴったり? 「雨ニモアテズ」宮沢賢治の故郷で発表|愛媛|地方|Sankei WEB

 記事によると、これを書いたのは「どこかの校長」らしいが、発表したのは小児科の医師のようだ。日頃、子どもたちに数多く接していて「校長、グッジョブ!!」ってことで学会で発表したらしい。

 雨ニモアテズ 風ニモアテズ

 雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ

 ブヨブヨノ体ニ タクサン着コミ

 意欲モナク 体力モナク

 イツモブツブツ 不満ヲイッテイル

 毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ 遊バズ

 朝カラ アクビヲシ  集会ガアレバ 貧血ヲオコシ

 アラユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ

 作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ

 リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ

 東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ

 西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ

 南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ

 北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ

 日照リノトキハ 冷房ヲツケ

 ミンナニ 勉強勉強トイワレ

 叱ラレモセズ コワイモノモシラズ

 コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ


 しかし、この「どこかの校長」、ノリノリである。まさに「北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ」のごとく、「どこかの校長」に当事者意識のかけらもない。「いや、校長、あんたも『コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ』のひとりだよ。」っていう、つっこみはなかったのか?というか、このパロディは、「どこかの校長」がノリツッコミをして、はじめて成立するギャグだと思うのだが、私の感覚はおかしいだろうか?

アメニモマケズ - Wikisource

 宮沢賢治のオリジナルを見れば、こいつも十分に当時を皮肉っているのが分かる。先日読んだ『脳と魂』という本に興味深い指摘があった。それは差別問題に関わることだ。本文ままではないが要約すると以下のようなことだ(うろ覚えなので、後日修正するかも)。

江戸では身分制度でエタ・非人を設けた。しかし、それなりの生活保障を江戸城では行ってた。しかし、田舎の大名が真に受けて、忠実にその制度を適用した。それで、差別が生まれた。幕府に気に入られようとする大名のエゴにより、差別問題が生まれた。


 このパロディにも、これを感じずることを禁じえない。差別が生まれるということではなく、勘違い・真に受けた・エゴの部分である。もちろん、私も批判する文章を書いているので、気をつけなければいけないのだが、それを守れているかどうか分からない。

 内輪で盛り上がるための「ネタ」であるなら、まぁ、いい素材だ。しかし、この詩にはユーモアがない。

世相と人柄を皮肉ったユーモアは「ブラック・ユーモア」と呼ばれる。穏やかなユーモアと比べて不愉快に感じる人間が多い一方で、その刺激を楽しむ人もいる。

ユーモア - Wikipedia


 「ブラック・ユーモア」なんて言葉自体、忘れていた。

 さて「どこかの校長」を批判してきたが、この「どこかの校長」の存在が怪しい。

 Googleで調べた限りの初出は、作者不詳として2000年の産経新聞に載せられたとあった。

00カルチャー

 私は直感的に小学校の校長だと思ってしまったのだが、作者が「どこかの校長」というのは今回の産経の記事しかない。新聞社のブラック・ユーモアとするか、小児科医の医師のブラック・ユーモアとするか、「どこかの校長」のブラック・ユーモアとするか、むずかしい選択だ。

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